<13> かたちあるゆめ (後)
川藤は途中で帰ったので、その場には6人が残っていた。
桐代が満面に笑い、湯本が首をかしげ、星倉は微動だにしなかった。
メイはぱちくりとまばたき、俺が呆れつつ左側を見ると……湊がおびえていた。
「あ、えっと……? その……何ですかそれ……」
聞きたくはないが聞いておかなくては、という表情で湊が震えつつ問う。
そちらには応えずに、桐代の首がこちらに向いた。
「どこか手頃な密室はないかな、打川」
「何です、そりゃ。完全犯罪でもするつもりですか」
「そこは星倉と狩野の出来次第かなあ」
「……俺やメイの自室はエアコンが無いんで、閉め切るのはあまりお勧めできませんが」
「シンゴ、ほら。向こうの物置はどうかな」
メイが指を差した方向に、確かに手頃で快適な密室が思い当たった。
「ああ、あっちは一室だけ付いてたな。じゃあそっちを使ってもらおうか」
「もしや、隣の展望デッキ? っていうと、あれは打川さんの私物なんですかね」
疑問を挟んできたのは湯本だ。確かにはた目には妙な建造物ではあるから、“展望デッキ付きの物置”はここに来た人間の目を引くことになるのだ。
「正確には親父のだな、普段の管理は俺もしくはメイがしてるが……」
「あっ……あのう……!」
先ほどスルーされた湊が、懸命に訴えている。一応は説明をするよう、こちらから桐代に向けて目線を送ってやるが、彼は「やなこった」とばかりに嫌らしく唇の端を吊った。
「いやー悪いねえ、湊ォ……あいにく守秘義務があるんで、細かい事は教えられないんだよ。なあに悪いようにはしないさ、ねェ星倉?」
「あたしも仔細は知らないから申し送られる内容によっては約束はできないけれど」
「ハハハ、正直な奴だな星倉は。嘘でも安心させてやんなよ」
「あたしは嘘は嫌いだから正しい内容を聞かせて」
「はいよォ。じゃ、狩野ちゃんは湊を連れて、先に現地に向かっといてくれるかい?」
「はあい。……んー、とにかくいこっか、ハルカちゃん」
「うう……」
いたわるようにメイは湊の背を抱き、二人はなんとか一歩一歩と進んでいった。
「ちゃんと物置用の鍵持ってけよ、メイ」
「大丈夫ー。忘れてないよー」
かざされた左手の頂点で、いつの間にか取ってきていたらしい銀色の鍵がきらりと光を跳ね返した。
「物置と言うには広いですね、隣の建物は」
「外見はそうだから、良く公民館か何かと間違えられるな」
「親父さんの道楽ですか?」
「展望デッキ部分は母の発案だった気もするが……どうにも昔の話で覚えてないな」
申し送りが終わったのか、立会人二人がこちらに歩いてきた。星倉はそのまま物置の方へ向かい、桐代はどっかりと扇風機の前にあぐらをかく。
「我々は何をすれば?」
「しばらく待機だね。向こうがうまくいったら、湯本の番だ」
「湊が何かしないと進まないってことですか」
「その通り、理解が早いね。とにかく僕らも涼んでればいいんじゃないかな、エアコンつけていい?」
「……短時間なら」
相変わらずの冬物パーカー姿(色だけは真っ青だったが)に視線を落としてみるが、この男がそれを気にする様子は当然のように無い。
桐代の服装はともかく、確かに今日は暑い。開け放していた窓やドアを閉めるべく立ち上がると、湯本もちゃっかりと付いてきて居間に進んだ。
「へー、こりゃあいい感じの家ですねえ」
「褒めても何も出ねえぞ」
「いやいや。なんつうか、他人の家って独特な感覚があるでしょ? 生活感って言うとちょっと違いますけど、匂いとでもいうか……ここのそれは凄い落ち着きます」
「……そう言われても毎日居るから、ちょっと自分では見当がつかねえな」
心当たりは無いが、来客の多い家ではある。こんな山頂くんだりまでやってくるリピーターが多数いるが、うちは隠れた名店でも何でもないのだが。
しかし気に入ったとは言われたものの、舐めるように視線を隅々にめぐらせていく湯本の様子は不審ではある。まるで……
「湯本」
「へい、何ですか?」
「他意はないし、疑うわけでもないんだが」
「はあ」
「お前の能力って……泥棒するのに便利だよな」
心外だとばかりに腹を立てる……かとも思ったが、反応としては苦笑して肩をすくめただけだった。
「うーんと、まあ否定はしません」
「いや、変な事を言ってすまないな」
