第6話「夢と現」
――勝負は、一瞬でついた。
「命だけは取らないでおいてやる。感謝しろ」
魚市場のように転がる男たちを前に、どこまでも淡々と言葉を並べる。そこに勝者の驕りはない。ただただ事実を事実として宣告したに過ぎないのだ。
むしろ『森なのに、魚市場って少しおもしろいかもしれない』……そんなどうでもいいことを考えてしまうくらい、心には余裕があった。
一方、生殺与奪を握られた男たちは、ボロボロの身体を引きずりながら必死に後ずさる。
「ば、化け物!」
「く、くそ! 一体なんだってんだ!?」
「て、てめえあとで覚えてやがれ!」
「この借りはいつか返すからな!!」
彼らは負け惜しみの手本のように、それこそ独創性のカケラもない捨て台詞を吐きながら去って行った。
同じく言われ慣れた台詞に呆れながら、やれやれとため息をつく。
そうしてふと視界に入ったのは、己の足元をぐるぐると回る伝説の生物……の子どもだった。
「キューキュキュー♪」
心なしか興奮しているようだ。自分の魔力に当てられたのか、それともゴロツキどもの撤退に喜んでいるのか。よくわからないが、まあ元気ならそれでいい。
奴らの姿が完全に見えなくなったところで、もう一度ため息をつく。
「これでは、まだ魔物のほうがましだったな……ほら、仮契約を結んでやるから天界に還れ」
「キュル、キュルゥー!」
しかし、てっきり喜ぶと思ったそいつは、なぜか頭をぶんぶん振り、何かを訴えるように騒ぎ始めた。
わけがわからず私が頭をひねると、ついには二本足で立ち上がり、謎のジェスチャーを始めるではないか。
「キュッキュ、キュルー!」
「筋肉……が、すごい? ……いや、別にそれほどでもないと思うぞ」
「キューキュー!」
「いで、ちょ、待て、体当たりするな! わ、わかった違うんだな」
「キュキュ、キューキュ!」
「……ああ、食べろと? でも悪いが、ドラゴンの肉を食す習慣は……って、待て! 齧るな! 地味に痛い!」
そんなやりとりを続けること、およそ10分。
「…………お前、もしかして契約しろと言ってるのか?」
「キュキュ!!」
『ようやくわかったのか』と言わんばかりの反応。足にしがみついて離れないその様子を見て、やっと理解できた。まったく、言葉を介さない意思疎通が、これほどまでに難しいものとは思ってもみなかった。
……だが、ようやく理解できたとはいえ、その内容は眉を顰めるには十分なものだった。
(契約? この私と?)
………どう考えても、無理だ。
そう結論付けるのに時間はかからなかった。
視線を下に向ける。目下には打算も悪意もない、どこまでも純粋な瞳があった。縋るようなその目に、どことなく罪悪感が募る。
(……それでも、譲れない)
覚悟を決めて、もう一度その瞳と視線を合わせる。
「悪いが、私は契約相手を持つ気はないんだ。……そもそも、お前はまだ言葉も話せない幼獣だろう? 私を守ることも、ましてや自分自身を守ることすらできない。私の生活には危険が付きものなんだ。そんな私の使い魔になっても、お前にできることは何もないよ」
「キュルゥー」
自分でもそれをわかっているのか……その幼獣は、目をウルウルさせて弱弱しく鳴いた。
……いずれにせよ、この幼獣がドラゴンとして相応の力をつける頃には、私はこの世にいないだろう。そんな残酷な未来を教えるつもりはないが、それでもダメ押しのように付け加える。
「待っている存在がいるんだろ? きっと親は心配しているぞ」
親という単語にピクリと反応する様子に、『やはりまだ子どもなんだな』という感想を持つ。また騒ぎださないうちに素早く詠唱し、半ば押し切るようにそのまま仮契約を結ぶ。そしてすぐに召還陣を形成すれば、故郷の気配を感じたのか、急にそわそわしだした。
それに苦笑しながら、最後に頭を撫で「ほら、行け」と、背中を軽く押してやる。期待通り幼獣は、名残惜しそうにこちらを振り向きながらも陣の中へと歩いていった。
「キュゥゥー」
「自由に生きろよ。誰に縛られることもなく、な」
発光していた召還陣が消え、あたりはまた暗闇へと包まれる。しばらくにその場佇んでいると、鬱蒼と広がる森の中に、風がこびりつくような血の臭いを運んできた。
それが、己を現実へと引きずり戻した。
……そう、これが私の世界だ。
私は、いずれ死ぬ。こんな生活を続けていては、とても長生きなどできないだろう。魔王の被害も近年急増していると聞くし、奴とやりあって死ぬ可能性も否定できない。妹のためにも、魔王だけは刺し違えても滅したいところだが……それもどうなるかはわからない。
(いや、今だって惰性で生きているようなものか)
生きているというよりは、死に損なっただけ、という表現のほうが正しいくらいに……3年前からきっとそうだった。こうして生き恥を晒しているのも、全てはあの子のため。私のすべては、彼女のためにあるのだ。
……あの幼いドラゴンを、そんな自分の人生に巻き込めるわけがない。まだ見ぬ己の契約相手もだ。
孤独のうちに死んでいくのが、咎人である私にはきっとお似合いだろう。
……誰かの助けなどいらない。
神も信じない。救いなど無意味だ。
唯一己を救えるとしたら、それは――
「……戻るか」
いい加減、馬鹿馬鹿しいことを考えるのはやめて、場を後にする。私も帰らなければいけないのだ。あの地獄へと。
