<11> ビジターに悪意はなく (前)
休日の昼時、キッチンに立つ人影があった。
俺は食卓に勉強道具を広げて、いよいよ明日からのテストに備えていた。
メイは居間でポチポチとテレビゲームに興じており、その隣では遊びに来た井房野が2P側のコントローラーを握っている。
「先輩、砂糖切れそうじゃない。マメに補充しときなよ」
「ああそうか、明日の帰りにでも買ってこよう。昼飯分にも足りないか?」
「ううん。大丈夫。何とか間に合う」
ところでテレビの前に座る二人は、何故今になって15年以上前の古いベルトアクションゲーを遊んでいるのだろうか。もちろん名作であるのは否定しないが、途中の面で何度もやられてリスタートを繰り返しつつ笑っている。楽しんでる以上は口出しはしないが、どうも理解には苦しむ。
「ん~、少し味付け濃くなったかも。薄めに作った方が良かったかな」
「味気ないよりはそっちがいいや」
「調味料で何とかできるから作る側としては逆なんだけどねー。ほら、置いてくから一回どかして、それ」
「はいはい、ちょっと待てよ」
開いていた教科書と問題集、レポート用紙をひとまとめにして、両手で持って電話台の脇に退避させる。
「ほーら、そっちの二人も。真昼間からゲームしてないの。ゴハン出来たよ」
「はいはーい、ちょい待ちー」
「さっさとセーブしちゃって終わりにしなさい」
「これにそんな機能ないってば、えい」
ばちりと電源を落とし、メイが先に立ちあがる。ちょいと遅れて億劫そうに井房野が食卓に向かい、めいめいが適当に席に着いた。昼食はチーズトンカツとシーザーサラダ、あとは白菜の漬物にダイコンの味噌汁、デザートにリンゴとバナナが用意されていた。
「……微妙にチーズかぶってないか」
「もー、文句言わないの。冷蔵庫のやつが期限近かったし一気に使っちゃったのよ」
「そうだよー、シンゴ。せっかく作ってもらったんだし。それじゃ、いただきまーす」
「へえい。いただきます」
「じゃあ私もぉ。いただきます」
「はい、どうぞめしあがれ」
食前の挨拶を3人分もらって、美濃川玲葉(みのかわれいは)がエプロンを外しながら微笑んだ。
『ごはん作ってあげるから勉強教えてちょうだい』という電話が入ったのは、確か11時ごろだったか。こちらとしても昼の用意が面倒だったのであっさりと承諾した結果、現在トンカツにありつけている。
井房野については美濃川におまけ的に付属してきた。というか本来は美濃川の家に遊びに行ったところを、流れでついてきたらしい。
ああ、今さら説明する必要もないかもしれないが。
美濃川玲葉もまた御旗岳中に通う3年生で、クラスCの能力者である。
「ところで何でまた昼まで作ってくれたんだ。別に無償でも勉強ぐらい見てやるのに」
「まあほら、タダっていうのもなんか申し訳ないからね」
「気にしいだな、珍しい奴だ」
「えへぇ。本当は家に一人で寂しいからでしょ、みの姉」
井房野が親しげに美濃川に話しかける。
学年は2つ離れてはいるが、昔から団地で近くに住んでるらしく仲が良いそうだ。
「……ん、まあね。今日はお母さんもお父さんも出勤だったし」
低めにくくったポニーテールを左手で撫でて、少し困りつつも正直に彼女が答えた。
「そうなのか……いつ帰ってくるんだ?」
「残業が無ければ、夕方くらいに」
「そっか、その頃には帰っててやれよ」
「うん」
「大丈夫ですよぉ、遅くなりそうだったら私がいてあげるものー」
「ええー、アンタがいてもねえ……」
「そんなぁ! なにそれー、みの姉と私は姉妹同然じゃんさ。ていうかもはや家族だよ」
「はいはい、冗談だってば。しょうがない子だねえ……」
「……姉妹って言うより親子だな」
熱々のチーズに舌鼓を打ちつつ、食卓に和やかな空気が流れる。
自宅で3人以上の食卓を囲むのも、考えてみれば久しぶりだった。
「……あ、ミノちゃん。醤油とってくれる?」
話の流れとは別に、メイがぽつりと美濃川に向けて言った。
「うん。っと……今は手がふさがって……ああ」
何かを思いついたように目をぱちりと瞬かせて、じっと醤油差しを見つめる。
カタッと小さく音がして、黒い水面が少し揺れたのを見た直後、ぱっとガラス瓶自体が消えた。行き先は、メイの目の前……味噌汁の椀のすぐとなりに、消え去ったはずの小ビンが立っていた。
「便利なもんだな」
「いやいや、限定的すぎてそうでもないよ? 私は普通のテレポートとか念動力の方が良かったな」
「訓練すりゃどっちかになるんじゃねえかな」
「なるかも、って程度でしょう。多分精度かスピードが上がるぐらいでお終いだよ」
美濃川が苦笑気味に答えて、汁椀に両手を添えてくいっと流し込んだ。
