第3話「思案」
あたたかな春の日差しが降りそそぐ中、正門の前を横切り校舎の中へと足を進める。
正門といえば……学園の門に変な魔法がかけられてから、早1ヶ月が過ぎたことになる。微かな魔力を匂わせながらも、自分以外の生徒はその存在にすら気づいていない魔法。かくいう私も何の魔法がかけられているのかまではわからなかったのだが、結局害はなさそうだと思い放っておいた。
それでも、つい先日だっただろうか……興味本位で担任に訊いてみれば、彼はいつもの飄々とした口調でこう言いきった。
『新しい魔法の実験をしている』
だ、そうだ。
しかし、生徒を実験台に使うとは、なかなか強かな研究者もいたものである。もっとも、それを許す学園側も相当なものだが……
そんなどうでもいいことをつらつらと考えていると、いつの間にやら本日の目的地に到着していた。
いつもの教室とは違う真っ白なドア。その扉を開けば独特な薬品の匂いと共に、いつもどおりの元気な挨拶が迎えてくれた。
「おはようお姉ちゃん!」
「おはようございますアリアさん、今日もよろしくお願いします!」
「ああ、おはよう」
人懐っこく、どこか自分の妹に似ているユーナ。そして、そんな妹想いのエリック。同じように妹を持つ……いや、持っていた人間として、手を貸すのもやぶさかではない。
「お姉ちゃん、明日はもうお外で遊んでもいい!?」
「随分と気が早いな。残念だがあと2、3日は安静にしてないとダメだ」
「えー!!」
「こら、ユーナ。あまりアリアさんを困らせるなよ。どうせあと数日で外に出られるんだからいいじゃないか」
「むー、じゃあお兄ちゃん、その時は新しいお洋服買ってね!」
「えっ」と口元を引きつらせたエリックに、過去の自分を重ねて苦笑する。弟妹の我儘に振り回されるのも、先に生まれた者の務めだ。
魔族の呪いにかかっていたユーナは、この2日間で随分と回復した。
もともとおてんばな性格だったらしく、最初の頃に比べると今のように笑顔も口数も随分と増えた。なにせ、最近は『元気になったらすること』リストを書き、その膨大な量にエリックが頭を悩ませるほどである。
もっとも、彼にしても困った顔をしながら口元は常に緩やかな孤を描いており、その心情は簡単に推し測ることができた。
「よかったなユーナ。じゃあ、今日の治療を始めるか」
「うん!」
「お願いします」
昨日までで呪いの解呪は完了したから、後は今日1日かけて皮膚組織を治癒すれば元通りの健康体だ。数日経過を見て大丈夫そうなら、彼女が望んだ通り外で遊べるようにもなるだろう。
(本当はもう少し早く治してやりたかったけど……)
その理由のひとつ、『治癒魔法が苦手』というのもあながち嘘ではない。なにせ自分自身に使用できない治癒魔法は、これまで私にはほとんど縁のない魔法だったのだから。
だが、今回のケースに限っては魔力量の方が問題だった。
魔力量の方も順調に回復してはいるのだ。それこそ、最初はあまりにちまちま回復するので、一体全快まで何年かかるのかとやきもきしていたが、ここ最近はどうやら体が慣れてきたようでその回復量も増え続けている。
……まあ、そのかわり魔法の威力も相対的に上がってしまい、コントロールの上達進度とのイタチごっこが続いていたりもする。先日の外壁破壊然り。
ともかく、そんな経緯もあってかさすがに授業で魔力を使いきることはなくなってきた。この分だと長く見積もっても、一年あれば元の魔力量に戻ることだろう。
だから現代レベルの呪いであれば、魔力が問題になることはまずなかったのだ。
言い換えれば、今回はその呪い自体がなかなかどうして厄介な代物だった、ということになる。
蜘蛛の目のように複雑に絡み合った術式は、術者の陰険さ具合がよく現れている。その上、下手に手を出せば、一発で天に召されるような仕掛けになっていたのが非常に勘に障った。以前の魔力量なら強引にやっても良かったが、今はそれもできないのが口惜しい。
