<09> 希望は誰かの手で掴め (後)
一直線に向かってきた『悪魔』が眼前に迫り、反射的に右腕が頭を守るべく挙がる。
しかし接触する直前で、その巨体は急にぴたりと動きを止めた。
「へっ、慌てんなよ。奇襲は筋じゃねえからな、まずは挨拶だ」
悪魔の太い腕がゆっくりと動き、爪がこちらの肩に触れた。
……感覚は、ない。
突き刺さったはずの鋭利な爪は、服と肉体をすり抜けていた。
「……幻覚系か」
「一概にそうとも言えねえ。だがそれも真実だ」
悪魔がふわっと浮いて後方へ戻り、彼の後ろに着地した。
「オレの能力下において、思い描く幻覚を“一体”作り出すことができる」
悪魔が腕を組み、彼と同じポーズで立って待機していた。よく見ればこの悪魔には、両目が無い。正体のない黒い顔で、ただ顎だけが不気味に上下している。
「幻覚は意識の赴くままに自由に動かせる。そしてそれは――――」
見得を切るように、びしっとこちらを指して続ける。
「てめえにとっても同じだ」
不意に足元が暗くなる。黒い闇が円を描いて地面に現れ……それは先の見えない縦穴のようだった。彼が悪魔を呼びだしたそれと、全く同じ質のものだ。
「思うままに幻を呼べ。オレの幻に勝てそうな奴をな」
「幻覚同士を戦わせろ、ってことか……?」
「その通り。俺が負けたらここは通してやるが、てめえが負けたらこの場に倒れてろ。そこのそいつのように、なあ?」
顎を向けられた青山は、反応もできず未だぐったりと沈んでいる。
「幻覚以外で攻撃するってのは……」
「オレの能力に捕まった時点で、てめえは能力を出せねえ。さらに、オレに直接は触れられないように暗示が掛かってる。勝ちたきゃてめえの想像力を駆使することだなあ」
能力は使えないから構わない。だが能力資質を持たないらしい自分が、幻覚とやらを作り出すことが出来るのだろうか。
「どうした。幻、夢、恐怖、絶望、何でもいい。てめえの意思をオレに見せてみろよ」
「そう言われてもなあ……」
負けても命に別条があるわけではなさそうだし、普段の自分なら戦いを放棄して倒れる方を選ぶだろう。しかしながら今は、愛中に借りた分を返済する途中である。不履行となれば借りが増えかねない。
この場を切り抜けなくてはなるまい。
それにはあの『悪魔』に勝つ必要があるらしい。
だが、有名な空想の産物を想像できるほどの知識や含蓄は俺にはない。
……それならば。
「ほお……? 面白いじゃねえか」
思い描くと同時に、それは闇の底から現れていた。
彼の出した悪魔と等しく、真っ黒い体色を持つもの。
その大きさは悪魔よりは大分小さいが、頭を、両腕を、二足を持つ生き物の姿。
「あいにく、これしか思い浮かばん」
俺が呼んだ幻覚は、人間の姿を取って立ち上がった。
腕を動かすイメージを念じると、右腕を振り拳を握る。
歩くイメージを送ると、よどみなく数歩前進してから動きやすいように構える。
意のままに動くそれを見ていると、なんだか能力者になった気分だった。
「試運転は終わったかよ」
「ああ」
動かしていた『人型』を止めて、腰を落とすように構えさせる。
「んじゃあ、戦闘開始だ」
すぐさま『悪魔』が、地表を滑るように飛び込んできた。
あらかじめ動く準備をさせていた『人型』を、斜め前方に飛び退かせてこれを回避する。勢いよくこちらをすり抜けていく幻覚に思わず目をつむるが、すぐに振り返り相手の動きを伺う。
「いい回避じゃあねえかあ。だが攻撃はどうする? そいつに何が出来るか見せてみろよ、なあ?」
悪魔は振り向かず、宙返りで空中に飛び上がって方向を変え、物理法則お構いなしにまっすぐ人型を狙ってくる。なんとか人型にジグザクに斜面を登らせて回避するが、遠くなってしまい様子がつかみにくい。
「く……動くしかないか」
「ふん、走りながらやるつもりかあ?」
見えなくなった人型を追うべく坂を駆け登るが、上方に位置していた彼が先んじて動いた。追う形でカーブを曲がると、直線上に人型の姿を捉えられたが―――
「こりゃ終わりだなあ」
悪魔はすでに空を蹴り、人型への突撃を開始していた。
「……伏せろ!」
思わず叫ぶと、人型はびたんと貼りつくように地面に倒れ伏した。
飛びかかった悪魔の一撃をすんでの所で回避し、勢い余った悪魔が半身を削るように坂を逆走して止まった。
(走れ!)
