第9話「ともだち」
朝食の後、3人そろって教室に行くと(キラは自由行動)、既に登校していたクラスメイト達はギョッとした顔でこちらを振り向いた。
無理もないだろう……この組み合わせはどう考えてもおかしいと思う。
第二王子と公爵家の長男はまだいいとして、どうして昨日来たばかりの転校生がその隣にいるのか。自分でも正直謎だ。
「アリアの席はここ。今日からよろしくな!」
「セレスティ、わからないことがあったら遠慮なく訊くといい」
「ああ、二人ともありがとう。よろしく頼む」
レストは結局私を苗字で呼ぶことに、決めたらしい。
本当に聖女を意識しているのかと思うと、それはそれで複雑な気分だったが……この際別人のことだとでも思って開き直るしかない。
クラスメイトの視線が突き刺さる中、指定された席に向かう。
どうやら私の席は窓際の後ろから4番目、ライルのひとつ前らしい。その隣、つまり自分の斜め右後ろには、レストがいる。
すぐ外には薄紅の花を散らす巨大なユスラの木。
そして少し離れたところに学園の正門が悠々とそびえ立っている。
眺めもよく、なかなかいい席みたいだ。
「やあ!」
唐突に聞こえたその声に振り返ると、自分達を遠巻きに眺めているクラスメイトの中から、ひとりの青年が両手を広げてこちらに歩み寄ってくる。
その青年は、少し垂れ目な茶色の瞳を細めながら、喜色満面な表情で軽やかに登場してきた。癖っ毛気味な金髪は肩より少し長い程度で、後ろで一本にまとめられている。
そのまま颯爽と自分の目の前まで来ると、彼は膝をついて、左手を胸に右手をこちらに差し出す謎のポーズをとった。
「君が来るのを待ってたよ! 僕はフィリック・ダン・リンメル!」
そのしぐさは、どこかの三文芝居のようで……はるか昔に読んだ物語の中の王子の求愛シーンにそっくりだった。
おそらく真面目な顔をしていればそこそこの美男といえないこともないが……その限りなく軽い雰囲気と、救いようのない言動の数々が全てを台無しにしている。
「ああ、やっぱり近くで見ても美しい! その瞳、伝説に詠われた聖女様のようだ! 君の美しさの前では月さえも霞むだろう! どうかこの愚かな僕に――」
……それ以上は脳が聞くことを拒否したので、省略する。
ともかく彼のマシンガントークはとどまることを知らなかった。
「素晴ら…花の…とき…!! …夢の…!! この…至上の……! ……!!」
いまだ理解の範疇を超えた美辞麗句が滝のように流れているようだが……ここまで来るといっそ感心する。形容詞の語彙が豊富でうらやましい限りだ。
惜しむらくは、周りの女子の冷たい視線に気づいていない点だろうか。
……なんだか気の毒になってきた。
―しかも
(このどうしようもなく軽い感じ。どこかで見覚えがあるような)
頭をひねる私の姿に何か勘違いしたのか、ライルが咎めるように青年の名を呼ぶ。
「おい、フィル! いい加減にしろよ、アリアが困ってるだろ!」
「いやぁ、だっていつの間にか王子とも仲良くなってるしさぁ。結局昨日の真相もわかんねえし。それに今日は新しく黒髪の美少年もライバルに加わったって話だぜ! 既にこの競争率……俺も出遅れちゃいられないだろ?!」
「何わけのわかんないこと言ってんだよ。しかも『僕』とか気持ち悪い一人称使いやがって」
「よけいなこと言うな! ああ、アリアちゃん勘違いしないでくれ。いつもはもっと優雅で品行方正なんだよ! それにしても本当に綺麗だなあ……そうだ! 今度君のために詩をつくってもいいかな!?」
先ほどと同じく途中までは完全に流したが、最後の一言で忌々しい記憶が蘇った。
(……ああ、ようやく思い出した。“あれ”に似ているんだ)
ようやく合点がいった。
そして意味を深く考えるまでもなく、思ったままのことを口にする。
「お前、変態か」
「へっ?」
そう、彼はあの聖女の詩を作った変態伯爵にそっくりだった。
顔はそうでもないが……この無駄に軽く、無駄に馴れ馴れしい感じは、奴の性格を継承しているようにしか思えない。
もしかしたらどこかで血でもつながっているのかもしれない。
そう考えると……なんだか今度は憐れに思えてきた。
そのままかわいそうなものでも見るように、変態青年、ないしフィリックを観察すると、彼は腕を差し出した状態のまま石像のようにピシリと固まっていた。
