<09> 希望は誰かの手で掴め (前)
桐代が声を張り上げている。
「よーし集まったなー。地図持ったかー。じゃあ説明始めるぞー」
御旗岳裏坂の山頂側入り口には、普段なら人気はかけらもない。
しかし今日に限っては、二十人近い人の群れがうごめき、ざわついていた。
「今日やってもらうのは他でもない、“オリエンテーリング”だ」
「山とかの中を歩き回るアレですか」
「そうだ。場所はまァ言うまでもなく、目の前にある御旗岳の裏手になる。ただし、点数を競ってもらう」
「どうやって? 点数の基準は?」
「山中に10個のターゲットを設置してある。ターゲットにはキーワードが書いてあって、それによって点数が変わる。一番高い3点が3個、2点と1点も3個ずつで、残る一個はハズレで0点だ」
「じゃあ最高で、えーっと、18点?」
「そうなるね……と言いたいところだけど、もうひとつルールがある。『誰が一番点数を取れそうかそれぞれに開始前に予想してもらう』、というのがね」
「えー? ……なんで?」
「自分が取った点数が、予想した人物の順位に応じて倍加される。1位なら3倍、2位なら2倍、3位なら1倍……そのままだな。で、それ以下ならゼロだ」
「……つまりどれだけ頑張っても、予想が当たらないと水の泡だと?」
「イエス。もっとも、自分に賭けるのも全く構わない。逆に賭けた相手を支援することで労せず大逆転もできなくはない」
「他力本願って事ですか」
「人間観察が肝要、ってことだよォ。……あー、あともうひとつ。スタート地点に戻ってキーワードを川藤に言うまでは点数にならないから。時間切れを起こしたらそれまでだね」
「で、制限時間は?」
「9時開始で制限時間は3時間、リミットは12時ちょうど。大体そんなとこだね。あとは渡したプリントに書いてるから、それ見れ。以上ー」
説明を終えた桐代はすたすたと横に退き、交代に川藤が正面に出てきた。
「とまあ、説明された通りだ。誰が一位かという『予想』は、9時になる前に俺に言ってくれ。今日参加しているのはクラスC以下15人、康峰・鑑・美濃川・上幌坂・松笠が休みだが、打川と狩野が特別に参加する」
「はあーい」
「あー……どうもー……」
内容を説明された当初は、まあだらだら見張ってりゃいいだろう、と思っていたがこの有様だ。
まあ参加させられるにしても、のんびり散策して帰ってくればいいか。
「それじゃあ9時まで休憩なりトイレ行っとくなり自由にしとけー」
ぱん、と川藤が手を叩き、ひとまずは束の間の解散となった。
「……やれやれ、日曜の昼から何事かと思ったら……」
「いいんじゃないのー、バトルロイヤルとかマラソンとかじゃなかっただけ」
「労力がどうってより、時間拘束されるのが面倒だ。ボーナス出してくんないかな」
「んー、結構ケチだからね上の方も。成功報酬に期待したら?」
「あれか。って言っても、勝たないと貰えないんだろ……特別参加の俺たちが万が一勝ったらしらけるだろう」
貰ったプリントによると、優勝者には『欲しいもの』が後日授与されるという。
一昨日に星倉が聞いてきたのは、どうやらこれだったらしい。事前に全員に聞いてあるらしいが、メイはいつの間に回答したのだろう。
「よう、お二人さん」
手が空いたのか、川藤が話しかけてきた。普段まとっているスーツではなく、黒のスポーツウェア上下を着ている。
「ああどうも、川藤さん。お疲れ様です」
「全くだよ。昨日から会場準備で動いて、そこのテーブルまで車で運ばされた」
まったくいつ置いたのか、下山口の脇に折りたたみテーブルとパイプ椅子がセットされている。
テーブル上には予備の地図やバインダー、資料などが整理されて並んでいた。
「カワさん、今回の立会人って二人だけ?」
「いや、他の連中はコースでスタンバってるはずだ。真崎とか、星倉とかだな。とはいえこっそり見張る役割だから、ターゲットよか見つからねえと思うが」
「今回の訓練の立案は、やっぱり……?」
「ああ、桐代だよ。大人数が絡むときはいつもそうだな」
「ちゃんと理由があって行われてる訓練なんですかね…」
「ま、最低でも能力者同士の交流になりゃいいんじゃないか。……ところで、お前ら誰に賭けるんだ?」
聞かれて横を向くと、同様にこちらを見たメイと目が合った。