「なんか“呼べそうなもの”を確認するクセがついてしまって。能力が生まれてからは特に」
「それだけなら自主訓練みたいなもんだし咎めないよ」
「や、暴発する可能性もありますからねえ」
「何だい、君らは心配性だなあ。無用だよそんなものはァ」
ソファに寝転がっていた桐代から声が飛んでくる。
「でも、全く起こり得ないとは言えないでしょう」
「性質上難しいんだよ、クラスBともなると。暴発なんて滅多にない。多くなるのは不発の方さ」
「条件の成立が難しいってことですか」
「それもあるし、発動だけなら簡単だけど最大効果に達するのが難しい、っていうタイプもいるね。後々見る事だろうけど」
「地理的な問題とは別に?」
「まあね。地理の話をするなら、今日のこの時間この場所はかなり状態がいいよ。発動できる能力効果をパーセンテージであらわすなら85から90ってところだね」
「へー……普段はどのくらいで訓練をさせてるんですか」
「最低でも60%ぐらいかな。……“不発”の多い湊ちゃんを呼んだのはそう言う理由もあってのことさ。案外さっさと終わるかもしれないし、進行状態を見て来てくれるかい」
「涼みっぱなに炎天下に繰り出すのは気がひけますが、まあご指示とあらば……」
早いところ終わってくれるのならば、動く時間も少なくて済むだろう。
「ああ、テレビとか電化製品は使わないでくださいね、ブレーカーが落ちかねませんから」
リモコンに手を伸ばしかけた桐代に釘をさしてから茹だる縁側に出て、肌を焼きつつも靴を履いた。
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「で、出来ませんよそんなのぉ……」
「そんなに難しくないってばあ。皆やってることじゃない、ハルカちゃんだっていけるはずだよ?」
「一度成功すれば後は容易なものだよ」
「前はそう思ってましたけど、そのう……どうしても恥ずかしいっていうか……」
「だいじょうぶ、今ここは密室だもの。何をしたって外にはわからないよ、さあ頑張って……ね?」
「幸い女が三人だけなのだし一切をさらけ出すつもりでやると良い」
「うっ……ううん……でも……。や、やってはみますけどぉ……」
ノックしようとして目の高さほどに上げた手が、固まって行き場をなくしていた。
見に来たところこういう会話が漏れ聞こえてきたため、逆に具体的な様子は伺いづらくなった。
彼女たちが使用している一室だけはエアコン完備なのだが、廊下は当然のごとく暑さ真っ盛りである。
少し離れた廊下の壁に背を預けると、ともかく会話が聞き取れないほどの距離にはなった。状況が見えないぶん逆に扇情的な会話であったため、おかしくなる前に自衛措置を取らねばなるまい。
「シンゴ」
一分も待たぬうちにドアが素早く開き、俺がここにいた事を気づいていたかのように即座に声が掛けられた。
熱気の中をヒュッとはしり抜ける声は、星倉のそれだ。
「……ああ、終わったかい」
「一応はね」
「それで次はどうすればいい?」
「桐代と湯本君を呼ぶよう頼むつもりだったけど」
「けど?」
「おーう、呼んだかァ」
程近い位置にある玄関で物音と声がして、ちょっとしてそれが桐代と湯本だと気づいた。
「丁度良くやってきたみたいだね」
「ああ星倉、出来はどんなもんだい」
「あたしの予想を少し上回るくらい」
「ほお。じゃあ検証しようか。星倉他2名はちょいの間だけ交代しててよ、今度は僕らの番だ」
たぶん自分も含まれているのだろう。湯本が横に並び立ち、ともに女子が出ていくのを待つ。星倉もメイも普段どおりだったが、最後に出てきた湊はうな垂れつつふらふらと猫背を揺らしていた。
「何したんだ、お前ら……」
「んー。頑張れがんばれー、って後押ししてただけだよ。効果はともかく」
「彼女は困難を乗り越えて強くなるタイプだと信じたい」
「願望かよ。まあ上手くいったんならいいのか……?」
話はひとまずそのくらいで、今度は男性陣が部屋へと乗り込んで、自分が後ろ手にドアを閉めた。
地面に資料らしき紙束が積み重なってたりはするが、ともかく他に比べれば片付いてはいる部屋である。床部分も綺麗にかたそうにも親父の言いつけで本棚以外は動かせない状態なので、普段の掃除もホコリを払うのが精々といったところだ。