おかしな反応を不審に思い、他に目をやると……ライルは机をバンバン叩いて爆笑している。見ればレストも口を押さえて下を向いたまま肩を震わせていた。
「確か、に、間違って、は、いない……ぶは、なあ、レスト?」
息も切れ切れになりながら、ライルが同意を求めるように隣を振り仰ぐ。
「くくっ……ああ、女と見れば見境なく声をかける奴だ。変態に違いない」
「変態……生まれて初めて言われた」
フィリックは両手をついて項垂れている。なぜか放心状態に陥っているようだ。
そこまでおかしなことを言ったつもりはなかったが。
(…………まあいいか)
あまり気にしないことにした。
そういえば『春になるとおかしな人が増えるから気をつけなさい』と、昔誰かに教わった気がする。きっとその類なのだろう。
そんな周りは放っておいて、まずは念願だった自分専用の席に座る。
そして我慢しきれず机にほっぺたをくっつけて、その感触を楽しむ。
真新しい匂いとひんやりとした温度がひどく気持ちよかった。うっとりするようにそのままそっと目を閉じる。
今日から(正確には昨日からだったが)私は学生なのだ。
まさかこんな日がやってくるとは、夢にも思わなかった。300年前は、毎日が生きるか死ぬかの戦いで、未来はもちろん明日のことさえわからない日々が当たり前だった。
そんな日々を過ごしてきた自分が、今日からこの学園で生徒そして過ごしていく…なんとも数奇な運命だ。つい目を閉じたまま苦笑してしまう。
(今の私は完全におかしな人に見えるだろうな)
しかし、わかっていても止められそうにない。
数奇な運命………今は、それも案外悪くないと思えてしまったから。
「あ、あの」
……この怪しい状態の自分に声をかけるとは、なかなか肝が据わっている。
今度は誰だと思いながら、閉じていた目を開けると……自分の前の席に座っている赤毛の少女が恐る恐るといった様子でこちらを見ていた。
先ほどの青年に比べると、本人には悪いが随分地味な印象がある。
肩より少し長めのふわふわの赤毛。その青い瞳は、今は不安そうに揺れている。
ローブの下に着ている服もこの貴族だらけのクラスにしては、質素、な気がした。
だが、その垢ぬけてない雰囲気が、むしろ私には親しみやすかった。
「あなた、平民よね? ミドルネームがないし」
「ああ、そうだが……?」
その途端少女はパッと顔を綻ばせた。それは野に咲く花のように素朴で、可憐な笑みだった。自分にはないその可愛い表情に、一瞬うらやましいという感情がちらつく。
「よかった、私もなの! このクラスには他に平民出身がいなくて……」
どうやらこの少女はこの貴族ばかりのクラスで唯一の平民らしい。
(私と同じ異端分子か)
王城の中で過ごしてきた苦い記憶を思い出す。貴族ばかりの中で過ごす苦しみは、誰よりも知っているつもりだ。
今の私はライルという後見がついている点で恵まれている。キラという相棒もいるし、レストも…なんだかんだでよくしてもらっていると思う。
でもこの少女にはそんな知り合いはいないのだろう。それが普通だ。
きっと苦労してきたのだろう。過去の自分と重なる平民の少女に、親近感と庇護欲が湧くのも当然だった。
「そうなのか、大変だったな。アリア・セレスティだ。平民同士これからよろしく頼む」
「ええ! 私はミア・グレンよ。よろしくねアリア!」
本当にうれしそうに話すその様子は、よっぽど肩身の狭い思いをしてきたに違いない。
その笑顔を見て、これからは自分が彼女を支えていこうと心に誓った。
「ところでアリア。王子様達と仲が良いようだけど……なにかあったの?その、昨日も倒れたって聞いたし」
「ああ、それはレストのせいじゃないんだ。昨日は、ちょっと体調が悪くてな……まあ、話してみればいいやつらだぞ。平民だからといって差別はしない」
「そうなの? でもやっぱり恐れ多くて。それに私アリアほど美人じゃないし……」
「美人? ミアの方がずっとかわいいと思うが?」
「……もしかして無自覚?」
最後の問いかけには答えることなく一人ぶつぶつ呟くミアは、やがて何かを決心したようにこぶしを固めた。
小さい声だったが、聞き間違えでなければ、「私が守ってあげなくちゃ」とつぶやいた気がする。
(いや、守るのは私の役目では?)
