<09> 希望は誰かの手で掴め (中)
能力使用は認められているが、物体を破壊する必要があるかというと疑問である。
音のした方に目を凝らしつつ、原因を探すべく駆け足で坂を下っていく。
「さて、誰だろうな……」
見当はつくが、別の知らない能力者という可能性も考えられる。
だが、予想は当たったようだ。
「あぁ、打川先輩。あれれ、狩野先輩も?」
雑草に囲まれて伸びる薄茶色の地面に、大きな亀裂がほぼ一直線に入っていた。
そこはアスファルトが土に替わる分岐路、コース2へと行く方向である。
C-21・井房野転子はこちらを振り返り、ぼんやりとした目をしばたかせた。
「やっぱりお前か。なんだ、さっきのは」
「えー、それがですねぇ……」
井房野は言い淀んで、道の脇の方……ゆるい斜面に目を向けた。
良く見れば道に入ったヒビは、途中からカーブして斜面側へ逸れているようだった。
「あれを壊した音なんですけど」
「? ……あれって……木? 倒木か? しかしなんでだ」
「いやぁ……その。ちょっと驚いてしまって……」
「何にだ?」
答えかねるように腕を組んで、井房野は眉間にしわを寄せる。
少しだけそうしてから、ともかく口を開いたが、どうもはっきりしない。
「正直言ってぇ……わかんないんですよね」
「ええ? ……何かを見て驚いた、っていう点はあってるのか?」
「そうですけど、正体は分からなかったんですよ。こう、ガサガサッと素早く動く影があったので、とりあえず威嚇ででっかい音出したら……まぁ、すごいスピードで逃げられました」
「姿が捉えられなかったってことかな?」
「そうなりますね……んぅ……テンパってたのもあるんですけど」
彼女には珍しく、ばつが悪そうにうつむいて返答した。
「まあ不可抗力みたいなもんだろ、気にすんな。怖かったら山頂に戻れ」
「はあ…どうも。でも大丈夫ですよぉ、驚いただけなので」
「なんならイブちゃん、一緒に行かない?」
「いやいや、お二人の邪魔をする気はないですよぉ」
「……誤解してるようだが、俺たちはここの分岐から別行動のつもりだったんだよ」
「えぇ? ……あー、ケンカですか」
「違う。それでどうするんだ」
「あ、じゃあ狩野先輩と行きます。ちょっと聞きたいこともあったので」
「そうか。俺はコース1をこのまま進むから、お前らは2の方でいいか?」
「うい、お互い頑張ろうねえ」
「適度にな」
「ではぁ、また後でー」
自分で作った亀裂を飛び越しながら、井房野がコース2の奥へとひょこひょこと歩いて行った。それに続いて軽快に歩くメイの背中をしばらく見送ってから、元のコース1へと向き直る。
地図を見るに、コース行程の7割くらいは下ってきた事になるだろうか。麓側の入り口まで着くのにも10分とかからないだろう。今は気候も穏やかで明るく、この先は傾斜も厳しくはない。
のんびり進行したいとこだが、その前に。
「……誰か、来てるか」
どこを見るでもなく、分岐点から少し離れた辺りで言った。
「来てるかと言われればそれはあたしが来たのだけれど」
こちらの呼び掛けに答えたのは立会人、星倉の声だった。
後ろから声がしたので振り向くと――おとといの夕方のように、目の前にいた。
「……今度は驚いてやらんぞ」
「それは少し残念かな」
「いま来たのか」
「ずっとこのコースの近辺を見張っていたよ」
「さっき井房野が能力を使った際もか?」
「そうなるね」
「じゃあ、単刀直入に聞くが――」
近すぎる距離を一歩後ろに取りなおしてから、続けた。
「さっき井房野が見たのはお前か」
「まさか」
ぐいっと上半身を乗り出すようにして、星倉は笑った。
「あたしはそんなに迂闊じゃないから」
「じゃあ、何だって言うんだ?」
「すばしっこい野生動物でもいるんじゃないかな」
「小動物ならいいが、そうでなければ訓練生に危害が及びかねんだろ」
「君は心配せずとも競技を楽しめばいい」
「信用していいのか?」
「関係者の信用を得るのも立会人の業務だと思うからね」
「……ともかく、何かある前に頼む」
「あたしは君の頼みを承知したよ」
言った直後、彼女がふっと視界から消失した。気配もすっかり消えたが、これもやはり能力なのだろうか。テレポートかステルスか知らないが、とにかく彼女は能力を扱えるらしい。
望むべくして得た力で、彼女はいったい何を夢見て、さらに何を望むのだろうか。
- - - - -
『定時アナウンスですー』
尻ポケットに突っ込んでいた地図が、もごもごと喋り出した。
『開始からちょうど30分が経過したことをお知らせしまあす。現在のトップ点数は私を除くと……3点ですね。次点は2点が数人います。まだ始まったばかりですから、焦らず頑張ってターゲットを探してくださいね。ではー』
初回よりは元気な声で、桜嶋のアナウンスがつつがなく終了した。
(まだ1つだけ……だなあ)
これまでに見つけたのは、葉村がわめいていた例のターゲットだけだ。書いてあったのは『ツグミ』というキーワードだけで、これが何点に相当するのかは分からなかった。
我ながらぞんざいに探しているとはいえ、収穫も少ないままにコース2との合流ポイントも過ぎて、もうすぐコース1の終端が見えてくる。
(スタート地点からは一番遠いわけだし……このあたりにターゲットがあってもおかしくは…ん?)
