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<08> 同行ヒトリ (前)

 予定になかった食材まで買ってしまった。


 スーパーマーケットから出たのは午後5時半を過ぎた頃だろうか。夏は近く日も高く、さほど辺りは暗くない。雲は出ているが雨の気配は遠く、群れるように集まった雲の縁からは夕暮れが溢れていた。


 ……だいぶ、落ち着いた。


 先程までは訓練を実施していたのだが、俺は始終冷静さを欠いた状態のままだった。自分のみならず、鉄面皮を以って知られる真崎さえ訓練の過程で顔をしかめたほどの実施内容だった。

 じゃあ内容が失敗だったのかというとそうでもない。むしろ目に見えて成功だったと思う。

 しかし何というか、訓練生で差をつけては駄目なのだろうが、正直“彼女”との訓練は参加したくない。その旨をぽつりと真崎にこぼしたところ、「俺もだ」と率直に言われたぐらいだ。


 とにかくその事は忘れたい。

 黄緑色のエコバッグを自転車カゴにぐいと詰めて、スーパーの敷地の外まで自転車を押す。時間帯もあってか車の出入りが多く、周囲に気を配りながら道路まで出た。

 座ってペダルをこぐ気力がいまいち湧かないので、やや前傾するような姿勢でそのまま自転車を押しながら歩く。金曜日の国道を行き交う車は、休日へいち早く到達せんとして急いで帰っているように思えた。



(…………)


 頂上に自宅のある御旗岳台地への“登山道”は表裏2つあるが、車が通れるのは表側だけである。スーパーと登山口は同じ並びにあり、途中で道を横断する必要さえない近場だ。大体の買い物は、ここか中腹のコンビニで済んでしまう。中腹地域の集合団地に住む家庭も、晩御飯の材料はここで揃えることになるだろう。そのあおりで駅前商店街から鮮魚店や青果店が消えたのも十年ほど昔のことだろうか。


(…………)


 国道沿いには住宅は少ないが、歯医者や小児科、整骨院などが飛び飛びながら集まって建っている。施設はそれくらいで、あとは広大な田畑とそこへ折れ入る農道が伸びるばかりである。


 辺りを見ても、今日は歩く人の姿もない。

 疾走する車の音の合間に、かすかな虫の声がちりちりと耳をなでた。 


(………………)


 信号に差しかかる。青ランプの横にかかる白い表示板に、青文字で『御旗岳入口』と交差点名が表記されている。

 とはいえ渡る必要はなく、このまま右に折れて坂を登り続けるだけだ。

 坂道アシスト付きの電気自転車ならともかく、中学入学時に買った安物のチャリではクライミングは無謀であるため、ここからも乗車はしないままである。ひたすら登るのにも慣れた。下る時は楽なのだから、気分的に損得差し引きゼロだと思うようにしている。


 …………。

 ………………。


(……まだなのか?)

 

 まだ、後ろに気配があった。

 先ほどスーパーを出た時からずっと、足音が一つ付いてきている。


 とはいえ、ただ同じ方面に向かっているだけなら茶飯事だろう。

 しかしさっきの信号を渡らなかったとすると、中腹団地の人間ではない可能性が高い。今登っている歩道は台地の最も外側を回るものであり、ただ風景が見えるだけで建造物は一切隣接しない。

 こちら側の歩道をわざわざ登るメリットは薄い。


 車通りの切れ目を見て、途中で横断するつもりなのだろうか……しかし先程やり過ごした信号は、青になったばかりだったはずだ。その時にさっさと渡れば良かっただろう。


 考え過ぎか、他の可能性を見落としているだけか。違和感は覚えていたが、こちらは歩調を緩めてはいない。むしろわずかに早足をして、遠ざかるようにしていた。



 ……とっ、とっ、とっ……

 ……地面を軽く突くような足音。


 数分ほど登ったが今も、それは依然として続いている。

 ややもせず、中腹が見えてきた。

 団地方面への入り口もこの平坦地帯に出てすぐにある。

 ……きっとそこで曲がってくれるのだろう。


 ……とっ、とっ、とっ……

 ……とっ、とっ、とっ……


 しかし、団地口が見えなくなるまで歩いてもなお、足音はやまなかった。

 自分以外の山頂の人間というのは考えられない。自宅以外の四軒は自家用車を持っているし、そもそも成人男性の一人住まいか別荘しかないのだ。

 各人の体格を思い返しても、まずこういう小さな足音は出まい。メイは家から勝手に出たりはしないし、こっそりつけ回すような悪趣味な悪戯もしない。



 一計を案じて、その場に立ち止まる。

 ポケットから携帯を取り出して、メール着信をチェックした。こうしてわずかに時間を潰しているうちに、先に行かせてしまえばいい。新着メールは書店からのメールマガジンだけであったが、普段流し読むそれをじっくりと読みふけった。


 …………。

 …………横を通る者は現れない。


 それどころか、足音が止んでいた。

 知らぬ間に居なくなったのか、いや、そんなことは考えにくい。


 周囲には音を発するものはなく、静まり返っている。 

 

 針葉樹の群だけが道路脇にのっそりと突き立っていて、闇がかった濃緑の陰影を抱えていた。夕日はいつ覆われたのか。今いるここには街灯もなく、携帯画面の明かりだけが際立つばかりだった。


 こうなればもう、気になって仕方がない。


 ……意を決し、振り向くと。

 ――――目の前に、そいつが立っていた。


 「!! うわっ!」


 心臓が跳ね上がった。

 勢いで飛び退こうにも自転車が邪魔になり、ガシャリと足をぶつけてしまう。


 数十センチと離れていないまったくの直近に、少女の顔面があったのだ。


「…………」


 少女はぴくりとも動じず、瞬きもせず大きな目をみはっていた。

 その口端は微笑するように歪んでいる。濃い黒髪のストレートヘアで、前髪の先で眉が隠されていてちょうど見えない。

 瑕疵も不足もなく綺麗な容姿ではあるのだが、それ故にどこか空恐ろしい。


 それと、あまり見ない制服を着ていた。この暗色のブレザーは確か、御旗岳からは3駅程も遠い尾岐女子高校のものである。

 なぜこんなところに、こんな時間に居るのだろうか。


「……な、何か?」


 ようやくそれだけ言うと、彼女はゆっくりと口を開いた。


「やっと見てくれた」


 はっきりした声だが、妙に早口で平板な調子だった。


「俺に用があるのか?」

「あたしは君にしか用事はないの」

「それで、どういった件で」

「君に興味があるからついてきちゃったのだけれど」

「……え? ……何が?」


 分からぬままにそう聞くと、彼女の目尻が垂れるように和らぎ……同時にぐっと目が細められた。



「あたしが出逢った君は一目惚れって信じる人かな」



 ……不可解な言葉と表情が、彼女から発された。


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