今度は心の中で念じる。人型は起き上がりながら始動し、坂を登り始めた。
「おいおいおい、逃げっぱなしで何だってんだあ!? 戦う気はねえのかよ!」
「戦ってるだろ。今は隙を窺ってるだけだ」
そう言いつつ、自分も坂を素早く登り始める。すでに彼……参崎を抜き、様子を見ていた悪魔をすり抜けてから、人型と合流を果たした。
「勝ちたきゃ追ってこい。それも戦いだろ?」
「……んのヤロウ、上等だよ…… ……ッ!? ……なッ、何だ!?」
二者の間に割って入るように、空中に突如として影が躍った。
まったく突然の出来事で、参崎も俺も驚くしかなかった。
着地したそれはどす黒い肌を持つ――――巨大な、狼に似た獣の輪郭。
ライオンのように大きいが、それは明らかに異質な獣であり、瞳は赤くらんらんと輝いていた。
「これもてめえの幻覚かよ!?」
「いや、違う! だいたい一人一体なんだろ!?」
「じゃあ誰が……なっ!?」
参崎の驚愕と共に、悪魔がバラバラに崩れてゆき、消え入るように姿を消した。同時に俺が操作していた人型も消滅した。
「能力が解除された……こいつの仕業か、ああ!?」
喧嘩を売るように『狼』に向かって吠える参崎だったが、その獣は微動だにせず聞く耳も持たない。
着地後ぴくりともしなかった獣は、ゆっくりと首を動かし……こちらを、見た。
真紅の中心に橙を落とした色彩。……神秘的で、渦巻くような異質な瞳だった。
その一瞬だけ目が合ったのち、『狼』はぐるりとその場で方向を変えた。
それから、地面をダンッ!と蹴り飛ばして斜面を越え、下方のアスファルトへと音もなく着地した。
「くそ……なんだありゃ。待ちやがれえっ!」
参崎は腹を立てたように、走り去ろうとする獣を追って坂を駆け下る。
もう『狼』は見えなくなったが、それでも彼は追うのをやめる気はないようだった。
俺はというと、無論何もできず、ただ呆然としていた。
- - - - -
「あ、おかえりなさい」
「え、ああ。ただいま」
スタート地点まで戻ると、桜嶋から優しく出迎えの言葉をかけられた。
彼女はちょこんとパイプ椅子に腰かけており、どうやらここでアナウンスをしていたようだ。
「ドリンクありますよー。要ります?」
「ああ、じゃあ一本くれるか」
テーブルの上にいつ用意したのか、同じメーカーのスポーツドリンクが並んでいた。一本を手に取り、キャップを空けてぐっと流し込む。用意のいいことにキンキンに冷え切っており、液体が喉を通り抜ける感覚は非常に清々しい。
「ああ……生き返った。ありがとな」
「いえいえ。先輩、結構張り切ってますね?」
「まあ事情でな、張り切らざるを得なくなったというか……そうだ、川藤さんは?」
「そちらに」
すぐ隣に手の平を差し向ける桜嶋。
ちょうど彼女の陰になった位置で、川藤が足を組んで空を見上げていた。
「……ああ? 打川か。どうした」
「下で少し騒ぎがあったもので」
『悪魔』の幻覚と、『狼』のことをかいつまんで話す。
川藤は特に驚くこともなく、しかし面倒くさそうに首を曲げてぽきぽきと鳴らした。
「参崎はC-13……クラスCの筆頭だな。通号は『グレート』、能力はお前さんが見た通りだ」
「『イメージ』とか『ブラック』って感じでしたがね」
「そこは桐代か上の方に文句を言え。ま、大して害はない能力だ。青山も10分ぐらいで元に戻るだろう」
「そうですか。で、『狼』の方は」
「あー……仮に危険な存在だったら立会人各位で何とかするだろ? そういうことだ」
「あれも能力の一環ですか。普通の生き物には見えませんでしたが」
「そんなとこだな。……姿を現したのはこちら側の落ち度だ」
「じゃあ放っといていいんですか?」
「それでいい。まあ何だな、“あいつら”を使ったのは失敗だったかな」
どうも向こうのミスらしいが、細かいことは聞いても分かるまい。
