<11> ビジターに悪意はなく (後)
“この疑問”を投げかけられるのは、初めてではない。最初は確か猪吹で、愛中や桜嶋にも聞かれ、湊にユリノ、葉村&津島も異口同音に言ってきた。
しかし聞かれるたびに思う。
俺が聞きたいくらいだ、と。
「(……うちの居候かつ家事手伝いでフリーター、だ)」
美濃川同様に声をひそめて返した。客観的にも確かなのは、実際その程度である。
「(そういうんじゃなく、例えば打川先輩の“何”にあたるんですか)」
「(他人だよ)」
「(赤の他人なら何でまたこの家に住んじゃってるんです)」
「(居候だからだ)」
「(じゃあ、どういう流れで居候に?)」
「(……それは……)」
きゅっと蛇口が上げられ、水音が止まった。
やってきた静けさを合図にして、そこで一度会話を切って手元に目を落とした。
逸らした先の証明問題にも、あいにく納得のいく答えは出てこない。
「洗い物終わったよー。イブちゃん、暇ならまたゲームする?」
「んにゃ、いいです、十分遊んだし」
井房野が少し早口で取り繕うように答えたが、メイは気にした様子はなさそうだ。
「そんじゃ私は部屋戻ってるね、邪魔しちゃ悪いし」
「ああ、分かった」
メイはすたすたと階段へ向かい、やがて歩く音が遠ざかったのち小さくドアを閉める音が最後に聞こえた。
「……で、続きだけど」
「まだ聞くのか、俺だってそれほど知らねえって。こうやってひそひそと噂するのも気が向かん」
あと恐らくだがメイは、さっきの会話も聞いていたのだと思う。全てを聞き取れなかったにせよ、その場の人間の表情で察したはずだ。
のんびりしてそうでいて彼女は聡く、抜け目もない。
空気を読んでわざと席を外したのかもしれない。
「知ってることもあるでしょ? それを教えてくださいよ。単純に狩野先輩の事が知りたいのよ、世話になってるし」
「私も知っておきたいかなぁ。立会人もそうだけど、謎が多いんだよねぇ」
「んー……差し支えない範囲なら、まあいいが」
「じゃあまずは……年齢とか」
「知らん」
「出身地とか」
「知らん。少なくともこの辺じゃあないな」
「元の家族構成とか……」
「知らん、というかその話題はやめた方がいい」
「え、何でですかぁ」
「家族の話題を出すと機嫌が悪くなる。家出してきたって話だし、嫌なことがあったのかもな」
「ふーん……。……家出ってことは、そのうち連れ戻される可能性もあるってことかな。どうするの、そうなったら」
「その時はその時だろう。当事者が何とかすればいい」
「割とドライだねぇ」
「親身になれるわけじゃないしな」
「なりたいとは思わないんですか、親身に」
「そりゃ縁のあったことだし思わなくもないが……肝心の本人が干渉を嫌うしな」
「そっかあ……難しいもんだね。じゃあもう少し日常的な……たとえば趣味とかは?」
「お前らも知ってるだろ、読書だ。三度の飯の次くらいには大好きらしい」
「買い込んだりしてるんですか、本」
「いや……買いに行っても一冊しか買わないし、服とか日用品を優先してるな。金の使い方は計画的だ」
「主婦向きですねぇ。本以外の好みとか嫌いなものは?」
「……思いつかないな。コーヒーぐらいか? それにした所で細かいこだわりは無いが」
矢継ぎ早に様々な質問を浴びせていた美濃川は、そのあたりでふぅと息を入れて身を反らした。井房野もそれにならうようにして、椅子の背へともたれかかる。
「わかんないことだらけですねぇ」
「何もかもわかってる方がおかしいだろう。お前らだって、家族についてのありとあらゆる事項を知ってるわけじゃないだろ」
「えー、私は知ってるよぉ。みの姉のアレとかコレとか」
「ちょっと待って転子、それ何のことよ」
「あ、言っていいのぉ?」
「駄目。イヤな予感しかしないからやめなさ……」
不意に天井あたりから小さく音がして、美濃川が口をつぐんだ。
それから扉の開く音が聞こえ、ほどなくしてメイが階段を降りてくる姿が目に入った。
こちらには来ず、そのまま縁側から出ようとしていたので、気になって声をかける。
「メイ、どうした。出かけるのか?」
「んー? 違うよ」
彼女がサンダルを履いて庭へと向かう。
こちらも立ち上がって縁側まで足を運ぶと、両腕に服の山を抱えて戻ってきた。
「洗濯物か?」
「うん、そろそろだと思って」
「何がだ」
答えずに彼女は庭に続く窓を閉めて、鍵をカチャリと掛け――――
