<00> 少年少女の遊戯 (前)
- - - - -
“ああ、ちくしょう、なぜこうまでも奇遇なのだ”
- - - - -
眼下には広々と田園が並んでいる。
緑に染まった平野を見下ろす高台の土地、その隅にある白く小さな建造物の屋上。
木製の板が敷かれた展望デッキで一人、見はるかす風景に意識を沈めていた。
何も変わらぬ見慣れた光景に目を細め、それからおもむろに空を仰ぐ。雲はまばらに薄く伸びて、夕暮れの空に消え入るように引っ掛かっていた。
「シンゴぉー、そろそろ行こう。準備できたよー」
不意に声をかけられ真下に目を向けると、メイ――――狩野名依(かのうめい)が、笑うようにデッキを見上げていた。
「ああ。あと3分は待ってろ、そう急ぐこともないだろ」
「えー、暗くなっちゃうよ? とにかく自転車は外に出しとくからねー」
言いながらメイは、隣に建つ家の方向へと小走りに去って行った。足取りは軽く、遠目にも機嫌の良さを伺えるほどだったが、よくよく思い返すと彼女が不機嫌だったような所など見たことがない。付き合いが浅いとはいえ、そういう明るさや人当たりのいいところがメイの美徳なのだろうとは思う。
……彼女が居候するのを考えなく許可した事にしても、そのあたりに一因があるとは言えるが。
自称『謎の家出少女』メイが家に来てから、そろそろ二か月経つくらいだろうか。
違和感をぺろりと呑みこんでしまうかのように、彼女は生活に馴染んでしまった。
柵にもたれかけていた身体を後ろに起こし、階下に降りてゆく。つっかけるようにぞんざいに靴を履きながら玄関を出ると、彼女が自転車をからからと押しながら寄ってきた。カゴには二つの手提げバッグが入っている。
「じゃあ、行くか。忘れ物は?」
「ないよー。生まれてこのかた、した覚えもないなあ」
「……普段そういうこと言ってる奴ほど、肝心な時に忘れそうだけどな」
話しながら家の前の道路に出ると、メイは足を止めて顔だけをこちらに向けた。
「どっちから行こうか、表? それとも裏?」
「表からでいいだろ。時間にゃ余裕もあるし、ゆっくり歩きたい気分だ」
「ういうい、じゃあ行きますかー」
また向き直って、彼女は自転車を押し始めた。
向かったそちらの公道が『表』の坂の方向になる。
下りに差しかかるときにふと高台の方を見返したが、人気は感じられなかった。それも当然ではある。この小高い台地の頂上に暮らす人間など数えるほどしかいない。
広がる草地を撫でるように揺らし、ひとつ風が吹いた。
夕暮れの色彩と相まって一抹の物悲しさを覚えかけたが、歩きながら風情にすり替えてしまうことにした。
- - - - -
しばらくはゆるやかな坂が続いたのち、平坦な開けた場所に着く。
この台地の中腹、とでも言うべき一帯である。
中学校といくつかの運動施設があるので、台地の頂上に比べると当然人の出入りも多く、少し先の地区に進めば区画整理された団地に家々が並んでいる。そのあたりで営業している店舗はコンビニくらいしかないのだが、学生需要が高いのか地域シェアの関係か、割と繁盛しているようだった。
吹奏楽の金管楽器、野球の掛け声、テニスの打球音……
部活をする声の下をくぐるような心持ちで、斜面を背にして建つ御旗岳(みはただけ)中学校の前を通過する。やや時間も遅いからか、下校している中学生の姿はほとんど見当たらなかった。
「元気だねえ、中学生はー」
「大会が近いんじゃないのか、もう6月だしな。この時期はあっという間だ」
「そんなもんなの? 私には感覚が分かんないな、運動部だった覚えもないし」
「そういやお前、何部だったんだ? 運動以外って言うと、ベタに文芸部とかか?」
「んー……そういうわけでも……」
「おー、打川先ぱーい!」
と、会話を遮るほどの元気な声が後ろから掛かった。
すぐさま滑り込むように自転車がこちらを追い抜いて、声の主が振り返る。
「どうもー! お二人して、お出かけっスか」
「……ああ、青山か」
「ういー、そうだよ、シロくん。っていってもまあ、お仕事なんだけどね」
小柄な体格に、伸び始めの坊主頭。
青山司朗(あおやましろう)はここ御旗岳中の1年生であり、3つ年下に当たる。
もちろん「先輩」と呼ばれるのは間違いではないが、別段在学中に面識があったわけでもない。ここ最近になってからの知り合いであり、『仕事先』以外で顔を合わせることも考えてみれば初めてであった。
「それはどうもお疲れ様っス。今日は誰の番でしたっけ?」
「ええと、今日は猪吹(いぶき)と……もう一人は確か、愛中(あいなか)って子だな」
「あれ、シンゴは愛中ちゃんと面識なかったっけ?」
メイがそう言うということは、先んじて会ったことがあるのだろうか。
「記憶が確かならな。まあともかく青山、おまえの番はもう少し先だったはずだ」
