第3話「現実」
「さて、どうしたものか」
キラからこれまでの経緯について説明を受けたものの、やはりいまだに信じられない気持ちが大きい。
……というか実感がわかない。
自分にとってはつい先ほどのことのようなあの出来事から、300年も経っているなんて。
その気持ちを悟ったのだろうか、キラが唐突に「街に行きましょう! ちょっと待っててください!」と言って洞窟から飛び出していった。
そしてしばらくして戻ってきたキラの手には、血を拭うためのタオルと黒いワンピース、あとはなぜかお金が握られていた。
確かに今のような血まみれの格好で街へ行ったら、騒ぎになるかもしれないが……
「……いったいどこから調達してきたんだ? まさか盗――」
「拾いました!」
………中身は変わっていないと思っていたが、どうやら認識を改めなければならないようだ。
確実に以前よりしたたかになっている。
いつの間にこんなこと覚えたんだか。
まあなんにせよありがたいし、今は文句を言えるような状況でもないかと思い、礼を言って受け取る。
(しかし、後でもう一度しつ……教育しなおさなければ)
そう決意しキラの方を見ると……目があった瞬間、ものすごい速さで外に逃げられた。
黒のワンピースはシンプルで好みだったが、ここ5年間のほとんどを軍服で過ごしてきたため、スカートは少し気恥ずかしい。
最後にスカートをはいた記憶といえば……魔王討伐の遠征に向かう前日、健闘を祈る名目で行われた城のパーティーに無理やり出席させられた時以来だ。
あのドレスは苦痛だった。出席者たち(特に男)からはまるで珍獣でも見るような眼を向けられた。
ジロジロジロジロ。
“化け物”がドレスを着るのがそんなに珍しかったのか……嫌な記憶を思い出してしまい嘆息する。
でも―
(あの時のアスト王子はかっこよかった。……そういえば、あのパーティーの時に『魔王討伐が終わったら、伝えたいことがある』と言っていたが)
もしキラの話が本当なら、それはもう永遠に聞くことはできないだろう。
アスト王子はもう……
そしてなにより、自分の生きる理由であった少女も……
そこまで考えたところで一度思考の糸を断ち切る。頭を振って、素早くワンピースを着用し、外で待つキラのもとへと足を進める。
話が本当なら、今そのことを考えても時間の無駄だ。
(まずは現状を確認しないと……)
そして洞窟から出て、キラの先導で一番近い街へと向かうことにした。
私のいた洞窟は山(バルモア山というらしい)の麓の滅多に人の来ないところにあった。
ちなみに、キラが目くらましの魔法をかけていたこともあいまって、誰かに見つかることは一度もなかったらしい。ほんとに何から私を守っていたんだ?
(こんな辺鄙な場所にいたとは……)
キラはよく私を見つけられたものだ。
その執念には感服する。
あの戦場からは馬で12日ほどの距離にあるらしい。
どうしてこんなところで300年も寝ていたのだろうか……まったくもって謎だ。
ぴったり300年というのもなんだかひっかかる。
まあ、あの古代ヴィシア式魔術はいまだ解明されていないところも多い。
もしかしたらもとから封印後、術者はどこかに飛ばされ、300年の眠りにつく仕組みだったのかもしれない。
そう考えると命が助かる可能性があるというのも、寝ている間になんらかの外的要因によって死ぬことがほとんだからこそあった記述だと推測できるが……
(まあ、これ以上考えても仕方ないだろう……とりあえず街見学だ)
街道を目指して森を抜ける道中、キラから基本的な地理の説明を受けることになった。
「ここはハインレンス王国ディレイド公爵領のほぼ中央部に位置します。ちなみにこれから向かうのはポーラという商業が盛んな街ですよ~」
「ディレイド公爵領……よりによってあの極悪宰相のとこか」
なんだかそれだけで気分が滅入ってくる。
どうせなら寝ている間に没落してしまえばよかったものを……今代の人には関係ないことかもしれないが、やはり自分の貴族嫌いはなかなか治せるものではないのだ。
しかしポーラという街は聞いたことがない。
それについて尋ねてみると、今から約220年ほど前にできた街、らしい。
……なんだか時間の感覚がおかしくなってきた気がする。
現実逃避をするように周囲の光景に目を向けると、何本かの木でピンクの花が色づいているのに気付いた。
「ユスラの花……今は春なんだな」
自分にとって昨日のことのように感じる戦いは、夏の暑い日のものだった。
これで少なくとも季節が一巡するくらいには寝ていたことが証明されたわけだ。
春になると咲くユスラの花。
妹が好きだった薄紅色の可憐な花。
(本当に、もういないのか……)
そんな風に感慨にふけりながら歩いていると、ついに森の終着点が見えてきた。
あとは街道沿いに歩いていけば20分ほどで街に着くらしい。
そうしていざ森を出ようとした時、ふと思い出したようにキラが言う。
「あっ! その髪の色は魔法で変えておいたほうがいいかもしれません」
あたりまえのようにその理由を尋ねてみると、またモジモジしながら上目づかいで見てきた。
……どうにも嫌な予感しかしない。
一時の心の平穏をとるか、それとも――
悩んだ末に結局黙って髪色を変えることにした。
できることなら今日だけはこれ以上心乱されず、穏やかに過ごしたいからだ。
……もっとも、数刻後すぐにその期待は裏切られることになる。
とりあえず髪色を変えることは決定したが……
「むむ、何色にするか……」
そう独り言をつぶやく。
すると横から元気よく「黒!!」という意見が寄せられた。
特に反対する理由もないので、魔法を使い髪を黒色にコーティングする。
瞳の色を変えるのはなかなか難しく(やろうと思えばできるが)魔力もかかるのだが、髪色程度ならば片手間で変えられる。
(どこか、違和感があるような……?)
髪色のことではない。
魔法を使ったときに、いつもとは少し違った感じがしたのだ。
しかし首をひねって考えてみるも、その違和感の正体がわからない。
「わ~い。ご主人様とおそろいだぁ~」
だが、飛び跳ねる紅顔の美少年を見ていると、なんだかそんな瑣末なことを考えているのが馬鹿らしく思えてきた。
どうせそのうちわかるだろう。
そのキラは私の周りをクルクル回りながら、上機嫌でこう尋ねてくる。
「うふふ、僕たち姉弟に見えますかね~?」
(キラが弟?)
少し考えて、問われた質問とは全く異なる回答をする。
「面倒くさそう」
そうして、なぜかプンスカ怒る少年の声を背に、街への一歩を踏み出す。