<15> 移りゆく果実の緑 (前)
ガラスの向こうはただひたすらに青かった。
「後ろ暑くねえかー、打川」
「今のところ快適ですよ。お気遣いなく」
「参崎はどうだー?」
「ああ? ……どっちかってえと暑いが、冷房もあんま好きじゃねえし……このままでいい」
「へいへい。青臭いんだか年寄り臭いんだか分かんねえな」
運転席の川藤は、前を向いたままに上機嫌な調子を返した。前後左右のいずこにも走る車は見当たらず、うなるエンジンとエアコン以外には音を放つもののない静かな午後であった。
“4人”を乗せた車は、ちょうどゆるやかで長い坂を登り切ろうとしていた。
「ん~……わたしもなんっていうかちょっと暑いかもですね~、なんででしょうね。か~わと~さん」
間延びした声が斜め前方、助手席の方からもたもたと届いてきた。
「ああ、風が当たってないのかもなあ。ほら、そこから出てるだろ。角度は自分で調節してくれ」
「え~、いじっていいんですかこれ。おこりません~?」
川藤が指し示した窓際の送風口を、彼女は指先でちょんちょんと触れる。
それから首を傾げてみたり、トンボをとるように指を回してみたりしていたが、すぐに飽きたように座席にもたれて両腕を伸ばす。するとその勢いで天井にごんと指をぶつけたのか、「ひゃっ」と腕を引っ込めてまたもとの姿勢に戻っていた。
クラスD-25、埜滝柳果(のだきりゅうか)。
彼女は今日も、普段と変わらぬマイペースで生きているようだった。
湊がそうであるように能力がデリケートなものらしく、あまり自分と接する機会は無い。一度だけ訓練に同席したが、その力がまったくと言っていいほど掴めなかった。
クラスと番号にしても先ほど初めて聞いたほどで、通号までは聞いていない。そもそも本人にさえ教えられてないという話だ。
「ちっ……」
隣で聞こえよがしに舌打ちをしたのは、C-13の参崎龍(さんざきりゅう)だ。
この間のオリエンテーリングでは喧嘩をふっかけられたが、先ほど顔を合わせた際には特に言及はしなかった。
そのこと自体をもう忘れてしまったのか、今は興味が無いだけなのかは分からない。苛立っているような表情を見るに後者に思えたが、それが普段通りの彼なのかもと思うと断定も出来ない。
自分はどちらとも付き合いは浅く――――そして別段、仲を深めようという思いもない。
能力を抜きにしても、この二人はそれぞれに厄介な人物だからだ。
「なあ、川藤サンよ」
「んー? どうかしたか、参崎」
「そろそろどこに向かってるかぐらいは教えろよ。他の連中と違って、オレの能力は場所を選ばねえだろ」
「ああ、そう言えばそうだな。割と珍しい方ではあるが」
「だから何で遠出すんだよ。そこの…そいつの付き添いってんじゃねえだろうな」
「はあい~? わたしのこと?」
ひらひらと指をくねらせつつ右手を挙げて、埜滝がこちらに振り向いた。
「……あー、そうだよ。てめえの能力は知らんがよ、オレと関係ねえってのなら……」
「へっへ~。わたしも場所かんけーなしにつかえるんだよねえ~。ね、かわとーさん」
「んーそうだな、言う通りだ。……まあそういうことだからよ参崎、面倒かも知れんがしばらく我慢してくれや」
「…………ったく……」
言われてか参崎はひとまず黙り、眉を吊り上げながら窓際に肘をついた。
「まーた『サンプリング』って奴かよ。今日はそういう気分じゃねえんだが」
「そう文句を垂れるな。お前の能力は貴重ってことだ」
「ヒマとはいえこう連日じゃあよ……もっとスカッと暴れられねえんかよ」
声は返さないまま、返事のつもりなのか川藤は首をこきこきと鳴らした。
しばらく沈黙が流れたため、雰囲気はともかく思った事を一つ口にしてみた。
「この方向というと、行き先は谷ヶ森公園ですかね」
「おお、察しの通りだ。行ったことがあるか?」
「小さい頃ですけどね、子供会だかの行事でキャンプに……」
「ほー……今の子でもそういう経験があるもんなんだなー……お、言ってるうちに見えてきたぞ」
行き止まりにある開けた土地が林の間に見えて、広がってゆく。
かつて見たはずの光景なのだが幼いころの記憶は薄くて感慨も湧かず、しかし到着した。
- - - - -
「サンプリング……ってのは何だ?」
無知を貫くつもりもなかったので、疑問に思った単語について隣を歩く参崎に聞いた。
短く切り揃えられた草を踏みながら、だらだらと進行する川藤の背が上下に揺れるのを見ながら。背負っているリュックが重いのか、川藤はときおり立ち止まっては揺すって位置を直していた。
駐車場のそばに建っているログハウスの管理棟を除くと人工物は何もなく、だだっ広いだけの緑の草原が目に優しかった。ピクニック目的で来るには子供が退屈するだろうが、豊富なスペースがあるこの場所は訓練には格好の土地だろう。
「ああ? 知らねえのかよ」
「あいにく。俺は末端の使い走りなもんでな、知らない事ばかりで退屈しない」
