第3話「誤解」
朝食を終え、キラと別れ、いつものように三人で教室まで行き、席に座ってカバンを開く。
ここまでは、いつもと同じ朝の日課である。
だが、そこからはいつもと違っていた。
開いたカバンの中に、あるべき存在が入ってなかったのだ。
…そういえば昨日はミアが部屋に遊びに来て、いつもやっている次の日の準備をすっかり忘れていた。
壁際に掛けられている時計に目を向ける。朝のホームルームまで、まだ時間はたっぷりあった。
「ちょっと忘れ物をしたから、部屋まで取りに行ってくる」
「いってらー」
「時間はあるからゆっくり行って来ればいい」
そしてライルとレストの声を後に、部屋まで最短距離をのんびりと歩き始める。
それは数日前ライルが寝坊した際に、三人で走ったルートだ。
(あんなに走ったのは、魔王との決戦以来だったな)
あの時の必死さを思い出して、つい一人で笑ってしまう。今となってはいい思い出だ。
…そうして、がさがさと庭を突っ切っている途中、偶然その光景を目撃した。
【おいでなさい】
人気のない庭の隅で、唐突に凛とした声が響く。
(魔力の気配……あれは…ローズ?)
どうやら精霊魔法の練習をしているようだった。
今朝の話題の人物に早速遭遇するとは、運がいいのか悪いのか…
魔力をのせた言の葉に願いを込め、ローズは目を閉じ祈るように精霊を呼ぶ。
その横顔は真剣そのものだったが……残念ながら、結果はこの前の授業と同じだった。
(やっぱり…何かおかしい)
授業で見た時もそうだったが、精霊たちの動きが普通ではなかった。
どんな作用が働いているのかまではわからないが、ともかくあれでは精霊魔法とはいえない。
ちなみに地界の精霊たちの姿というのは、彼らと長い(私の場合は深い)付き合いをしていると自然と見えてくるものだと言われている。ただ、この学校では精霊魔法の使い手自体が少ないのもあって、彼らをぼんやりとでも視認できるのは、私やパウル老を含めて数人だ。
ローズはまだ目では見えないものの、その感触で失敗を感じたのか…崩れ落ちるように地面に座り込み、そのまま草を強く握りしめた。
「どうして、できないの……私にはこれしかないのに…!」
「…………」
貴族らしい綺麗な指によって引き抜かれた草が、パラパラと地面に散らばる。
……その姿は妙に印象的で、目に焼き付いて離れなかった。
そのまま声をかけずに教室に戻ったものの、結局その日の授業には全然集中できなかった。
右斜め前に座るローズの背中が、過去の自分と、何か同じものを背負っている気がしたのだ。
「さて……うまくいくかな」
放課後、寮の敷地の片隅で、周囲に空間を遮断する結界を張り準備する。
彼女は地界に呼ぶだけでも相応の魔力を必要とする存在だ。
だから魔力が足りるかどうかが一番の問題だが……この3週間でまた少し魔力が回復している。おそらくぎりぎり呼べるはずだ。
意識を集中させ、この前の授業で勝手に拝借した魔力を底上げする魔石(効果は微々たるものだが)を片手に、ヴィシア式魔術を発動する。
【ヴィル・ミクン・ゾルギア・ギュイ・フレイランス(来たれ 灼熱の乙女 炎の祝福を 今我が手に)】
ポッと、小さな炎が空中に現れ、それを合図に地界にいる火の精霊が集まってくる。彼らの女王を迎えるためだ。
炎は徐々にその勢いを増し、自分と同じくらいの背丈にまで成長した時点で、段々と人の姿を形作る。その周りでは火の精霊たちが情熱的に舞い踊り、心なしか周囲の温度も上昇してきた気がする。
そして……宙に現れたのは炎の化身。その圧倒的な存在感に周囲の空気が震える。
見た目でいえば18、19歳くらいだろうか…気の強そうなつり上がった臙脂色の瞳、深紅の髪は一つに結いあげられ、背中には炎の翼と、全身赤尽くしの女性だ。
外見こそ若いが、その圧倒的な美貌と古風な鎧を纏う姿は、まさしく戦女神と呼ぶにふさわしい威厳と自信に満ち溢れていた。
集結した火の精霊たちは、おおよそ300年ぶりに凱旋した女王の姿に狂喜乱舞している。
そう、彼女は聖獣・神族以外の天界に住む最後の存在であり、属性の頂点に立って天界を統べる者。
それぞれの土地を統括している6大精霊の一角、火の大精霊だった。
「遅い!! 一体何百年待たせる気!?」
「………第一声がそれか、フレイア」
さて、何から話そうかと思案していていたのに、どうやら無駄骨に終わったようだ。
