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<00> 少年少女の遊戯 (後)

 猪吹は相手を見据えながら身をかがめ、一歩踏み出して地面に右手をつく。

 愛中は距離はそのままに左半身を引き、足だけを踏み直して出方を待った。


 互いに不意を打つような仕掛けはない。


 譲られるように先手を得た猪吹は、まず地面を歪ませた。

 手をついた地表がどろりと潤み、濃色に変容した土がうごめくように右腕に誘われ、肘関節までを覆ってしまった。手甲のように包まれた右腕を中継に、さらに土がうねうねと伸びて、左腕にも手甲が出来上がる。

 両手をつなぐ「土の縄」は手枷のようで、地表から同じように伸びるもう一本はのたうつように震えていて気味が悪い。

 手枷たる縄はさらに両端を伸ばし、一本の棒を形成した。先端が独特に丸く膨らんでいて、さながら槌(ハンマー)かメイス、あるいは不格好な槍のごとき形状を取っている。


「いいですねえ、思った通り土壌が豊かだ。畑にでもなればいい」


 口端を吊って、猪吹が誰にともなく笑みを見せた。愛中に反応はない。

 猪吹は戦闘準備を完了させたという体であったが、それでもその場からは動こうとしない。


 猪吹は十中八九カウンター狙いだろう。

 以前の試合でも彼は、間合いに飛び込んできた相手を殴打するという流れでペースを奪っていた。それを知ってか知らずか、愛中に動きはない。彼女は能力の片鱗も見せないというあたり、使用準備はとうに終わっているということだろうか。

 戦いぶりを知っているであろうメイにちらりと目線を投げると、ごく小さく言葉を返してきた。


「(誘うよー。すぐ動く)」

  

 すると確かに、愛中が動きを見せた。

 構えを解くように息を吐き、それから何食わぬ感じで歩き出した。

 真っ直ぐではなく左前方、こちら寄りに向かっている。

 悠然と歩を進める様に、余裕たっぷりと言いたげな表情を浮かべていた。

 

「(わざと……? 演技か?)」


 つぶやきに対するメイの答えを待つより早く、今度は猪吹が大きく動いた。

 ザラッ、というような音を鳴らして、手元から地面に伸びていた土縄をぶっつりと切った。その断面から白い砂がこぼれるのを見たかと思うと、すぐさま地面を蹴って走り出す。10メートル弱の間合いがたちまち詰まり、後方に振りあげられた『槌』が愛中の肩を狙いすまし、唸った。


 音もなく、動きは止まった。

 愛中は、一瞬のうちに抗っていた。

 彼女が突き出した左手のまさに寸前で、『槌』はぴたりと止められていた。

 土塊と掌が異種のつば競り合いをしている。手は槌に触れてはいない。彼女の能力が、あるべき物理法則に反するように展開されているのか。

 引き分けたまま互いがそこから動かず、しかしながら、すぐに変化が現れ始めた。


 三日月のような“へこみ”が、槌の表面に横向きに現れ、さらにもうひとつ線対象に描かれていく。

 さながら、猛獣が噛んだ跡のように。

 見えざる力が徐々に槌を、猪吹を、呑みこもうとしている。


 と、不意に均衡が崩れ、両者がそれぞれ後ろに飛びのく。

 先に間合いを取ったのは、意外にも愛中の方からであったようだ。


「まいったなあ」


 左手をぶらりと垂らして息をつき、半身に構え直しながら愛中は言葉を継ぐ。


「そう芯が通ってちゃあ、砕けないや」


 今度は猪吹の方が応じずに、しかし愛中をきっちりと見据えていた。槌の表層に付けられた『噛み跡』は消えていたが、その先端はいつのまにか球形に変化していた。再び場は膠着したが、先ほどより間合いは狭い。


 これもまたわざとなのだろうか、愛中が自分の左腕の方へと目を逸らす。

 それから右手でジャージごと手首を掴み、ゆっくりと、腕まくりをした。

 真崎の作った光源にしらじらと照らされ、肌色が照り返る。

 しかし誘いに違いないその動作は看過され、結果としてともかく、愛中の左腕が露わになった。それから愛中が構え直し、ひと呼吸をゆっくりとつく。

 なおも猪吹は、じっと沈黙を守っていた。ほんの十秒ほどが、流れの滞った大地に落ちた。

 さっきの今でか、愛中はことさら誘わず、猪吹はやはり容易には動かない―――と思ったその時。

 

