癒しの光④
あれよあれよという間に、俺とカイルは向かい合わせにされていた。距離はせいぜい頭三つ分ほど。もちろん、どちらも両腕を騎士たちにしっかり押さえ込まれている。それも二人がかりでだ。
「おい、離せっ!」
「お、俺だって嫌だっつってんだろぉ!?」
じたばたともがく俺たちをよそに、騎士たちはやけに手慣れた様子だ。カイルが全力で暴れているせいで、騎士たちの額にはうっすら汗まで浮かんでいるが、それでも逃がす気はないらしい。さすがに一対二では、あの体力バカでも分が悪かった。
「カイル殿……」
エドガーが、ふっと表情を曇らせた。妙にしおらしく、今にも「憂国の士です」とでも名乗り出しそうな顔だ。その切なげに下がった眉を見て、カイルがほんのわずかに怯む。
(おい、気をつけろ。そいつ今、完全に情に訴えにきてるぞ)
「もしこれで癒しの光だと証明されれば、我が国でも正式なポーション生産への道が開けるやもしれません」
「うっ……」
露骨にカイルの動きが鈍る。どうやらエドガーのやつ、俺だけなら力ずくでどうにでもなると踏んだらしい。俺をひとまず放置して、先にカイルの戦意を削ぎにきた。
「これまで高価で手が届かなかった者たちも、気軽にポーションを使えるようになるのですぞ? 怪我を我慢する騎士も、病を抱えた老人も、もっと救われるようになるかもしれませぬ」
「そ、それは……」
ほら来た。カイルのやつ、完全に目が泳ぎ始めてる。おまえ、その手を食らうの二回目だぞ!? 前にそれで見合いをせっつかれたの、もう忘れたのか!
叫びたい。全力で叫びたい。だが、あろうことか俺の口は、両脇の騎士たちにしっかりと塞がれていた。
「……角の家のおばあちゃん、でしたかな?」
エドガーが、わざとらしいほど静かに言葉を継ぐ。俯いていたカイルの肩が、ぴくりと揺れた。
(まずい)
エドガーのやつ、完全に勝ち筋を見つけた顔だ。そっとカイルへ歩み寄ると、しみじみと頷いてみせる。
「もしポーションがもっと安くなれば、そのおばあちゃんも、痛みを我慢せずに済むようになるやもしれませんなぁ」
「うぅっ」
カイルが目に見えてぐらついた。くそ、駄目だ。完全に効いてる。
「なに、試すだけでございます。ちゅっと一回。ほんの僅かに触れるだけで済みますぞ。痛くも痒くもございませぬ」
おい。それ、悪い薬でも勧める売人のセリフじゃねーか。カイル、乗るなよ。乗ったら戻れなくなるぞ!
カイルがおそるおそる顔を上げる。エドガーは慈愛に満ちた――俺からしたら胡散臭さしか感じられない――聖母のような顔をして、ゆっくりと頷き返した。
「い、一回だけだからな」
(終わった……)
「もちろんですとも!」
途端にエドガーの顔がぱっと輝く。反対に、俺は目の前が真っ暗になった。どう切り抜けようかと、ほんの一瞬だけ目を閉じて俯く。すぐに考えるのを放棄したから、本当に一瞬だったはずだ。
だが再び顔を上げた時には、すでにカイルの顔面が目の前まで迫っていた。
(まじか! 早すぎるだろ!)
さすがに自分から突っ込んでくる勇気まではないのか、騎士たちに頭を押されるようにはしているが、覚悟だけは決まったらしい。ぎゅっと目を瞑り、ほんのり唇まで突き出してやがる。
(ちょ! 待て! 俺の意見は)
それまで俺の口を塞いでいた騎士の手がぱっと離れた。叫ぶ間もなく、代わりにカイルの口が俺の口を塞ぐ。肌とは違う妙に柔らかい感触。俺のよりやや熱くて、しっとりしてて……。
(気持ち悪りぃ!)