ちなみに、先日様子を見に来たキラも同意見だったらしく、『いつもらったの?』とユーナに問いかけた彼は、5ヶ月前という答えに『ふーん』とぼやけた返事を返しながらも、始終不機嫌な顔をしていた。
おそらく魔族の残り香がプンプンする呪いの近くにはいたくなかったのだろう。足早に去ろうとしたキラは、去り際にふと立ち止まって『あ、一応忠告くらいはしておこっかな』と呟き、エリックに何か耳打ちしていった。
そして、なぜか顔面蒼白で、もげるんじゃないかというくらいガクガクと首を揺らすエリックの姿に、満足気に頷いていつも通り遊びに出掛けた。
それ以来だろうか。エリックは会話こそ普通にするが、常にどこかビクビクしており、決して一定の距離から私に近づこうとしない。まるで一時期のレストのような状態である。
……いったい何を言ったんだ、あいつは。
どうもしつけ方、もとい育て方を間違えた気がしてならない。私が封印中の300年でいろいろあったのかもしれないが、なにやら変な方向にたくましくなっている気さえする。なにせ最近怪しい行動が多すぎるのだ。
(今からでも矯正は可能なのだろうか)
そうして、遠い目をしながらここにいない相棒の教育に頭を悩ませていると、目下からかわいらしい寝息が聞こえてきた。
「あ、こらユーナ……」
「ああ、起こさなくていい。眠ったままでもできるさ」
視線を落とすと、さっきまでの賑やかさはどこへいったのか、今度はあどけない寝顔を披露するユーナがいた。
かわいいものだ。きっと昨夜はいろいろと楽しみで眠れなかったのだろう。
兄もそれがわかっているのか、慈愛に満ちた目で苦笑気味に謝罪してきた。
「そういえば……今まで訊いてなかったが、どうしてこんな呪いをかけられたんだ?」
ちょうどいい機会だと思い、この厄介な呪いをかけた持ち主のことを尋ねてみる。今まではユーナの手前少々訊きづらかったのだ。
途端に顔を曇らせるエリックに、口に出すべきではなかったかと一瞬後悔したが、それでも彼は重い口調で”その時”のことを語ってくれた。
「僕はその日ちょうど用事で出かけていて、帰宅した時にはすべてが終わった後でした。だから、これは妹から聞いた話になるんですけど――」
そう前置きした彼は、視線を足下に固定したまま俯きがちに話を続ける。
「その魔族は最初、旅人のように振る舞っていたそうです。うちは山村にありましたから、時々そういう人が立ち寄ることもあって、その時もいつものように歓迎したと聞きました。……だけど、それが間違いでした。それまで歓談していた奴は、ユーナを見て唐突に本性を現したんです。抵抗する間もなく村人はユーナを除いて全員殺され、両親も妹の前で……最後に妹に呪いをかけた奴は、笑いながら『お前の命はあと半年だ。精々それまで足掻くといい』と言ったそうです。あいつは、本当に悪魔のような奴で……僕たちが何をしたっていうんだ!」
そして、震える手で己の膝頭を叩いたエリックは、最後に「僕がその時ついていたら……」と悔しげに呟いた。
客観的にみれば、その時不在だった彼は幸運だ。きっと武器を持ったこともない彼がそこにいたところで、あっけなく殺されるのが関の山だろう。それは本人もわかっているはず。
だが……それでも心は自分を許せない。もしその時その場にいたら、何かが変わっていたかもしれない。
そんな過ぎ去った可能性をいつまでも追い続けてしまうのは、自分一人が難を逃れ、生き延びてしまったという負い目があるからだろう。
終わらない懺悔と後悔に苛まれるその姿は、まるで鏡に映る私のようだった。
「……エリック、それでもお前がこうやって生きていることでユーナは一人じゃなかった。ユーナにとって、それは救いだったんだ。現にお前が諦めずにここまで連れてきたおかげで、彼女は笑顔を見せてくれるようになった。未来のことも語るようになった。……過去を忘れろとは言わないが、おまえたちはまだ若い。少しずつでもいいから、前を向くべきだ」
