<06> 台地に眠るサンショウウオ (後)
……土を操る能力とはいえ、今回は地下での操作になるため表層には変化が現れない。
反応体と接触したのちは、念動力の操作により周囲の土ごと引き上げる段取りになっている。推測されるサイズとしても小さいものらしく、せいぜいアルミ缶ぐらいの大きさらしい。
ともかく進捗は、猪吹に口頭で尋ねるよりほか無さそうだ。
「どうだ」
「んー、見た通りの水気の多さですねえ……乾いてるよりはマシですが、力の浸透に時間はかかりそうかな。とりあえず5分下さい」
頭の所々で逆立った猪吹の癖っ毛が、ちりちりと揺れ動いている。
「リンドのそれってさぁ、どのくらい進行したか分かるもんなの?」
暇をもてあました様子の井房野が、緩慢に屈伸運動をしつつ猪吹に話しかける。
「具体的には無理だねえ、少なくとも今は。目測が取れないし様子も見えないし。でも進行方向は分かる」
「遠いほど操りにくいとかあるの? わたしのはそうなんだけど」
「そういうのは無いな。操ってる量が増えると、操作しにくくはなるけど。今回は最短距離で棒状に土を集めて進ませてるから、10mぐらいなら間に合うだろうなあ」
気楽に会話を交わしながら、両手の数メートル下、見えないところで猪吹は能力を操り続けている。口調に緊張もなく、今のところ作業は順調なようだ。
「そういやお前ら、親しいのか?」
訓練で猪吹と井房野が共に居るのを見るのは初めてであり、気になったので聞いてみる。
「何というかまあ、いわゆる腐れ縁というやつですよ」
「家も近かったしー、小学校は人少なくって1クラスだったからねぇ」
「あとはやっぱり……名前もありますかね」
「名前? 『隣人』と『転子』がどうかしたか」
「何言ってんですかぁ、名字の方だってば。『いぶき』と『いぶさの』で似てるし、出席番号順になると並んじゃうわけ」
「ああ、なるほどな」
「それでまあ、話す機会は多かったからかなぁ」
「趣味も話も合いませんけどね……」
「何よ、それこっちの台詞なんだけど。全っ然合わせる気がないのは誰だと思ってるのさぁ」
口調ほどの怒りはなく、からかうように井房野が返す。
「そうは言うけど、そもそも転子が……む」
話の途中で、何かに気付いたように猪吹が片眉を上げ、首を傾ける。
「どうした。……悪い知らせか」
「残念ながら、たぶん……」
一度言葉を切り、神経を研ぎ澄ますように手を見つめ、集中に入る。
数十秒ほど緊迫した表情で沈黙を続けたのち、猪吹が口を開く。
「……や、駄目ですね。これ以上進めないです。この先は……土じゃあない」
「なんだって? 何があるというんだ、地下水脈とかか?」
「それなら感覚で分かりますし、力の通った『土』なら水流の中でも問題無く進行できます。だからたぶん岩盤か……あるいは鉄板とか……? とにかく何か硬いもので一帯が覆われてるみたいな……」
「迂回する事は」
「試しましたが、どうしても周囲に土が無くて通りません。それに距離としては大分限界近いはずですし、直線方向以外に曲げると力が減衰します」
「なんだよぉリンド、さっきの威勢はフカシだってこと?」
「別に嘘は言ってねえよ……」
憮然としつつも、猪吹の語調はしぼんだように弱まっていた。
「……しばらくは維持できますけど……どうしますか、シンゴ先輩」
「ううむ……ハイできませんでしたー、っていうのも悔しいな……」
しかしながら地下10m地点に干渉する方法もない。
「地上にある岩を割る、とかならいいんだがな」
「……こっち見られても困るなぁ。わたしも役には立ちたいけど、ねえ」
『クラック』。
C-21・井房野転子の能力は、そのように号されている。
簡単に言うと、踏んだ部分や蹴った部分に“ヒビを入れる”能力である。
性質は『モデライズ』などに近く、どんな物質も壊せるが水や火を断つことは出来ない。
