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<07> 歪んだ透明な壁 (後)

「……本かい。本棚は左の奥まった方だ、大して数はねどもな。いま電気っこつける、待ちよ」


 右手で壁をさぐり、婆さんがパチリとスイッチを切り替える。

 照明の点く前から歩き出していたメイは、すいすいと奥の方へと消えていった。


「あっちの子、あんたのなんね。妹さんかい」

「……父方の親戚です」


 とっさにそう口をついて出たが、わりと手ごろで扱いやすい嘘だとは思った。家に居ても外を歩いていても、そう言えば一応の不自然さは消える。


 メイが歩いた道を追いたどって、奥へと進む。板の張られた床は造作がしっかりしていて軋む様子もなく、踏むたびにこんこんと小気味よく音が跳ね返る。

 口をわずかに開けて、メイは本棚を見上げていた。 


「すごいな……背表紙からして読めん」


 本棚を上から順に目で追っていくが、外国語で書かれた年代物の洋書ばかりが並んでいる。ハードカバーのものが多く、書物の表面はシミによって歴史を刻まれていた。ざっと途中を飛ばして下段にかかると、やっと読めそうな漢字が並んでいたが―――それは中国語だった。


「で、何ていう本を探してるんだ?」

「…………」


 聞けどもメイは答えず、自分がそうしたように目玉を動かして背表紙を追っている。……読めるのだろうか。父の蔵書にも出自が各国からなる専門書は存在しているが、メイがそれを読む姿というのは見たことがない。


「どうね。みなボロボロの紙束だろや、価値はねえど思っけど」


 横から婆さんがそう声を掛けてきたが、並みならぬ古さから見るに、しかるべきところに持っていけば高値がつきそうな気もする。


「……こちらの本は、お客さんから買い取って集めたものなのでしょうか?」


 あくまで本棚に目を凝らし続けながら、メイが丁寧に尋ねる。


「いんや、じいさんの趣味だ。売りも買いもしてねども、棚が余ったでな」

「洋書はこちらにあるものだけですか」

「うん、んだね。じいさんは珍しいのぁ集めでも、読みもしねえもの。コレクショ、いう奴だの」

「それって、今も集め続けてます?」

「何年か前に腰をやったで、よう動かんも。もう増えたりはさねえべ」

「そうですか……」


 思い出したようにぱっと頭を下げて礼をしたのち、メイは自分と婆さんの間を抜けて、中央の通路を歩いていった。

 良くは分からないが、話からするに目的のものはなかったと見える。そうとなれば、もう用は無くなってしまったのだろう。メイに用事がないものを、付き添いの俺が長いをするわけにも行くまい。


 棚を見ながら入口へ戻ろうとする途中、あるものが目に入って、聞いてみた。


「急に来て帰るだけってのも何ですし、これ貰えますか」


 蛍石のそれにも似た、透き通る薄緑色の散りばめられた石の塊。ごつごつした鉛色の岩で周囲を固められているそれを、三つ指で持ち手に取る。


 実はここに入ったときから目について、気になってはいたのだ。値札らしい小さなシールには700円と書かれていたが、自分には決して高いとは思えなかった。気に入ったものは欲しいし、機を逸したくはない。


「おお、買ってくれっかいね。せっかくだあね、五百円でええよお」

「あいにく小銭はないので、これで。釣りも手間ですし、とっといてください」

 

 千円札を一枚出して手渡す。あるいは断られるかとも思ったが、何も言わずうなずき受け取ってくれた。


「じゃあ、失礼しました」

「やあ、なんもだ。最近は若いもんが多くて賑やかだでの。気にせんとまた来お」


 婆さんは満面のしわを揺すって首を縦に振り、愉快そうに笑った。



 石をポケットにしまって店を出ると、メイが壁にもたれて空を見ていた。


「ごめんね、付き合わせて」

「まあ、読みたいのが無いのは仕方ないだろう。何が読みたいかは知らんがよ」

「そうだね……簡単には見つからないとは思うけど」


 それとなく探ってはみているが、やはり書名は言いたがらない。

 話せないことであるにしても、何故話せないのかという点の見当がつかなかった。


「……ね、次は山久書店に行こうよ。そんな遠くないし」

「また本かよ、好きだな本当に」

「うん。やっぱり私、読書はすごい好きみたい」

「そうか」


 確認するような口調が気にかかったが、追及は控えた。お探しの本にしても自分にあるのは興味だけで、深く干渉する気はなかったからだ。

 時おり気付かされるように、メイとの間には隔たりがある。

 それでも今はとりあえず、その距離を保てればいいと思っていた。

 