「そうですか、や、わざわざスンマセン。それじゃあ、お先失礼しますね!」
早い動作でお辞儀をして、青山はペダルを押しこむように力強く漕ぎながら走り去った。
「元気だねえ、シロくんは」
「それだけが取り柄みたいな奴だからな」
性格はともかく、お世辞にも彼の『成績』は良いとは言えない。
聞けば学校での彼は、人懐っこい人気者であり運動能力も学力も高水準だというが、こちらで管理している『成績』上では目を見張るものがなく凡庸である。後ろから新人が追い上げてきたら、いずれ追い越されてしまうだろう。
「こっちも仕事だし、評定に手を抜くわけにもなあ……」
「強くなくてもいいと思うけどねえ、私は。争うだけが能じゃないもの」
会話にどこかしらやるせなさを漂わせつつ、平坦道の区間を抜けて再び坂を下り始めた。
- - - - -
きょう指定された場所は、家からはさほど遠くなかった。
国道から脇に折れて、森林沿いに伸びる舗装の荒れた道を進む。
と、五時を回った為だろうか、ちらちらと街灯が点き始めた。道の端に灯る柱の間隔はまばらではあるが、まだ陽は落ち切っていないため暗さで先が見えないという程でもない。
しばらく歩くと“工事中”の文字と、その下に人型のピクトグラムが描かれたごく一般的な看板が目に入ってきた。踏み外したかのように傾いで立つそれを見てか、先を歩いていたメイが立ち止まった。
「ここみたいだね。他にないと思うし」
「工事現場……といっても、様子を見るに今は放置されてるようだな」
看板の端に注意してみると、“休工中”と赤地に白で書かれた小さなテープが貼られているのが見て取れた。
ぐるりと見渡せば、夕映えに暗く陰を落とす森に向かって、荒れた土地が開けている。茶色の薄い土を踏みながら、現場の内側へと足を踏み入れてゆく。
メイが先んじて自転車を押したまま入っていったが、奥の方を見るや一度立ち止まった。目を凝らすまで分からなかったが、積まれた鉄骨に腰を掛けている人間がいる事に、そのとき初めて気がついた。
……といってもそれは不審人物ということもなく、ここに来るべきメンバーのうちの一人であり、知人にして後輩だった。
猪吹隣人(いぶきりんど)。御旗岳中に通う1年生である。
「お、メイさん。それにシンゴ先輩。早いなあ」
「ん? ……ああ、猪吹か。お前ほどじゃねえがな、まったく暇な奴だ」
「何ですかあ、それ。ホントは忙しいんですよ、俺ってー」
「というと、部活か?」
「いや、俺は帰宅部ですけどね。ほらー、他だとそのー……何だろ、勉強とか?」
「そうかー、んじゃ帰っていいぞ。今日の授業の復習でもしたらどうだ」
「えー。冷たいなあ、先輩……」
「あはは、まあ、いつものことじゃない? ていうか勉強大丈夫なの、イブキ君」
「メイさんまで!? ああもう、言っとくけど俺、割と成績良い方ですからね!」
流すように笑いながら、メイは鉄骨置き場に歩み寄って、その陰に自転車を止めた。
「んん、まだ時間には早いけど……メイ、バッグ取ってくれ」
「はいはい、準備しとこっか」
差し出したバッグの中から、ボールペンの挟まった黒いバインダーを取り出す。
挟められた数枚のプリントの一番上には、今日行われる事項の要旨が記載されている。携帯電話を取り出し、ライト代わりに文字を照らして確認する。すると遠慮のない気軽さで、猪吹が横から覗きこもうとしたので、隠すようにバインダーを抱えた。
「部外秘だ」
「えー。ま、分かってますけど。んじゃあ内容だけ教えてくれませんか」
「……そのくらいなら構わんが、どうせすぐ分かるだろうに」
「試合ですか」
「そうなるな。前もっての告知もなかった事だし、公式な対戦ではないが……」
「試合! よっしゃ、今日は遊べそうだ」
「調子乗ってると怪我するぞ。準備運動でもしてろ」
浮かれる猪吹を構うのをやめて、メイと打ち合わせをすることにした。
段取りを簡単に確認していると、遠くで小さく自転車のブレーキ音がした。
そちらに目をやると、足音を立てて近づいてくる影が二つ。
片方の長身の男は知り合いだが、もう一人の小さな影――――水色のジャージ上下を着た少女は、初めて見る顔だった。
「お疲れ様です、真崎(まさき)さん。そちらは……」
「愛中だ」
真崎は無愛想に短く言ったきりで、継ぐ言葉はない。
こちらを見たその少女が、替わるようにすっと前に出た。
「あ、どうも。愛中です、愛中久澄江(あいなかくすえ)。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。監督補助の打川慎五(うちかわしんご)です」
「やー、愛中ちゃん。こないだぶり」
「狩野さんも。今日は、お二人なんですね」
