第3話「学園の聖女」
「そーいや、そろそろ夏祭りの時期だなー」
猛暑を謳歌するように、賑やかな虫たちの合奏が教室にまで響き渡る……そんな夏の真っただ中。
授業の休憩時間中、ライルが、思い出したように呟いた。
頭の後ろで手を組み、ダルそうに何もない空間を眺めている彼は、ここ最近夏バテを起こしているらしい。
「夏祭り?」
「そ、正確には聖女追悼祭」
聖女追悼際。何とも嫌な響きである。
(まさか…………私の追悼祭か?)
そのまま誰かに質問することはできないが、もしそうだとしたら一体どんな皮肉だろうか。
「ライル、聖女というと……もしかしてあの聖女か?」
「もしかしなくても有名な聖女なんてこの世に一人しかいないだろ。結構有名なはずだけどな? ハインレンスの夏祭り、またの名を聖女アリア追悼祭」
どうやら正解だったらしい。是非とも間違っていてほしかったが、致し方ない。こうなっては、言い出しっぺに一言文句を言わなければ気がすまない。
「主催はどいつだ?」
私の脅すような口調に驚いたのか、ライルは顎に手を当てながら真面目に考え始めた。
「主催? うーん……どこだ? 多分王家、か? だよな、レスト?」
「いや、まあ多分王家だとは思うが……国家行事として何百年も前から続いてるものだから今となっては何とも……」
歯切れの悪いレストの言葉を信じるなら、発起人はとっくのいう間にこの世にいないことになる。なんとも口惜しい。
もし生きていたら闇討ちのひとつでもしたものを……許可なく勝手に人の追悼祭をしようなど言語道断である。
いや、許可など取りようもないことは百も承知しているが、心情の問題なのだ。
「そっかー、もうそんな季節かぁ」
「ええ、それも今年でちょうど300年の節目になりますのよ」
私たちの会話が耳に入ったのか、ミアとローズも話に乗ってくる。
ちょうど300年……改めて確認すると感慨深いものがある。何の因果か運命か、私もおかしな人生を送っているとしみじみと感じる。
「そうだ。だから今年は例年よりも規模が大きい。他国からの賓客も多数来ることになっている」
レストがそんな裏情報を話していると、今度はどこからともなくフィルが現れた。その顔といったら、何を考えているのかだらしないことこの上ない。
「あー、今年の“ミス聖女”は誰になるのかなぁ?」
「………“ミス聖女”?」
これまた恐ろしい響きである。もう嫌な予感しかしない。
私がこれ以上ないほど顔を歪める一方で、フィルは身を乗り出して猛然と語り出した。彼の瞳は溢れ出る情熱からか、太陽に負けないほど爛々とした輝きを放っていた。魔法具を作るとき以上の無駄な熱意を感じる。
「知らないの!? いいかい、アリアちゃん! “ミス聖女”コンテストは国中のかわい子ちゃんの中からベスト・オブ・聖女を選ぶ由緒正しい大会なんだよ! その始まりは――」
「まあ、女の子の憧れではあるよねぇ」
いつものように湯水の如く溢れ出る言葉の弾丸を打ち始めたフィルを、ミアはきれいに無視した。
フィルのうだつの上がらない性格というか、何をどうやっても滲み出るダメ男臭のようなもののおかげというか……最近はこの二人もだいぶ打ち解けたらしく、平民と貴族の垣根を越えた漫才を繰り広げることが多い。
(いや、ベスト・オブ・聖女ってなんだ。一体どんな基準で選ばれるんだ?)
