勇者、逃亡④
突然知らない男に話しかけられ、エリシアの視線が落ち着きなく泳ぐ。
「えっ……あの……えっと……」
どうしていいのか分からない、といった様子で、助けを求めるようにユナを振り返った。
「あ、ロイは私やお兄ちゃんの幼馴染なの。ちょっと地味だけど、悪い人じゃないから安心して」
「おい、なんだそれ」
即座に突っ込みながら、ユナをじとりと見やる。このくだり、何回目だよ。
「なに? 褒めてあげたんだけど?」
「どこがだ。さりげなく貶してるだろ」
ルーカスがにやにやしながら口を挟んできた。
「ははっ! 『ちょっと地味』は、おまえの代名詞みたいなもんだろ」
「おまえまで、うるさい」
途端にいつもの調子になる。というか、この場で国王がそれでいいのかよ。
そんな俺たちのやり取りを、エリシアはしばらく呆気に取られたように眺めていたが、やがて、ぷっと小さく吹き出した。
「ふふっ。皆さん仲が良いんですね。ロイさん、初めまして。エリシアです」
そう言って俺に向き直り、小さく頭を下げる。さっきまでの戸惑いはもうなく、口元には、どこか悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「ああ。で、どうなんだ? カイルのこと、知ってるのか? さっき、あいつを見て反応してただろ」
「それは俺も気になった。さっきからあいつのこと、やけに目で追ってたし」
どんな反応も見逃すまいとするように、ルーカスが楽しげにエリシアを観察する。国王としてではなく、完全に友の恋路を面白がっている悪友の顔だ。
「えっ! エリシアさん、お兄ちゃんの知り合いなの!?」
「ち、ちがいます! 知り合いなんてそんな!」
三人に同時に詰め寄られたエリシアは、ぶんぶんと首を振り、慌てて否定する。
「私が勝手に知っているだけで……その……」
言い淀みながら、ちらりとカイルの方へ視線を向ける。その頬が、わかりやすく赤く染まっていった。
「以前この国に一度遊びに来たときに、カイルさまを見たんです。怪我をしたおばあさんを背中におぶって、片手には泣いている迷子の子どもを抱えて、もう片方の手で、出会い頭の引ったくりを張り倒しながら、汗だくで走っていくのを見て……」
ぽつりぽつりと語るエリシアはどんどん俯いていき、そのうち両手で顔を覆ってしまった。
「……す、素敵だなぁ……と」
(ああ……)
想像がつく。
「カイルだな」
「ははっ。間違いない」
「うん、絶対お兄ちゃん!」
嬉しさを堪えきれないような顔で、ユナが勢いよくエリシアの腕を取った。
「ね、エリシアさん! お兄ちゃんのとこ行こ! 紹介したいの」
「えっ……紹介だなんて、そんな……」
言い終わるより早く、ぐいっと引っ張って行こうとする。そのせいで皿が大きく揺れ、菓子が今にもこぼれ落ちそうになった。
「おい、ユナ。こぼれるぞ」
「大丈夫だって! あ、ほら、今ならチャンス!」
どこがだ。ったく、ユナもカイルも、ついでにこの聖女も。みんな似たり寄ったりの猪突猛進だな。
だが、エリシアが引き摺られていく先を見ると、なるほど、ユナが「チャンス」だと言うのも分かる。
さっきまでカイルに群がっていた聖女たちは、すっかり散っていた。菓子に夢中になっている者、調度品に見入っている者、あちこちで談笑の輪ができている。どうやら、あいつを相手にするのは諦めたらしい。今じゃ、それでも食い下がっている数人が、しつこくカイルに話しかけているだけだ。しかもそういうやつらに限って、やたらとスキンシップが激しい。
すっと音もなくルーカスが近づいてきて、ぼそりと呟いた。
「これ、ひょっとするとひょっとするんじゃないか?」
ルーカスはエリシアの背中を見送りながら、にやり、と口角を上げる。
「そう上手くいくか?」
たしかに、エリシアがカイルに好感を持っていたのは嬉しい誤算だ。だが、あいつがそこからどうこうできるとは、とうてい思えない。
「ちなみにな……」
さらにルーカスが距離を詰め、俺の耳元に顔を寄せてくる。聞こえるか聞こえないかの声で囁いた。
「実物を見ても、やっぱり本の女に似てるぞ」
にししと笑うルーカスに、横目で呆れた視線を送っておいた。
「で? どうする」
ルーカスは俺の肩に肘を乗せ、そう問いかけながらカイルの方へ顎をしゃくった。
「どうするも何も」
言いかけたところで、ルーカスがにやりと笑う。
「面白そうだし、俺たちも行こうぜ」
「は? ちょ、おい……!」
制止も聞かず、そのままスタスタと歩き出した。
とんだ国王だ。
* * *
「ねぇ、カイルさま〜? 少し二人でお庭を歩きません?」