「うん、つまりはそういうこと。お相手はイブキ君だけど、知ってるかな?」
「ええ、学校で何度か」
少し離れたところにいた猪吹に、愛中が軽く会釈をする。
猪吹はにかっと笑い、手を挙げて挨拶に応じた。
「もうそろそろ、開始時間ですか?」
「ああ。着いたばっかりで悪いけど」
「大丈夫ですよ」
折よく、真崎がぬっと近付いてきて、猪吹もいつの間にか隣に立っていた。
「……全員の出席を確認した。ミーティングを開始する」
「はい」「はーい」「うす」「はいっ」
「立会人は俺、真崎だ。主監督は狩野、補助と進行は打川。あとは任せる」
「了解です。真崎さん、光源をお願いできますか」
「…………」
返事はないが、真崎は聞くとともに輪から外れて歩きだした。
地面を睨むように見ながら十歩ほど歩き、やがて立ち止まる。
そして、右足を浮かせ……地面をぐっと踏みつけた。
光が、来た。
踏みつけた場所を起点に、波紋を描くように地面に輝きが広がっていく。
今いる工事現場の空き地一帯、入口に近い道路際まで拡散は続き、ちょうどその辺りに終端が切り取られたところで、この現象は鎮まった。
白色の光は優しく、目を傷める心配もなさそうだ。
「(真崎さんが“使う”のは、初めて見たな)」
傍らの猪吹が、つぶやくように小さく喋る。
自分が“これ”を見るのは二度目だろうか。メイと愛中はさしたる反応もせず、ただこちらの指示を待っているようだった。昼日中の明るさを思わせる空間の中で、ざっと手元の用紙を確認してから説明を再開する。
「……猪吹には少し話したが、今日は試合形式の戦闘訓練になる。能力の使用も許可するが、様子を見ながら慎重に扱うように。試合後は両者の同意があれば再戦をしてもいいし、訓練に充てても構わない。……ああそれと、評価についてだが、勝敗によっての異動は無しだ。とはいえ評定には影響するから手は抜かないほうがいい、とは言っておこう」
「試合での勝敗条件は?」
説明の合間を見て、愛中が間合よく聞いてくる。
「『背中に貼ったシールに、生身で接触された場合』に負けとなる。メイ」
「はいはい。貼っちゃうから、二人ともそのままねー」
手にした緑色の丸いシールをひらひらさせながら、メイがまず愛中の後ろに回る。
シールの直径は5センチほどで薄いものだが、どれだけ走りまわっても不思議とはがれることはない。
「愛中、この形式は初めてか?」
「ええと、そうなりますね」
「大丈夫だよー、すぐ慣れる慣れる。……はいOK、次はイブキ君ね」
背中をぽんと叩き、次は猪吹の後ろへ。
「ういす。俺は3度目ぐらいですねえ、これ」
「そっか。じゃ、先輩だね」
愛中がくすりと猪吹に笑いかけた。手元の資料を見るに、学年は彼女の方が一つ上であるらしいのだが、見た目にはさほど年齢差を感じない。
「さて、説明はそんなところだ。他に質問はあるか」
「いえ、大丈夫です」「同じく」「こっちも貼ったよー」
「じゃあ始めようか、時間も頃合いだ」
それを合図に輪を崩して、おのおのが移動を始める。
先ほど真崎が踏みつけた場所あたりに、猪吹と愛中が向かい合って並ぶ。
そして向かい合う二人と等距離の位置に、メイと俺が少し離れて立つ。
真崎は空き地の端の方で腕を組み、遠巻きにこちらを見ていた。
「二分前だ。準備しとけ」
言いながらバインダーを緩めて、プリントを下に挟めていた二枚目に差し替える。
そこには、いま向かい合っている二人の情報が簡単に記され、その下に評価用のチェックシートが並んでいた。すぐに記入する事項はないが、ホルダーからペンを外し右手に持つ。
猪吹は屈むようにして地面に手を当て、指の先で土をつまんだり、ノックするように地表を叩いたりしている。
愛中はきょろきょろと辺りを見た後、猪吹から見えないように背を向けて、石を拾った。それから弄ぶように両手の間を行き来させて、何やら調子を確認しているようだった。
ややもせず時計を確認すると、長針が横にまっすぐ伸びて指定の時間を指していた。
「17時15分、規定の時間だ。試合を開始する」
二人が準備をやめ、距離を取り直す。メイに目線をやると、小さく彼女はうなずいた。
用意が出来たとみなし、両者に最終確認の名乗りを促す。
この場合は『下位者』である猪吹の方からになる。
「クラスC-19、猪吹隣人。通号『クレイ』」
「クラスC-16、愛中久澄江。通号『トータル』」
互いに過剰な気負いはなく、満ち満ちたやる気が顔に浮かんでいる。
「試合は時間制限なし・反則なし、ただしこちらの判断によっては止める。……確認は以上。問題ないか」
慣例通り、二人は答えない。
互いを注意深く見つめ合い、緊張を強めている。
確認から、きっちり5秒が経過するのを見て――――口火を切った。
「……はじめッ!」