だが次の瞬間、ふわりと口元が暖かくなった。驚いて、思わず薄く目を開ける。
(は……なんだこれ……)
ぼんやりとした淡い光が、俺たちの口元から滲むように溢れていた。柔らかな金色の光が、夜明けの陽光みたいにじんわりと周囲を照らし、押さえつけていた騎士たちの鎧にまで反射して揺れている。
「おおっ!」
「ひ、光ったぞ!?」
騎士たちがどよめく。
「なんか、体が軽くなった気がしないか?」
そんな声まで聞こえてきた。しかも興奮した騎士たちは、さらにぐっと俺たちの頭を押さえつけ始めやがる。これじゃ軽く触れるどころか、唇が潰れそうだ。
「でっ、出ましたぞぉぉぉぉっ! 癒しの光ですぞぉぉぉっ!」
エドガーが、半ば転がるような勢いで駆け寄ってきた。足をもつれさせながら俺たちの周りをぐるぐる回り、震える手で光に手を伸ばす。
「おお……なんて神々しい……」
もう完全に、これが癒しの光だと確信している顔だ。
(いや、俺はまだ信じないからな! これが確定だったら絶対に面倒なことになるだろ!)
なんとか顔を離そうと、もう一度もがいてみたが、騎士どもに押さえつけられた頭はびくともしない。
「……すげぇ」
ごくりと喉を鳴らしながら、ルーカスが吸い寄せられるように光へ近づいてくる。目を丸くしたまま、きょろきょろと周囲を見回し、ついには嬉しそうに光へ手まで伸ばし始めた。まるで珍しい玩具でも前にした子どもだ。
だが、ふと我に返ったように咳払いをひとつすると、慌てて表情を引き締め、エドガーへ向き直る。
「おいエドガー、早まるな。光は出たが、これが癒しの光とは限らないだろう?」
もっともらしいことを言っているが、そのきらきらした目を見れば、この光の正体が気になって仕方ないのが丸わかりだった。
「はっ! そうですな。検証を! 検証が必要ですぞっ!」
エドガーはそう言うなり、我に返ったように自分の体を見下ろし、腕や頬をぺたぺたと触り始めた。
「くぅぅっ! こんな時に限って、傷の一つもありませんぞっ」
(知らねーよ!)
「陛下っ」
エドガーが勢いよく顔を上げる。その目が、獲物を見つけた肉食獣みたいにぎらりと光った。
「あなた、たしか先日、風呂場で転んで膝を擦りむいておられましたよね?」
「あ? ああ、あれな。けっこう痛かったけど、もう今朝はかさぶたに――」
どうやらエドガーの狙いを察したらしい。ルーカスが、急いでズボンの裾をぐいっと膝上までたくしあげる。相変わらず手入れの行き届いた、つるりとした膝だ。だがそこには、こいつの言うかさぶたどころか、ほんの小さなすり傷さえ見当たらなかった。
「うお、マジか! 消えてる!」
さっきまで好奇心丸出しだったルーカスの顔が、今度は驚きと興奮に染まっていた。自分の膝を何度も見返しては指先でぺたぺたと触り、さらに反対の膝まで確認し始める。
「えっ、いや、ちょっと待て。あったよな? なあ? 今朝もまだちょっと痛かったぞ?」
「治っておりますなぁ!」
後ろからルーカスの膝を覗き込みながら、エドガーがここぞとばかりに叫ぶ。
「見事に! 綺麗さっぱり! 跡形もなくですぞぉぉぉっ!」
そこで俺たちの頭を押さえつけている騎士たちの力がふと緩んだ。ルーカスの膝に気を取られでもしたのか。まあなんでもいい。すかさず俺とカイルは勢いよく互いの顔を引き離し、そのまま数歩後ずさる。
「っぷはぁ!」
「はぁっ!」
肩で息をしながら、反射的にごしごしと口元を拭う。カイルなんて、顔を真っ赤にしたまま口を押さえ、「うぇぇ」と本気で気持ち悪そうに呻いてやがる。いや、それはこっちのセリフだからな。
「……消えた」
誰かがぼそりと呟く。