- - - - -



 国道同士が交差する、この辺りで一番車通りの多い十字路。

 横断歩道の代わりに地下道が斜め十字に走っているため、歩行者はそこを経由して逆側へと渡る。


 地上に戻ってから数分ほど歩くと、山久書店の青い看板が目に入った。

 最寄りの店はこの御旗五堂店だが、駅近いビルにも一軒、同じ尾岐市内の逆方向にも一軒があり、そう遠くない。駅前の商店街に普通の書店がなかったのは、このチェーン店の躍進によるところが大きいのだろう。


 ほどよくエアコンの効いた店内に入ると、中では学校帰りらしい制服姿が多く見られた。立ち読みをする子、漫画新刊の前で雑談をして笑う子。休憩スペースでくつろいでるような姿も見受けられた。


「各自で自由に見るなり探すなりして、終わったら入口集合でいいか?」

「えー、たまの機会なんだし、最後まで付き合ってよお」

「……まあいいか、分かった分かった。じゃあ見て回るか」

「はあい、よろしいっ」


 先ほどは表情にこそ出ないが落ち込んでいた風ではあったので、まぶしげに笑顔を振りまく様子にはともかく安心を覚えた。


 まず新書コーナーをざっと眺め、次に平積みされたハードカバーの列を手早く見ていく。

 メイは作家で本を選ぶということは全くない。本を買う時もだいたいは「表紙買い」で、第一印象で決めてしまう。たとえ万人がこきおろすような質の悪い本に当たっても、彼女は大事そうに抱えて読みふける。作者冥利に尽きる読者の鑑とも言えるが、ただ手当たり次第の無造作といえばそうでもある。


「どうだ、お気に召すのはあったか」

「んー、ちょこちょこ。また後で一周するからその時かな」

「選別方法は面白いけど、変わってんなあ、お前は。次はどっち行くんだ?」

「じゃあ順路通り漫画の方行こっかー」

「順路って、観光名所かここは」


 まあ言わんとしていることは分かる、端から順に漁って行こうという腹なのだろう。

 立ち読みをしていた黒い学ラン姿の後ろを通り、棚の裏側へぐるりとヘアピン軌道で移る。


 と、そこに並ぶ青年漫画の単行本より先に、見慣れた制服が目に入った。

 ほんの3か月ほど前までは着ていた、御旗岳中学男子用の紺色基調のブレザーだ。

 懐かしみを覚えるというか、最近よく見たというか……


「あれ、狩野先輩に打川先輩。どうも……」


 何のことはない、顔も良く見ていた。御旗岳中1年、津島多々史がそこにいた。

 ついこの間に家を訪ねた後は訓練でも会う機会はなかったが、交流自体は他の能力者より多い。


「よう津島。オフで会うとは奇遇だな」

「そうですね。ヤマ高に行かれてるんでしたっけ。じゃあ外では会いにくいですね」

「ああ、そんな頭も良くなかったしな。陽ノ嶋(ひのしま)に行けるほどの努力もしてない」


 尾岐山高校、通称ヤマ高。“尾岐”の名を冠する高校は数多いため、そう言う略称がある。ちなみに陽ノ嶋というのは、御旗岳麓の国道沿いにある県内有数の進学校の名前である。