「さっきも話してたけど、俺たちが本気になってもね……」
「まあそう言わず、予想するだけしとけよ。ギャンブルでもするつもりでよ」
「あ、じゃあカワさん、いい?」
メイが手を挙げて、川藤の耳元に口を寄せる。
中腰で聞いていた彼は、「ほうほう」とにやつきながら指で顎を撫でた。
「なるほどな、なかなか面白い。打川は?」
「うーん……今回、もちろん能力も使えるんでしたよね?」
「ああ。ただし過剰な直接攻撃は禁止だ、減点になる。ま、殴ったり蹴ったり引っ張ったりすんなってことだな」
「じゃあ……」
ある能力者の名前をささやくと、川藤はメイの時と同じような表情でうなずいた。
「ほお、そうくるか」
「過度な期待はしませんが、妥当な辺りだと思いますね」
「えー、誰だろ。気になるなあ」
「そいつは結果発表の時のお楽しみだな。……っと、仕事仕事」
訓練生が何人か手を挙げて近付いて来たので、川藤が『予想』を承るべくそちらに向かった。
「やる気の程はどうなんだろうな、中学生諸君は」
「やっぱり欲しいもの次第じゃないかなー」
ヘッドフォンぐらいでは本気になれないな、と自分を省みて思う。
メイの様子を見ても、きっと大した希望を申告したわけではないのだろう。
……しかし今時の中学生ってのは、いったい何を欲しがるのだろうか?
- - - - -
「……んじゃ、スタートぉー」
気の抜けた桐代の掛け声で、午前9時ちょうどにオリエンテーリングが幕を開けた。
なぜテンションが下がっているかというと、ピストルを鳴らして開始合図をかけようとするのを川藤と俺が止めたからである。
近所迷惑になるからという理由なので、代案として出たホイッスルも却下されてしまいご機嫌斜めというわけだ。
「さて、どこから行くか……」
さほど大きくないB5版の地図を広げる。
裏手の坂におけるコースは三つある。
1つは以前から利用している、アスファルトで舗装された坂。
もう1つはその途中から分岐する未舗装の山道で、辿っていくと再び1つ目のコースに合流できる。
最後にもう1つ、入口からして違う山道が奥の方にあり、こちらは途中で行き止まりとなっている。
「高ポイントがありそうなのは……桐代さんの性格から言って3つ目だがな」
「そう思わせて裏をかいてるかもよー。とりあえずコース1を歩いて様子を見ようよ」
「そうだなあ……って、お前も一緒に行くのか?」
「えー、嫌かな?」
「協力が禁じられてるわけではないが……。得点が同じになるのはつまらなくないか」
「あー、確かにそうかも。んじゃ、コース2への分岐までってことでどう?」
「……まあその位なら。じゃ、ぼちぼち出発するか」
「おー」
すでに他の訓練生たちは出発した後だったが、特に焦りもせず歩き出した。
「最初に飛び出してったのがいたな……誰だあれ」
「んー、最初に走ってった子は見覚えなかったけど……イブキくんとアイちゃん、津島ちゃんあたりがそれに続いたね」
「そのあとで葉村と津島……弟の方が出遅れてたのは見たな。あとは大体マイペースにばらけたが」
まだらに陽の落ちる林の中を、辺りをゆっくり見回しながら歩く。
さすがにすぐターゲットがぶら下がってるとも思わないが、桐代ならそういう配置もやりかねない。
「最初の奴以外に知らない能力者っていたか?」
「背の高い子がいたんだけど、その子は見たことなかったなあ」
「枚垣か?」
「ううん、コータ君は知ってるから別の子。あとは顔は知ってるけど、能力知らない子とかはいる」
「へえ、誰だよ」
「リューカちゃん」
多分その名前を聞いた時、ものすごく嫌そうな顔をしたと思う。
それを見てか、メイは口を開けたまま不思議そうにしていた。
「……どしたの?」
「いや、まあ……あの能力?というか、あいつはちょっとな……」
「ええ何それえ、気になるなあ」
「あいつはな……」
と、その時。まったく予期しないところから声がした。
『……え、えー。マイクテスト、マイクテスト。……あ、そっか、マイクじゃないか……ええっとー』
聞き覚えと可愛気のある声が、どこからともなく……いや。
持っている“地図”から、聞こえて来た。
『驚かせたらすみませんでした、C-20の桜嶋唯音です。今大会のアナウンスを能力で担当します、どうぞよろしく』