「ふーん……サンプリングってのは、能力者の調査とか検査みたいなもん。立会人がやる場合が多いがよ、オレの『グレート』は特殊で替えがきかねえから手伝わされてんだよ」
「なるほど、確かに類を見ないものな」
「まあそうだがよ。だけど今回はよー……」
参崎が目を向けたのは、なんとなく予想は出来たが埜滝のいる方だ。川藤の歩様を真似ているのか、おどけるように背を丸めながらすぐ後ろを歩いている。
「……アレが相手ってのは……。先輩、代わりに相手してくんねえか」
「埜滝は苦手か。何物をも恐れないって風じゃなかったかお前は」
「まさか怖くはねえけどよ。なんつーか、うっとうしいし、あとウゼえ」
「ほぼ同じ意味だぞそりゃ。まあ気持ちは分からんでもないが、向こうに悪意は無いだろう」
「そうかあ……?」
露骨に顔をしかめる参崎ほどには、自分は埜滝を嫌ってはいないが、相手をするのが大変なのは事実だ。虫の居所が悪い日などは特にそうだが、幸い今日は心静かに落ち着いている。
「よーし、この辺でいいか。打川ー、手伝ってくれ」
不意に名前を呼ばれ、リュックを地面に下ろしていた川藤のもとに小走りに駆け寄る。すぐ近くで止まると同時に、なにやら四角い形状の塊がばさりと手元に落とされた。
拾い上げたそれは、見覚えこそないが用途は推測しやすいモノだった。
「レジャーシートですね。ここに広げればいいんですか?」
「おう。方向とかは適当でいいからよ……ほれ、そっち持ってくれ」
シンプルな黄と緑のストライプが斜めに入ったシートを言われるままに広げて、投げ渡されたプラスチックの止め杭を四隅の穴に差し込んだ。風も無いようだし、重石が要るほどの大きさでもないだろう。
「OK、終わりました。で、今日は何をするんです。弁当でも囲むつもりですか」
「それも悪くねえが、飯にはちょっと頃合いの悪い時間だな。一応、茶ぐらいは持って来てあるが。……そうだな……とりあえず二人は座って休んでていいぞ」
許可を得るまでもなく、埜滝はいち早くシートの上に座り込んでいた。茶の入っているらしい銀色の魔法瓶を川藤から手渡され、なぜかそれをじっと眺め始めた。
接したくない様子の参崎はシートの隅に背を向けて座り、自分も休もうかと腰を曲げ――――る直前で、肩をぽんと叩かれた。
「あー、俺と打川は準備があるんでな。ちょっとの間お前らはそこで待っててくれるか。一応段取りがあるからなー、勝手に動くなよ?」
「は~い」「…………」
リュックを左肩に寄せて担いだ川藤がそう告げると、了解と沈黙が左右から返ってきた。そのまま元来た方向に歩き出したので、細かい点を聞くよりまず付いていく必要があった。
……しばらく歩きながら川藤は、リュックの中を漁っていた。
「あるとは言いましたが、だいぶその段取りが悪いようですけど。説明してくださいよ」
「そうかもなー、まあちょいと待て。もう少し歩こう」
「あいつらを二人だけで放っておいて大丈夫ですかね。相性が悪そうに思えましたが」
「まあ良くは見えんよなあ。どうなることやら」
「……いやにぞんざいですね、今日は。どうしたんです本当に」
「んー、そうかー? ――――よし、この辺まで来ればいいだろ」
「え?」
川藤の歩調がゆっくりと落ちてゆき、その場に立ち止まる。しゃがみこんでリュックをどさりと起き、右手で何やら黒い箱を掴んでいた。見慣れない造りだが、端子穴から推測するに電子機器ではあるらしい。
「これであいつらには聞こえないだろう、ってこった」
「……何です、聞かれるとまずい話ですか」
「いやいや、聞いてる分には面白い話だよ。もっとも、俺が話すわけじゃないが」
「その機械……みたいな物に関係が? だいたいそれ、何ですか」
答えないままに川藤は細いコードを2本取り出して、それぞれの一端を接続する。もう一方の端をつまむようにしてこちらに見せ、改めて川藤が口を開く。
「桐代が改造を加えたらしいんでな。原型はどうなってたが知らんが、端子は一般のものが使えるらしい」
言いながら川藤は、それがあるべき場所――――つまりは耳に、そのコードの先端部分を詰め込んだ。
「……普通のイヤホン、ですね。100円ショップ辺りで売ってそうな」
「そうだなー、金があればもう少しマシなヘッドホンを用意したんだが……」
「じゃあ繋がってる機械は、MP3プレイヤーか何か……にしてはゴツいですね」
「ハハハ、そういうつまらん物を桐代が用意するわけ無いだろ? こいつは――――」
こちらに渡したイヤホンに耳を近付けると、“ザサー”という信号音に加えて“ガサガサッ”という不規則な物音がわずかに漏れ聞こえている。
それも何やら、ついさっき聞いたような――
「いわゆる盗聴器ってヤツだよ。さっき敷いたシートの杭、4つ全部に仕込んである」
わずかにのみ笑うように表情を緩めながら、川藤はどっかりと地べたに腰を下ろした。