それにしても……腰に手を当て上空からこちらを睨みつけるその姿は、ひどくご立腹の様子である。
「あたりまえでしょ! あんたが魔王とやり合って死んだって聞いた時は、本当にびっくりしたわ!! どうしてあの時呼ばなかったのよ!? 私たち全員殺る気満々で準備していたのに!!!」
話しているうちにヒートアップしてきたのか……背中の翼もその火力を増し、周囲の温度もうなぎ上りに上昇中だ。
なにせいつもは勇猛果敢な火の精霊たちでさえ、女王の癇癪に若干距離を置き始めているほどだった。
腰が引けてしまうのを誰が責められようか。
―しかも
(殺る気満々で準備って……)
なんだか恐ろしい言葉を聞いてしまった。
大精霊たちが殺る気満々で準備? ……想像できてしまうのが逆に怖い。
……だが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「あれは人間と魔族の対決だ。精霊は中立の存在だろ? いくらなんでも巻き込むことはできない」
そう、天界にも地界にも存在する精霊は、古くから中立の存在としてその地位を確立してきた。だから最後の最後で彼らの力を借りないのは、自分なりのけじめでもあったのだ。
なにより……最後の魔王との戦いは、いくら大精霊といえどもその存在が危ぶまれるほど激しい戦いになることが予想された。
最悪死ぬのは自分一人で十分、という思いもどこかにあったのは事実だ。
「嘘つきなさい、死にたがっていたくせに! おかしいと思ったのよね『今まで世話になった』とか急に言うから! 理由を聞こうとしたら強制的に還されるし!! 私たちがどんな気持ちであんたの訃報を聞いたと思ってんの!? まったく、その強情な性格どうにかしなさいよね! それにね、はるか昔 はともかく、少なくとも魔族は300年前から精霊も喰うようになっていたわ! つまり私たちの仇敵よ!ついでにいうと私たちだって格下の聖獣や神族に手柄を取られちゃ天界で立つ瀬がないの!! おわかり!?」
「あ、ああ……」
ものすごい勢いで捲し立てられ、つい頷いてしまう。
それにしても、まさかそんなところまで知られているとは思ってもみなかった。
“死にたがっていた”………確かにそうだ。あの時の私は早く罪の呪縛から逃げたくて、死という自由を密かに求め続けていた。
大精霊に助力を求めなかったのも、それを止められることを危惧していたのかもしれない。
……こうして言われて、初めて気付く。
300年前の私は、こうやって残される者の気持ちなど全く考えていなかった。
(アスト王子……マリア……)
あの二人は私が死んだと知った時、少しは悲しんでくれただろうか。
答えてくれる声はなくても、確かめる術がなくても……それでも、思わずにはいられなかった。
「……にしても、本当に生きてるとはね。チビどもから聞いた時は、眉唾物だと思っていたけど……一体何があったのよ?」
「ん? ああ、実は……」
少しクールダウンしたフレイアに、簡単にこれまでの経緯を伝える。
「へー、そんな偶然もあるのねー。まあ、私たちにとっては好都合だからいいけど。……ああそうだ。闇以外のやつらが荒れてるわよ。あんたが火と闇以外の精霊を呼ばないし、魔法も使わないから。まあ、私は火だからそれでもかまわないんだけどね。そんなわけで天界じゃ今、大精霊同士が大ゲンカ中よ。さっきも水の奴と一戦かましてきたばっかりなんだから」
そんな戦いが勃発しているとは知らなかった。
……もし、大精霊の中でも最も気の短いフレイアを省いていたら、天界が大惨事になっていたかもしれない。その点だけは幸運だろう。
ただ、もう一人気性の荒いことで有名な風の大精霊の存在が気がかりだった。
寡黙だが心の優しい闇の大精霊が餌食になってないか……少し心配だ。
「ま、まあ、ほどほどにな。私の方はそういう設定だからどうしようもないんだが……そうだ、できればあまり大勢でこないでほしいと配下の精霊に言っておいてくれないか?どうにも威力が強すぎてな…」
「それはしょうがないじゃない。あんたと久しぶりに会えてチビたちも喜んでんのよ。あれでもあんたに限っては、ちゃんと順番待ちしてるのよ? みんなあんたの魔りょ……じゃなくてあんたに会いたくて仕方ないのよ。……ていうか魔力少なくない!?」
(……結局魔力目当てか?)