 猪吹が、地面を蹴った。

 武器を持つ両手の位置は低く、今度は槌を振り上げての攻撃かと思われたが、その予想はすぐに裏切られた。

 両手を同時にぱっと開き、武器をその場に捨てたのだ。

 いささか面食らった様子の愛中に向かい、捨てた武器を跨いで猪吹が迫る。


「なっ……!」 


 愛中は左手を掲げ、何はなくとも防御の構えを取るが、さらに猪吹が転じた。

 愛中の眼前3メートルで突然急停止して、すぐさま右腕を内側に振り切る。


「――――ッ!」


 彼の食いしばるような声ならぬ声と共に、ジャリリリリッと石を擦るような音がして――――


 次の瞬間には、猪吹の『手甲』の先端が無くなっていた。

 破れた内側は暗いが、ちらちらと右手の指先が見え隠れしている。

 では、無くなった部分はどこへ行ったのか? ……その答えはすぐに分かった。

 愛中が左手を掲げたまま、肩を上下させて息をしている。

 その掌の先にテニスボール大の土塊が浮かび、しゅるしゅると風切音を鳴らして空転していた。


 “猪吹が不意を打って手甲の一部を切り離し、愛中に向けて投擲を試みた”。

 彼女がその過程を正確に理解できたかはともかく、しかし結果として弾丸は左手に収まった。そして猪吹の動きは硬直したように止まっており、もはや武器はなく、間合いはごく近い。


 奇襲は失敗――――少なくとも、そうは考えられたのだろう。

 愛中は迷わなかった。

 沈黙した猪吹に引導を渡すべく、今度は自分から迫る。反応が出来ないうちに、まっすぐに背中を取ってしまえばそれで終わりなのだ。

 力なく、猪吹が揺らいだ。こうべを垂れたまま後ろに下がり、がくりと膝を曲げる。

 先ほどの一撃を放って力尽きたのか、あるいは失策による失意からか。だが、愛中が手を緩める理由はない。


 猪吹はなおも力なく、しかしゆっくりと顔をもたげた。

 ――――にやりと、小憎たらしく笑った顔を。


「!」


 彼の身体の陰になった左手の先に、先ほど捨てた槌の下端が握られていた。


「うおおおおおああああッ!」


 夜空を切り裂く気合いと共に、長い鈍器が低い軌道で振り上げられる。

 同時にもうもうと砂煙が巻き上がり、辺りの視界を覆いつくした。


 …………。

 ……が、槌は当たらなかった。

 振り切りはしたが、片手ということもあってか、明らかに先の一撃よりも速度が落ちていたのだ。愛中は襲いかかる武器を飛び跳ねて回避するだけの余裕があって――――つまりはそれでお終いだった。

 

 猪吹は両膝をつき、その途端に手甲がぼろぼろと崩れた。

 それは能力が解除された証拠であった。


「…………ふう……」 


 安堵からであろう溜息をついて、愛中が再び歩み寄っていく。


「まったく。驚かされっぱなしだね、ほんと冷や冷やした」

「…………ああー。や、参りましたよ……。もう能力は打ち止め、す……」


 息も絶え絶えといった様子で、猪吹が言った。

 それから背中を見せるように頭を垂れると、後頭部越しに砂でくすんだ緑色のシールが見えた。


「それじゃ、私の勝ち……」


 衝撃が来た。

 シールに触れるべく屈んだ愛中の背面に、何かが激突した。

 予期しない一撃に体が揺れ、そのまま前のめりに倒れる。

 なんとか片腕はついたが、しかしもう一度、背中にコツンと何かが当たる。

 気付けば目の前にいた猪吹が消えていて――――声だけが聞こえた。


「…………残念。俺の勝ち、です」


 愛中の後方から猪吹が小さく言い、そしてその背から手を離した。

 砂でくすんだシールに薄く手形が残り、それから音もなく、ひらりと剥がれ落ちた。


「……それまで。……勝者、猪吹隣人」

 

