天秤の上②
廊下へ出ると、ひやりとした空気が頬を撫でた。研究室の中は薬草の匂いがこもっていたせいか、その冷たさが妙に気持ちよい。普段はまだ明るいうちに帰れるのに、今日はさっきのバタバタのせいで、もうすっかり夜だ。
「腹減ったな」
「お前、ついさっき研究室にあったパン食ってただろ」
「あんなの、もうとっくに消化されたし」
くだらないやり取りをしながら城門前を歩いていると、背後から遠慮がちな声が飛んできた。
「あ、あのっ……!」
振り返ると、騎士が二人、こちらを窺うように立っていた。見覚えはある。名前までは出てこないが、王城内で何度か顔を見たことがある程度の相手だ。騎士服の襟元を楽に緩めているところを見ると、二人とも勤務帰りか。なのに、なんだか妙にそわそわしていて緊張した様子だ。
「なんだ?」
カイルが首を傾げると、片方の騎士が慌てたようにさっと周囲を見回した。それから、なぜかこそこそ声を潜める。
「えっと、今日もお疲れ様でした。その……ポーション作りの方は順調ですか?」
「あ? ああ、まあ一応な」
「よ、よかったです!」
そこで二人揃ってほっとした顔になる。
なんだこいつら。もしかして、こっそりポーションを融通してほしいとか、そんな類か?
ほんの僅かに警戒心を強めたところで、もう片方が意を決したように一歩前へ出た。
「あの! 俺たち、応援してますんで!」
「…………は?」
隣を見るとカイルも返事に困っているらしく、愛想笑いを浮かべたまま、こちらにちらりと視線を寄越してきた。
そんな俺たちの前で、今度は二人顔を寄せ合い「お前が言え!」「いやお前だろ!」などと、小声で揉め始める。いや、ほんとなんなんだこいつら。
やがて、年上らしい方がぐっと拳を握って顔を上げた。
「その、実は俺たち……付き合ってるんです!」
緊張なのか興奮なのか顔が真っ赤だ。口元に力が入りすぎて、ともすれば怒っているようにも見えるが、それでもまっすぐ俺たちを見据える瞳には、何かを訴えるような強い意志が宿っていた。
(付き合って…る?)
は? 突然なんの告白だよ。なんで俺たちに?
いまいち状況が飲み込めず、思わず目前の二人をまじまじと見比べる。別に特別変わったところなんてない。王城でよく見かける、ごく普通の騎士二人だ。年も俺たちと変わらないように見える。
「いやもちろん、お二人みたいに国を救う力とかは全然ないんですけど。でも最近、王都でも男同士の婚姻制度を作るかもって噂、広がってるじゃないですか」
そこまで一気に捲したてると、さっきまでの気負った様子が少しだけ薄れ、騎士の顔に年相応の笑みが浮かんだ。
「だから、その……お二人が認められたら、俺たちももっと堂々とできるかもしれないなって」
きらきらした目でそんなことを言われ、俺とカイルは完全に言葉を失った。
(おい。俺とカイルがおまえらみたいな仲じゃないってのは、周知の事実……だよな?)
即座に否定したい気持ちはある。あるんだが、この期待に満ちた視線を真正面から叩き切るのも、なんだか違う気がした。
「いや、俺たちは……」
探り探り口を開きかけた俺の言葉を、もう一人の騎士が慌てたように遮る。
「あ、ちゃんとわかってます。お二人はそんな関係じゃないって」
先ほどの騎士も隣で力強く頷いている。
「でも、お二人のおかげで話が進んでるのは事実じゃないですか」
「今まで、別に悪いことしてるわけじゃないのに、男同士ってだけでどこか周りに負い目を感じてて。それが、ちゃんと国から認められる存在になれるんだなって」
そこで二人は顔を見合わせ、そっと手を取り合った。
「俺たち、結婚なんて最初から無理だと思ってたんです」
「だから、その……お二人には本当に感謝してます」
深々と頭を下げられ、俺は思わず言葉に詰まった。
違う。
そう言いたかったはずなのに。
俺とカイルはそういう関係じゃないし、婚姻制度の話だって勝手に周りが盛り上がっているだけだ。なんならそんな話、立ち消えてしまえばいいとすら思ってた。
なのに目の前の二人の顔を見ると、どうしてもその言葉が出てこなかった。
「あー……その……」
結局、口から出たのは気の利かない声だけだ。隣では、カイルも困ったように頭を掻いている。
「まあ……なんだ」
珍しく歯切れの悪い声でそう言ってから、カイルは少しだけ視線を逸らした。
「うまくいくといいな」
二人は、嬉しそうに顔を上げる。
「はい!」
「ありがとうございます!」