口をついてでたのは、まるで自分自身に言い聞かせるような安っぽい言葉だった。正直これでエリックが立ち直るとは思っていない。何せ私自身未だ抜け出せていないのだから。
……結局、最後は自分自身でケリをつけるしかないのだ。
ユーナにしても普段は明るく振る舞っているが、ここに来る以前は、よくその時のことを思い出して、一人震えていたらしい。それも兄に心配をかけまいと、声を押し殺して泣くのだ。
目の前で両親が殺されたショックを一人で抱え込む彼女も、その胸に巣くう闇は深い。本当の意味で立ち直るには、まだまだ時間が必要だろう。
だが……この二人ならきっと乗り越えられる。お互いを支えあって、共に未来への一歩を踏み出すだろう。
そんな、根拠のない確信があった。
(そう、私たちとは違うんだ……)
思考が陰鬱な方向へと流されそうになるのを、なんとか寸前で阻止する。私の悪い癖だ。300年前のことにいくら想いを馳せようと、今更どうしようもないのに。
ひとつため息をついて、気持ちを切り替える。今はそれよりも、例の魔族のことだ。
旅人に化けていたというのは、おそらく魔族お得意の変身魔法のことだろう。相手を油断させ効率よく”狩り”をするために、よく奴らが使う魔法だ。
その正体は、素人目にはまず見破ることはできない。なにせ上級魔族にもなると、熟練の魔法使いでさえ欺くのだ。一般人が気付けるはずもない。
――しかも
「快楽的に人を殺す魔族、か」
そう称したのには、いくつか理由がある。
確かに魔族にとっての一番の獲物は人間だと言ってもいい。他の動物より魔力量は多いし、武器や魔法を用いなければ個体としての強さはそれほどでもない。それこそ上級魔族ともなれば、赤子の手を捻るが如く易々と一般人を殺し、喰うこともできるだろう。
そう……だからユーナを生かし、あまつさえ呪いなんて面倒なものをかける必要性など、どこにもないのだ。
本来魔族のかける呪いは、力量の高い相手を弱らせて喰うための下準備のようなものである。
もっとも、そこに力量差があり過ぎると取り込んだ力に呑みこまれて自我を保てなくなってしまう。だから魔族も喰う相手を選ぶのだが……ユーナの場合は明らかにそれと違う。確かに魔力はそこそこあるようだし、おそらくその村では一番の保持量だったのだろう。
だが、まだ幼い彼女はその使い方を知らない。ただの無力な子供だ。
わざわざこの呪いをかけなくとも、上級魔族ならその場でユーナを殺すことも喰うこともできたはずだ。
なのに奴はそれをしなかった。
この不可解な行動と、エリックの話から推測できることはひとつ。
(完全に、命を弄んでいる)
なにせ村人にしてもただ殺されただけで、喰ってはいないのだ。彼らの微々たる魔力には興味がなかったのかもしれないが、ならばわざわざ殺す必要もなかったはず。
おそらくユーナが生き残ったのは、奴の遊びなのだろう。
まったくもって性質が悪い。
それこそ……生かしてはおけないほどに。
そうして若干目の据わった私とは裏腹に、少し落ち着いたらしいエリックはその後の経緯を語り始めていた。
「その後は家を売って、両親の残してくれた全財産を持って各地を回りました。アリアさんと同じ古代魔法の使い手にも何人も会ってきましたが、どなたも『これは自分の手に負えない』とおっしゃられて……でも、最後の最後でアリアさんのようなすごい使い手に会えて、本当に幸運でしたよ」
「そ、そうか」
他の古代魔法の使い手でもダメだったのか……いや、下手に手を出さないだけの観察眼があっただけまだいい。彼らががむしゃらに魔法を使っていたら、きっとユーナはこの場にはいなかっただろう。
それを踏まえると、今回知らなかったとはいえあまりにも自然に呪いを解いてしまったのは失敗だったのかもしれない。
……まあ、しょうがないか。
今回は事が事だし、出し惜しみする余裕もなかったのだから。
だが……やはり280年前の大火事の影響で、現代の魔法は魔力量はもちろん、呪いをはじめとする知識の面でも大幅に後退してしまったようだ。
(一体、280年前になにがあったんだ?)
