自覚と覚悟②
「大丈夫? 預かる? 簡単に言うな!」
俺の怒鳴り声に、アベルの笑みがぴたりと止まる。
「国を跨いで仕事してるお前にとっては大したことじゃないのかもしれないがな、ユナにとっては一生を左右するかもしれない出来事なんだぞ? それをお前らふたりで勝手に決めるのか?」
ユナが咄嗟に何か言いかけた。だが、言い訳なんて聞きたくない。
「ユナもユナだ。ヴァリアントを出て行くって、そんな軽く決めることなのか? カイルは? ルーカスは? 母さんと父さんは? 角のばあさんは? そんな簡単に離れられるのか?」
店の前を通り過ぎた男が、ぎょっとした様子で振り返っていく。まあ、朝っぱらからこんな大声を出していれば、そりゃ目立つはずだ。でもそんな視線も、今はどうでもよかった。
ユナは目を見開いたまま息を呑み、困惑したように隣のアベルの袖をぎゅっと掴んだ。ちょっと不安になったとき、ユナがいつも俺やカイルにするやつだ。
細い指先がアベルの服に皺を作る。もう何もかも気に食わなくて、俺はユナの手首を掴み、その手をアベルの袖から引き離した。
「俺は、嫌だ」
しん、と周囲の音が遠のいた気がした。
「え、えっと……」
ユナは掴まれた手首と俺の顔を何度も見比べている。怒られたことよりも、今の一言の意味がわからない。そんな顔だった。
「あー……なるほどねぇ」
しばらく黙って俺とユナを見比べていたアベルの口元が、にやりと弧を描いた。
「お兄さん、なんかとんでもない勘違いしてない?」
「勘違い?」
アベルは皺の寄った袖を軽く払うと、おどけたように顔を傾け、ユナを見やる。
「ユナちゃん、どうする? 俺は黙っててもいいけど」
そう言って、俺が掴んだままのユナの手首へちらりと視線を落とした。
アベルの視線を追ったユナが、はっと息を呑む。急にあわあわし始めると、ぶんっと腕を振って、強引に俺の手を振り解いた。
「ロ、ロイ! それ、たぶんすっごい誤解してるから!」
「あ、バラしちゃうんだ。もう少し見てたかったんだけどな〜。ま、俺が出る幕じゃないか。二人でちゃんと話すといいよ。俺、あっちで服でも畳んでるね」
アベルはケラケラと笑うと、ベージュのジャケットを抱えたまま、荷馬車の中へさっさと引っ込んでいった。
(……気に食わない)
俺だけが置いてけぼりみたいなこの状況も、妙に達観した様子のあいつの笑い声も、ユナに思いっきり振り払われた手も。自分でも子どもっぽいとは思うけど、むっと声が低くなるのがわかった。
「誤解ってなんだよ。俺はちゃんとルーカスから聞いたんだぞ。お前が外国に行くって」
「い、行きたいなとは思ってるよ。だからルーカスに相談したんだし……」
ユナはなぜか目を泳がせ、指先をもじもじと絡める。
「ほらみろ。やっぱそうなんじゃねーか」
「だから、その……エリシアさんの国に遊びに行きたくて。に、二週間ほど……」
「…………は?」
ユナは気まずそうに俯くと、おずおずと二本だけ指を立て、俺の目の前へずいっと差し出してきた。細くて白い指先が作るV字が、妙にちかちかと目に飛び込んでくる。
「は? だってあいつ、おまえが服の勉強したいからって。行商人について行くって……」
俺はあの日のルーカスの言葉を必死に思い返していた。おい、さすがにあのタイミングで嘘はつかないよな? 心臓が急激に早くなる。
(待て待て待て。よく考えろ。いや、考えたくないけど!)
言葉を失う俺を、ユナが上目遣いで申し訳なさそうに見上げる。
「勉強って、そんなこと言ったかな?」
首を傾げたユナが、はっと顔を上げた。
「あ! でも、エリシアさんおしゃれだからさ、『ついでにルミナリアのファッションも色々見て研究してこようかな〜』って、ルーカスに話した気はする」
頭の中のルーカスが、ちろりと舌を出す。
(まじかよ!)
いや、嘘は言ってない! 確かに! だけど!
「……はぁぁぁ」
俺は思わずその場にしゃがみ込んで頭を抱えた。
なんだそれめちゃくちゃ恥ずかしいじゃねーか! 一人で勘違いしてユナに会いに来て、いきなり怒鳴り出したあげく、「俺は嫌だ」とか? ガキかよ!