追及は後にして、ともかく競技に戻る方が先か。
「んで打川、キーワード申請しとかなくていいのか」
川藤がたいぎそうに、バインダーを手元に引っ張り寄せる。
全員分の記録用紙が挟まっているのだろうが、管理はいい加減なものである。
「ああ、じゃあ一応。と言っても一つだけですが。『ツグミ』っていうのを」
「そうか。それはあいにく、1点の単語だな」
「だと思いました。現在のトップは?」
「んー何点だったかな……桜嶋、分かるか?」
「あ、はい。1時間経過時点でのアナウンスでもお知らせしましたけど、最高点は6点です。次いで5点、4点」
そのアナウンスを聞いた覚えはないが、多分急いでいて聞き逃したのだろう。
「ふうん、そんなところか……なあ、出戸ってここ通ったか?」
「出戸……滋忠くん?いいえ、確か見てないですね」
「……となると3つ目のコースに居るんだろな。次はそっちか」
「ご用事ですか?」
「頼まれてな」
早めに貸し借りからは解放されたいところだ。
少し休んだら、見知らぬ彼を捕まえるべく出発するとしよう。
- - - - -
「『ヒバリ』……また鳥の名前か」
コース3に入って間もなく、特に探してもいなかったターゲットが目に付いた。
こう簡単に見つかるということは、1点か0点かのどちらかだとは思う。
地図を見ると、コース3のほとんどは楕円状の道筋を描いていた。
途中まで一本道だが、一箇所の分岐をどちらに進んでも最初の位置に戻るようだ。
自分は地元の人間であり、家のすぐ近くの道でありながら、ここに入るのは5~6年ぶり位になる。どこに通ずるわけでもないので全く用事が無いのだ。道は雑草が伸び放題で、細かったり滑ったりと危険な箇所も多く、足を踏み外せば無傷では済みそうにない。
慎重に進んでいくと、唯一の分岐ポイントに差しかかった。
だが、どちらにも行く気はない。コースの形状を考えると、下手に探し回れば永遠に出会わない可能性があるからだ。ここで待っていれば少なくとも終了直前には会えることだろう。
道の端に立つ、幹の大きな木にもたれかかってゆっくりと待つ。
……。
…………。
……眠くなってきた。
朝早かったことだし、さっき急に身体を動かした疲れもあるし。
持ってきたボトルを一口飲んで、眠気覚ましに体のあちこちを伸ばす。
と、そこにやっと通りかかる影があったが……残念ながら旧知の少年である。
「あ、シンゴ先輩」
「ん、なんだ、猪吹か……出戸ってやつ見なかった?」
「シゲ? 一回見ましたけど。どこ走ってるかは分かんないすね」
「そうかい。あんがとよ」
「じゃ、俺も急ぐんで」
軽快に土を蹴り、猪吹は林の奥へと消えていった。
「あ、どこで見たか聞いとけばよかったか……まあいいか」
あくびをしながら首を回して、だんだん思考がいい加減になるのを自ら感じていた。
- - - - -
「……あれ? 井房野か?」
「おぉっ、何でそんなところにいるの先輩」
「こっちのセリフだ、メイはどうした」
「スタート地点まで戻ってから別れましたよ。忘れてたから洗濯してくるー、って言って、おうちに帰りました」
「何やってんだあいつは……。あ、それはともかく、出戸滋忠って奴を見なかったか」
「出戸ぉ~? あー、ひどいよねえあれ」
彼女はむくれるように、地面を踏んでわずかにヒビを入れる。
「酷い? どういうことだよ」
「え、分かってて聞いたんじゃないんですかぁ。今回の競技的にあの能力は有利過ぎるって話でしょ? 賭けときゃよかったかなぁ」
「いや……会ったことが無いんで知らないんだが」
「私が見たのはスタート直後だけ。あと、ここで待ってても会えないかもよぉ」
そう言い残して、止める間もなく井房野は走り去る。
追い掛けるよりも、最後の一言の意味を考えなくてはならなかった。
出戸はコース3上には居ないという事だろうか?
