エピローグ①
「だからな! そんなわけで今度また、ソフィア嬢のコンサートに行けることになったんだ!」
ルーカスは真っ白な歯を惜しげもなく見せながらそう言うと、喜びを抑えきれないように両手を勢いよく振り上げた。
「ちょ、ルーカス! わかった、わかったから落ち着いて!」
その手がテーブルのポットをかすめ、蓋が危なっかしく揺れる。ユナが慌てて手を伸ばす横で、当の本人はそんなことにはまるで気づかず、目を輝かせたまま話を続けている。
「しかもな、向こうからだぞ! 『ぜひいらしてください』って、わざわざチケットを送ってきたんだ! 俺に! ああ、神よ、ありがとう!」
とうとう天を仰いで神にまで感謝を捧げ始めた主を横目に、エドガーは小さく息を吐くと、先ほどの騒ぎでずれたポットの蓋を何事もなかったように直した。
「陛下。浮かれているところ誠に申し上げにくいのですが、あれは陛下個人に贈られたものではございませんぞ。以前、ソフィア嬢の曲を採用した劇が大ヒットした、その礼として王城に届いた招待状でしょう」
「同じことだろ! 王城に送れば俺に届くんだから!」
「まったく違います」
(こいつ、ほんと相変わらずだな)
ルーカスから「話があるから城に来てくれ」と遣いが来たのは、昨日の午後だった。あいにくカイルは急な遠征で今朝から王都を離れているが、今日俺は非番だったし、せっかくだからとユナも誘って来てみれば、これかよ。遣いの騎士の様子からして急ぎの用件じゃないことは分かっていた。だがまさか、ただの自慢話を聞かされるとは思わなかった。
(しかも盛大な勘違いだし)
まあ、こんなことで大騒ぎできるのも平和な証拠か。俺は小さく肩をすくめ、黙ってカップに口をつけた。
あれから俺たちは、あの日記をルーカスや俺の両親にも見せた。当然、三人とも相当驚いていたし、特に母さんなんて嗚咽の合間に咳き込むほど泣いて、落ち着かせるのにずいぶん時間がかかった。それでも最後には、ユナとカイルが決めた「これまで通り、一つ違いの兄妹としてやっていく」という二人の意思を、みんな受け入れてくれた。
もちろん、日記に書かれていた真実は読んだやつらだけの秘密だ。世間に公表するつもりはないし、これまでと何かが変わったわけでもない。カイルは相変わらず口うるさいユナの兄貴で、ユナも相変わらずその過剰な妹愛を鬱陶しがっている。
そして俺たちも、こうしていつも通りだ。
「おいルーカス。わざわざそんなことを言うために呼び出したのか?」
いつの間にやら話が、ソフィア嬢に会いに行く日の服装にまで及び始めたので、さすがに堪らず口を挟んだ。
「そんなこととはなんだ。めちゃくちゃ大事なことじゃないか」
ルーカスは不満げに口を尖らせるが、お前の服が青だろうが緑だろうが、何ならど派手な花柄だろうが、俺には知ったこっちゃない。じとりと睨んでやると、ルーカスはまだ何か言いたげな顔をしながらも、しぶしぶ椅子に座り直した。
「まあ、話は他にもあるんだけどな」
そう言って、今度は何やら楽しげに口元を緩める。その顔を見るに、絶対そっちも大した話じゃない。
「前にお前とカイルが他国の聖女たちと見合いをしただろ?」
「ああ」
よりによってあの日の話か。見合い自体ろくな結果じゃなかったうえ、そのあとがあまりにてんやわんやだったせいで、今となっては見合いをしていたことすら遠い昔のように感じる。思わず眉をしかめた俺を見て、ルーカスが盛大に吹き出した。
「ぶはっ。そんな顔するなって。なにもまた見合いをしろとか、そんなんじゃない」
「当たり前だ」
「だよな。俺だって、さすがに今のお前に見合いを勧めるほど野暮じゃない」
「だったら何だよ」
「実は、あの見合いをきっかけに親交が深まった国がいくつかあってな。今度はぜひこちらにも来てほしいって、向こうから招待を受けてるんだ」