 宣言を聞いて、愛中はきょとんと目を瞬かせたが、地面の『それ』を見ると理解したように目を閉じ、息を吐いた。


「……なるほどねえ……。はー、完全に負けたよ」


 そこに、先ほど猪吹が振りあげた武器が転がっていた。

 “先端”だけが、無くなった状態で。


 先端の球部分だけを切り離して打ち上げ、時間差で落下させての攻撃――――。

 もちろん傍目には瞭然であったが、奇襲の連続と巻き上げた砂煙とで、当事者が気付くのは困難というものだろう。

 猪吹の策が一手上回るような形で、とにかくこの一戦は幕を閉じた。



「愛中ちゃん、どう?ケガはない?」


 メイが近付きしゃがみこんで、心配そうに顔を寄せる。


「ええ、大丈夫です」


愛中は事もなげにすっくと立ち上がった。


「びっくりはしましたが、痛くは無かったです」

「一応『粘土化』した土とはいえ…すみませんでした。何より、頭に当たらなくて良かった」


 猪吹が珍しく、深々と頭を下げた。訓練は軽度の怪我も織り込み済みとはいえ、極力避けたいところではあるのは確かだ。愛中の返答に、自分も内々に胸をなでおろしつつ、二人に歩み寄った。


「いやはや、何と言おうか……見ごたえのある対戦だった。二人とも、お疲れさん」

「……あー、ども」

「いえ、恐縮です、先輩方の前でお目汚しを……すみません」


 褒められたそれぞれが照れるように目を逸らし、その様子を見てメイがころころと笑った。


- - - - -



「……それで、だ。結局どういうものなんだろうな、あいつの能力は」


 訓練を終えての帰り道、時刻は午後九時を回った頃。

 すっかり夜になった表坂を登りながら、傍らのメイに聞いてみる。

 行きと同じように彼女は自転車を押していたが、カゴには手提げバッグにかえてコンビニの袋が入っている。当のバッグはこちらで二つともを肩に提げているのだが、さしたる重さではなかった。

 メイは別段こちらを向くこともなく、歩きながら問いに答える。


「んー、アイちゃんのこと?まあ見ての通り、念動力ってやつだよね」

「それはまあ分かるが」

「イブキ君と違うところは、対象を取らないタイプだっていうことだろうね。極端な話、土が無ければイブキ君は何もできないんだもの」

「手厳しいもんだ。しかしまあ、残念ながらそうだな」


 能力が一人一つと決まっているわけではないが、天が二物を与えないのと同じく、才覚も多岐に渡って花開くことはまずない。『土を操る念動力』と自覚しているからこそ、あれだけの柔軟さと自信を持った戦いが出来るのだろう。


「……アイちゃんの能力範囲は空間にあって、それも相対的な座標で発生してる。左手の前だけ、だね」

「その分、効果は高いってか」 

 

 三日月形に噛まれた槌が脳裏に浮かぶ。


「うんうん」 


メイは満足そうに肯いた。


「まあ細かいことは分かんないや、本人としてもそうだったみたいだし。…でも個人的には、アイちゃんにはかなり期待してるんだー。まだまだ伸び代があると思うし」

「へえ、そうかよ。なんだ、先輩らしい意見だな」


 そう返してやると、メイが足を止めた。

 ハンドルにもたれかかって腕に顔をうずめ、首だけでこちらを振り返る。


「ね、シンゴ」

「何だ」

「シンゴも、“先輩らしい”んじゃない?そう思うよ」

「まあ、そうかもな」


 足を止めずに、彼女の脇を通り抜ける。

 メイは動かないままでいたが、やがて、背中に向かって声を投げた。


「超能力なんて、使えないくせにさ」


 他の人間が聞けばそれは、例えば罵るように聞こえたかも知れないが、彼女の声に悪意の棘は無かった。

 腕に隠れた口元は、くぼむように笑みの形を作っているのだろう。


「ああ、そうだな。お前と同じ、一般人だ」


 振り向いて、彼女に笑い返した。


「さっさと帰って飯にするか。動いてもねえのに腹が減っちまった」

「うん!じゃ、早く帰ろっかー」


 メイが元気にそう言って、小走りに自転車を押して追いついてきた。



 超能力者たちの先輩として付き添いを始めて、もう二か月が過ぎただろうか。

 しかし少なくとも今までは、日々は大事なく当たり前のように流れている。


 目ざましく、それでいて淡々とした日常。

 俺とメイが選び取ったのは、そういう理想だった。



- - - - -


    <00> 少年少女の遊戯 /了


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