<05> ファミリア・ブレイク (前)
給料日だ。
といっても、実は貰える日が決まっているわけではない。
月末が近付いた頃に、立会人の方からホイと渡されるうえ、内訳の明細も不明である。本部に問い合わせれば一応は分かるらしいが、前に簡単に計算したところ額自体は問題なかった。
時給は2000円と高額ではあるが、そもそも日給と時給がほぼ同義なのである。出勤日に1~2時間だけの仕事で今月の総労働時間がちょうど20時間、つまるところ手取りは月4万。交通費も雑費も計上されず、福利厚生はどこ吹く風、あと残業代も出ないのだろうが今のところ残業自体していない。
およそ小遣い稼ぎ以上にはならないが、学生にとっては割のいいバイトだろう。
もっとも『超能力開発のアルバイト』なんてのを実例を見せられつつ募集を掛けられたら、大金を払ってでもやりたい人は出てくるだろうとは思うが。
「……金額、確認しました。確かに頂きます」
「左に同じー。ありがとねえ、カワさん」
右隣に座るメイが、嬉しそうに封筒を手にして笑っている。彼女も労働時間は大体同じくらいで、金額はわずかな差である。まあ一万円ほど食費として頂いているので、俺より手取り金は落ちるのだが。
「もう2か月近くは経ったか。すっかり慣れたもんだな、お前らも」
向かいの席の正面に座る川藤が、水の入ったグラスの腹を爪の先で叩きながら言った。
居るのは川藤だけでなく、こちらから見て左隣りに真崎、右隣りには桐代と、主だった立会人が並んで座っている。
尾岐駅近くの複合ビルに店舗が入っているファミリーレストランは、まだ夕方ということもあって空いていた。窓からは駅前の往来が見下ろせるのだが、平日であるため賑わいは薄い。
「まあ、やることって言ったらボーッと訓練見ながらレポート書くぐらいですからね」
「今の内はな」
「……これからは忙しくなるんですか?」
「そうだな、あと一月もすれば。夏休みとなりゃお前にせよ訓練生にせよ、都合が付けやすいからな。長時間の訓練や遠出も出来そうだから、やれることの幅が広がる」
「時間はともかく……あんまり離れた場所だと困りますね。交通費出してくださいよ」
「ふむ、その時になったら考えるがな。最もしばらくは暇になるんだよ、テスト勉強とかあるだろお前ら」
「確かにそろそろ期末試験ですが。そういうのも考慮してくれてるんですか?」
「一応な。無理に休んだりして一般人に勘ぐられると面倒くせえしなあ」
話を続けてるのは自分と川藤ばかりで、メイはいつからか手にした携帯を操作しており、真崎は肘をつき瞬きもせず外を見ている。
桐代にいたっては、手元のクリームソーダとストローの殻をいじくるのに夢中である。夏のかかりだというのに相変わらず厚手のパーカー姿だが、今日は鮮やかな赤地で裾にグレーのラインが入ったものを着ていた。
「能力開発の全体的な進行としては、現状はどうなんですか?順調なんですかね」
「んー、そうだなあ……。それぞれ興味深いし、一部にはめざましい才覚が感じられるが――――まだまだってとこかな」
「へえ。特異性は皆が皆すさまじいと思いますけどねえ、性格含めて。そんなもんなんですか」
「ふ、今までお前さんが見たようなのは序の口だよ。もっと上位には“素質はあるけど事情があって後回し”ってやつも多いからな」
「まだ上があると? ……ま、話半分に期待しときます」
口ではそう応じて見たが、川藤の口調と性格からすると嘘は無さそうだ。
「……しかしだ、何にせよ慎重にやっていくのが一番だろう。扱いを間違えれば大惨事になりかねないからな」
「ええ。それは確かに……ねえ」
例えば知ってる能力だけでも、『クレイ』で生き埋めにされたり『トータル』で丸く小さく圧縮されたり、あるいはもっとシンプルに『モデライズ』で真っ二つにされかねない。一応“能力使用者の思考影響を受けるため、生物には効果が出ない”とは聞かされているが、例外的な事象が発生しないとは限らない。
そもそも使用者の意思に左右されるのなら。“殺意があれば有効化されかねない”という考え方もできる。
もっとも今まで見た中学生たちは素直な子ばかりだし、おおよそ温厚で血の気も多くないので、信頼はしているが。
ふと能力の話が聞かれていないかと周囲を見るが、他の客は遠めの席にしか見当たらず、店員の姿もない。注文した品が来るには、まだ時間がかかりそうだろうか。周りの3人は話に入ってこないようなので、喋りっぱなしではあるが、とりあえずは川藤との話を継続する。
「いい機会なんで、もっといろいろ聞いてもいいですかね?」
