第2話「奇跡」
お、遅くなりました(土下座)
この上級クラス5年を受け持って、早2カ月になる。きっかけはギルネシア殿下のブラコンだったが、まさか自分が教職に就こうとは夢にも思っていなかった。
まあ、そんな感じで始まりこそ半強制的だったが、今はそれなりに楽しくやっているつもりだ。教師も存外悪くない、最近はそう思えてきた。
……もっとも、今回の様に厄介なことにならなければの話だが。
俯く生徒を前にして、軽く嘆息する。
しかし、この編入生はよく問題を起こしこそすれ、そのどれもが悪気あっての行為ではない。
ましてや今回の件は、決して彼女のせいではないのだ。愚痴るのはお門違いというものだろう。
(さて、どうしたものか……)
顔は美少女、中身はひどい世間知らず。森で育ってきたという異色の経歴を持つ少女は、現に今も怒られるとでも思っているのか。どことなくシュンとして、上目づかいにこちらを見上げてくる。
その小動物の様な姿が、どれだけ男心を擽るものか自覚していない。さすがに、生徒ということで俺の守備範囲からも外れているが……友人たちは、そこらへんのことをちゃんと教えているのだろうか?
まあ、最近はクラスの奴らともうまくやれているようだし、あまり心配はしていない。
最初の頃はいろいろあったようだが、それらも俺が何かするまでもなく自分達で解決してしまった……いや、自分達で、というよりは彼女の使い魔が、か。
キラという名の使い魔は、一時期ひどく“やんちゃ”をしていたようだが、どうせ貴族のお嬢にはいい薬になるだろうと放っておいた。いわゆる放任主義、という名の面倒臭がり屋のいいわけである。
それでも、さすがに伯爵令嬢に“オイタ”をした件についてはきちんと注意をしたのだ。だというのに、あのクソ生意気な使い魔とくれば、反省した様子など欠片もなく、あげくの果てには『持て余していたくせに。むしろ感謝してほしいくらいだよ』とのたまいやがった。
微妙に事実なのも、妙に腹立たしい。教師だっていろいろ大変なんだよ、とつい愚痴りたくなるのも当然だろう。
もし、あれが部下だったら問答無用で”再教育”をしているところだが、貴族の坊ちゃん嬢ちゃんには、さすがにそこまでできない。……まあ、必要な時はやるが。
いずれにしても、まったくもって生意気な使い魔だ。俺の使い魔に比べたら……いや、やめておこう。
(あれからまだ1年しか経っていないのか……)
今も胸底に残るのは、忘れられない懐かしい面差だった。
そんな郷愁に浸っていると、いつまでも話を切り出さない俺に焦れたのか、教え子は恐る恐るという風に口を開いた。
「あの、先生……?」
そうだった。今はこの問題を解決する方が先だ。
「ああ、悪い。実はお前に頼みたいことがあってな――」
もっとも、あえてその詳細は話さなかった。
余計なプレッシャーをかけるべきではない、というのが一番の理由だ。
学園長とも話したが、他の高名な古代魔法の使い手でさえさじを投げたのだ。いくら類まれなる才能を持つ彼女でも、今回の件は荷が重すぎる。
それを踏まえた上で、最大限譲歩した結果がこれだ。セレスティには、『ちょっと具合の悪い娘がいて、その子を診てほしい』としか言っていない。そう、まるでなんでもないことのように。
正直、俺自身会わせるかどうかは随分悩んだが……本人達も必死の思いでここまでやってきたのだ。 そのまま帰らせるのはあまりにも酷だろう、という結論に至った。
「ええ、いいですよ」
そんな苦渋の決断など知る由もなく、てっきり怒られると思っていたらしい彼女は、ホッとした顔をみせた後、なんの質問もせずにそう二つ返事で快諾してしまった。
