<01> 登山客の上手な帰し方 (前)
「ね。今日、出かける予定ってある?」
コーヒーカップを片手に、テレビを見つめたままメイが聞いてきた。
先に朝食を食べ終わった彼女の食器は下げられていて、テーブル上には一人分だけの食事が残っている。彼女の問いにすぐには答えず、皿に食べかけの食パンを置いて、野菜ジュースを二口分ほど飲みこんだ。
「いや、別に無いな」
食卓の向こう居間の先、引き戸を開け放した縁側の方に、何とはなしに目をやる。
優しげな朝の陽光が、窓から廊下へと注がれて床を照らしていた。
「どこか行きたいのか。近場なら別に構わないけど」
「ううん、特には希望はないや」
「食い物も間に合ってるから、スーパーにも行く気は無いがいいか? 食いたいものがあれば買ってくるが」
「別にないよー。家でのんびりしたい気分だから」
「そうか。じゃあそうしろ」
「うん、そうする」
それで会話を終えて、メイは残りのコーヒーをくいっと飲み干した。
朝食を再開して、画面に映るローカルなニュース番組を頭半分ほどで聞き流す。
土曜日ということもあってか、今日は二人とも、『アルバイト』の出勤予定がなかった。仕事は平均して週に2~3回。平日であれば午後に呼び出しがあって、たいてい訓練を手伝うのだが、土日祝日にお呼びがかかることは滅多にない。
「そういやシンゴ、学校は? 急がなくていいのー?」
「いまさら何言ってんだ、今日は土曜だ」
「まあ冗談だけどねー。そういえばさ、中学生も土曜日って休みなの?」
「ああ。昔はそうでもなくて、午前だけ行ったりしたそうだけどな」
「へー」
「へーじゃねえよ、お前は通ってた中学の事を思い出しゃあ分かるだろ」
「や、どこも皆そうなのかなー、って思ったからさ」
はぐらかすような調子で、テーブルに肘をついて手に頬を乗せる。どうも昔のことは聞かれたくないようだが、あまり避けるのもどうかと思い、ときおりこういう会話をしている。
「御旗岳中ってどうだったの? その、学校生活とか」
「まあ……人並みだったと思うけど。部活して、行事やって、受験したら終わってた」
「えー、いやいや。もっとこう、感慨とかない?」
「無いな……あ」
「何?」
「近いから登下校が楽だった」
「……ああそう。ですよね。まー部活もいいけど、若者らしいイベントってなかったの? ほら……たとえば恋愛とか」
「いや、興味が湧かなかったな。何と言うか、誰かに強く心惹かれるということが無かった」
「……枯れてるねえ」
メイは呆れるように、わざとらしくため息をついた。
ちょうどテレビの画面が切り替わり、これまたローカルな地域リポート番組が始まった。
「あ、もう8時か。ごちそうさま」
メイが席を立って、キッチンに向かった。
「おう。流しの洗い物はやっとくから、洗濯頼んだ」
「うい」
家事は分担しているが、特にメイが不満を漏らすことは無いし、手際も悪くはない。料理だけは手の込んだものこそ(自分ともども)作れないが、簡単な調理ぐらいはできた。居候という立場ではあるが厄介に思うようなこともなく、兄弟姉妹のような感覚で生活に馴染んでいる。
姉なのか妹なのかと言われると、返答には困るのだが。
何となれば俺は彼女の年齢を知らず、また外見的にもどっちでも通る感じではある。外聞もあることだし、便宜上に年上と年下どっちがいいかは、暇なときにでも聞いてみようと思う。
テレビから聞こえる笑い声をBGMに手早く食器を洗い、棚に戻し終えてからソファに座った。
さて、今日はどう過ごしたものか。
縁側を見ると、足を外にぶらつかせてメイが読書をしている。本を読むのは彼女の趣味だが、膝の上に乗せている書物は外見にも分厚く大きい。これは彼女が買ったものではなく、父の蔵書である。
父は家にはおらず、学者として海外をほっつき歩いている。何というか豪放磊落といった人物で、血を分けてはいるがどうにも反りが合わない。ついていけなくなったのか、母は数年前に離婚した。
しかし考えの足らなそうな見かけの割に、相当な読書家であり、かつ本の蒐集家でもあった。書斎だけでは当然棚が足らず、収まらない分は隣接して建てられた物置にしまい込まれている。で、メイに見せた時に読みたそうにしていたので、自由に読ませることにしたのだ。父はことあるごとにやれ読めほら読めと俺に押しつけるくらいの薦め好きだし(そのせいか自分は読書はあまり好きではなくなったが)、まさか怒りはすまい。
「今日は何読んでんだ?」
「んー、ノンフィクション。救急医療関係の話だけど、読みやすいからわりと引き込まれる」