今度から精霊との付き合い方を見直すべきか…悩むところだ。
「……魔力は、封印の影響で少なくなっているんだ。そのうち元に戻るさ」
「それは良かったわ! あんたの魔力本当においしいのよねー! 一度あれをもらうと、もう他のとこにはいけないわー……ところで、その極上の魔力をもらっているあんたのとこの使い魔はまだあいさつに来ないのね」
獲物を狙うハンターのような目つきであたりを見回すフレイア……キラがこの場にいなくて正解だったかもしれない。
「あー、正式な契約を結んでないから、魔力をあげているわけではないのだがな……まあ、ちょっとした用事を頼んでいるんだ」
本当はただ大精霊に会うのが嫌らしく、毎回逃げているのだが…理由はよくわからない。
天界に帰りたがらないこととなにか関係あるのかもしれないが……とりあえずこれ以上追及されないためにも、話題を変えることにする。
「……えーと、契約といえば、今は一人につき一匹だけらしいな。いつの間にそんなルールが決まったんだ?」
「ああ、それね。あんたが例の封印をしてからすぐよ。人間が魔族との戦いのために馬鹿みたいに呼ぶから、こっちで規制かけることにしたの。ついでに、よく知らないけどある時期から複数の使い魔を呼べるほどの資質を持った人間が異常に少なくなってね。なんか人間も私たちみたいに属性決まってきたらしいし……まあ、自然な流れでそうなったのよ」
「そうだったのか……じゃあ、本題なんだが」
「今さら!? もう、仕方ないわね。なんなのよ?」
私自身もすっかり忘れていたが、今回フレイアを呼び出したのは彼女に起こっている不可思議な現象について訊くためだった。
「ああ、ある少女についてなんだ……」
そして、ローズの精霊魔法について今までの状況も含めて説明する。
フレイアは話を聞くにつれて、その顔をニヤニヤしたものへと変えていき、最後には握りこぶしを口の前でつくって、意味ありげにこちらを見てきた。隠された口元は孤の形をえがいているに違いない。
「ふーーーん」
「なんだその反応は?」
「いいえ、あんたもようやく他人に興味を持つようになったと思ってね」
「………悪いか?」
少し気恥ずかしくなり、視線を逸らしながら言い返す。
「いいえ、むしろいいことよ。私たちもあんたの無頓着具合にはやきもきしてたのよ。興味を持つってことは、それだけ現世に執着を持つってこと。そして、それが生きる原動力につながるのよ」
「そうか……そうだな」
やはり随分と心配をかけていたらしい。
今まで心配をかけた分、これからは彼女たちを裏切らないように前を向いて生きていこう。
「大丈夫だ。もう自分から死にに行くような真似はしないと誓おう……それで、どうなんだ?」
「例の子ね。さっき調べさせたわ。あんたほどじゃないけど、なかなかおもしろい子よ」
「“おもしろい”とは?」
「ええ、つまりその子はね…」
「火の精霊に愛されているんだ」
「……どういう意味ですの?」
翌日、昨日と同じ所で練習をしていたローズに話しかけた。
彼女は唐突に現れた私に、最初は不信感を抱いたようだが、話が精霊のことだとわかると、その表情はすぐに真剣なものへと変わった。
「ローズの魔力とその気性は火の精霊たちと相性がいい……というより良すぎるんだ。だからローズが呼び掛けると、彼らは一斉に集まる。そうすると、狭い入口に精霊たちが殺到しすぎて“つまっている”状態になってしまうんだ。それがうまく精霊が集まらなかった……というより、そういう風にに見えていた原因だ」
そう、実際精霊は集まっていたのだ。ただ、一つの場所に集まりすぎて重なって見えていただけである。彼らはもともとはっきりとした形を持っているわけでもないので、気付かなくても無理はなかった。
どうやらローズの激しい?気性は、火の精霊のお気に入りらしい。
「そう、でしたの………では、どうすればよろしいのですか?」
「今までは周囲にいる精霊全てに呼びかけていただろう? それをやめて、まずはある一定方向にだけに呼びかけてみればいい。そうすれば許容量オーバーで入口がつまることもなくなる」
「一定方向……」
「本当は入口を広く作って、集結した精霊を自分の周囲に均等に拡散させるのが一番なんだが……これは慣れてないと難しい。まあ、普通はそれが必要になるほど精霊は集まらないものなんだ……そちらは、おいおい慣れていけばいいさ」
そう、精霊魔法は確かに精霊の力を借りる魔法ではあるが、実はその効力は全て術者を経由して現れている。術者が魔力をのせた言葉で呼びかけ、精霊はそれを目印に集まる。その時、実際精霊がその力を発揮するには、術者が無意識に展開している魔力の通り道を経由する必要があるのだ。