自分で持ちかけておいてなんだが、普通はもっと怪しむべきだろう。また、らしくもなく迷う。
そうして重い足取りのまま、例の子どもがいる場所へと足を向けることになった。
背後についてくる気配を感じながら、ふと思いだしたのが1カ月前の会議のことだ。
(……今度は関係者以外立ち入り禁止にする必要があるかもな)
「おう、邪魔するぜ」
「失礼します」
「フラスト先生、アリアちゃん。いらっしゃぁい」
「こんにちはリボン先生。さっそくですが、その例の子は?」
「ええ、こっちよぉ」
保健医、クラリス・リボン。
彼女のことは、その兄を通じて昔から知っている。だから、その微妙な変化にも気づくことができた。
その独特のユルイ話し方こそ変わらないが、いつもは柔和な笑みをたたえている面持ちは、さすがに今は沈痛なものとなっていた。
……彼女も既に例の娘を診てわかっているのだろう。もはや手の施しようがないことを。
案内された保健室のベッドには、まだ幼い少女とその横に寄り添うように佇むエリックがいた。
彼らは突然現れた美少女の姿に、ひどく仰天しているようだ。
「初めまして、アリア・セレスティです」
「あ、あなたが古代魔法の……!?」
エリックは彼女の全身をまじまじと眺めながら、確認するようにこちらを振り仰いできた。俺が黙って頷いても、まだ信じられないような顔をするのだから困ったものだ。
彼にも妹を診せる条件として、セレスティに過度に期待しないこと、そしてその病状、特にその余命について伝えないことを約束させている。
もちろん、そこにはまだ若い彼女に救えなかった時の重荷を背負って欲しくない、というこちら側の思惑があるのだが……そんな条件をエリックがちゃんと覚えているのかは怪しい。なにせ狐につままれたような顔で、目の前の美少女を凝視しているのだ。
彼はセレスティの若さと、その一度見たら忘れられそうにない顔のせいで完全に意識が飛んでいるようだった。
一方、そんな兄の様子を知ってか知らずか、ベッドに寝かされた少女はか細い声で彼女に話しかけた。
「お姉ちゃん、天使様? ユーナのこと迎えに来てくれたの?」
おそらくまだ10歳ほどだろう。ユーナという名前の少女は、ハッと意識を取り戻した兄の手を借り、なんとか上体だけ起き上がった。
だが、少しだけ嬉しそうにはにかむ姿は、その内容と相俟ってひどく痛々しい。
痩せこけた頬に、生気を感じさせない瞳。その奥には死にゆく者特有の、諦めにも似た感情が隠されていた。こんな幼い少女が宿していいものじゃない。
「滅多な事を言うな。ほら、ちょっと診せてみろ」
子どもに対しては、いつもどおりというか。このどこかぶっきらぼうとした物言いに今は救われた気分だった。
キッパリと不吉な問いを否定したセレスティは、さっそくその白魚のような手を伸ばして、幼い少女の容体を確認し始める。
そして、普通の娘なら失神するんじゃないかというくらい惨たらしい患部を、ひどく冷静に観察した彼女は、その形の良い眉を顰めてこちらを振り返った。
「これは呪いですか? それも上級魔族からの」
「!! どうしてそれを!?」
エリックが発した驚愕の声に、腐敗した腕を一瞥しながら「やっぱり」と頷くセレスティ。
まさか、見ただけでこの珍しい症例の原因を言い当てるとは……正直驚いた。
「まあ、何度か見たことがありますし……もしかして、“これ”全身に回ってます?」
彼女は、大の大人でさえ目を逸らしたくなるようなそれを横目に、実に淡々と尋ねてきた。その目に、怯えや焦りといった色は見えない。
(”何度か”?)