しかしコース1・2で見かけることもなかったし、そもそも向こうには愛中がいる。
わざわざ自分に『お使い』を頼んだのだから、あちらの近辺にはいなかったはずだ。
どうしたものか、途方に暮れそうになる。
空を見上げれば、真っ白な鳥が木々の合間を縫うように優雅にはばたいていた。
自由に舞うそれを見ていて、一つの予想に思い当たる。
(……移動能力、なのか?)
たとえば少し前に星倉が使った(らしい)能力のように、テレポートが出来るなら場所は一定ではない。コース間を一瞬で移動することもできるだろう。あるいは移動系でなくとも、ステルス能力などを有するなら、こちらから見つけるのは不可能になる。
そうであるなら本当にお手上げだ。
知ってて届けるよう頼んだなら、愛中も意地の悪いことをする。
かといってここから動く気もない。
せめてここで待っていれば、先の二人のように目撃情報も聞けよう。
見つからなければ仕方のないことだ。
『アナウンスですー。1時間30分経過しました。残り時間はちょうど半分ですね』
地図からの声。取り出して広げると、聞こえが良くなった。
『トップは10点ですね。次いで私の9点、少し離れて6点と続きます。みなさん好調なようですが、こまめに戻って給水や休憩を心がけて……』』
…………?
何だかおかしい。声はよく通って聞こえてくるが、なんだか二重に聞こえてくる。
この地図からだけでは無く、どこか別からも音が発されているような……。
辺りを見回すが、誰も見当たらない。
思いつき、地図を一度折りたたんで隠してみる。これで声が聞こえるようなら……
『……と用意して……ので……健康に……意……』
やはり、どこからかアナウンスが聞こえてくる。
耳を澄ませると、どうやら斜面の方かららしく、そちらに足を向ける。
誰かが地図を落としたのか。だがそれらしい紙は地面や草むらには見当たらない。
『……上です。……また30分後に……』
アナウンスが途絶え――――と同時に、がさっと草を揺らす音がした。
斜面の上、何者かが動く気配。
「……そこに誰かいるのか!」
呼びかけるが、すぐに動こうとはしない。
こちらが踏み出そうかとも思ったが、それより先に向こうが動いた。
木の陰からひょいっと上半身を出したのは、丸坊主に長身の男だった。
となると、おそらくはこいつが例の――――
「お前が出戸滋忠か?」
「……はあ」
気の抜けた声が返ってくる。上背はあるが腕や腰回りは細く、色白で眉が薄い。
「何で、そんなところに?」
「……休憩していたので」
「ずいぶん道と離れてるが、わざわざそこまで登ったのか」
「そうですけど……ああ、いまそっちに行きます」
そう言うと彼は、静かに降りてきた。
……音もなく、斜面を滑って。
土を踏む音も草を揺らす音もなく、スキーヤーのように姿勢を変えずまっすぐに。
「何だ、それ。どういう能力だ」
「『スリップ』です。“滑る”だけの能力です」
「……移動するには快適そうだな……そういうことか」
「それで、あの。僕を探してたんですか」
「ああ、そうそう。愛中から頼まれてな」
ポケットから例の白い球を取り出して、彼に手渡す。
これで俺の『お使い』もやっと終わった、が――――
「何ですか、これ」
「ええー!? 見れば分かるものとかじゃないのか?」
「そう言われても、久澄……愛中の言うことは昔から良く分かりにくくて……」
出戸は手に取った球をつまみ、片目だけでじっくりと観察する。
「……あ、こうかな」
そう言いながら彼は手の平に球を置き直す。
……すると、突然。