「ああ、なるほど……『リフレイン』かよ」
「すごいね、全部の地図を対象に再生してるんだ。遠距離で使えるのは知ってたけど」
送信は出来ても受信は出来ないので、通信ではなくアナウンスというのは言い得て妙ではある。
さらに、地図からの音声は続く。
『こちらでは現在の順位などを定期的に発表していきたいと思います。当然というか現在は全員0点のままですね。……ええと、それですみませんけど、私だけ特例的に最初から9点を貰ってまして、これは賭けでの最終的な倍率変動以外では増えも減りもしません。優勝を目指す場合の得点もその辺りが基準になるかと思いますね。とりあえず私からは以上です。それではまた、何かあったらお伝えしますね。ではー……』
長台詞を読み終えて、それきり地図は沈黙した。実は途中の滑舌がやや怪しかったが、まあ内容は聞き取れたし問題はないだろう。
「なるほど、勝ちたきゃ9点は取れってことか。桜嶋の賭けが外れたらその限りでもないがな」
「案外そのままイオンちゃんが勝ったりしてね」
再び静寂の戻った林間を歩き出し、時おりぽつぽつと雑談を交えながら道を下って行った。
散策には快適な涼しさもあって、足取りは遅かったが。
- - - - -
第一能力者、発見。
『彼』は立ち止まっており、ゆっくりと目線を上方にめぐらせて木々を見ていた。
「よう、枚垣か」
「……先輩方」
こちらを認めると、目を閉じるように朴訥な感じの礼をひとつ寄こした。
「何してんだ。ターゲットは見つかったかい」
「いえ。体力に自信が無いので、諦めました」
「早いな……そういうのも自由だしいいけどさ」
「ゆっくり歩いてると気分は良いです。いい場所だと思います」
「そうだな。夏が来るとそうも言えないんだが、今日は絶好の加減だ」
「そうですか」
それきりまた目を上げて、緑濃い山林を眺める時間に戻ったようだった。
邪魔をするのも悪いので、後ろを通り過ぎて先へと進んでいった。
- - - - -
しばらく歩くと、風が出てきた。
気配のなかったところからびゅうびゅうと突風が吹き、辺りの葉が一斉にざわめく。
「わ」とメイが前髪を押さえたが、すぐに風は止んだ。
……と思いきや、第二波がすぐにやってきた。それも、先ほどと同じような強さで。
「ああ……あいつか」
「だね」
少し進んでカーブを曲がった先に、予想通りの人物がいた。
風の能力者・葉村砂月と、ついでにお付きの津島多々史である。
「こら、葉村」
「む。……打川方(がた)かえ、奇遇にあらん。して、何か」
扇子で照準を定めているらしい葉村が、振り向かずに返事をする。
「なんで風を出してんだ。使うなとは言わんがよ」
「ほら、あれですよ」
傍らの津島が一本の木を指差す。その端の方に白い物体が隠れて見えた。
遠くて何なのかは分からないが、人工物のような感じはする。
「あれがターゲットか」
「ええ、でもここからでは見えないでしょう」
「まあな」
「そう何度も言ってるんですが、こいつが聞かなくて……。意地でもここから見ようとして、ついには能力を使い始めて……」
「何だそりゃ……頑固者なのは知ってたが、やれやれだな」
「まったくです」
さすがにその辺りでむっと来たのか、葉村が照準修正をやめてこちらを見た。
「何か文句を言わんとするはそこもとかえ」
「あまり賢い方法でもないだろう。第一キーワードが読めんだろ。あと標準語で話せ」
「む……そうとも考えられるが……」
「まあいい、ここでジタバタしてる隙に俺が読んでくるから。じゃあなー」
挑発するように手を振って通り過ぎようとすると、例によって葉村が釣られた。
「ぐ……先を越されてたまるかっ! 行くよ、多々史!」
「はいはい……じゃあこれで。失礼しますね」
津島の手を強引に取って葉村が走り出し、その津島は慣れたように会釈して去って行った。
「あしらいに慣れてんのか無いのか分からんな、津島は」
「そういうとこはシンゴに似てるかもね」
「……そうか?」
「うん、ほっとくようで構ってくれるあたりがそっくり」
きっとなんとなく言っただけであろうメイの言葉が、その時やけに印象に残った。
……残ったのだが、まったく束の間のことだった。
坂の下方からバリバリバリ、と鋭い音が響き渡ったためだ。
――――おそらくは、何かが盛大に壊れる音が。