その単語に、ここ最近膨らんでいた彼女に対する疑念が再燃する。
おかしい。どう考えてもおかしい。
森で暮らしていた彼女に、この世にも珍しい症状を見る機会があったとは到底思えない。それも複数回も。
「う……あの、それは……」
困惑した声に一旦思考を中断すれば、『言っていいのか』と許可を求めるようにエリックがこちらを見つめていた。
(ここまでばれてしまっては仕方ないか)
覚悟を決めて、その残酷な真実を告げる。
「……その通りだ。既に全身の組織が呪いに浸食されている。顔以外はどこも似たような状態だ」
ここまで言えば、おそらく彼女もわかるだろう。
そう、ほとんど末期に近い状態なのだ。それこそ助かる見込みなど万に一つもない、と言っていいほどの。
実際よくここまで来れたものだと思う。まだ幼い少女には地獄の苦しみだったはずだ。きっとエリックも、藁にもすがる思いでここまで連れてきたに違いない。
だが……それでも、今回ばかりはどうしようもない。もはや人にできることは何も残されていないのだ。
あとは、安らかに逝けることを切に願うだけである。
(それでも、できることなら隠しておきたかった、な)
視線の先で難しい顔をしている彼女は、まだ若い。
本来ならまだ人の生死に関わらせるべきではないのだ。それもこんな形では……下手をすれば一生のトラウマにもなりかねない。
「そうですか。そこまで進行が進んでいるとなると……」
顎に手を置き、俯きがちにセレスティは呟いた。
「あ、あの……それで、どうなんでしょうか?」
重苦しい沈黙に耐えかねたエリックが、ついにその質問をしてしまった。
不安そうな顔を見せる彼は、それでも最後の希望を捨てきれないようだった。気持ちはわからないでもない。だが彼女にそれを言わせるのは……
「実は私、治癒系の魔法が少々苦手でして――」
言いにくそうに口を開いた教え子。
その後に続く言葉がわかってしまったのだろう。エリックは、ヒュっと息を吐いて、なんとか呼吸を整えた。
「…………そう、ですか」
絶望に打ち震えた声が、静謐な室内に空しく響き渡る。
彼もきっと心のどこかでわかっていたはずだ。もはやどうしようもないことを。そして、これが最後通告であることも。
如何ともしがたい空気が、室内に重くのし掛かる。
とりあえず、今ここで取り乱されるのはいろいろと具合が悪い。
ひとまず退出を促そうと、静かに手を伸ばす………が、次に彼女の口から出た信じられない言葉のせいで、中途半端な格好のまま固まってしまった。
「だから、完治させるまで3日ほどお時間いただきますが、よろしいですか?」
「「「……………え?」」」
示し合わせたように大人3人分の声が重なる。
その顔といったらさぞや見物だったろう。全員が全員、まるで何を言われたのか理解できないとばかりに、惚けた顔を披露したのだから。
そしてバカ面を見せる俺たちには頓着せず、彼女は申し訳なさそうな顔で話を続けた。
「すいません。もっと早いほうがいいでしょうけど、なにぶん魔力が……あ、いや、やっぱりなんでもないです」
「ほ、本当ですか!?」
「はい?」
ガシっと肩を掴んできたエリックに、今度はセレスティが気の抜けた返事を返した。
……にしても、全くといっていいほど会話がかみ合っていない。いや、無理もないだろうが。
驚いて声も出せないリボン先生の代りに、俺が確認する。
「セレスティ、本当に治せるのか?」
自然探るような目つきになってしまうのは仕方のないことだろう。
彼女が質の悪い嘘をつく人間でないことは、十分知っているつもりだ。
だがここで下手に希望を持たせるのは、双方のためにならない。はっきりさせる必要がある。
「はい、時間はちょっとかかりますが。解呪に2日、皮膚組織の治癒に1日といったところでしょうか。まあ、その後の経過を見るためにもあと数日必要ですが」
彼女はユーナの方を見ながら、より具体的な数字を提示してきた。
できるできないの話ではない。まるでそうあるのが当然かのような口振りだった。
これには、さすがの俺も絶句する。高名な魔法士が1年かかってもできないものを、たったの3日でやろうというのだ。
こんな事態でなければホラ吹きと言われてもおかしくない早さである。
同じような感想を持ったのか、リボン先生が「うそぉ」と小さくこぼす。
一方で興奮したエリックは、全身を震えさせながらもう一度セレスティに詰め寄った。
「ほ、本当に!? 本当ですか!?」
「え、ええ」
その勢いに押されるように、彼女は少し困惑しながらも今度は力強く頷いてみせた。
それを見たエリックは、「治る、本当に、治る……」とまるで自分に言い聞かせるように何度も声に出して確認した。
握りしめた拳がブルブルと震えているように見えるのは、きっと錯覚ではないだろう。
「ねぇ、お兄ちゃんどうしたの?」
自分の裾を引っ張る妹の手を、包み込むように握り返した兄は早口でまくし立てた。