ヒビを伝うように伸ばすこともできるが、今のように水気が含まれた土では思うようにヒビを入れられないはずだ。
「地盤がこれだもの。泥にヒビは入んないよ」
「うーん、まるっきり土関係の能力者ってわけでもないものな」
「乾いた土地ならボロボロに出来るけどね」
「青山はー……まあ無理か」
「い、一応検討ぐらいしてくんないっスかね……まあ似たような理由で無理っスけど」
「あぁ、ちゃんと呼ばれて来てたんだ青山君。……勝手に調子こいてついてきたのかと……」
「んっ……!? いま井房野さん、何気にひどいこと言わなかったっスか」
「こいつは割とそんなもんだ、慣れろ。さあてどうすっかなあ…」
まあ仕方の無いことではあるか。
現状では打つ手なしと見て撤退の方向で考え始めたが――――それを青山が遮った。
「あ、ちょっと考えたんスけど……」
「ん? なんだ、言ってみろ」
「ええと、でも先に確認しないと。なあ隣人、能力で土をガチガチに固めることってできる?」
「え、あー、一応は。今やれって言われると維持が難しいかもだが、まあ一分ぐらいは」
「そっか。じゃ井房野さん、ヒビの射程ってどれくらい?」
「えーっと……規模にもよるけど直線なら最長50mは行ったかなぁ。って、まさか」
「うん。固めた土を伝ってヒビを伸ばせないかと思って。土に触れた状態でそのままヒビが伝われば……」
「……なるほどな、考えとしてはアリだ」
岩盤の一部さえ崩せれば、『土』を通して反応体を回収することは可能かもしれない。しかしながらその作業は視覚に頼れず、勘と経験でなんとかするしかないという難しさもある。
「どうする。できるか……いや、やるか?」
「……やってみるだけは」
「面白いとは思うねぇ。やろっか」
さほど迷わずに、二人は答えた。
「んー、けど……そうなると本気でやらないとねぇ。先輩、ちょっと。こっち来て」
「あん? ああ……」
呼ばれるままに井房野に近づく。と、急に肩をぐっと掴まれた。
右手を乗せて、こちらに寄りかかるように重心を預けてくる。
「これ、脱いじゃうからぁ。ちょっと支えてて、んっ……」
言いながら井房野は、小さめだったらしい右の長靴を窮屈そうに外し、それからソックスも脱いでしまった。何となしに彼女の足の甲を見ると、白い肌に静脈がうすく浮かんでいた。すると、靴下を長靴の中に入れていた彼女と目が合った。
「……あー、先輩ってばぁじろじろ見ちゃってぇー。んふふ、見物料取りますよ」
「アホ言ってんな、集中しろい」
結んだ口の端をくっと引くように、彼女は鼻だけで笑う。
俺に支えられたまま移動して、井房野は猪吹の前に立った。
「さ、やろっかぁ。いける?」
「経験はなくもないしな。転子こそどうなんだ」
「誰に言ってんの。障害なんてぶっ壊したげるからぁ、さっさと引き上げましょ?」
「ああ。……行くぞ、一発で決めろ」
通じ合うように目線を交わし、二人は同時にうなずいた。
「……せえ、のッ!」
ブシュッ! と水が噴き出すような音がして――――それから低い地鳴りを聞いた。土から水分を排出して、地中へ押し出す音が響いているのだ。
「よし、終わった! ……やれっ!」
「オッケぇっ!」
猪吹の両手の間。乾かされた土に向かって、井房野の素足がスタンプを押した。
ベキッ!と木材が割れるような鋭い音が、靄がかる朝の空に響き渡った。
それきり、二人とも動きを止めた。
どちらも眉間にしわを集めて両目を堅く閉じ、意識をそれぞれの能力に集中させている。
……長い時が経ったように思えたが、実際は十秒ほどのことだったのだろう。
不意に、視界がぶれた。衝撃が伝わってか、縦に地面が揺れたのである。
「リンッ!」
目を閉じたまま、井房野が短く叫んで猪吹に呼びかける。
「……残念。手応えは薄かったよ……」
力尽きるように彼女は、後ろに尻餅をついて脱力する。
