<13> かたちあるゆめ (前)
空はこんなに広いのに、地上にはずいぶん狭い輪が出来ていた。
「ウチでやるのは構わないんですが……家屋に被害が及んだりはしませんよね」
「ああ、大丈夫だよ。どちらにせよそんな能力じゃないから」
「桐代さんはこう言ってますが、川藤さんの見解としてはどうですか」
「んー、まあ。心配するな。好き勝手暴れられたとしても、まだ井房野とかの方が怖いだろう」
「彼女は物理的に壊してくるからそうですけど……ともかく、一応は信じましょうか」
「あたしの見解は尋ねてくれないのかな」
「いや別にいい……たぶん参考にならないから」
立会人が3人も同じ場に集まるのも、考えてみれば初めて見たと思う。
今日は自宅を使って訓練という事で、移動はせず縁側で待機していたのだが、立会人がぞろぞろと来たのに肝心の訓練生が到着していなかった。
「山の上だしなあ、遅れても仕方ねえわな」
ワイシャツの袖で汗をぬぐいながら、川藤が暑そうに話す。
夏はスタートラインに立ったばかりだが、いきなりの全力疾走と言わんばかりに蒸し暑さをもたらして来た日だった。多少なりロケーションが高地にあるために気温上は低めなのだろうが、近くの湿地帯でわかるようにじめじめと苦しい土地でもある。
それにしても川藤は相当な量の汗をかいていた。こちらに着いてすぐに一度着替えたのだが、それでも疲弊したように扇風機の前に肩を落としている。
「どうしたんです、一層くたびれて」
「ああ……自転車で来たもんでな」
「え、いつもの車はどうしたんですか。あの黄色いやつ」
「乗ってくるわけにいかなかったんでなあ。帰りは乗ってくけどよ」
「……? 誰かに貸してるんですか?」
「そんなとこだ」
首元をつかんでバタバタとくつろげながら、川藤が曖昧に答えた。
「みんな、遠路はるばるお疲れさまー。麦茶持ってきたよー」
お盆にコップを乗せて、廊下の奥からメイがやってきた。まぶしげに麦茶ポットを見上げる川藤とは対照的に、彼女の肌には汗の一粒さえ見当たらず涼しげな表情だった。
「とりあえずコップ6つ持ってきたけど、足りるかな?訓練生は何人来るの?」
「2人だ。だからお前らも入れて計7人か。1つ足りないな」
「俺は後でいいよ」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
めいめいがグラスを手にして、喉を潤す。気候や食べ物などの取りとめのない話題で雑談を交わしていると、お待ちかねの訓練生がようやく姿をあらわした。
「お、遅れました……すみません」
「……あれ、湊か? 今日の訓練って、お前が参加するのか?」
「ええ、そうです……」
少し苦しそうに息をしながら、彼女が何とか返事をした。麦茶入りのグラスを両手に持って、メイが駆け寄って勧めた。湊はこくりと一口をつけてから、細く長く息を吐いて呼吸を整えた。
「もう一人いるらしいけど、途中で会ったりは……」
「あ、はい。一緒に来ました。そちらの……あ、あの人です」
「はい、はい、どもー。こちらが訓練場所でいいんですかねー?」
身体を屈めるようにして、道路と敷地の段差を越えて一人の少年がやってきた。
大時代な泥棒がやるような「抜き足差し足」に似た歩き方で、おどけるように体を揺らしながら。
「なんだ、遅かったな。さっそくだが頼んでいいか」
「ええそりゃもう、構いませんがね。こちらも早くやらないとしくじりかねませんし」
「失敗したら“アシ代”はどっち持ちなんだい? 川藤」
「ガキに払わせるわけにもいかんでしょう。こっちで持つか、自転車で帰りますよ…」
言いながら立会人達は、来るかと思えば踵を返した少年の後ろをぞろぞろと付いていった。ワンテンポ遅れて星倉が、その背を追ってトコトコと歩き出す。
「君たちは行かないの」
「……どこに?」
「能力の行使を見学に」
振り向かずにそう言って、道路の方へと歩いていった。
……良くは分からないが見逃すのもつまらないので、とにかく付いていってみるか。
道路の手前、敷地の際まで来ると、道の真ん中に先ほどの少年が立っていた。
少し遠巻きにするように離れ、立会人が3人並んでそれを見ている。
「そいじゃあ、このあたりで構わないですか」
「ああ、道路と平行ならそれでいい。やりやすいようにやってくれ」
川藤の呼びかけに少年は肯き、少しあたりを見回しながら歩いたのち止まった。
「何するつもりですか。道路は壊さないでくだいよ。でっかい音を立てるのも駄目ですからね」
「ノープロブレムだよ、打川。これはセーフティでサイレントなスキルさァ」
にたつく桐代をよそに、少年の動きは目ばたきさえ止まっていた。
“能力を行使する”ための集中がなされているのだろう。