「ユーナ、もう大丈夫だぞ! この人がお前の病気を治してくれるんだ!!」
「本当? もう痛いの我慢しなくていいの?」
そしてユーナの邪気のない視線を受けたセレスティは、軽く笑いながらその頭にポンと優しく手を置いた。
「ああ、今までよく頑張ったな。まずは、痛いのとおさらばする魔法をかけるぞ」
そして【麻痺 痛覚】と呟いた彼女の手から、高密度に圧縮された魔力が流れ出る。
「これで治るまでの3日間は痛みを感じないはずだ」
どうやら麻酔効果のある魔法を使用したらしい。
だが、一見易々と行使されたこれも、俺たちの常識から見ればとんでもない奇跡といえるだろう。
なにせ今まで麻酔効果は薬によってしか得られないとされてきたのだ。しかもその薬自体が高価な上に、持続時間もせいぜい数時間が限度である。
しかも、効果が表れるまで時間がかかるといわれているののに……
「わあ、痛くない! お兄ちゃん、痛くないよ!!」
(……早い、いや早すぎる)
奇跡のような行為があまりにも淡々と行われたため、まるで自分の中の常識が間違っていたのではないかという錯覚に陥ってしまう。
これは本当に現実なのだろうか。
「あ、ありがとうございます!!」
エリックの声が、保健室にはふさわしくないほど大きく響きわたる。彼も口ではああ言っていたものの、さすがにすぐには信じられなかったのだろう。
だが、実際の魔法を見て確信したのか、その瞳はいまや爛々と輝いていた。これは、希望を見つけた人間の目だ。
(もしあの時……いや、馬鹿か俺は)
エリックの歓喜に引きずられたように、不意に己の中にひとかけらの羨望が生まれてしまった。
もし、あの時この娘がいてくれたら……そんな愚かでどうしようもない願望を持つとは、俺もよほど気が動転しているようだ。
「フラスト先生」
そんな状態だったから、いきなり本人から声をかけられて驚くのも無理はないだろう。むしろ動揺を飲み込んで、普段通りに言葉を返した自分を誉めてやりたいくらいだ。
「……なんだ?」
「こういうわけなので、3日ほど学校を休みます。いいですか?」
何を鼻にかけることもなく、どこまでもまっすぐな瞳で彼女は問いかけてきた。
この娘は、自分がどれだけ常識から逸脱したことをやってのけたのか全く理解していないようだ。
「……ああ、もちろんだ。立派な人命救助だしな」
「ありがとうございます。よし、じゃあさっそく解呪にとりかかるぞ」
「っよ、よろびくお願いじます!!」
「ます!!」
元気よく返事する兄妹の姿に、セレスティは目を細めて「大げさだな」と苦笑した。
確かにボロボロと涙をこぼすエリックは、男泣きを通り越してすごいことになっている。
だが……これまでの道のりを考えれば、この反応も決して大げさとはいえまい。
献身を捧げた最後の家族。その妹が痛みに苦しむのを、これまでずっと手をこまねいて見ているしかなかったのだ。
その呪縛から、今やっと解放される。その感動は、きっと言葉では言い尽くせないものがあるに違いない。
(だが、問題は……)
「リボン先生」
「なんでしょうかぁ、フラスト先生?」
小声で名を呼んだ俺に、セレスティの魔法を見ていたリボン先生は、その視線を外さないまま返事を返してきた。
よほど興味があるのだろう。彼女はその一挙一動をも見逃すまいと、食い入るように観察している。
「あの魔法、どう思います?」
視線の先には、迷いのない手つきで、見たこともない魔法を使いこなす生徒がいる。
一瞬こちらに視線をよこしたリボン先生は、少し間を置いた後、言葉を選ぶように語り始めた。
「うーん、正直信じられないですぅ。さっきの麻酔効果のあるものにしても、私は聞いたことないですしぃ。上級魔族の呪いを解けることについても同じですよぉ。なにより皮膚組織の治癒っていいましたけど、ユーナちゃんのあれは組織が壊死しているに近い状態ですから、ほとんど再生なんですよねぇ」
「……そうですか」
リボン先生はその言動とは裏腹に、魔法と一般的な医学の両方に精通している非常に優秀な医師だ。
その証拠に、最初こそ思わぬ事態に混乱していた彼女は、今やこの状況を誰よりも冷静に分析していた。深海のように濃い紺の瞳は、研究者としての鋭い知性を湛えている。
その彼女にして、「ありえない」という評価が下されたセレスティの魔法。いや、この場合は彼女の存在自体もその対象に含まれていると考えるべきだろう。
「どうなっている……」
胸に去来したのは、途方もない存在に対するどこか複雑な感情だった。
恐怖や不気味とは少し違う。だが特別というよりは、異端。そう称すべきだと本能が告げていた。
(ドラゴンの件といい、少し探る必要があるかもしれない)
バイト→風邪→バイト→風邪の無限ループ(涙)
次は人物紹介をあげたい、ですね。
あと次話はアリア視点に戻ります。
誤字・脱字等ありましたら、是非教えてください。