第2話「対面」
召喚の儀については、昔とそれほど変わっていないらしい。
召還者は一人につき一つの召喚陣を用意し、特殊な詠唱と魔力を介して地界と天界をつなぐ。一方天界の聖獣・神族は己の好みの魔力を探し、それに呼応する。基本はそんな流れだ。
ある種お見合いのようなものだが、その違いとして、基本的に召還者は己の力量以上の相手は呼べないこと、そして言い方は悪いが返品不可ということがあげられる。
【来たれ我が友 この呼び声に応え いざ儚き人の生を 我と共に歩まん】
高々とした詠唱がされ、各々の召喚陣は発光を始めると同時に、その輪郭をぼやけさせた。
生徒たちは少しの不安と、それ以上の期待を滲ませながら、緊張した面持ちで己の陣を見守る。
おそらく今天界では、それぞれの聖獣・神族たちがどの呼び声に応えるか選定している最中だろう。
そうして、永遠にさえ感じる数秒を経て、校庭のあちこちで幻想的な光が生まれ始めた。
七色の光溢れるこの瞬間は、この世で最も美しいといわれる光景の一つだ。
そして、これは合図でもある。
待ちに待った対面の時が、ついにやってきたのだ。
未熟な魔法使いたちは、大きな歓声とともに唯一無二の相棒を迎える。
「きゃあ、かわいいー!」
その聴き覚えのある黄色い声に、意識が引っ張られた。
はしゃぎながら駆け寄ってきたのは、初めての女ともだち兼親友だ。
「アリア、見て見てー!」
「クー、マスター、スキ、スキ」
大興奮のミアの肩には、小さなリスのような生き物が乗っていた。どうやらク―という名前らしい。
その長い耳と尻尾を包むふさふさとした茶色の体毛は、土属性の証拠である。
言葉が片言なことから、おそらくまだそれほどの力を持ってはいないようだが……召喚した主があれだけ喜んでいるのだ。聖獣冥利に尽きるというものだろう。
聖獣の方にしても、最初からあれだけ懐いてるのも珍しい。相性が良い証拠だ。
ぴょんぴょん跳ねる相棒と、さっそく戯れるミア。その幸せそうな姿に、自然と笑みがこぼれる。いいパートナーに巡り合えたようで、本当に良かった。
そのミア達の奥では、美人の先輩と一緒に、女好きの彼がパートナーを迎えているところだった。
「わらわはサラスティ。新しい主はおぬしかえ?」
「おお、これが俺の使い魔!? なんて美しい!!」
諸手を挙げて歓迎しているのは、フィルだ。
その使い魔は、鱗のない魚のような外見をしていた。水の様に半透明な身体といい、おそらく属性は見たままだろう。
大きさは大型犬と同じくらいだが、その身体はふよふよと空中に浮いており、なかなか珍しいタイプであることが窺い知れる。
その透き通るような青色の身体は、太陽の光に反射することで天上に輝く星のような煌めきを放っていた。綺麗なものが大好きなフィルにとっては、うれしい限りだろう。
だが、呼び出された聖獣はといえば……己を褒め称える主を一瞥した後、冷ややかにこう呟いたのだった。
「これはまた……なんともアホそうな主をひいてしまったのぉ」
ベースが魚ということでわかりにくいが……心なしか、うんざりした顔をしている気がする。もしかして、前の主もこんなんだったのだろうか。既にその周りには、そこはかとない哀愁が漂っていた。
それにしても、出会って数秒でフィルの本性を見抜くとは……なかなか賢い聖獣だ。
おそらくその声色から雌だとは思うが、早くも主を尻に敷きそうな様子に、不謹慎ながら安心した。なにせ、あのフィルの暴走を止めてくれる女房役が参上してくれたのだ。周りの人間にとっては、これ以上ない僥倖である。
もっとも使い魔にとっては、たまったもんじゃないだろうが。
まあ、こういうこともある。
使い魔は主人の魔力は選べても、外見や性格までは選べない。逆もまた然りだ。涙をのんで諦めてもらうしかない。
……そういえば、他の人はどうなったのだろうか。
あたりを見回せば、少し離れたところで一際大きな光が生まれたところだった。
「すげえ! 神族だ!!」
周りのクラスメイトから称賛をもらっているのは、二人目の女ともだちローズだ。
見れば仔馬ほどの大きさだった火蜥蜴が、ちょうど人型へと姿を変えている最中だった。
まばゆい光の中から現れた男性は、人間でいうところの30代くらいだろうか。