それまで辺りを包み込んでいた淡い光は、俺たちが離れた途端、すうっと空気に溶けるように消えていった。あとに残ったのは、なかなか整わない俺とカイルの息遣いと、妙に気まずい空気だけだ。
「おおっ! やはりお二人が触れている間だけ!」
エドガーの肩がぶるぶると小刻みに震えている。どうやら今ので完全に確信したらしい。目を爛々と輝かせ、勢いよくエリシアを振り返る。
「エリシア殿! ご覧になりましたな!? 今の光は――」
「はい」
エドガーとは打って変わってエリシアは慎重だった。戸惑ったように視線を揺らしながら、おずおずとルーカスに近づく。しゃがみ込んで、そのまっさらな膝を確認すると、小さく頷いた。
「おそらく、癒しの光で間違いないかと」
「やはりぃぃぃっ!」
エドガーが天に向かって両拳を突き上げる。だからいちいち大袈裟なんだよ、こいつは。こんなんでちゃんと外交できてんのか、時々本気で心配になる。
「ついに! ついに我が国でも癒しの光がぁぁぁっ!」
そのまま感極まったように何度も頷いたかと思えば、今度はぶつぶつと何かを呟きながら、その場をせわしなく歩き回り始めた。
「研究機関を立ち上げて……いや、先に文献ですな。過去の事例も洗い直さねば!」
先ほどまでぽかんと成り行きを見守っていた騎士たちも、目の前で取り乱しているのが国王付きの侍従だと思い出したらしい。顔を見合わせ、小声でざわつき始める。
「お、おい、癒しの光だってよ!」
「すげぇ! 俺、初めて見た!」
(いやいやいや、待て待て待て)
癒しの光? 研究機関? 冗談だろ。まさかまたあれをやれとか言い出さないよな? ちらりと隣を見ると、カイルもまだ口元を押さえたまま、魂が半分抜けたみたいな顔で固まっていた。だが目が合った瞬間、ものすごく嫌そうに顔をしかめられる。
(だからそれはこっちのセリフだっての!)
そもそもおかしいだろ。なんでみんな普通に受け入れ始めてるんだよ。だって俺は――
「ちょ、ちょっと! みんな待って。ねえ、それ本気で言ってる?」
ユナが慌てて輪の中へ割って入ってきた。それまで黙って見ていたはずだが、さすがに我慢ならなかったらしい。頬をわずかに引きつらせながら、ぐるりと周りを見回している。どう見ても納得していない顔だ。
「だって……だってロイ……」
一度言葉を切り、ぎこちなく俺を指差す。
「男だよ!?」
(いや、ほんとそれな!)
「お、おかしいじゃん! 癒しの光って、勇者と聖女の口付けで発生するものなんでしょ!? なんでロイで出るの!?」
ユナが半ば叫ぶように言う。
「そ、そうだ! 絶対おかしいだろ!」
今まで魂の抜けた顔をしていたカイルまで、勢いよく顔を上げた。
「だいたいエドガー! 研究機関ってなんだよ!? 一回だけって言ったよな!? だから俺、やったんだからな!?」
「そうだぞ! 勝手に研究対象にするな!」
思わず俺も便乗する。
だが、そんな俺たちとは対照的に、エドガーは妙に落ち着き払った顔でこほんと咳払いをした。
「ええ、お気持ちはわかります。私とて大変不思議に思っておりますとも」
そう言いながらも、口元はひくひくと震え、今にも口角が上がりそうになってやがる。全然説得力がない。
「ですが光が出たのは事実。そして傷が治癒したのも事実です。こうなった以上、我々はこの現象を解明せねばなりません」
「解明って……」
カイルが嫌そうに後ずさる。
するとエドガーは、にこりと微笑んだ。
「私はたしかに、試すのは一回と申し上げました」
「お、おう……」
「ですから、ここから先はお試しではございません」
胸に手を当てながら、誇らしげに言い放つ。
「本気の研究ですぞ」
「詐欺だぁぁぁぁっ!!」
夕暮れの中庭に、カイルの悲鳴が虚しく響き渡った。