「え、ずるい。私ともあちらで二人でお話ししましょ?」
片方は、やたら胸元の開いたドレスを着ている化粧の濃い女。もう片方は、小柄でふわふわとした感じの、でもどこか気の強そうな童顔の女。両側から腕を絡め取られ、体を押し付けられ、がっしりとしたカイルの肩幅が、見る影もなく小さく縮こまっている。額には汗がにじみ、体力だけが取り柄のはずのこいつが、すでにぐったりと疲れ切った顔をしていた。
「ふっ……、二人で!? いや……そ、その……二人はちょっと……ちょ、ち、近いっ!」
かわいそうに。こいつ、これが原因で「女なんて嫌いだ!」ってトラウマにでもなるんじゃないか? エドガーのやつ、大失敗だな。
「おい、ユナどうするんだ? あの中に割って入るのは、なかなか至難の技だぞ?」
二人に追いついたルーカスが、途方にくれているカイルを見て、ひそひそとユナに話しかけた。
「んー。あの聖女さまたちには悪いんだけどさ、お兄ちゃんにはああいうタイプは合わないと思うんだよね〜」
少し離れたところから、カイルと二人の聖女を見比べながら、ユナが腕を組んで考え込む。
「あ、あの……ユナさん、私の紹介は別に今じゃなくても……」
エリシアの控えめな声は、もちろん届いていない。
「というわけで……」
ユナが、くるりとルーカスを振り返った。
「ルーカス、ごめんね?」
「は?」
ぽん、と肩を叩かれ、意味も分からず固まるルーカスを置き去りにして、ユナはそのままカイルたちの方へ駆けていった。
「ちょっと、お姉さまたち〜!」
何事かと振り向いた二人に、にこりと満面の笑みを向ける。
「国王陛下が、お姉さまたちとお話ししたいって言ってましたよ〜!」
「えっ!」
「陛下が!?」
二人の動きがぴたりと止まり、視線がカイルと、その向こうにいるルーカスを素早く行き来した。その間もじわじわと頬が興奮の色に染まっていく。まあ、そりゃそうか。こいつらにとっては、突然降って湧いた王妃への大チャンスだ。
ごくり、と誰かが息を呑む。次の瞬間、二人は飛び退くようにカイルの腕を離した。
「あ、あの……カイルさま、失礼いたしますわ!」
「またあとでお話ししましょうね!」
くるりと踵を返し、しきりに髪を撫で付けながら一目散にルーカスの方へと向かっていく。
「おいっ……ユナっ――」
焦るルーカスの声が上がるが、すぐに聖女たちの黄色い声にかき消された。つい先ほどまでカイルの腕にまとわりついていた女たちは、今度はルーカスにぴたりと体を寄せ、くねくねと甘えた声を出している。
(こえぇ……)
「よしっ……と!」
満足げに頷くユナの横で、カイルは完全に魂が抜けたような顔で立ち尽くしていた。エリシアはというと、何が起きたのか理解が追いつかないまま、何度もルーカスの方を振り返っている。
「……おまえ……すげぇな」
もちろん半分は褒めてない。だが俺の言葉なんてお構いなしに、ユナはつかつかとカイルのもとへ歩み寄り、呆けている兄の前で大きくため息をついた。
「もうっ! お兄ちゃん、ちょっと情けなさすぎる!」
バシッと一発、カイルの背中を叩く。
「んあっ!? ユ、ユナ!?」
「んあっ、じゃないわよ。まったく。せっかく皆さんお兄ちゃんに興味を持って話しかけてくれてるのに、置き物みたいになっちゃって」
「しょ、しょうがないだろ……だって……あんなの……」
嵐が去り、ようやく我に返ったらしい。悪夢の名残を追い払うみたいに、ぷるぷると頭を振っている。
「あ、ロイ! おまえ、なんで助けてくれなかったんだよ」
俺を見つけたとたん、矛先がこっちに向いた。
「知るか! 俺だって、あんななかに入るのはごめんだ!」
「ひでぇ! 親友だろ」
「それとこれとは別だ」
やっといつものカイルらしくなってきた。ぶつぶつと文句を言いながら大きく肩を回し、縮こまっていた体をしきりに伸ばしている。完全にひと仕事終えた顔だ。だが、こいつの本番は、もしかするとこれからなのかもしれない。
(さて、どうなることやら)
ユナに引っ張られ、エリシアがよろめくように前へ出てきたのを見て、俺は一歩だけ距離を取った。
「もうっ。自分がヘタレなだけなのに、ロイのせいにしないの! そんなことより、お兄ちゃんに紹介したい人がいるの!」
ユナはなぜか得意げな顔で、エリシアの背中をぐいぐいと押し、カイルの正面へと押し出した。
――ほら、わかるでしょ?
そんな声が聞こえてきそうなほど、ユナの視線がやけに雄弁にカイルへ向けられている。
そしてカイルも一目でそれに気づいたらしい。エリシアの顔を見た瞬間、力の抜けかけていた体が、再びピシリと伸びた。