「まあ答えられる範囲でなら構わんがよ」
応じながら川藤は、水をくいっと一口呷った。
「じゃあまず……今現在、能力者って何人ぐらいいるんですか?」
「訓練生か? 御旗岳に限れば、そうだなあ……」
天井に視線を送るように見上げ、指を折ってしばらく数えるような仕草をしてから答える。
「二十人前後、だな。まだ参加していないがする予定の奴を入れると、三十人にもなるか」
「“御旗岳に限れば”……ということは、他の地域にも?」
「さあ、どうだかな。残念だが、答えてはやれんなあ」
年に似合わぬいたずらっぽい笑みを浮かべて、川藤が無精ヒゲをなでる。
「んー。それじゃ別の話を。今のところ、最高でもクラスCの能力者にしか会ったことはないんですが、クラスB以上の能力者とは訓練ではご一緒出来ないんですか?」
「クラスBなら私はあるよー、一回きりだけど」
携帯画面を見ていた顔を唐突に上げ、メイが口を挟んできた。
「え、俺は聞いてねえぞ」
「ふふん、言ってないもーん」
メイは口をひょっとこのように尖らせ、おどけた仕草でそっぽを向いて見せた。
「ほう、そうだったか。誰に会ったんだ?」との川藤からの問いに、
「えっとね、Bの12番……だったかな。アサイ君っていう子だよ」メイが知らない名を挙げる。
「ああ、阿斎かい」
「カワさん、ごぞんじ?」
「そりゃな、おおよその奴には会ってるよ。通号は『ホワイト』だったか。……とまあ打川、そういうこった。ちょっと順番が前後したぐらいの話で、おめえもすぐにクラスBに会うだろうさ」
「ふうむ……。で、やっぱりCとBでは、能力に開きが?」
「数値として明示されるもんではないが……やっぱりBの方が“特殊”なのが多い。性格や気性も含めてな」
そう言われると、先ほど考慮していた危険性の話が頭を再びよぎってしまうのだが。まあ、ちゃんとリミッターが掛かっていることを祈ろう。
「ね、私からも質問いいかな、カワさん」
「ああ、どうぞ」
「能力開発やってる組織ってさ、どんなふうに運営してるの?」
「……どんな風、というと?」
「ビル借りたりして場所用意して、時には人払いまでしてるから気になってさー。能力開発は非公式で認可もないものだって聞いたけど、けっこうなお金出てるよね。どうしてるの、その資金って?」
「…………」
ズバッと骨もろともとばかりに斬り込むようなメイの質問を受けて、川藤はたまらず黙ってしまった。が、これは自分も気になっていたところなので、あえてここはストップを掛けないことにしてみる。
そのまま川藤は沈黙をしばらく続けていたが、
「決まってんじゃん、金持ちがバックについてんだよ」
答えたのは、我関せずを決め込んでいたはずの桐代だった。手にはスプーンを持ち、半分ほどに削られて浮かぶアイスの残りを弄んでいる。言われて川藤がちらりと桐代を見た一瞬、その目の色にわずかな動揺が浮かんでいた。
「そういうのに興味を示す奴ってのはどこにでもいるからね。もっともあまり大勢に知られても困るから、ごく少数にしか話は通してないけどね。だから――――」
手首で一回転させるように、白くなったスプーンをくるりとこちらに向けて、
「スタッフも、せいぜい君たちぐらい。まったく限られた少数だ。超能力なんてたわごとは、僕ら立会人と君らのみが知ることさ」 そう言った。
「……何で、俺たちなんですかね」
これも、当初から気になっていたことではある。
アルバイトには、自ら志願したわけではない。何しろ、メイがやってきて間もない頃に自宅を訪ねて話を持ちかけてきたのは、目の前に居る桐代本人なのだ。
「そりゃあまあ、御旗岳に近かったって事がひとつ。あとはそうだな、うちの社長……いや、“会長”とかの方が通りがいいかなァ? 彼……」
「……桐代」
短く名前だけを呼んだのは、依然と窓の外を見続けている寡黙な男、真崎だった。
「ん? 何だい……真崎」
「大概にしろ」
やはり視線も表情も変えず、続ける。
「喋り過ぎだ」
「へえ、具体的にどの部分が“喋り過ぎ”だっていうのォ?」
どこか普段よりも挑発的に、真崎の方を向いて吐き捨てるように言う。
「…………お前は……」
じろりと、眼球だけで真崎が桐代を睨みつける。間に挟まれた川藤は緊張気味に顔色も青く、双方を交互にせわしなく見ている。
「事情の暴露に不都合があるって言うのかァい? 『マルキス』」
「弓を引く気なら一切の容赦はしない。そうは言った筈だ、『ナル』」
時ならぬ剣呑さに、自分も川藤同様、刃物を突き付けられたようにすくんでしまっていた。