ついこの頃気がついたのだが、本について聞いた時、彼女は絶対にタイトルを言わない。近くにいる時に聞こうとしても、背表紙を隠そうとする。いい作品は教えたくないのだろうか。
「……最近読んだ中で一番面白かったのは?」
「異世界と江戸時代を行き来する歴史SFかな。破天荒だけど考証が丁寧だったよ」
「へえ」
内容に集中しているのか、こちらを見ない。読書の時間を邪魔するのも何なので、それで切り上げて自室に戻ることにした。
今日も何もない、なべて事もない。
好天が続く空を窓越しに見て、とりあえず外に居ようかと、漠然と本日の方針を立てた。
- - - - -
午前11時09分に来客があった。
たまたま携帯ゲーム機を手にしていて表示が目に入ったので、正確な時間であるはずだ。俺は隣接する二階建ての物置小屋の上、田園風景のほかに売りの無い展望デッキに居た。漫然と過剰にレベルを上げていたところ、やや聞こえにくい声量で下から呼びかけられたのだ。
「よお、シンゴ。こっちに居ると聞いたんでやってきたが」
「また勝手に入ったんですか。ちゃんとチャイム鳴らして玄関から来てくださいよ」
「したって、お前は大概こっちじゃねえかよ。一応、狩野には許可を取ったんだが」
「縁側ですか。あいにくあっちも裏口です」
「うるせえ。道路側に正門がないおめえの家が悪いんだ」
言いながら、その男は外付けの金属階段をがんがんと踏みつけて登り、屋上へとやってきた。ワイシャツをだらしなくズボンの外に垂らして、小脇に丸めた上着を抱えている。
「いい若者が真昼間からゲーム三昧かよ」
「若者がゲームに興じるのは当然の収まりじゃないですかね」
「口の減らねえ奴だ。まあ、お前のどうでもいい趣味に口を出す気はねえけどよ」
「それで何の用です、川藤(かわとう)さん」
川藤はログテーブルをはさんで向かい、丸太を半分に切った長椅子にどっかりと座りこんだ。
「茶」
「ねえよ。……もとい、用意が無いです」
「はっ、冗談だよ。コーヒーとコーラ、どっちがいい」
抱えていた上着をごそごそと漁り、二本の缶飲料をテーブルに置いた。
「ああどうも、頂きます。じゃあコーヒーを」
「おうよ。そいじゃその代金分ぐらいは、話に付き合えよ」
「はいはい」
川藤は聞くところにはサラリーマンという話だが、具体的にどういう業種なのかまでは聞いたことがない。よくウチにまで足を延ばしてくるので、少なくとも営業なのかと思ったがどうにも違うらしい。まあ、この人のどうでもいい生活に口を出す気はないけど。年の頃は20代後半くらいだろうか。
「土曜も仕事ですか」
「いや、夜勤明けでな。帰りしなに寄ったんだ」
柵の下に目をやると、真っ黄色の派手な乗用車が止まっているのが頭半分だけ見えた。
「そりゃお疲れ様ですが、早く帰って寝た方がいいんじゃ?」
「事務所で寝て起きたら10時の半ばでな、そこそこは眠れたんですっかり目が冴えちまった」
「それで、まっすぐ帰るのも何だからとうちまで来たと?」
「おうよ。まあここの風景は悪くないし、ちょいの間いるだけなら構わないだろう」
「ま、手土産も頂いといて無下にはできませんけど。それで……」
缶の表面に冷たく水のしたたるコーヒーを振って、タブを開ける。
「御用向きは、本当にそれだけですか」
「ふん。そう急くなよ」
睨むように、あるいは笑うように、川藤が顔をゆがめた。
彼はまた上着を漁って、内ポケットから畳まれた白い紙を取り出し、ひょいと投げてよこした。
「そいつが次の日程だ。桐代(きりしろ)のやつが例によって捉まらないから、伝達が俺に回された」
「真崎さんではなく?」
「取り急ぎ……というかついでに頼まれたんだ。正式な評価表なんかは現地でもらってくれ」
かさりと紙を開くと、簡潔に場所と時間、それから“内容”が記されていた。
「試合の類じゃない……訓練だけですか。俺を捜してたってことは……」
「そうだ。今回はお前だけだな。参加は二人だがな」
「……ん、月曜の午後4時……? ちょっと時間が早いな、下校してすぐじゃないですか」
「授業にかぶせるわけにもいかんだろう。こちらの都合でもあるし、その辺は目をつむれ」
訓練中の能力者には制限があり、決められた日時・場所の外ではまともに能力を使えないし、使わせない。訓練生はみな同時に中学生なのだが、極力生活を縛らないように調整はされている。
「参加の二人は部活などは?」
あいにく渡された紙には、参加者の名前は書かれていない。
「問題は無いと聞いている」
「ならいいんですけどね。部活があるなら、そっちを優先してほしいんですよ。中学生は中学生らしく、青春を謳歌するのが一番じゃないでしょうかね」