……あそこが自分の居場所なのだ。あの場所でなければ生きていけない。生きる理由もない。あの塔を見て、妹が生きていることを確認することで、自分自身が生きていることを実感する。それが、私の許された生。
落ち葉を踏みしめ、また一歩足を進める。
――どこまでも続く贖罪の旅路
――死に場所を求めて彷徨う旅人
――その末路に待ち構えるは……甘美なる死への誘い
……でも、それこそが、本懐。
「――と、いった感じだ」
一応心情的な部分は省いて、事の顛末だけを簡単に伝えた。
そうして、お望み通りに教えてやったというのに、真正面に正座する相手といえば……微妙な顔をしたあげく、こうのたまった。
「……なんだか普通、ですね」
主語はないが、おそらくルナとの出会い方のことだろう。どんな劇的な出会いを果たせば満足なのか、こいつは。
………いや、そういえばこいつとの出会いは劇的だった。それはもう、今思い出しても青筋が浮かぶほどの。
「……そりゃお前との出会いに比べたら、ルナとの出会い方なんて平凡すぎるほど平凡だろうな」
「むふふ、僕との出会いはご主人様の中でも忘れられない思い出なんですね」
確かに忘れられないと言えば忘れられない出来事だった。当時は腹立たしいことこの上なかったが、それも今となってはいい思い出である。
とりあえず、『うっかり殺さなくてよかった』というのが感想か。
そのうっかり殺しそうになった相手といえば、自慢げな物言いとは裏腹に、少し物憂げな表情をしていた。あの時のことでも思い出しているのか……珍しいこともあるものだ。
「……まあ、確かに印象深いものではあったな」
「ですよねー。やっぱり出会いは大切ですよ!」
「お前の場合は出会った後も問題だったがな。『一緒に連れてけ』と異常にしつこかった」
なにせ風呂にまで乱入してくるストーカ―ぶりだ。それこそ比喩でもなく、火の中水の中、挙句の果てには魔物がひしめく戦場の真っただ中にも躊躇なく飛び込んできた真正の馬鹿、それがキラである。
それでも驚異的な幸運を持って、そのほとんどを無傷で生還するものだから、余計始末に悪かった。
そして、そんなキラに私もついには根負けし、ストーカーから同行者へと格上げするにいたったのだ。ついには身を守る術も持たなかった癖に、魔王戦まで付いてきた狼の幼獣。後先考えない馬鹿さ加減では、ルナの上をいくに違いない。
「ふふ、そんなに褒められると照れますね」
さっきの物憂げな表情はどこに置いてきたのか……本当に照れくさそうに頭をかくその姿は、私の勘を刺激させるには十分だった。
「褒めてない。まあその能天気な思考は、褒めてもいいがな」
「えへへー、まあそれほどでも。ともかく、浮気しないでくださいね」
皮肉も通じないほど都合のいい頭を持つ相棒は、上目づかいで釘を刺してきた。
(まったく、厄介な相手に目をつけられたものだ)
……でも、ルナには悪いが、今はもうこいつ以外の相棒など考えられない。
本人には絶対言わないが、何度追い払っても付いてきたこいつの酔狂には、少しだけ感謝しているのだ。
一年間、危険を顧みず側にいてくれた。そして、目覚めてからもキラが心の拠り所だった。
こいつがいるから、今の自分がいる。
それだけは、確かだ。
口で言わない代り、その髪をくしゃりと撫でて感謝の意を伝える。……多分、本人はわかっていない。それでもうれしそうな顔しているから、まあいいか。
「心配しなくても、私にはお前ひとりで手一杯だよ。……ほら、もう寝ろ。明日からはお前も授業に参加するんだろ?」
そう、明日からは魔法を使うものに限ってだが、使い魔と共に授業を受けることが許されるのだ。
「もちろんです! おやすみなさい、ご主人様!」
「ああ……って、お前ここで寝るのか?」
自分のベッドがあるだろうに。元気よく返事をしたキラは、正座の状態からそのまま匍匐前進で進み、もぞもぞと我が物顔で布団の中に入り込んできた。
「足が痺れてベッドまで歩けませ~ん♪」
少なくともウキウキとした声で言うセリフではない。どんないいわけだ。
それでも、そのあどけないほほ笑みを見ると追い出す気には到底なれなかった。
(本当に、世話が焼ける)
幸せそうな顔で布団に包まる共犯者の横顔を眺めながら、いつかのことを思い出す。
こうやって同じ床に就くのは、ライルの家以来だ。
(あの時から早一ヶ月、か……)
そう、まだたったの一カ月。されど一カ月が経ったのだ。
生まれ変わった、というのは大げさかもしれない。それでも自分の中の“何か”が確実に変わったのを自覚している。
他人の助けを拒絶していた自分が、今では当たり前のように誰かを助け、そして誰かに助けられている。キラに、ライル、レスト……もちろんミアやローズ、フィルにも、毎日のようにだ。
それは夢物語のような日常。
思っていたよりも世界はずっと広く、無限の可能性に溢れていた。日々新しい発見があり、それを学ぶのが楽しかった。
この学園に来て、初めてそれを知った。
……そんな些細な日常が、明日も明後日も、そしてこれからも続いていくのだろう。
瞼を閉じる。
――明日もきっと、快晴だ。
そんな確信があった。
シリアスな話なのに、シリアスになりきれないのがjadeクオリティー。
しかもキラとの出会い話まだ考えてないのに、勝手にハードルあげるという暴挙を犯しました(笑)あとが怖いww
ドラゴン編はあと2話程度で終わる予定ですかね。
誤字・脱字等ございましたら是非教えてください。