実際は精霊たちが勝手に通って行くので、ほとんどの魔法使いはそれを意識する必要がない。ただし、今回のように異常な数の精霊が集まる時は、どうしてもその入り口を広げるための訓練をしなければならなくなる。教科書にはのってない知識だ。
これは、よくよく考えれば、自分も昔一度通った道であった。
今でこそ無意識に入り口を広げているが、最初の頃は今のローズよりひどい状態で、精霊魔法の才能がないとさえ思っていたほどだったのだ。
その時は、実はいろんな属性の精霊が狭い入口に一斉に集まって、つまると同時にそれぞれの効力を相殺していたらしい……それも300年前大精霊を召喚して初めて知ったことである。
ともかく、そう考えると、ローズの苦労もよくわかるものだった。
「それと、ここまで好かれる人間は、なかなかいないらしいぞ。入口を広げるコツさえ掴めば精霊使いとしては、かなり上位を狙えるそうだ」
なんといっても火の大精霊のお墨付きである。つまりローズは、普通魔法も含め、火属性のエキスパートになれる将来有望な魔法使いということだ。
ちなみに「じゃあ私はどうなんだ?」とフレイアに訊いてみれば、「あんたはただでさえ、精霊に好かれてるのに、極上の魔力までくれるから、ホントいいカモ……じゃなくていい魔法使いよ。まあ、なんたって大精霊の私たちまで呼べるんだからよっぽどよね」という、いろんな意味でショックを受ける回答をもらった。
私の話を聞いたローズは、半信半疑なのか顎に手をやりながら、「一定方向…入口…広げる…」など一つ一つを確かめるように呟く。
「……ところで、どうしてそんなことを知っているんですの?」
「あー、それは私も昔同じ状態だったからだ。今は改善してるがな」
「……でもこの前は精霊の呼びすぎで怒られていませんでした? あれは入り口を広げすぎているのではないんですの?」
痛い所を突かれた。
「うっ…そ、それはだな。入口を広げるのはできるんだが、狭めるのが苦手でな……どうにも変な所で不器用らしい」
そもそも今までは狭める必要性がなかったという理由もある。
それに、例え狭めることができたとしても、せっかく来てくれた精霊を玄関先で追い返すというのは、どうにも良心が痛むのだ。
さらにいえばライルを助けた時に力を借りた火の精霊たち……彼らにも後日きっちり魔力をあげたのだが……そこから私の目覚めと、「おいしい魔力がもらえる」という噂が精霊たちの間に浸透しているらしく、現在も順番待ちをして呼ばれるのを今か今かと待っているらしい。なんとも頭の痛い話だ。
じゃあ、魔力を渡すのを止めれば少しは改善されるのではないか、という話なのだが……300年前からの習慣であり、また”借りたら返す”という私の信条もあって、そちらもできなかった。
こちらはいろいろと情けなさ過ぎて、ローズにはとても話せなかった事情である。
「ぷっ、なんですかそれは……変な人ですわね」
私の苦しい言い訳は、どうやらローズのツボに入ったらしい。
あんまりにも笑うものだから、私も少しムッとして言い返す。
「そうは言うが、ローズも十分変な人間だと思うぞ。貴族のくせして平民にやたら構うし、そのくせ言ってくることは貴族らしい尊大なことばかりだしな。一体何がしたいのかさっぱりわからん」
もうなるようになれと思い、今まで思っていたこと素直にを暴露する。
だが……てっきり怒ると思っていたローズの反応は、ある意味予想外のものだった。
「そ、そういう風に思われていたのですか?!」
彼女はショックだと言わんばかりに、狼狽した表情を見せる。
「……無自覚だったのか?」
「え、ええ」
……どうやら私たちの間には何か誤解があるらしい。
(“言われて初めて気付くこともある”か……)
昨日の自分がいい例だった。
「そうだったのか…じゃあ、正直に言わせてもらうぞ」
そこからは二人で授業をサボり、お互いの心情を暴露し合った上で、ローズの訓練を手伝った。
腹を割って話さなければわからないこともある……生まれて初めてそれを知った日だった。
そして、もう一つ思ったことは……300年前も、もっとアスト王子やマリアと話しておけばよかった、ということだ。
彼等との間に誤解があったかはわからないが、きっとお互い言い残した言葉があったはずだ。こうして死んでしまっては何も伝えることはできない。
たとえアスト王子に拒否されても、マリアに恨まれていても、それでも勇気を持って話せば良かった。
(……もしあの時に戻れたら)
そうして、ローズと散りゆくユスラの花を見つめ、変えることのできない過去に思いを馳せるのだった。
そんな感じでローズと和解しました。
個性あふれる大精霊は、これからもちょこちょこと登場していく予定です。
次はミア視点が入る……かな?