邪魔にならないよう、こちらも息をひそめて見守る。
――――行使は一瞬だった。
まるで初めからそこにあったかのように、道路の真ん中に大きな物体が出現した。
どちらかというと平たく、ガラスの張られた鉄のカタマリ……“黄色い”それは、川藤の乗っている車に違いなかった。
音もなく気配もなく、自動車はどこからかやってきて、ここにいた。
「……成功、かね。あー、よかったよかった」
「一応確認だけはお願いしますねえ、どっか欠けてたりしたら失敗なわけですし」
こともなげに少年は、こちらに歩いて来ながら言った。
「暑いなあ……すみません、この辺って自販機とかないですかねえ」
「あー、うちに飲み物あるよ? 麦茶でいいかなあ」
「え、頂けるんですかね。こりゃどうも。そいじゃ、ごちになりますか」
誘ったメイと誘いを受けた少年が、連れ立って庭の方へと戻っていった。
行使した当人が去った以上、あとはその場に残っていた桐代に聞いてみるしかないか。
「何ですか、今の能力は」
「そうか、打川は初見だったね。湊もかい?」
「はい……驚きました。テレポート……ですか?」
「いやそこまで上等ではないね。しかし下位能力というわけでもない。彼のクラスはB」
「えっ? 彼が例のクラスB、ですか」
Bより上は相当に大きな力を扱えると聞いていたが、彼がそのうちの一人か。
「そう。クラスB-8、通号は『コール』……名前の通り、物体を“呼ぶ”力だね」
- - - - -
「湯本恭兵(ゆもときょうへい)ってえ名前です。打川さんと、狩野さん、でしたね。それじゃあひとつよろしく」
腰は低いのだがどうにもこう……慇懃無礼、というような印象がある。
クラスBの面々については「話が通じないようなレベル」を想像していたので、庶民らしさには拍子抜けするところもあった。とはいえ、今一つ油断ならない気配も感じる。
「まあ、よろしく……『コール』っていうのは、どんな物でも“呼べる”のかい?」
「いいえ、制約はかなり多いんですよ。様々な条件がそろってないと無理なんですね、これが」
「というと遠すぎると無理とか、大きすぎると無理とか?」
「んーっと…その2点はたぶん、制限が無いです。地球の裏側にあってもジャンボジェット機が対象でも可能だと思いますよお」
「っへえー! それは正直すごいね」
メイから正直な賛辞を受けて、湯本は鼻を鳴らして自信満々にあごを反らした。
しかしすぐに戻して、続ける。
「とはいえね、見た事が無いものとか、全貌が把握できないものとか、地面にひっついてるものは駄目です。建物とか、電柱とかね」
「じゃあ、小さくてシンプルな方がやりやすいのか」
「そう、その通りです。消しゴム忘れたから家から取り寄せるとか、集中しなくてもすぐできます、こんな風に」
指差した縁側の廊下に、よく見るメーカーの数センチ大の消しゴムが置かれていた。角が欠けていない新品で、もちろん家には今置いていないものだ。
「これは家の机に置いといたものですから問題ないですが、たとえばノートの間に挟まってたりするとダメですけどね」
「中身があるものはどうなる?」
「それごと持ってこれますよ。車の中に飲みかけのコーヒーが置いてあったとして、それも一滴も余さずに移動させられます」
「ふーん……聞けば聞くほど便利だな」
「いろいろと欠点はありますよ。知らない所で能力を見られたらまずいので、物体があるところに人目があったらダメとか。逆に移動させたい物体を見ながら発動させるのは不可能、とか。もっと基本的な事として、失敗したからと言って送り返す事はできないので慎重にやらないといけません。ホイホイ使えるもんでもないですね」
「テレポートではなく、“アポーツ”って奴なんだな」
「お、良くご存知で。まあそういうわけで、逆に当たる“アスポート”……物体をどっかに送るってのは自分にゃ出来ないですね」
「そう言う真逆の使い手もいるかも知れんがな。お前、兄弟とかは?」
「あいにく一人っ子でして」
「そうか、残念だ」
まあ津島姉弟を見る限りでも、血縁と能力に因果関係はなさそうだ。一卵性の双子とかだとまた例外なのかもしれないが。
「で、訓練はこれで終わりですか? 桐代さん」
居間に上がり込んで格闘ゲームに興じていた桐代は、スイッチを切りながらその問いに答える。
「まっさかァ。だいたい湊ちゃんが何もしてないじゃない」
「ですよね。それで次は何を?」
「うん、実験がしたくてね。そうだねまず、狩野ちゃん」
「んー、私? はい、何ですかね?」
「あと、星倉。お前にもちょっと頼める?」
「何をかな」
縁側にぬっと立っていた星倉も桐代の方を向き、その場の全員の視線が彼に集まった。
「君ら二人がかりでさァ、湊ちゃんをいじり倒してくんないかな」