上を見ながら歩いていたせいで、気付くのが遅れた。
すぐ先に誰かが二人、向き合って立っている。
「……だよねー!……っていうか……がさー!……だから……」
「……えへぇ~?……なんですかあ?……かとお……うわあー……」
声はどちらも女性であるようだが…なんだかこう、喋り方から嫌な予感が感じ取れた。
つまるところ彼女たちは、自分が苦手とするようなタイプの―――
「ん? ああー! 打川先輩だあー! あーっはっはっは、久しぶりですねー!」
「あぁ、ホントだあねえ、えへへへへ。わたしもこのまえちょこっと会ったような気がするなあ」
必要以上に元気印を押しまくる津島香利と。
最高にまどろっこしい喋りをする埜滝柳果(のだきりゅうか)がそこにいた。
……ああ……特に後者には、会いたくなかった。
そこにいる津島のようなバイタリティ溢れるトークであれば、多少疲れるだけで受け流すこと自体は難くない。だが埜滝の話は長い上に要点を得ず、それでいて意外としつこいため、ひどい徒労感に襲われるのである。
「……よう。何してるんだ」
面倒くさいコンビを前にして、ともかく当たり障りのない言葉をかける。
「そうそうそれがね、皆走ってくから私も急げー!って下ってきたのはいいけど、何にも見つからなくてさー!」
「んー、わたしはゆ~っくりしてたんだけど、歩くだけで疲れちゃったんだよねえ」
「あっはっは、私も私も! 一気にここまで降りてきたんだけどっ、もー登るのダルい! いっそ帰っちゃっていいかな?」
「だめだよ~たぶん。みんなも困っちゃうよお。ねえ先輩、そうでしょお?」
「ああ……まあ……コース内には居ろ。リタイアするにしてもスタート地点までは戻ってくれ……」
早々に会話を切り上げて背を向け、降りてきた道を登り出す。
しかし津島が引き止めるように、大きな声で呼びかけてきた。
「あー、せんぱーい! ここにキーワードありますけどー?」
「ああ…?」
億劫ながらも振り返ると、津島がすぐ近くを指差していた。国道に面した歩道側を向いて立つ看板の裏に、小さな白いターゲットがぶら下がっている。
「別にいいよ、そこまで執着してないから。じゃあな」
それよりも早いところ、この二人から離れたかった。むろん悪意はないのだが、どうにも疲れて仕方がない。相性の悪い人間というのは居るものだと思いつつ、重くなった足取りを無理に上へと運んでいった。
- - - - -
低い側の合流点から、コース2へと入ってゆく。つい最近までは雨続きでぬかるみ具合が酷く、通ることすらためらわれた道である。それでなくとも用事がなければわざわざ分け入ることもなく、ごくたまに山菜取りの老人を見かける程度だろうか。
やわらかく土がつぶれ、足跡が残されている。すでにここを通った人間がいるようだ。靴跡の形からすると進行方向は同じらしい。
たどる様に足元を見ながら登っていくと、坂が途中から平らになった。ここからは谷のように一度下りを経るようだ。
見下ろせば道の先に、ゆっくりと歩いている姿が一つあった。
声をかけるには遠いため、しばらくはそのまま見守りつつ歩く。急に声をかけられたら驚くだろうから、足音で気づいてくれるといいのだが。
特に、この子の場合は。
「あ……」
『彼女』が立ち止まり、振り返る。
普段はおどおどした所があるが、今日は落ち着いているようだった。
「調子はどうだ、湊」
「えと、あんまり……見つけにくいですね、意外と」
「桐代さんがプロデューサーだからなあ、だいたいひねくれた所に隠れてるんだろう」
話すうちに追いついたので、そのまま隣を歩き始める。湊が時々つまづきそうになるのをはらはらと見守りつつ、粛々と道を進んでいった。
「他の連中はどこかで見たか?」
「津島さんが疾走してるのは見ました。けど、思ったよりは他の人に会わなかったですね……」
「そうか。こういう訓練は面倒か?」
「えっと……普段よりは楽です。能力を無理に使わなくてもいいので」
『シアター』は幻覚系の能力だと聞いているが、それが行使されるのを見たことはない。
「というと、能力を使用するのが負担になってるのか?」
「……うまく制御できないから、失敗するとちょっと、恥ずかしくて……」
「でも使わないことにはな。挑戦していくしかないだろう」
「まあ……そうですね」
歯切れの悪い答えだが、あまり使いたくないような能力なのだろうか。
話題がそこで切れたので、ターゲットを探しながら黙って歩いていた。
「お? おーいっ」
「あ……愛中先輩?」
向こうから走ってきたのは、運動着の袖をまくった愛中だ。割合やる気で取り組んでいるのか、額に汗を浮かべており息も弾んでいた。