「いい意味で、だけどねぇ。……割ってやったよ、ボロボロにね」
……そう言って、先ほど同じ笑顔を浮かべて、こちらを振り返った。
「……よし、捉えた。引き上げる!」
猪吹が目を開き、力を込め直すように両腕をぐっと曲げた。
声を挟む間もなく地面から土が湧き、球体状に輪郭を作って盛り上がる。
両手の間に現れたその中に、おそらく目標の物が包まれているはずだ。
「……う……」
「! おいっ、隣人!?」
安堵からか横向きに倒れそうになる猪吹を、慌てて青山が支えようとするが――バランスを崩しもろともに転げた。
「ははは……! まったく、しまんねえなあ……」
べっちゃりと泥のついた青山の顔を見て、頬を地につけたままおかしそうに猪吹が笑った。
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「……それで、これがその能力反応を持ってたっていう……?」
いぶかしむ様にメイが、庭の地面に置かれた“それ”を見つめる。
ミッションクリアとばかりに凱旋した我々を出迎えた彼女は、「んもーこんなに汚しちゃってー」と開口一番に寝ぼけながら言った。それから各自持参してきていた学生服に着替えさせるべく中学生組を家の中へ招き、井房野はバスルーム、男子二人は居間に通された。
庭にはメイと自分しかおらず、あとは『反応体』があるだけである。
「で、シンゴ。これって、何だと思ってる?」
「……まあ、岩じゃねえかな? 化石か?」
「にしたって半端だよねえ。トカゲかなあ、これ。しかも半分だけ……?」
「トカゲといえば尻尾切りだろうけど……にしては切るとこが違うな、真ん中からバッサリだ」
白いコンクリートのような石、石灰岩だろうか。その縁辺りから爬虫類、あるいは両生類の輪郭が片側半身だけ浮き彫りになっている……『反応体』はそういう物体だった。
「……超能力トカゲ?」
「まあ、否定もできんが。なんというか阿呆みたいな話だな」
ともかく危険な物には思えないが、あいにく価値も分からない。
そのうち立会人が来たときにでも引き取ってもらおう。
「はー、疲れた。んでシンゴ先輩、今何時ですかね」
「まったく、時計見るぐらい自分でしろ……まだ8時にもならんな。始業には間に合うだろ」
「そっスかー、じゃあのんびり行っても大丈夫っスかね」
「お待たせぇ、着替え終わったよー」
三人が丁度良く揃い、縁側に所狭しと集まった。
「みんなお疲れー、ごめんね行けなくて。運動着は洗ったげるから、帰りにでも取りに来てー」
「へぇーい」「どうもぉ」
「えーっと、俺のクラス今日体育あるんスけど……」
「ああもう、やれやれだな……俺のお古で良けりゃ貸してやるよ」
「わー。どうも、スンマセン」
賑やかにひとしきり会話を交わしてから、3人は並んで表坂から登校していった。
「やれやれ、若い連中は元気なこったな」
「もうシンゴってば、カワさんみたいなこと言ってる。……あれ、学校はいいの?」
「遅刻は免れられねえと思って、午前中は出席できないって高校にゃ連絡してある。あー、疲れた……昼まで寝るわ。十二時ちょうどに起こしてくれ」
「ういー。んじゃおやすみー」
朝っぱらからぬかるみを歩き回って、結局トカゲを引っ張り上げただけで終了。
一応すべきことは達成したのだが、あまり実働してない為かやりがいもなく、徒労感に近いものを覚えた。
壁を伝うように身体を手で支えながら、階段をぐったりと登り自室へと戻る。
ああ、なんというかまったく…。
泥のように、眠りたかった。
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<06> 台地に眠るサンショウウオ /了
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