「これが『対象』だね。じっくりよく見るといい、湯本。ただし触れないように」
「んん? じゃあ見るには見ますが……」
白い天板をしたテーブルの上に置かれているのは、一冊の漫画本のようだった。
タイトルは『プラグドールの銃騎士』……題字の横に書かれた数字から察するに3巻らしい。
表紙で銃を構えた女の子がポーズを決めているが、太目の線使いや派手な背景効果からしてたぶん、少年漫画だろう。あいにく読んだことも聞いたこともなかったが、絵は独特ながら惹かれるものは感じる。
「これを湯本が“呼ぶ”んですか」
「そうだね。そのために細かい部分を覚えてもらう必要がある」
「デザインが複雑だと呼びにくいとか、そういう実験ですか」
「いやあ、隅々まで覚えなくとも能力には問題ないですよ。こういう派手なのはむしろ覚えやすいかも」
「どのくらいかかりそうだい」
「……まもなく」
表紙を注視していたが、やがてテーブルの周りを回り始めて、側面をチェックしているようだった。それも二周ほどで終わり、かしぐ様に屈めていた体を戻してこちらを見た。
「はい、これで良さそうです。ばっちり覚えましたよ、けど……」
「ん? 何か気になったか? 気づいた点でもあるかい」
「ええ、何をさせたいのか、それに見当がついた感じですねえ」
「ふうん、ふんふん。やあっぱり気付くかァ、それでこそとも言えるけどさ」
「……何なんです、俺にはさっぱりなんですが」
「ハハ、急いちゃいけないよォ打川。タネはじきに明かされるさ。身をもって確かめるといい」
そういって二人は先に部屋を出ていった。やはりこの漫画に何か、湊による“仕掛け”がされているのだろうか。
謎が残りつつも、その漫画本に一度視線を落としてから自分も退室した。
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「物置のカギ、掛けてしまって良かったんですか?」
「問題無いね。忘れ物は呼んでしまえばいいんだ」
再び縁側に戻って、あとは『コール』の発動を行うだけであった。
エアコンの利いた居間に全員が雁首を揃え、涼しさの中でその時を待っている。
「あの漫画は、湊の趣味か? 私物?」
「―――っ!! ……ううっ、そうですけど……すみません……」
「いやいや、謝る事は無いだろう。気になったんでな、なんか面白そうだし」
「そ、そうですか……?」
漫画好きなのだろうか、とはいえ変に追及するのはやめといた方がいいか。趣味を周りに広めたいかというのは人によって違うものだ。桜嶋なんかは興味が薄い他人にも勧めたがる方だが、湊は多分その逆だと思う。
「……で、そろそろ『コール』しないのか」
「え、ああ。終わってますよ、もう。ほら」
背の低いガラステーブルの上に、一冊の漫画本が置かれていた。
「いつの間に……呆気ないぐらいにやってくれるもんだな」
「犯こ……能力の行使は、気付かれないうちにするのがモットーなもんで。周りの反応も楽しめますからね」
「愉快犯かい。とにかく成功、だな」
「ううん……それはどうでしょうねえ、桐代さん。星倉さんも」
「ま、過程のうちで失敗したともいえるな」
「しかしアポート事象は成功しているから貴重な結果ではあるのだけれど」
今日はなんというか、自分のあずかり知らない所で進行している事柄が多く感じる。
何度も同じような事を聞くのはシャクだが、しかし聞かずに放っておく流れでもあるまい。
「……どういうことですか?」
「狩野はおそらく分かってるかな。とすると知らぬは打川ばかりなり、だね」
「そうだねー。シンゴ、その漫画に触れてみて?」
「……こうか?」
メイに言われるままに、テーブルの上に置かれた漫画本に手を伸ばす。
カバーに触れたはずの俺の爪先は、なぜかガラスにこつりと当たるような感触がした。
それはテーブルの天板をなす素材に他ならないだろう。
しかしテーブルに指が触れた様子は、外から見えなかった。
俺の指がその漫画本を突き抜けるように、『埋まっていた』からだ。
だというのに、本に触れたような感覚も一切しなかった。
「……立体映像……か? ああ、もしかするとこれが湊の……」
「そう、『シアター』だよ。本物そっくりに立体映像を作り出す、幻覚系の高次能力だ」
「いっいえ、そんなに大したものではないですから……!」