「ふー、走った走った。二人ともマイペースですね」
「お前がハイペースなんだろう。まだスパートには早くないか、今にバテるぞ」
「まだ準備運動みたいなもんですよ。それよりちょうど良かった、んふふー……シンゴ先輩?」
こちらに向かって微笑みかける愛中。何だか、嫌な予感がする。
「借りがありましたよねー、ひとつ」
「げ……今使うのかよ、それを」
「まあもう少し取っておいても良かったんですけど、使えるときにってことで。あ、そんな警戒しなくても大丈夫ですよ」
言いながら愛中がポケットから小さな何かを取り出し、こちらに投げてよこした。
「ちょっとお使いをしてもらうだけですから」
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まったく本意ではないが、借りは返さなくてはなるまい。
走り去った愛中やゆっくり歩くつもりの湊とは別れて、俺はコース2を駆け足で登っていた。
手に握った、白い小さな玉を見る。パチンコ玉ぐらいの大きさだが、むしろ福引の玉なんかに近い見た目ではある。
『お使い』の内容はこうだ。
・この球を12時までに、C-23・出戸滋忠(でとしげただ)に直接手渡すこと。
・また、他の能力者の手には絶対に渡さないこと。
良く分からない内容であったが逆らうわけにもいかず、「彼」を探してこうして走っている。あいにく知らない訓練生だったのだが、ひょろい長身で坊主頭だからすぐに分かると言っていた。メイが見たという『知らない顔』は恐らく彼なのだろう。
コース2はもうすぐ終わり、コース1に戻るはずだ。
と、そのあたりに、目の前には地図を眺めているきつそうな印象の少女……馳由梨乃がいた。
「……打川先輩か……」
「なんだその残念そうな顔は。あいにく急いでるんだが……そうだ、C-23の出戸って知ってるか。長身の坊主頭らしいが」
「知らないわよ。会ったこともない。枚垣君なら見たけど」
「そっちの長身じゃあない……まあ分かった。ああ、この先に湊がいるはずだから親交でも深めててくれ」
「なっ」と戸惑うユリノを放って、見覚えのある亀裂入りの地面を飛び越える。
これで、コース1にやっとの事で戻ってきた。
メイ達には会わなかったが、途中で引き返したということだろうか。
しばらく考えながら小走りに進むと、傾斜が急になってきた。ペースを落として登り始めるが、最近あまり運動してなかったのもあり、割としんどい。一息入れようか、と速度を徐々に落とし、丁度カーブに差し掛かったために立ち止まった。
深く呼吸をして、鼓動を落ち着ける。喉も渇いてきたし、早いところ戻った方がいいか。
「…………打川、先輩……」
「……!?」
予期せぬ声が聞こえて、驚きながらも辺りを見回す。
全く気付かなかったのだが、斜面の近くでぐったりと座りこんだ姿があった。
D-28、青山司朗。
普段は朗らかな少年なのだが、いまは見る影もなくうなだれている。
「青山じゃねえか。どうした、体調が悪いか」
「いや、元気です……けど、しばらく動けないっスね……」
「……? 何でだ」
「『負けた』んで、動けないらしいっス……そう言われ、て……」
「その通り。オレの能力に敗北した以上、言うとおりにして貰わないと、なあ?」
青山とは別の声が、坂の上から飛んできた。
自信に満ちた口調と顔で、腰に手を当てて仁王立ちに立つ姿がある。
「能力で青山に、攻撃を加えたのか?」
「いいや、ちょっと違うな。これはオレとそいつの正式な『果たし合い』の結果だ。文句は言えねえさ」
「……どういう能力だ、いったい」
「おお、知りたいかあ?」
そう言うとその男は、右腕を大仰な動作で振り上げ、真下へと振りおろした。
思わず身構えたが、何かが飛んできたりはしなかったようだ。
だが。
彼の足元に真っ黒な円が描かれ、それが広がり始めている。
それは道幅を埋め尽くすほどに拡大し、やがてそこから音が聞こえてきた。
咆哮。
獣あるいは鳥の鳴き声にも似た大音声が、低く長く林間にこだまする。
――――彼の背後に、どす黒い肌の巨大生物が現れていた。
尖った爪、捻じれた角、隆々たる筋骨、うごめく長い尻尾。
それはゲームや漫画で見るような、『悪魔』の姿に似ていた。
「オレの名は参崎龍(さんざきりゅう)」
後ろの『悪魔』に見せるように、指を立てて右手をすーっと伸ばす。
「会った以上、ここを通す気はねえ。てめえもここでリタイアして貰うぜ」
彼の指が、こちらに向けられ―――悪魔がそれに従い、飛び掛かった。