そんな私のささやかな疑問に誰が答えてくれるわけでもなく、話題は今年のミス聖女が誰になるのかという方向へ転がって行った。既に地方の予選会は終了しているようで、最後の王都予選会が今度の休みに行われる予定らしい。
とことん聖女の名前を利用し尽くすこの国の方針に呆れるやら感心するやら、一人冷めた気分で盛り上がる会話を聞いていれば、不意にローズがいいことでも思いついたようにパンっと手を叩いた。
「そうですわ、アリアさんも出場してみてはどうですか?」
「あはは、そりゃいい! 名前も一緒だし、なんかトンチが効いてるよな!」
「ライル、冗談はやめろ」
笑えないにも程がある。シャレにならないし、トンチもきいていない。もしそんなことになったら悲劇以外の何ものでもないだろう。それに、これ以上面倒事に巻き込まれるのは勘弁願いたかった。
だが、級友たちは訳ありげな顔でお互い目配せをし始める。
「えー。でも、ねぇ?」
「だよ……なぁ?」
「ですわ、ねぇ?」
「だろうねぇ」
「………」
含み笑いを押さえているのがまるわかりである。唯一レストだけが気の毒そうな表情でこちらを見ているのが非常に気になる。
「……なにかあるのか?」
いぶかしげな視線を送れば、途端に全員きれいに目を逸らしてきた………確実に何か隠している。
「さぁー? まあ、ミス聖女はともかく、どうせだからその日皆で屋台まわらない?」
「お、いいねー」
「いこいこー」
結局、なし崩し的に話題を変えられて、ミス聖女についてはそこで一旦お開きになった。
「――そんなわけで、リュートも一緒にどうだ?」
「あー、ごめん。俺もうクラスの奴と行く約束したから……」
せっかくだからリュートも誘おうと、放課後キラと一緒に初級クラスを訪ねてみれば、
予想外の答えが返ってくる。私は申し訳なさそうに頬を掻くリュートを驚きとともに見つめた。
「……お前、順応が早いな」
ローズの家が身元保証をし、リュートがこのクラスに編入したのがつい1か月前のことである。
なんでもローズから話を聞いた父親が、孤児院の実態について本格的に調査をしたらしく、実際リュートの証言通りの杜撰な経営がされていたことが発覚したそうだ。
今までの罪滅ぼしではないが、不正発覚に協力してもらった礼という名目で、ベルドット家がリュートの身元保証をするという経緯になった。今後は監査組織を整備し、出資者や聖職者による定期的な視察も行われるという話になったらしい。
リュートは最初の1週間こそ、そのやんちゃぶりに教師も手を焼かされたらしいが、生来の溌剌とした性格が功を奏したのか……持ち前の明るさで老若男女入り混じったクラスに馴染んでいるようだった。
いともたやすく集団の輪に混じることのできるその順応性に私が少しだけ嫉妬を感じていると、リュートがもの言いたげに視線を送ってきた。
「なあ、あんた“ミス聖女”でるんだよな?」
「なんだ」と問いて返ってきた答えに、またその話題かとげんなりしてしまう。
「どうしてお前まで……しかも、なぜ私が出ることが前提のような話になっている」
「いや、だってさ、あんたのためにあるようなもんじゃん。“学園の聖女”が出なくてどうすんのさ」
「“学園の聖女”? ……なんだその陳腐な呼称は?」
“聖女追悼祭”、“ミス聖女”に次ぐ不吉な言葉に、頭のどこかから警鐘が発せられる。
「もしかして自分がなんて呼ばれてるのか知らねーのかよ? 信じらんねー! 俺だってまだ2週間しかここにいないけど、あんたの噂なら耳にタコができるほど聞いたぜ!?」
「……非常に聞きたくないが、参考までにどんなものがあるのか教えてくれないか?」
嫌な予感に頬を引きつらせながら一応聞いてみれば、次から次へと出てくる“噂”の数々に戦慄を覚えるはめになった。
「転校初日に公爵家の跡取りと第二王子をたらしこめた魔性の女。害意を持って近づいいた奴は、使い魔の餌食にされるから命が惜しければ絶対に手を出しちゃいけない。使い魔キラはどこからともなく嗅ぎ付けて、主人に仇名す人間に忘れられないトラウマを叩きこむ、いまや恐怖の代名詞。その圧倒的な魔法と伝説に詠われる聖女のような美貌から、もはや高嶺どころじゃない絶壁の花、取りに行くなら命をかけろ。それが、“学園の聖女”アリア・セレスティ………って俺は聞いたぜ。他にもまだまだあるけど、聞く?」
「いや、もういい」と反射的に答えて、こめかみを押さえる。目覚めた初日に受けた衝撃に匹敵する話のひどさに、聞かなければよかったと心から後悔した。
まったく、二つ名が増えて嬉しい限りだ。ひどいにもほどがある。
リュートに当たるのはお門違いというものだろう。突っ込みたいところは多々あったが、まずは気になるところから攻めることにした。
「キラ」
恐怖の代名詞らしい相棒を呼んでみれば、キラは逃げようとしていた体をビクリ震わせ、恐る恐るといった風に振り返った。
私が無言の圧力をかけると、今度はもじもじしながらおちょぼ口で口笛を吹き始める。
こうしているとずいぶんといじらしく見えるが、騙されてはいけない。
「だから昼間に見かけなくなっていたのか?」