「あ、あのね、アベルさんがルミナリアにちょうど行くらしくてね」
頭の上でユナが必死に何か説明しているが、そんな言葉はまるで耳に入ってこなかった。やがてユナも、説明するのを諦めたらしい。
「ねえ、ロイ?」
ユナの声音がふと真剣味を帯びた気がして、しゃがんだまま、腕の間からそっと見上げる。
「私が外国に行くの、嫌だったの? なんでわざわざここに来たの?」
ユナの頬がほんのり桃色なのは、きっと照れているからじゃない。その証拠に、ちょうど俺の目の前にあるユナの手が、覚悟を閉じ込めたようにぎゅっと固く握られていた。
(なんでって……)
俺はゆっくりと立ち上がり、ユナを見下ろす。
恋愛経験なんてない俺でも、さすがにここまでくればわかる。いまユナが、俺に何を言ってほしいのか。
(言うのか? ここで)
さっき自覚したばかりの、できたてほやほやのこの気持ちを? 本人に?
「その……」
(いや、何て言えばいいんだよ!?)
難易度高すぎだろ。ぐずぐずと悩んでいるうちに、こんな時こそ、エドガーが荷車の陰から紙でも掲げて指示を出してくれないかな、などと馬鹿げたことまで頭をよぎる。
(いや、そもそも全部誤解だったんだし、別に今日じゃなくても……)
ここに来た時の勢いはすっかり消え失せ、完全に及び腰になっていた。
「てゆーかさ!」
突然、ユナの声が不満そうにひときわ大きくなった。
「ロイ、ずるい!」
「は?」
「また期待させて終わり?」
ずいっと俺の目の前まで詰め寄ると、逃がさないと言わんばかりに俺を見上げる。
(ちょっと待て。なんで怒ってる? 俺まだなにも言ってないぞ)
「いや、だから……うぷっ!」
弁明しようと開いた俺の口を、「うるさい!」と叫ぶなり、ユナがぱっと手で塞いだ。もごつく俺なんてお構いなしに、ぎゅうぎゅうと押さえつけてきやがる。いや、聞いたのはそっちだろうが。説明くらいさせろ!
だが、どうやら今は俺に喋る順番なんて回ってこないらしい。口を押さえたまま、怒涛の攻撃が始まった。
「ロイ、私の気持ちに気づいてたよね? ずっと妹みたいにしか思って貰えなかったのが、ようやくスタートラインに立てたって、私すっごく嬉しかったんだよ? それなのに、気づいたらお兄ちゃんと奇跡のカップルとかなんとか言われてるし。しかも、あっという間に結婚話まで出てきてさ。いや、わかるよ? 私だってあの状況じゃしょうがないってことくらい。でも、じゃあ私の気持ちは? ロイはさ、気づいてたのに私の気持ち、そのまま放っておいたじゃん。だから、もう諦めるしかないんだよねって思ってた」
堰を切ったように、言葉が次から次へとユナの口をつく。どれもこれも図星すぎて、正直耳が痛い。言い訳をしたいわけじゃない。ただ、あの時の俺が何を考えていたのかだけは、ちゃんと伝えたかった。
「それなのに今日いきなり来て『行くな』なんて怒って。私単純だからさ、さっきからずっと、もしかして、もしかしてって思ってたよ? でもなに? 勘違いだったからってまた無かったことにするの? また期待だけさせられて諦めなくちゃいけないの? それなら来ないでよ! こんななら、ロイが私の気持ちに気づかなきゃよかった!」
言い終えたユナは、俺を睨みつけたまま大きく肩で息をする。まだ俺に何も言わせないつもりなのか、口を塞ぐ手にぐっと力がこもった。
ユナの鼻先がわずかに赤い。口は思いきりへの字だし、瞬きの回数だってやたら多い。昔から、泣くのを必死に我慢している時は決まってこうだ。頬がぴくりと震えて、喉がこくんと動く。この顔は――もう限界だ。
「だって好きなんだもんっ!」
とうとう堪えきれなくなったように、ユナの顔がぐしゃりと歪んだ。
「ロイがお兄ちゃんと結婚するの嫌なんだもんっ! 見たくないんだもんっ! ロイのバカっ! 傷心旅行くらいさせてよぉぉっ!」
必死に俺の口を押さえつけながら、この世の終わりみたいにしゃくり上げているユナには悪いが、ユナがまだ俺を好きでいてくれたことに、思わず肩の力が抜けた。
と同時に、この見慣れた泣き顔――子どもの頃、カイルと二人で何度も馬鹿にしたユナの派手な泣き顔が、自分の気持ちを自覚した途端、堪らなく愛おしく見えることが不思議だった。
「おまえなぁ!」
俺はユナの手首をぐいっと掴み、そのまま口から引き剥がした。
「俺に喋るの禁止させといて、勝手に終わらせるなよ!」