それを合図にしたかのように、ぽつぽつと雨が落ち始めた。
「ほら、ね」
笑みからこぼれた声を隠すように、すぐに勢いの強まった雨がざんざと大地を打つ。
メイはいつものように、ただニコニコと笑っていた。
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「それじゃあ、また。試験明けにでも」
「またねぇ、打川先輩」
午後4時ころに、美濃川と井房野は帰っていった。雨足は遠のき始めたようだったが、依然として雨は降り続いていた。傘を貸してやろうかと言ったが美濃川が準備良く持ってきていたらしく、返すのも手間だしと断られた。
井房野と隣り合い帰って行くのを見送り、玄関に戻る。
上がりがまちに座り込んで靴を脱ごうとしたとき、不意にメイが来た日の事が思い出された。
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――――その日も、しとしとと優しげな雨が降っていた。
4月の半ば頃、入学式からちょうど一週間も経った頃だろうか。
風呂掃除をしようと玄関前の廊下を横切ろうとした時、偶然“ドアがノックされる音”を聞いた。普通にインターホンは備え付けてあるので、そちらを押さなかったことは疑問に思った。故障してるのかもしれないと思いつつ、ともかく鍵をはずして扉を開けた。
彼女は、何も持っていなかった。
傘さえ持っていないのに、濡れた様子もなかったことは今でも不思議に思う。
(……外、雨が降ってて。しばらくここにいてもいいかな?)
(ああ、まあ……いいけど)
それが最初だった。
雨が上がってもなお、彼女はこの家に留まり続けた。
(で、いつ帰るんだい)
(帰るところは無いんだ。あったとしても、帰りたくないと思う)
(ウチに居るつもりか)
(駄目かな)
(そうだなあ……掃除と洗濯、その他家事全般はできるか?)
(うん、できる。やる。料理は少し苦手……だと思うけど)
(じゃあ、しばらくそうしてくれ)
(うん、そうする。ありがとう)
(名前は?)
(メイ。カノウ・メイ。狩りの狩の字に、野原の野、名前の名に……えっと、依存の依)
(そうか。俺はシンゴ、打川慎五だ。よろしく、メイ)
(うい。じゃあよろしくねえ、シンゴ)
……まったくそれだけで、彼女はこの家に住み着いてしまった。
実際のところ入学前後のバタバタもあって家事雑事をするのが面倒だったし、ちょっとの間居るのなら別にいいと思っていた。
家出してきたのだと彼女はじきに語ったが、真偽のほどは知らない。
謎は多く不審だったが、彼女の言葉や表情に悪意は感じられなかった。月並みな言い方ではあるけれど、一緒に居るとなんだか落ち着くので、悪い心地はしなかった。
そのまま彼女を連れ戻そうという人間が来ることもなく、今日に至る。桐代が持ち掛けてきたアルバイトの事もあり、日々は穏やかながらも新鮮に移っていった。
「どうしたの、シンゴ? 出かけるの?」
ずっと玄関に居た俺を不思議に思ったのか、後ろから声がかかる。振り返ると、居間の引き戸を開けてきょとんとした表情を向けるメイがそこに居た。
「いや、用事はねえよ。晩飯は昼の余りもあることだしな」
「美味しかったよねー、とんかつ。ああいうの作りたいなあ」
「んじゃあ基礎からちゃんと覚えていけ。まず味付けを目分量でやらない所からだな……」
「えー、料理は勘と経験だってテレビで言ってたよ?」
「それは心得のある人だけが言える事だ」
「むー……」
口は尖らせるが、メイは嫌そうな顔をすることはない。
心遣いなのかもしれないが、それは少し寂しくも思える。
本当の彼女の表情を見たことが無い、そんな気がするのだ。
今はまだ知らない彼女の事を、これから先、知っていけるのだろうか。
居間の先、窓の向こうで、いまだ雨は降り続いている。
彼女の『雨宿り』は終わってはいない。
いつか、雨が止むまでは。それまでの間なら、彼女は居候のままでいられる。
空が晴れないことを、自分は望んでいるのだろうか。
ずっとそうではいられないと、分かっていたとしても。
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<11> ビジターに悪意はなく /了
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