慌てて桐代の言葉を否定する湊だったが、実際触れるまでは本物だと思っていた。指を離して観察してみても、そこにあるようにしか思えない完全な像を作っている。
「転移は成功したけどね。途中で湯本が気付いてしまったから、その点は失敗ってことだね」
「どうやって気付いたんだ、湯本」
「なんだか違和感を覚えたので、なんとなく本物じゃないと思った……別に具体的な根拠はなかったんで、そんなところです」
「クラスBである湯本は、クラスCである湊よりも能力に敏感だってことさ。物を観察して飛ばすのに慣れてるからなおさらだね」
「けど、“能力で作った立体映像でも飛ばせる”ってところは収穫だったんでしょ、キリさん的には」
「一応ね。まずまずの成果とは思うよ」
話をただ黙って聞いていた星倉が、そのあたりで立ち上がり縁側の方を向いた。
「実験が終了したのならあたしは帰るね」
「おう、お疲れ。んじゃそういうことで、今日は解散だ」
「そうですか……じゃあともかく、皆さん気をつけてお帰りください」
「いやどーも、ご忠告痛み入ります。では俺はこれで……」
「あ、私も失礼します……」
星倉に続いて湯本が退室し、そこに湊が続こうとする。
と、一つ聞いておかなければいけない事があった。
「なあ湊、この漫画……っていうか映像はどうすればいいんだ?」
「……あ! すみませんでした、ええっと、それはあ……」
「『シアター』の“上映時間”は2時間ちょうどだ。それまではどうしたって消えないよ。置いとくしかないね」
「……うあ……桐代さんの言った通りです。すみません、本当にごめんなさい……」
「もー、そんな謝んないでーハルカちゃん。迷惑したりはしないからさ」
「そういうことだ、小さい事を気にすんな」
「はい……どうも……ではまた、またの機会に……」
ぺこぺこと何度も頭を下げながら、湊が猫背を丸めて帰って行った。
あとにはソファに寝っ転がった桐代だけが残ったが、動こうとはしない。
「桐代さん」
「何だい」
「率直に言うと邪魔です。帰らないんですかね」
「やれやれ、こらえ性が無いね打川は」
「そっくり返しますよ」
億劫そうに起き上がって伸びをする桐代は、気ままな猫を彷彿とさせてどうも憎めない。
さほど人間として尊敬できる存在とは言えないし、これからも言う機会は無さそうだが。
「……ねー、キリさん。この実験がもし“完全に”成功してたら、どうなったの?」
「んん? さあねえ、能力の解釈が広がるから夢も膨らむってところかな」
「ふーん? ……あ、コップ廊下に置きっぱだ、片づけないと」
会話の途中で切り上げるようにして、メイが小走りに縁側に向かった。
実験の完全成功、というとつまり。
“湯本が映像に気付かず存在しないはずの漫画本を呼ぶ”ことなのだろうか。
仮にそれが出来るとすれば――――
(……この世に存在しないようなものを、作り出す事が出来る……?)
それはもはや無から有を成すようなものであり、物事の根本がひっくりかえるような事象だろう。
「……そう上手くはいかないってことだね。期待はしてなかったけど……」
彼には珍しく小さな声でひとりごちながら、のそのそと桐代はこの家を後にしていった。
5人ともがその場からいなくなって、ただ自分だけが一人、ぽつんとその場に残された。
桐代がなぜ立会人を名乗り、訓練や実験を提案するかは知らない。ただ与えられた力を面白がって、子供のように遊んでいるだけなのかもしれない。だが意味のないように見える時々の訓練にしても、その場その場の思いつきなどではなく、彼に目的があっての必要事項なのだと言う考え方もある。
変わり者の能力者達の上位に立つであろう立会人、桐代。
彼が抱くとすればそれは純粋な願望なのか、あるいは深遠な野望なのだろうか。……後者の方がしっくりきてしまう事実については、出来れば笑い飛ばしてしまいたいところだが。
彼は今日も、変わらず笑っていた。
その表情は形容しがたく……ただ夢見る子供のように、無邪気で、残酷ではあった。
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<13> かたちあるゆめ /了
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