第7話「”聖女様”の伝説」
「ほんとに知らないのかい!? ある日流星のごとく現れたことから、『人々の危機に神が地上に使わされた娘』といわれたお方を!? 300年前魔王の手から全世界を救った聖女アリア様といえば、今時3歳児でも知ってるよ!?」
おばちゃんが、信じられないものを見るような目を向けてくる。
私も、できれば信じたくなかった。
それにしても……口元を拭きながら対面にいる少年に問う。
「キラ……“少し”有名、だったか?」
「………」
漆黒の髪からルクの実のジュースを滴らせた少年は、バツのわるい目をしながら……賢明にも無言をつらぬいた。
(髪の色を変えたほうがいいと助言したのは、このためか……)
とりあえずさっきおばちゃんが言ったように、『聖女様の生まれ変わり』などといわれる自分を想像してみる………鳥肌がたった。
本当に変えておいてよかった。
それにしても、本日2度目の衝撃だ。
300年後の世界というだけでも驚愕だったのに、今度は”聖女”。
……そろそろ心が折れそうである。
そんな自分たちのまわりに流れる微妙な空気を知ってか知らずか、おばちゃんはダメ押しともいえる言葉を重ねてきた。
「ああ、あんた運がいいよ! そういえば今日は吟遊詩人が来てる日だったわ。今日のは聖女様の詩を詠うはずだから、ちゃんと聴いていきなさい!!」
この食堂には見世物をするスペースもあるらしく、しばらくすると(なんともタイミングのいいことに)派手な格好をした男がハープを持って現れた。
………正直、聴きたくない。
しかしおばちゃんが睨みを利かせているため、逃げることもできない。
魔物相手には“無敗”を誇る自分でも、このおばちゃんの強引なおせっかいには勝てなかった。
そして憂欝な自分の感情とは裏腹に、吟遊詩人は高らかに”それ”を詠った。
「彼の者の美貌 天地に比類なき
瞳に宿す紫は宝石のごとく
風に揺れる白銀は月光のよう
けがれなき真珠の肌は何人にもおかしがたく
ただその清らかさを象徴せん
傍らには猛々しき金色の狼をはべらせ
救世の道をいざ歩まん
ああ、我らが愛しき神の娘アリア
月光の聖女
黎明の戦女神
紫銀の救世主
彼の者その命をもって魔王を打ち滅ぼし
我らの命を救いたまん
我らその犠牲を忘れることなかれ」
詩がおわり、拍手とともにおひねりが投げられる。
そんな中、私はただ一人、微動だにせず、無我の境地に入ろうとして……失敗した。
どうしよう……さっきまで耳に入った“音”を何一つ理解したくなかった。
「いい詩だろう? 聖女様を讃える詩は多くあるけど、これが一番有名さ。なんたってこの詩をつくったバッハン伯爵は、実際聖女様に拝謁できた数少ない人だったって言うからねえ」
そう、聞いてもいないのに親切に教えてくれるおばちゃんの解説を聞き、ようやく思考を取り戻し始める。
(バッハン伯爵……………あの変態か!!)
今、自分の目の前にいたら、確実に殴っていたであろう人物のことを思い出す。
やつは……例のパーティーで極悪宰相に紹介された貴族のうちの一人だった。
やたらしつこかったからよく覚えている。
(そういえば、『私、詩をつくるのが得意なんですよ。今度あなたの美しさを讃える詩をつくっても?』とかきざったらしく言っていたが……)
まさか本当につくるとは。あの時キッパリと断っておけばよかった。
もっとも宰相が紹介してきたことを考えれば、これも最初から例の“計画”のうちだったのだろうが……
そんな複雑な自分の胸中を知ってか知らずか、既に開き直っているキラが無邪気に詩の感想を尋ねてくる。
ちなみに、おばちゃんは満足したのか仕事に戻っていったようだ。
「あはは、おもしろい詩でしたねぇ。ご主人様はどう思いましたか~?」
ほんとにおもしろそうに笑う様子に、一瞬殺意を覚える。
……とりあえず、八つ当たりが必要だろう。
「猛々しき金色の狼……猛々しき……猛々、しき?」
そして胡乱な目でキラを見てやる。
「何度も言わないでください!? しかも最初に突っ込むのがその部分ですか!?」
(そんなことを言われても……現実逃避もしたくなるだろう)
もはや完全に別人を讃えているとしか思えないあの詩に、一体どんな感想を持てというのだろうか。
いくら魔王を倒した英雄として持ち上げるにしても……
「はぁー…………普通、ここまでやるか?」
ため息しかでてこない。
神の娘、聖女、女神に救世主……知らない間にずいぶんと二つ名が増えたものだ。
だが、こうつらつらと並べては、逆にありがたみにかけるような気もする。
ほんとに詩作が得意だったのかと疑いたくもなるものだ。
……もしかしたらセンスのないあの貴族連中が、寄ってたかってあれこれ詰め込んだ合作なのかもしれない。だとすれば納得の出来だ。
それにしても―
「ずいぶんと出世したものだな」
つい皮肉気に笑ってしまう。
“化け物”やら“悪魔”やら呼ばれていた自分が、今では”神の娘”で”聖女様”だ。
……はたして神などこれっぽっちも信じていないただの人間が、聖女になどなれるのか、甚だ疑問だが。
5年前……いや305年前のあの日から、私は神に祈ることをやめた。
敬虔な信者であった両親を死なせた神を恨み、なによりその原因をつくった自分の運命を呪い……神を憎んだ。
そんな自分が神の娘だと?
救世主だと?
(反吐が出る。お前らのために……世のため人のために魔王を封印したわけではないのに)
(私は、ただ一人のために……)
そのままつい哀愁にくれてしまいそうになる思考を、なんとか押しとどめる。
負のスパイラルから脱出するためにも、他のことを考えないと。
……そういえば、最後の一文。
「『我らその犠牲を忘れることなかれ』、だったか…」
死んだ自分を担ぎあげるだけなら、この一文は不要だろう。
なにより疑問だったのが――
(こんな殊勝なことをいうやつらだったか?)
このふざけた詩をつくった連中。あの性悪どもの中に、最後の文を書くような殊勝な心を持つ者はいない……はずだ。
……………だが、彼らの顔を思いだすだけで気分が悪くなったので、結局すぐにその思考も放棄してしまった。