バンッ!と言う音と共に、球が弾けるように“広がった”。
後には、くしゃくしゃになった一枚の紙が残された。
「やっぱり。能力で圧縮してたみたいですね」
「どうやって解除したんだ」
「手先から能力を当てたら、戻りました」
「なるほど、だから俺が持ってても何も起こらなかったのか」
「……あの、ところで失礼なんですが、あなたはどちら様で……?」
「ああ、訓練補助のアルバイトをしている打川という者だが。開始の挨拶の時には聞いてなかったか?」
「ええと、申し訳ないです。その時に愛中と話してたもので気付かなくて……」
「いや、いいんだ別に。愛中とはどういう関係だ?」
「親戚ですね。“はとこ”にあたります」
「へえ……まあともかく、その球は確かに渡した。俺は帰るよ」
「そうですか。わざわざ有難うございました」
ぺこりと痩身を曲げて、彼は腰の低い謝辞を述べた。
名前や聞いた特徴から勝手に粗暴な大男を想像していたが、会ってみればやや気弱な好青年という感じだった。
来た道を登る途中で、ふと一度振り返る。
見えた後ろ姿は林間に立つ枯れ木のようで、不安げなほどにひょろりと細かった。
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日程はつつがなく終了した。
「よっしゃー、結果発表だー」
今までどこにいたのか、桐代が愉快そうに腕を振り回している。後でメイに聞いたところ、ウチに上がり込んでゲームしてたらしい。……勝手に敷居を跨がせないようにちゃんと言っておこう。
「3位はC-19の猪吹隣人。9点×1で9点のまま。自分に賭けるとは手堅い奴だ。
2位はC-23、出戸滋忠ー。10点×3で30点
……というと1位の奴に賭けたってのか、随分良い読みだ。
で、優勝は…C-16・愛中久澄江だ!
16点×2で32点、僅差で勝ったか。協力プレイ?何にせよおめでとうさん。ご希望の優勝賞品は後日こちらから手渡すから楽しみに待ってろー。僕からは以上、じゃあさいならー」
開始時と同様に、替わって川藤が引き継ぐ。
「結果はそういうことだ、皆お疲れさん。勝てずとも健闘していたようで何よりだ。こちらとしてもいいデータが取れたので協力には感謝している。参加賞というわけでもないが、用意したスポーツドリンクが余ったから何本か持って帰っていいぞ。まあ後は帰ってゆっくり休め。では解散」
3時間の激闘を終えた訓練生たちは、あるいはぐったりと疲れ果て、あるいは元気そうにはしゃいでいた。楽しめたのであれば、こちらからは言うことはない。
帰るべく踵を返しかけた時に、こちらに近付く人影が見えた。
「よお、“人型”の」
「……参崎だったか。何だ、もう競技は終わったぞ」
「競技なんかはどうでもいい。てめえの幻覚は興味深かったからな、いずれ日を改めて勝負してやる」
「んー……まあ機会があればな。しばらくは遠慮したいが」
「ふん、せいぜい想像力を磨いておくことだな」
どうやって磨けばいいんだ。ファンタジー小説でも読み漁ればいいのだろうか。
考えているうちに参崎はいなくなっており、代わりに別の子が目の前に現れた。
「や、先輩。お使いどうもね、おかげで勝てましたよー」
「ああ、おめでとう……って、あれはそんなに重要な紙だったのか」
「まあそうでもないですけど。保険みたいな物です。コース1と2のキーワードを半分くらい書いておいたんですよ」
「やっぱり出戸と組んでたのか」
「役割分担ですよ。険しいコース3は能力で楽になるシゲに任せて、私は体力任せに1と2を走破する。いい作戦でしょ」
