幼馴染の距離(sideユナ)
(……はぁ)
両手で抱えた紙袋を持ち直しながら、小さくため息をついた。
(またやっちゃった)
今日これで何度目の反省だろう。広場から勝手に帰ってきちゃったことを、昼間から何度も思い出しては一人で後悔していた。あんなの、子どもっぽいったらありゃしない。きっとロイも呆れてる。
(ていうかさ! 今日初めて会った行商のお兄さんでさえ私の気持ちに気づいたくらいなのに。ロイはなんで気づかないのよ!)
遠くで、カラスがやけに間延びした声で一声鳴いた。
(……ロイの、バカ)
子どもの頃、私には「お兄ちゃんが二人いる」って思ってた。ひとりはもちろん本当のお兄ちゃん。そして、もうひとりがロイ。優しくて、頼りがいがあって――大好きな存在。
もちろんすぐに、ロイは兄妹なんかじゃなくて、ただの幼馴染のお兄ちゃんなんだって理解したよ? でもそれがちょっと嬉しかった。だって、兄妹じゃないなら「いつかロイと結婚できる!」って、本気で思ってたから。
まあ、そんなこと、ロイに言ったことはないんだけどね。ロイが私のこと、妹みたいにしか思ってないのはわかってるし。でもそれくらい、私のロイへの想いは年季が入ってる。なんなら積もりに積もって……もはや化石レベル。
それなのにロイってば、まあっっったく気づかないの! 鈍いったりゃありゃしない。一応、こっちはアピールしてきたつもりなんですけど!?
(……って、全部、雑誌の恋愛特集の受け売りなんだけどさ)
時には甘えてドキッとさせろって書いてあったから、かわいくデザート奪ってみたし。スキンシップも大事って書いてあれば、疲れたふりしてくっついてみたりもした。それに、ネックレスを付けてもらうのは上級テクニックって書いてあったんだけどなぁ。
(なのにロイ、全部普通に受け入れてたけど)
デザートは「よく食うな」って呆れられるし、勇気を出して寄りかかってみたのに「俺の方が疲れてる」って逆に頭に肘乗せられるし。あげく、ネックレスなんて、お兄ちゃんとどっちが早くつけられるか競い始めるんだよ? なんかもう、作戦とか以前の問題なんですけど。
(やだ、私ってば相当かわいそうじゃない!?)
危うくせっかく買ったパンを握り潰しそうになって、慌てて抱え直した。
通りの先に見える赤い屋根。亡くなった両親が塗り替えたものらしいけど、ぱっと目立つし、色も可愛くて私も気に入ってる。その見慣れた景色に、さっきまで頭の中をぐるぐるしていたロイへの愚痴が、ふっと途切れる。
(ロイには、今度ちゃんと謝ろう)
怒って帰っちゃったこと。
ロイのお見合いがショックすぎて、最近ずっと嫌な態度とっちゃってたこと。
(このままじゃ妹ポジどころか、面倒くさい女って嫌われちゃう)
なんだか本気で泣きそう。小さく鼻をすすりながら、私はとぼとぼと家へ向かった。
玄関の扉を静かに開けると、ふわりと温かい匂いが漂ってきた。どこかで嗅いだことのある、甘くて懐かしい香り。その匂いにつられるようにリビングの方へ足を向けた。
「おっ、お前こそ誰がよかったんだよ。写真、お前も見ただろ」
(お兄ちゃんと……ロイ?)
不意に聞こえた「写真」という単語に、小さく息を呑む。
(写真って、この前のお見合いの写真のこと?)
胸の奥が急にそわそわし始める。そっと足音を忍ばせ、ドアぎりぎりに耳を近づけた。
「おい、聞いてんのかよ」
ドアの向こうで、お兄ちゃんが焦れた声を出す。
「あ? ああ、聞いてる」
(ロイの声だ)
さっきから、心臓がもう、お祭りの太鼓みたいにドコドコとうるさい。二人とも何の話してんのよ。
(お願いだから変なこと言わないで……!)
「俺はあの人がいいな」なんて聞こえてきたら、たぶん私、立ち直れない。
次の瞬間、ロイの声が続いた。
「あのな。俺はお前と違って、マジで見合いには興味ないんだよ」
(え?)
一瞬、頭の中が空っぽになる。今、なんて言った?
(見合いに……興味ない?)
お兄ちゃんが「マジかよ!」なんてうるさく騒いでるけど、そのあとの会話はもう耳に入ってこなかった。さっきのロイの言葉だけが、ずっとエンドレスで脳内再生されている。
(そうなんだ)
袋からパンが転げ落ちそうになって、咄嗟に押さえた。紙袋がくしゃり、と潰れる。
(やばい)
口元が……緩む。
私は慌てて顔を引き締めると、勢いよくドアノブに手をかけた。
* * *
(待って! 待って! 待って!)
部屋に駆け込んでドアを閉めるなり、私はへなへなとドアにもたれ掛かってしゃがみ込んだ。
(ロイの顔……赤かった!)
ワンピースのファスナーを閉めてもらったあと、何気なく振り返ったときの、あの照れたような、焦ったようなロイの顔。
今までどんなにアピールしても、兄ポジの表情を崩さなかったロイが、真っ赤な顔で視線を逸らした。
(あんな顔、見たことないって〜〜〜!)
ロイが触れた――いや、正確には触れてない。ロイはやけに慎重に、肌に触れないようにしていたから――後ろ首の下が、じんじんと熱い。
さっき、すぐ後ろにロイがいた気配とか、あの近さとか。思い出すだけで、「うわぁぁっ!」って、ベッドに思い切りダイブしたくなる。距離だけなら、もっと近いことだって今まで何度もあったのに。
膝に顔をぎゅうぎゅうと埋め込みながら、私は声にならない声でぽそりと呟く。
「ファスナー作戦……大成功なんだけど……」
頭の中で、昼間のあの声がふっと蘇った。
『ファスナー閉めて〜♡って甘えれば、男なんてイチコロよ』
甘ったるい声と一緒に、お色気ムンムンのお姉様の笑顔が、やたら鮮明に浮かんでくる。昼間、行商の店でワンピースを見ていたとき、たまたま隣にいた綺麗なお姉様たちが、そんな恋バナをしていたのだ。
私はそれをこっそり盗み聞きして、さっきこのワンピースを着るとき、ドキドキしながら背中のファスナーを数センチ開けておいた。
(まさかこんなに効くなんて思ってもみなかったんだけど……)
頭の中で、昼間のお姉様が、得意げにウインクしている気がした。
(しかも! しかも!)
ぐりぐりと膝に額を押し付けながら、さっきのロイとのやり取りを思い出す。
(ロイ、ベージュじゃなくて紺にしてくれたし!)
広場で試着してたときは、ベージュを着て満更でもなさそうだったのに。
「おまえが紺にしろって言ったんだろ」なんて睨んでたけど。え、なにそれ。じゃあ私が言ったから変えてくれたってこと?
(やだ……ロイ、好きすぎる!)
早く脱がなきゃせっかくのワンピがシワになっちゃう。
でも――私はその場でしゃがんだまま、しばらく動けなかった。