もう一度礼を言うと、どこか気恥ずかしそうに笑い合い、ぺこぺこと頭を下げながら去っていった。石畳を駆けていく足音は不思議なくらい軽い。
その背中を見送りながら、俺は長々と息を吐く。
「……おい」
「ああ」
俺が何を言いたいのか察したらしく、カイルもげんなりした顔で頷いた。
(どうすんだ、これ)
示し合わせたわけでもないのに、俺たちはしばらく、二人が消えていった方向をぼんやりと見つめたまま、その場に立ち尽くしていた。
通りの向こうから歩いてきた恋人らしい男女が、すれ違いざまに怪訝そうな視線を寄越してくる。そこでようやく我に返り、俺たちは重い足取りで踵を返した。
お互いかける言葉も見つからないまま、無言で石畳を歩く。
路地の奥の酒場から、どっと笑い声が響いてきた。誰かの叫び声と、それに重なる歓声。どうせまた、酔っ払い同士がくだらないことで盛り上がっているんだろう。
この通りはいつもそうだ。夜になれば、仕事を終えた男たちが酒を酌み交わしながら大声で騒ぎ、明日のことなんて忘れたみたいに盛り上がる。見慣れた光景のはずなのに、今日はあの酒場だけが妙に遠い世界みたいに見えた。
「……まあ」
長い沈黙の末、先に口を開いたのはカイルだった。
「もう、しょうがねぇのかな」
「……」
何が、なんて聞かなくてもわかる。
カイルのことだから、あれこれ悩みはするだろうが、最後にはそういう結論に辿り着くんだろうなという予感は、正直ずっとあった。だから別に驚きはしない。
足元の小石につま先が当たった。ころころと転がったそれは、花屋の店先に置かれたバケツへぶつかり、カン、と乾いた音を鳴らす。俺もカイルも、しばらくその音の余韻みたいなものをぼんやりと聞いていた。
「だってよぉ……」
前を向き直ったカイルが、ぽつりと口を開く。
「最初は俺だって、ふざけんなって思ったぞ? こんなの。男同士で口付けだの、結婚だのって言われても、意味わかんねぇし」
「……ああ」
「でもポーションは実際役に立ってるだろ?」
小さく首を傾げ、俺に同意を求めるように片眉を上げた。
「怪我したやつが治ってさ。トムとか今日の騎士とか。他にも喜んでるやつがいて。ああいうの見ると、まあ悪い気はしねぇ。なんなら俺たちにしかできないことだって誇りにも思うし」
「……」
「で、さっきの二人だって」
もうとっくに居ないのはわかってるくせに、ほんのわずかに後ろを振り返るように首を動かす。
「俺は正直、男同士で付き合うとかよくわかんねぇけど。でも、あいつらがあんな顔して喜んでるの見ちまうとな」
「……」
「いや、俺たち抜きにしても、そこはさっさと制度を整えてやれよって思うけどな」
そう言ってぐしゃぐしゃと頭の後ろを掻いた。昔から事あるごとにする、カイルの癖だ。これだけ遠慮なく掻き回しているのに、こいつの髪が絡まったところなんて見たことがない。本人に似て、髪まで変に真っ直ぐなんだろう。
「ま、俺とお前なんて、どうせガキの頃からずっと一緒だし。今さら生活が大きく変わるわけでもねぇだろ?」
そこまで口にしてから、はっとしたように目を見開く。
「あ、言っとくけど結婚って言っても、そういう関係になる気はねぇぞ? それだけは絶対ないからな!」
「当たり前だろ」
即座に言い返すと、カイルはようやく安心したように息を吐いた。
「それに、お互い別に結婚を考えてるような恋人がいるわけでもねぇしな」
そう言って、おどけたように肩を竦めてみせる。
「ま、まあ、本音言うとよ。い、一回くらいは、女とお付き合い? みたいのしてみたかったけどな」
言い終わるなり、「なに言わせんだ」とでも言いたげに、バシバシと俺の背中を叩いてきやがる。
「痛ぇよ」
「うるせぇ」
耳が少し赤い。
「でもよ……」
最後にぽんっとひとつ俺の背中を叩くと、カイルは少し照れくさそうに鼻をこすった。
「それで助かるやつとか喜ぶやつがいるならさ……しょうがねぇのかなって」
そのまま何事もなかったみたいな顔で、通りの向こうの食堂から漂ううまそうな匂いに、形の良い鼻をひくつかせている。
(……なんだよ)
少しだけ強くなった夜風がカイルの髪をさらりと揺らす。その横顔を見ながら、俺は無性にイラついていた。カイルに対してじゃない。たぶん。じゃあ何に腹を立てているのかと聞かれても、自分でもよくわからなかった。
黙り込んだ俺を見てカイルは急に足を止めると、こちらを向いて少しだけ眉を顰めた。