「まあ協力できれば簡単な競技にはなると思ったが。もっともそれも、裏切らずにやれれば、だがよ」
「ふふ、大丈夫ですよ。もともとどっちが勝っても、商品は山分けの予定でしたから」
「というと、同じ商品を希望したのか?」
「まあね。偶然。現金は駄目だっていうから、商品券を」
「……なんだその生々しさ。もっと中学生らしいものを頼めよ……」
「えー、中学生が欲しいって言ったら普通、お金じゃないですか」
「ああ……非常に現実的な意見をありがとう。ともかくこれで貸し借り無しだ。んじゃ」
「はあい。また訓練で会いましょうね、先輩」
商品(券)が手に入って満足なのか、満面の笑顔で彼女はスキップ気味に帰っていった。
……ところで、何円分を頂いたのだろうか。
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庭の方から家に戻ると、いつものようにメイが洗濯物を干していた。
「ただいま。もう競技終わったぞ、閉会式にも来なかったろお前」
「おかえりー、ああ忘れてた。誰が勝ったー?」
「優勝が愛中、あとは出戸、猪吹の順だったが」
「おー、じゃあ私の予想は当たってたね」
「本当か? 俺は猪吹に賭けてたからなあ、どうあれ逆転とまではいかなかったな」
「こう言う時知恵が回るのはアイちゃんだよ。シンゴはまだまだ観察が甘いねえ」
「そうかよ」
昼飯の用意でもするか、と玄関に向かおうとした時。
来た方から、クラクションが響いた。
(……川藤さんか?)
気になって取って返してみると、黄色い派手な車体がまだそこにいて――――
それ以外に、異様な影が2つあった。
一つは黒い体毛に赤い目をした、あの時に会った『狼』。
もう一つは純白の羽に青い目が光る、鷹ほども大きい『鳥』。
狼は運転席の陰からはみ出すように四足で立っており、鳥はボンネットの上でフロントガラスを見つめていた。
そして川藤はこともなげに、運転席で何事かをつぶやいている。
その二体の生き物に、まるで呪文を囁くかのように。
ぐりっ、と『鳥』が首を急に回してこちらを睨む。
それを見てか『狼』が跳ねるように身を動かし、裏坂方向へと瞬く間に走り去った。
『鳥』もしなやかな動作で羽を広げて、滑空しながら上空へと消えた。
「か、川藤さん。今のが……」
「ああ……お前は見たんだっけ? ま、何というか……『協力者』だあな」
多くを語ることなく、静かに車を発進させて川藤は去って行った。
あの二体は、川藤の能力で操っていたのだろうか。
あるいはあの異様さからするに、幻覚を作り出す系統の力なのか。
超能力の底知れなさを感じながら、静かになった山頂の自宅に帰った。
「どうしたのー?」
「……ん、まあ……どうもしないと言えばしないな……。世の中には不思議なこともある、っていうだけだ」
「? ……んー、よくわかんないけど、そうなのかもね」
――――そしてまた普段通りに、穏やかな日常へと戻る。
生活の中で自分は、わずかな時間だけ幻覚のような夢を見せられている。
それも慣れてくれば、ゲームや映画、小説の出来事のようにも思えてきた。
自分の“日常”に、超能力はない。
たとえあっても、それが日常を押しつぶすことはない。
今日も、楽しい時間を過ごしたと思うだけだ。
夢のような力に遊ばれたのだ、と。
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<09> 希望は誰かの手で掴め /了
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