彼女の有する力『パラレル』は、物体を“平行移動”させる能力である。
“平行”とは言うが、高さを変化させて空中へ浮かせたりは出来ないらしい。またテレポートではなく高速移動なので、移動途中に線上に物体が割り込むと事故が発生するという。距離は見える範囲で重量はせいぜい1キロまで、連続使用にも難がある。
そういった諸々の欠点を持つため、席次はクラスCの22番、下から数えた方が早いくらいだ。単純なテレポートが可能なら恐らくクラスはB以上、あるいは立会人レベルになるのだろうけど。
「何気なく使って、携帯を落としちゃった時はわーっ! て叫んだなあ」
「失敗してか?」
「ううん、今のとこ失敗した経験は無いよ。失敗しそう、って思ったらまず動かないし」
「その辺は各人のリミッターってやつなのかもな。井房野は緩そうだが」
「なにさもう、先輩までバカにしてぇ。床にヒビ入れてぶっこわしちゃうぞ☆」
「かわいく恐ろしい事を言うな。んな事したら暴発扱いでクラスDに降格させてやるからな」
「ぶぅ、どうせ私の力は実生活に役立ちませんよ」
「こないだみたいに地質調査のバイトとかするのはどうだ、猪吹と組んで」
「えー、地味ぃ。興味ないし。リンドと、ってのもヤダ」
「やれやれ、しょうがねえ子だな……」
美濃川の言を真似てやると、メイが横でクスッと小さく笑った。
賑やかな食事で会話も箸もよく進み、ほとんどの皿があっという間に空になった。
- - - - -
「さって、じゃあ始めましょうか」
食事が終わったのちの片付けはメイが引き受け、自分を含むほか3人は勉強を始めた。といっても井房野は勉強道具を持参しておらず、美濃川の横に座って見守っているだけだ。
「お前はやんなくていいのか、勉強」
「水曜日にテストって言うけど、いまのところ難しい教科もないですしねぇ」
「まあ出だしだもんな。とはいえ数学なんかは基礎を放っておくと泣きを見るぞ」
「見たんですか」
「俺は大丈夫だったが、友人どもがな」
「いつの間にか難しくなってるからねえ」
1・2年次の学習は経験済みの美濃川が、うんうんと賛同を返した。
「わかったけど、家でやりますよぉ。こんなとこじゃ集中できませんしぃ」
「こんなで悪かったな。まあいいからまず静かにしとけ」
ということで話はその位にして、美濃川と向かい合って座り各自すべき科目に取り掛かった。ひと通り範囲のチェックは終わらせているので、社会・理科系統の暗記を中心にする。
「…………」
教えて欲しい、ということでやってきた美濃川だが、しばらくはすらすらと問題集を解いていた。キッチンの皿と水の音だけをBGMに、のどかな午後の学習時間を過ごす。
と、やっと分からない部分に突き当たったのか、彼女は数学の問題集を持ち上げてこちら向きにひっくり返した。
「先輩、ここなんだけど」
「ん、どれ……げ、図形か」
「苦手?」
「数字とか式をこねくり回す方が得意だな」
「やらしい言い方ね」
「え、そうかな……それより問題は……と」
なお面倒なことに、図形上での等しい角度に関する証明問題であった。
この手合いは受験直前でも苦戦していたし、本番でも正答を得なかった気がする。
「んー……角ABFと角ADFが同じだから……だからー……流れは分かるんだけどさ、言葉と文面を考えづらいな」
「私も大体そうなので、そこを教えてくださいよ」
「答え見たらどうだ?」
「答えの冊子を学校に忘れちゃって……」
「案外ドジだな、お前」
「私のミスはともかく、ちゃんと考えてください。ごはん作ったげたでしょ」
「うぐ……」
どうにか模範回答が分かれば……とは思ったが、彼女らが使っている問題集は去年使った自分たちのものと違うようだ。
途方に暮れかけて横を見ると、皿を洗うメイの後ろ姿が目に入った。
……まあ、あいつには期待できないか。
仕方なく首を戻すと、いま向けた視線に気付いたのか、何か言いたそうに美濃川がこちらを見つめる。
「? ……何だ」
「……狩野先輩には、聞いてみないの?」
「あいつは数学とか苦手そうだし……文系だろうし」
「でも頭はいいんだよね、きっと」
「さあ……抜けてるところも多いし、どうだか」
話しつつ美濃川は、ずいっと顔を突き合わせるように近づける。隣で見ていた井房野もわからぬままに面白がって、真似するように身を乗り出した。
「(ねえ先輩)」
「何で急に小声なんだ。顔が近えぞ」
「(聞きたいんですが)」
「証明ならもう少し待てよ、今……」
「(そうじゃなくて――――)」
ぎゅりんと目玉だけを一度横向けてから戻し、それから一層声をひそめて言う。
「(……狩野先輩って、何者なんですか?)」