「かー、何だそりゃ。その言いよう、そっくりお前に返してやろうか、高校生さんよ。狩野とはどうなんだ」
「どうって、居候とはいえ家族のように暮らしていますが」
「……ふう、面倒な奴らだな。そろいもそろって偏屈というか……まあいいや」
話を不意に切って、川藤がコーラを傾ける。ごくりごくりと旨そうに喉を鳴らしてから、おどけるようにうなだれて息を吐いた。
「……ときに、昨日はどうだったよ」
「猪吹と愛中ですか。月並みですが、面白かったですよ、ものすごく」
「だろうな。猪吹は小手先が器用で機転も利くちょこざいな奴だが、対する愛中も冷静に見えて一局逆転・一点突破のバクチ打ちときたもんだ。下手なアクション映画の一幕よりよほど面白かったろうよ。で、どっちが勝った?」
「え、ご存知ないんですか」
「夜勤だっつったろ」
「……そうですね、どっちが勝ったと思います?」
少し意地悪く言って見せたが、しかし気色ばむでもなく、川藤がにっかりと笑う。
「愛中だろう。相手にもよるが、あれは初見では破れねえよ」
「……自信満々のところ申し訳ないですが、勝ったのは猪吹です」
はたして川藤は首をかしげ、肩を落として見せた。
「むう、そうか。まあ勝負は時の運だがよ」
「メイもそうなんですが、皆さん愛中を随分買ってますね」
「まあ、ああいう能力は面白いからな。猪吹も手数はあるが、基本がクラシックに過ぎる」
「パッと見では分からなかったんですが、根本的にはどういった能力なんです?」
「そうだなあ……。まずは昨日の試合について教えてくれるか」
かいつまんで対戦の進行を話すと、川藤はしきりにうなずくように顎を撫でた。
「……なるほど。つまりはこうだ。一合目――最初の激突の時に、愛中は決着をつけたかった。能力がまだ知られてない状態だったろうから、なおさらだな。愛中はその一手で『槌』を叩き落とす自信があった」
「そのまま続ければ、あるいは潰せたのでは?」
「いや、手間取った時点でカウンターは失敗、となれば引くしかない。よしんばそのまま力が食い込んでったにしても態勢は崩せねえし、猪吹の器用さで絡め手からペースに持ち込まれても不思議じゃない」
手甲を砕いての投擲が、ふと想起された。
「で、負け惜しみにひとつ、愛中は嘘をついた」
「嘘?」
「“砕けない”って一言だよ。まあ正確には嘘でもないが、愛中の能力で物体を砕くのは難しいんだ。そう言うことで、本調子なら砕けるかのような先入観をあわよくば植え付けようとした」
「どうにも分からないですね……先に結論を教えてくださいよ」
「ったく、最近の若い奴は楽をしやがる。まあいいだろ」
残り少なかったのか、コーラ缶を一手に飲みほして、示すように親指と中指で目の前に持ち上げる。
「愛中の能力は、物体を『丸める』ことだ」
「……へえ?」
思わず油断した声を出した顔がよほど面白かったのか、川藤はどっと破顔した。
「左手の前に来たモノは、何だろうが丸められる。能力場は球形に存在して、入ったものをグルグルとかき回して圧縮し、解除するまで閉じ込めてしまえる――――そんなところだな」
缶の底面をこちらに向け、くるくる回してみせたのちにそっと置いて、さらに続ける。
「ただ例外があって、他の能力者のフィールド……この場合は『槌』だな、そういう影響下にあるものには干渉しにくい。相手が三下なら事は別だが、どちらもCクラスで同格といっていい実力だ。そういうわけで愛中は“砕けない”。振りおろされた武器にせよ、投げ込まれた手甲の先端にしてもな」
「はあ……なるほど。合点は行きました」
「ま、それでも最後まで互角に持ち込めたわけだからな。大したもんだよ、互いにな。……っと」
きらりと陽を映す金色の腕時計を覗くと、川藤は立ち上がった。
「ちっと長居したな、帰るわ。また暇したらよろしく」
「そうですか、いや、話はためになりましたよ。どうも」
上着をばっと着直して、背を向けて歩き出した川藤は、思い出したようにひとつ付けくわえた。
「……ああ、そうだ。能力の詳細だが、愛中には言うなよ。本人もちゃんとは分かって無いはずだが」
「え。……何で、ですか?」
「この先の成長に関わるからだ。能力を自覚することは、力を強める反面で、先の可能性を狭めることでもある。特に愛中のようなタイプは前例も少ないからな、おのずとみな期待をかけるってもんだ」
「ああ……分かりました。覚えておきます」
「ふむ、素直でよろしい。じゃあな、あと缶は捨てといてくれ」
テーブルに赤い円柱を一本残して、てくてくと川藤は去って行った。
折しも、正午を告げるチャイムが遠くから響いて来た頃だった。