「勘違いすんなよ。別にお前に強制する気はねぇからな」
「……」
「でも、俺はそうなってもいいかなって話だ」
にかっと屈託なく微笑むその顔は、昔からなにも変わらない。正義感が服を着て歩いているみたいなこいつに、俺はなんだかんだ言いながらも、ずっとどこかで一目置いていたんだと思う。
ただ、今だけはその何の迷いもなさそうな顔が、妙に気に食わなかった。
「……いいのかよ」
「あ?」
ほとんど独り言みたいな呟きだったのに。聞こえてないなら、それで終わりのつもりだった。だけど、カイルの動物ばりの地獄耳は、俺のぼそりと漏れたひと言までしっかり拾ったらしい。
「だから、いいのかよって!」
自分でも戸惑うくらい、言い方がキツくなってしまって驚いた。だが、腹の奥から込み上げてくるイライラは、頭で考えるより先に口を動かしていた。
「なにがだ?」
「おまえ、エリシアのことはどうすんだよ!」
「は?」
「だって気になってたんだろ? エリシアだってお前に気がありそうだったじゃねーか!」
「んなっ!?」
カイルが変な声を上げた。足元の砂利を鳴らして、飛び退くように俺から一歩離れる。さっきまで、「俺、なんか悟っちゃいました」みたいな余裕の表情で風に当たっていたくせに、エリシアの名前を出したとたん、目に見えて狼狽しだした。
「おまえ、きゅ、急になに言い出すんだよ!?」
「なにって、そのまんまだろ!」
「いや、別にそんなんじゃねぇし!」
「耳真っ赤だぞ」
「赤くない!」
夜目でも明らかに色づいて見える耳を両手で必死で隠しながら、半ば叫ぶようにそっぽを向く。そのまま誰に言い訳してるんだか、人気のない通りへ向かって、ぶつぶつと言葉を並べ始めた。
「き、気になってたっつーか……いや、別にそういう意味じゃなくてだな。あー……確かにちょっとは気になってたかもしれねぇけど……」
だがそこまで言うと、はっと我に返ったように口を閉じ、不満そうにこちらを振り向く。
「てか、なんでお前がそんなムキになるんだよ! 別に彼女は関係ないだろ? 俺は俺の考えを言っただけなのに、なんでそんな責められなきゃなんねーんだよ!」
至極真っ当な反論だった。こいつからすれば、エリシアのことはそりゃ少しは気になってはいたんだろうが、その他大勢の国民の期待を跳ね返してまで、どうこうするつもりはないってだけだろう。
(ムキになってなんかない)
だから、変にキツい言い方をしてしまったことを謝ればいいだけだ。そしたらこいつは「なんだよ、びっくりしたじゃねーか」とか言って、またくだらない会話に戻るはずだ。
なのに喉に蓋をされたかのように言葉が出てこない。さっきから俺の中で燻っている何かが、どうしてもそれを許さなかった。
またどこかの酒場で、男どもがどっと盛り上がる声がする。今を楽しむことに全力をかけているようなその笑い声が、まるでカイルの言葉を後押しするみたいで。
(うるさい)
責めるようにこちらを見ているカイルの青い目を見た瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
「じゃあエリシアが本気だったらどうすんだよ」
「は?」
「たとえ世間の九割九分九厘が、お前と俺の結婚を喜んだとしても」
「お、おいロイ、いったい何の……」
「たったひとりでもそれを嫌だと思うやつがいたら、悲しむやつがいたら、どうすんだよ!」
そこまでひと息に言って、大きく息を吐く。誰かに思い切り感情をぶつけるなんて、いつ以来だろう。腹の底に溜まっていた何かを無理やり吐き出したみたいな感覚だけが残り、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「ロイ?」
「帰る」
「お、おい!」
俺は完全に置いてけぼりを食らった顔のカイルから目を逸らし、そのまま歩き出した。
通りの向こうから、母親と手をつないだ小さな男の子が歩いてくるのが見える。少年は俺に気づいたのか、ぱっと顔を輝かせて手を振りかけた。だが次の瞬間、どこか戸惑ったようにその手を引っ込める。よほど俺がひどい顔をしているんだろう。
角をひとつ曲がり、背後からカイルの気配が完全に消えたところで、ようやく熱くなっていた頭が少しだけ冷えた。と同時に、胃の辺りにずしりとした重さが落ちてくる。
(……どの口が言ってんだよ)
顔を上げれば、見慣れた赤い屋根が目に入る。小さく舌打ちすると、俺はそのまま足早に自宅への道を急いだ。