「それで今日はデ……お買い物ですか」

「……まあ付き添いでな。お前も?」

「ええ……普通に帰るつもりだったんですけど、途中で面倒なのに捕まっちゃって」


 というと、またぞろ葉村にでも連れ回されてるのだろうか。

 少し俺が考えた隙、会話の切れ目を見て、横からメイが加わろうとする。


「あーそうだ、帰ったら伝えといてくれる? お店見つかった、って。お願いね――――“津島くん”」


 …………? 何か伝言をしたようだが、違和感がある。

 そもそも津島の事をメイが呼ぶ時は、確か……。


「ああ……帰るまでもないですよ。その当人に連れ回されて来たので」


 メイの言うことを理解してなのか、斜め向くようにレジの方を顎で指した。

 すると丁度今しがた会計を終えたらしい“当人”が、両手に二つずつも重そうに紙袋を下げた状態でこちらに気付いた。


「あっ、メイちゃん先輩だあー! やーやー久しぶりです、元気してましたかあ」

「やっほ、“津島ちゃん”。聞くまでもなく元気そうで何よりだね」


 底抜けに明るい声で答えたその少女もまた、確かにメイに『津島』と呼ばれた。 


「……姉さんか」

「そうです、恥ずかしながら。残念なことに……」


 細く赤いフレームの眼鏡をかけた、毛先のくるりと跳ねたショートヘア。

 津島(弟)とはまったく好対照と言っていい、明るさとエネルギーで満ちた女の子だった。

 重そうに買った本の山を持ちながらこちらに近付き、紙袋を弟に押しつけた。


「ただふみー、はいこれ持ってー。んであれあれ?そっちの男性はどなた?」

「ああ……えっと」


 聞かれるままに訓練のことを話そうとして、あわてて口をつぐんだが、


「ああ大丈夫だよ、『同じ』だから」


 メイがそう言った。と、いうことは……。


「ああ関係者の人だね、どうもどうも。もしかして前に聞いた、メイちゃんの居候先の人かな? はじめまして、津島香利(つしまかおり)でーす。いま2年で多々史とは一つ違いなんだー」


 彼女は眼鏡の位置を直すように眉間の前、フレームの中央に人差し指を当てて言った。

 その時、彼女の眼鏡のレンズが両方とも――――どろりと溶けた。


 ぎょっとするが彼女は何食わぬ顔で、ゆっくりと指を離し前方に持っていく。

 するとフレームの下部分に引っ掛かってぐずついていた溶解物が、操られるように上部のフレームへと細く一本だけ伸びる。それから後を追うように何本も細いラインが上に向かって生えていき、じきに隙間なくフレーム同士をつないで……元の姿を取り戻した。


「うわあっはっはっ! びっくりした!? 良かった良かった! これ度が入ってないんだー、ファッション! あっはははははは!」


 何がそんなにおかしいのか、圧倒されてしまうテンションで彼女は腹を抱えて笑いまくっていた。


「通号は『グラス』。“ガラスを操る”念動系だね。クラスはDの……27番だったかな」

「そうそう、あはははは! やー面白いわー」


 笑い続ける津島姉こと香利はおいといて、メイが分かりやすい補足説明を加えた。


「もうやめてくれよ、姉ちゃん……ほら帰るよ。すみませんでした、打川先輩」

「いや……俺はいいが、お前も大変だな……」

「まあ家族ですし……普段はここまででもないんですが、今日は機嫌が良すぎるみたいで……じゃあまた」


 陽気な姉の背を袋ごと押すようにして、苦労性の弟は帰って行った。


「……似てない姉弟だなあ」

「いいんじゃない? 似てても得が無いんじゃないかな……家族なんて。さ、続き見てまわろっか」


 何事もなかったように踵を返し、メイは先ほどの順路に復帰した。



 ……メイは誰にも干渉しないし、何事をも気に掛けない。

 人付き合いは社交的に見えて、見ようによっては表面的でもあった。


 メイは家出少女だと自称していた。

 家を出たのも、彼女が家族と分かりあえなかったからだろうか。

 津島姉弟を見ていたメイの目は、いつになく冷めていた気がしてならない。



 彼女と自分の間には、溶けそうにない壁がある。

 ただ向こうが見えるだけの、透き通った、重苦しい隔壁が。




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    <07> 歪んだ透明な壁 /了


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