落ち着きはらったその顔は、百戦錬磨の将軍のような風貌をしていた。
海の青を宿した双眸に後ろに流した深紅の髪は、その荘厳さを一層際立てており、立派な体躯と勇猛さを兼ねそろえたその姿は、非常に頼もしい存在に見えた。
さすが火の精霊に愛されているだけのことはある、といったところか。
だが、そんな誰もが憧れる神族を呼び出した本人は、上から下へとその姿を見下ろした後、一言こう呟いたのだった。
「……かわいくないですわ」
「そりゃないよ、お嬢さん」
一見厳めしいその顔も、笑うと一転親しみやすいものへと変貌した。
にしても……さっそく逆の例が現れたようで、苦笑いを禁じえない。
まあ、ローズも悪気があって言ったわけではないだろう。
神族が人型となった時の見た目は、本当に多種多様だ。
彼らには老人から幼児まで幅広い外見が存在するが……ややこしいのが、そういった見た目が必ずしも中身の年齢と連動していない点にある。老人の姿をとっていても、神族としてはまだ若いなんてことはしょっちゅうあるのだ。ついでに服については、それぞれの神族が、人間のそれを参考にして魔法で形成していると聞く。
どちらにせよ詳しいことはわかっていないが、通説ではその神族の精神年齢と同じ見た目をとっているのではないか、と言われている。
そんなとりとめもないことを考えていると、肩に手を置いていた先輩(既に名前が思い出せない)が急に怯えたように後ずさった。
不審に思ってその視線の先を追えば、ローズに二言三言何かを告げた例の神族が、こちらに近づいてくるではないか。
「あなたがアリア様ですね。私はフラウ。フレイア様から“くれぐれもよろしく”と仰せ使っております」
強面の彼はそう言って、容姿に似合わず優雅に腰を折ってきた。
属性の頂点に立つフレイアが直々に言葉を交わすとは、思った以上に上級の神族らしい。
いや、それよりも……あたりをきょろきょろしながら、慌てて頭をあげるように促す。
「あの、普通にしてくれて構わない。それと私のことは誰にも――」
「そうですか……わかった。誰にも言わないから心配は無用だ」
「ありがとう」
物わかりのいい神族でよかった。だが、安心する私をよそに、今度はその主人の方が不可解な顔をしながら歩み寄ってきた。
考えてみれば、召還したばかりの使い魔が、主以外の人間に用があるなど普通ありえない。ともすればいろいろと疑われかねないこの状況に、少しだけ焦りが募る。
「アリアさん、先ほどから何を話していらっしゃるの?」
「な、なんでもない。ただのあいさつだ」
慌てて誤魔化す私を不思議に感じたのか、ローズがなおも何か言おうとした、その時……今度は大きな爆発音が校庭に轟いた。
「し、失敗だ!! 中止しろ!!」
焦燥混じりの怒声が、事態の深刻さを物語っている。
それだけで何が起こったのかを理解できた。稀にあるのだ……“逆流”が。
それは召喚の儀式が危険といわれている所以でもあり、現に過去数人が犠牲になっている事故でもある。天界と地界をつなぐ召還陣が逆流を起こしてしまい、召還者が天界に呑み込まれてしまうのだ。
もとより『中止しろ』なんて言われて中止できるものではない。助けるには周りの人間の助力が不可欠なのに……全くサポート役の人間は何をしているのだ。
そうして憤慨しながら音のした方に顔を向けると……目に飛び込んできたのはとんでもない光景だった。
「っライル!?」
すこし離れたところで、汗を流しながら必死に抵抗しているのは、さっき笑顔で別れたばかりの友人だった。
今はなんとか踏ん張っている状態だが、その顔色は目に見えて悪くなっていく。
「あれは……まずいな」
あのままでは最悪天界に引っ張られて、戻ってこれなくなる。
しかもライルについている先輩は、初めての経験でパニック状態になっており、役に立ちそうにない。本当に、なんのためのサポート役なのかわかったもんじゃない。
心の中で悪態をつきながら、急いであたりを見回す。
教師は……ずいぶんと距離がある。あれでは間に合わないかもしれない。
今一度ライルのほうを見れば、既に片足が魔法陣に呑みこまれているところだ。