半眼で問い詰めれば、誤魔化すように調子のはずれた口笛を吹いていたキラは、やがて観念したのか、微妙に視線を外しながらかわいらしく首を傾げた。
「…………てへ♪」
美少年が困ったような笑顔で首をコテンとかしげる姿は、なかなかの破壊力があった。きっと普通の女性ならばなんでも許してしまいそうな、そんな魔性を秘めていた。
……が、今回に限っては、残念ながら使う相手を間違えたと言わざるを得ない。この私にそんなチンケな手が通用すると思ったら大間違いである。
無言でキラに近づいた私は、その緩みきった頬を思い切り左右に引き延ばした。
「ほ、ほひゅひんひゃまー。いはいへすー」
「一体どういうことだ」
スライムみたいによく伸びる頬を極限まで横に引っ張ってみると、ぷにぷに具合が意外と癖になることに気付いた。
「ほへんなはいーほんどひゃらひをつへまふー」
情けない顔になりながら、キラは言い訳もせずに制裁を受け入れる。口を割る気のないその様子に、先に根負けしたのは私の方だった。
「あのな、お前が私の付き合いにそこまで縛られる必要はどこにもないんだ。頼むからもっと自由に過ごしてくれ」
「………はーい」
両手で頬を押さえ、涙目になりながらも渋々返事をするその様子に、本当に大丈夫か疑いそうになる。私のために動いてくれるのは嬉しいが、時々こちらの想像を超える過激さを見せるこいつに心配の念が絶えない。
怖々と私とキラのやりとりを見ていたリュートは空気読んだのか、取り成すように新しい話の種を蒔いた。
「ま、まあ、どっちにしろミス聖女に出るのは違いないんだから頑張れよ。校内投票じゃ、あんたがぶっちぎりで選ばれるだろうし」
「………待て、何の話だ?」
もういい加減にしてくれ、と言いたくなるくらい今日は不吉な単語を聞いている気がする。“校内投票”……文脈から察っしたくもない嫌な予感が漂ってくる。
私の剣幕に驚き仰け反ったリュートは、頬を押さえながら後ずさった。
「し、知らねーの? 毎年この学園から一人出ることになってるんだよ。校内の投票で。まあ、噂じゃもうほぼ確定してるらしいけど」
リュートがそっと指さした斜線上には、なぜか私がいた……後ろを振り返っても誰もいない。おかしい。
「いや、誰もいないから。てか、あんただから。学園の聖女で知名度バツグンだし、選ばれるに決まってるじゃん」
最後通告でもするように、リュートは呆れた声で私の淡い現実逃避をぶった切った。
「………」
「………」
リュートの目は確信に満ちていた。一方の私の目はおそらく絶望に満ちているだろう。
「ふふ、そうか……つまり、そういうことか………」
喉の最奥から低い声がこぼれると同時に、ふつふつとマグマのように静かな怒りが込み上げてくる。遠巻きに私とリュートを眺めていた初級クラスの生徒たちが、捕食者に見つかった野生動物のようにビクリと体を揺らした。
八つ当たりの被害者たちには悪いが、今私の頭はこのことを教えてくれなかった友人たちへの想いで溢れている。
あの思わせぶりな態度といい……奴らの含み笑いが脳裏に浮かぶ。
「あ・い・つ・ら」
拳をふるふる震わせながら、脳内で級友たちに広域殲滅魔法……はさすがにやりすぎなので、捕縛魔法で逆さづりの刑を食らわす。何かがおかしいと思っていたんだ。
「今日は散々な日だったな」
そんな愚痴を吐きながら、夕日が差し込む学園の敷地をキラと並んで歩く。
昼間はあんなに騒がしかった虫たちの合唱も、いつの間にか風情漂う控えめな子守唄になっていた。
「あいつらどうしてくれようか……」
だが斜陽と美しいコントラストを描く花々を眺めながら、私の口をついたのは残念な悪態だ。
この学園の花木は、土属性の生徒達が授業の一環として丹精込めて育てているものである。国内最高峰の学び舎に相応しい雄々しい木々、咲き乱れる季節の花々は見る者を分け隔てなく癒してくれる……が、今の私の荒んだ心には焼け石に水だった。
“聖女追悼祭”に“ミス聖女”、しまいには“学園の聖女”とコンテストへの強制参加。計り知れない精神的ダメージに、心はすっかり灰色に染まってしまった。
もし魔王が復活したと言われても、今なら「あ、そう」の二言で受け止められる自信がある。
そんな私の淀んだ雰囲気などおかまいなしに、隣の使い魔はワクワクを隠すこともなく一人で盛り上がっていた。
「ご主人様、どうせ出るなら優勝ですよ! 優勝!!」
「キラ、おかしいと思わないのか? 何が悲しくてよりにもよって私が“ミス聖女”に出なければならない」
根本が間違っていることにまず気が付いてほしい。ノリノリのキラに釘を刺すが、本人は当事者そっちのけで妄想に耽り始めた。何の妄想をしているのかは聞きたくもない。
なんにせよ冗談ではない。自分の追悼祭を観覧するだけでも馬鹿馬鹿しいのに、ミス聖女コンテストに参加? 死んだ方がマシな暴挙である。
(いや……そもそも出てやる義理などどこにもないではないか)
仮病でも失踪でもなんでもいいから、適当に理由を作って逃げればいいのだ。
「ともかく、私は絶対に出ないからな!」
決意も新たに相棒に宣言すると、奴は思わせぶりな顔をした後………目と口を半月にしてニヤァと笑った。
………なぜか、全身を悪寒が襲った。