大火事の詳細について調べようにも、学園にある資料では限界があった。キラに訊いても『僕はずっとご主人様のそばにいたからよくわかんないです。あの洞窟から王都の方が赤くなっていたのは見ましたけど……』と答えるばかりだ。
やはり、これはどこか他で調べる必要があるかもしれない。
そうして思案に耽っていると、『あのー、アリアさん?』という声と共に心配げなエリックの顔が視界に広がった。
「え? ああ……そ、そういえば私はまだ自分以外の古代魔法の使い手に会ったことがないんだ。どんな人たちなんだ?」
取り繕うように慌てて適当な話をふれば、彼はキョトンとした顔を見せながら、その記憶を掘り起こしてくれた。
「えーと、ご存じかと思いますが、皆さんとても有名な方ですよ。例えば“蒼き雷帝”ラジアート様とか“雪原の妖花”ジュリアンヌ様とか」
「………………それは、すごいな」
いや、すごいというか……恥ずかしい。誰がつけたのか知らないが、もう少しなんとかならなかったのだろうか?
もっとも、私の……というか聖女の二つ名もなかなか恥ずかしいからあまり強くは言えないが。
(いや、そもそもこういうのは自分で決めれるわけではないからな)
きっと彼らも被害者に違いない。そう考えると妙な仲間意識が芽生えてきた。
そうして一人勝手に納得していると、微妙な顔をしたエリックが言葉を選ぶように慎重に口を開いた。
「皆さんなんというか……個性的な方でした。ああ、ここの近くで言えば、隣国ガルバニアは第三王子が有名ですね。こちらはさすがにお会いすることはできなかったんですけど……たしか”闇夜の支配者”でしたっけ?」
個性的発言の前の沈黙が若干気になったが、ここはあえて聞かなかったふりをしよう。
「ああ、ガルバニアか」
ガルバニアといえば、昔からある神聖国家だ。私の住んでいたテルニア村が、その国との国境沿いにあったからよく覚えている。
名前通りといえばいいのか……小耳に挟んだ話では、現代でいう神聖魔法が発達した国になっているらしい。その国の第三王子が古代魔法の使い手。二つ名から察するに、おそらくは闇属性の持ち主だろう。かわいそうな二つ名をつけられた仲間同士、なんだか親近感が湧いてきた。
「そのうちアリアさんにも二つ名がつけられることになるんでしょうね。ふふ、今から楽しみです」
「できれば一生つかないほうがいいけどな。そうだ、完治後なんだが……どこかに行く予定とかはあるのか?」
「え、いいえ。しばらくはハインレンスにいようと思っていますけど……?」
「そうか。なら、しばらくはこの街に留まってほしい。それと後で渡したい物があるんだ」
「あ、はい」と、どこか釈然としない返事を返すエリックだが、とりあえずは了承してもらえたようでよかった。
そう……この件にはまだ懸念が残っている。
可能性がないわけではない。備えあれば憂いなしともいう。念のために準備だけはしておいたほうがいいだろう。
いくつかの方法も考えたが、その途中不意に思いだしたのは、先月の魔法具の授業だった。
(……うん、現代のやり方に慣れる意味でもちょうどいいし、ここはひとつフィルにも協力してもらうか)
とにもかくにも、このレベルの呪いをかける魔族を仕留めるのは、おそらく現代人にはかなり荷が重いはずだ。
その意味でいえば、モルディ兄妹は運が悪かったといえるだろう。だが、例の魔族にしても、この時代において私と縁を持とうとは相当運が悪いに違いない。
いずにせよ、キラの前に矯正が必要な相手だ。
授業の代金は、せいぜい命で払ってもらうことにしよう。
どうも、お久しぶりです。いろいろあって投稿が遅れてすいませんでした(汗)
あと、この終わり方だと次話で戦闘とか期待されちゃうかもしれないですけど、そう思われている方にはおそらく拍子抜けの展開になってしまいますんで、あらかじめご了承ください。
あ、ちなみに二つ名は全然思いつかなかったので、「中二的二つ名めーかー」なるものを使用させていただきました(笑)
いろいろ組合せてみたんですけど……いやはや面白かったです。