もはや一刻の猶予もない状態に、気付けば己の体は突き動かされるように行動を開始していた。
「ちょ、アリアさん!?」
後ろから名前を忘れた先輩の声がするが、構っている暇などない。
“ともだち”第一号を救出するために、混乱する生徒たちの間を縫うように駆けぬける。
「ライル!」
「アリ、ア? ……っダメだ、来るな!!」
両足を埋めた状態ながら、ライルは首を振って突き放すようにそう叫んだ。
今も、彼の身体はまるで蟻地獄にはまったかの様に、徐々に陣へと呑みこまれている。その恐怖といったら……きっと計り知れないものがあるだろう。
それなのに、こんな時にも関わらず他人のことを気遣う男を、心底馬鹿だと思う。だが、そんな馬鹿だからこそ、助けてやりたいのだ。
ライルには悪いが、『来るな』と言われてその通りにするほど、私は従順な女ではない。
「いいからそこで待ってろ! 今行く!」
「……っ、こんのわからずや! 馬鹿っ子!!」
苦い顔をしたライルは、悪態をつきながら必死に身を捩じって召還陣から抜け出そうとする。
幼児みたいな悪口に一瞬カチンときたが、残念ながらその程度のことで引き返すつもりなど毛頭ない。
おそらく非常に危険な作業であることを彼も知っているのだろう。なにせ下手をすれば二人仲良くお陀仏だ。
……全くもって、馬鹿な男である。だが、今はその馬鹿さ加減が余計だ。だから、ついついこちらも声を荒げてしまう。
「なんとでも言え! そっちこそ素直に助けろとは言えんのか、阿呆! いいか、まずはこれ以上むやみに動くな! あと、何を言われても引き下がるつもりなんてないからな! わかったらそこで黙って待ってろ、馬鹿者!!」
未だかつて言ったことのない悪口に自分自身驚きながら、召還陣の前で魔力を全身に纏い準備する。
さすがのライルも己の喧噪に二の句が告げないのか、今度はポカンとした顔で突っ立っていた。もっとも下半身はもう呑みこまれていたが……
しかし、むしろ好都合だ。これで作業がやりやすくなった。
これからすべきことを頭の中で反芻しながら、意を決して魔力でコーティングした足を踏み出す。暴走する召還陣を踏み、慎重に両足をその中へと入れる。
その時だった。
足元の魔法陣が、突如として発光を始めたのだ。
「え?」
そして、『なんだ』と思った次の瞬間、己の視界をすさまじい光の奔流が埋め尽くした。
「なっ!?」
目が焼かれそうなほどの圧倒的な光の奔流が、真昼の校庭を浸食する。
私は、何もしていない。こんな事態は初めてだ。
いまだかつてない経験、そしてあまりにも唐突に起こった珍事には、さすがに対処の仕様がなかった。
そうして、おそらく数秒が経った頃だろう。
舞い上がっていた砂埃が晴れた後、突如として現れた“それ”に場の空気が凍りつくのを感じた。
「なに、が……起こったんだ?」
至近距離であまりに眩しい光を浴びたため、まだ視覚がうまく機能しない。
未だクラクラする頭を押さえながら、仰向けに倒れていた身体を無理やり起こす。まずは、状況確認が先だろう。
……あたりは、随分と騒然としているようだった。
瞬きを繰り返しながら、残された感覚器官を働かせると、生徒たちの悲鳴のような声が耳へと入ってくる。
「あ、あ……!!」
「うそ!?」
「ど、どうしてこんなのが出てくるんだよ!?」
その声につられ、ようやく回復してきた視界とともに顔を上げる。
さきほどから感じていた強い気配は、己の目の前にあった。
「……なんだ?」
大きな“何か”がそこにいるということはわかる。
未だぼやける視界を、今一度強く瞼を閉じることで矯正する。そうしてなんとかその焦点を結ぶことに成功し、今度こそは、と思いながら前方へ目を向ける。
………翳る光の中から姿を顕したのは、想像だにしない生物だった。
天に届くのではないかというほどの、巨大な体躯。
エメラルドのように輝く鱗。頭頂部から生える猛々しい二本の角。鋭い爪に瞳孔の開いた瑠璃色の瞳。そして背中から生えた力強い翼……その全てが、ある一つの生物を表す特徴だった。
天界最強の生き物。
その力は並み居る聖獣・神族の頂点に君臨し、大精霊にすら匹敵するといわれている。
人ごときに召喚できるはずがない、孤高の存在。
その名は――
「ドラ、ゴン……?」