「へえ」
そういやあの見合いは名目上は国際交流だったか。実態がどうだったかはともかく、各国との交流という意味ではちゃんと成果があったらしい。
「それで、その中にルミナリアもある」
「あっ、エリシアさんの国!」
それまで俺の隣で話を聞いていたユナが、ぱっと顔を輝かせる。
「ああ。俺も近々行こうと思ってるんだけどな。その時、カイルも連れていこうかと思ってる」
「カイルを?」
思わず聞き返すと、ルーカスは待ってましたとばかりに、にやりと笑った。
「せっかく知り合ったんだし、久しぶりにエリシアに会わせてやるのもいいだろ? 初デートではあいつ、なんかやらかしたっぽかったけど、挽回のチャンスをやろうかと思ってな」
「え、いいじゃん! それ!」
ユナが嬉しそうに身を乗り出す。
「エリシアさん、きっと喜ぶよ。お兄ちゃんもさ、口では何も言わないくせに、絶対エリシアさんのこと気になってるの。だってエリシアさんから手紙が届く度に、やたら私の側をうろちょろしてさ。もどかしいったらありゃしない」
「ははっ。あいつらしいな。じゃあ決まりだ。カイルが遠征から戻ってきたら正式に話をしよう。おい、エドガー。俺の最初の訪問国はルミナリアにしてくれ」
「承知いたしました」
エドガーが丁寧に頭を下げると、ルーカスは実に満足そうにひとつ頷いた。おまけに、膝の上で組まれた手の指が、楽しそうにトントンとリズムを刻み始める。
ったく。親善訪問にかこつけて、カイルとエリシアの恋の行方を間近で見物する気なのが見え見えだ。
(ほんと人の恋愛に首突っ込むの好きだな、こいつ)
その後も、やれルミナリアへ行ったら何を土産に買うだの、次のソフィア嬢のコンサートには何を差し入れるだの、わざわざ俺たちを城に呼び出してまで話すようなことでもない内容を、ルーカスは延々と喋り続けた。
「あ、私ちょっとお手洗いに言ってくるね」
そろそろ帰ろうかという頃になって、ユナがふと思い出したように立ち上がる。
エドガーが付き添うかと声を掛けたが、ユナはそれをあっさりと断わり、そのまま扉に向かった。そりゃそうだ。小さな頃から俺たちと何度も城へ遊びに来てるんだ。いつも通されるこの部屋とその周辺なら、もうあいつにとっちゃ我が家みたいなもんだろ。
それなのにルーカスのやつ、さっきからやけにそわそわとユナの背中を目で追っているな、とは思っていた。
ぱたり、と静かに扉が閉まったその瞬間、向かいに座っていたルーカスの目がきらりと光る。
「よしっ!」
「ん?」
小さく呟くなり、ルーカスはすぐさま腰を上げ、テーブルを回り込んでこっちへやってきた。そして、ついさっきまでユナが座っていた俺の隣へ、いそいそと腰を下ろす。
「な、なんだよ、急に」
「ロイ。今日、カイルは帰ってこない」
「は? ああ、遠征だからな」
なんで今さらそんな当たり前のことを確認するんだ。訝しく思いながらも頷いた。
「珍しいよな、カイルだけで行くなんて。いつも遠征は俺も一緒なのに」
「そうだな」
ルーカスはそこで声をひそめると、ぐっと俺の方へ顔を寄せてきた。
「実はな。あれ、俺が仕組んだ」
「…………は?」
意味がわからず、まじまじとその顔を見つめてしまった。だが、ルーカスは得意げにぱちぱちと何度も目を瞬かせるばかりだ。
(なんだその、褒めてほしそうな顔は)
「仕組んだって……遠征を?」
「ああ」
「なんでだよ」
まだわからない俺に焦れたのか、ルーカスは「だから!」と声を張り上げ、がしりと俺の肩に腕を回した。
「決まってるだろ! うるさい兄貴がいないなんてチャンスだぞ! 今日はユナの家に泊まってこいってことだよ!」
にんまりと笑うその顔を見て、ようやくすべてが繋がった。
(こいつ、今日俺を呼んだのはこれを言いたかったのかよ)