そう思い一人で納得しているミアに、おそるおそる話しかける。
「あの、ミア?」
「……え、ええ、そうね。今度、頑張って話しかけてみる。ふふ、でもよかった。このクラスで初めての友達ができたわ」
「…………とも、だち?」
それまで考えていたことを全て吹き飛ばす威力が、その一言にはあった。
その4文字をかみしめる。300年前、願うことすら叶わなかったものだ。
それが今手に入った、のだろうか?
正直あまり実感は湧かない。
(……でも、案外そんなものかもしれないな)
そうは思いながら、さっきとは違う意味で口が孤の形になっている自覚があった。
「おはよう諸君。よし、出席とるぞー」
ちょうどよく担任のフラスト先生が入室してきたおかげで自分の変な顔…泣き笑いのような顔をミアに見られることがなくてよかったと思う。
「じゃあホームルーム始まるから」と前を向いたミアの背をじっと見つめた後、しばらく目を閉じた。
そうして心を落ち着かせて、今度は後ろの席のライルを振り返る。
「……ライル」
「ん、なんだ?」
頬杖をつきながら、満足そうな顔でこちらを見ているライルと目を合わせる。
どうしても今、伝えたいことがあった。
「初めて“ともだち”ができた」
その言葉を聞いたライルは、どこか意外そうな表情をした後、ふっとやさしく微笑んだ。
それは我が子が初めて何かを成し遂げた時の親のような、慈愛に満ちた頬笑みだった。
その笑みに後押しされるように、今抱いている素直な気持ちを言葉にのせて伝える。
「その……ここに連れてきてくれて、本当にありがとう。ライルに会えてよかったよ」
「………すごい殺し文句だな」
「ん? 何か言ったか?」
「……いんや。でもさ、ひとつ言っていいか」
急に真面目な顔になった彼が、少し前のめりになってこちらを覗きこむ。
若草色の瞳がいつもより真剣で、少しどきりとする。
「あ、ああ」
そうしてライルは、少し拗ねたように…でもどこか楽しそうにその“確認”をしてきた。
「俺は既に友達のつもりだったんだけど?」
その言葉に一瞬ポカンとする。だがすぐにその意味を理解して……
(まいった……完敗だな)
本当に人間相手の自分は弱い。
たったこれだけの言葉でこんなにも心揺さぶられるのだから。
私の様子を見て“してやったり”という顔をしているライルに、“答え”を返す。
「………そうだな。“ともだち”第一号はライルだ。」
「うむ、わかればよろしい」
偉そう胸を張るその姿に思わず笑ってしまう。
そして、そんな自分自身に驚いた。
(こんなに、心から笑える日がくるなんて……)
この時代に目覚めてから、本当に驚きと喜びの連続だ。だが、こんな日常も悪くない…と思う。
「次、朝からいちゃこらしているアリア・セレスティ」
生まれて初めての出席確認は、なんとも不名誉な呼ばれ方だった。
でも、今はそれさえもうれしくて仕方ない。ただこの場にいることが……生きていることがうれしかった。
「はい!」
「お、随分いきのいい返事だな。……よーし、全員いるな。じゃあ、ホームルーム始めるぞー」
その担任の声を合図に、生徒たちはいつも通りおしゃべりをやめて、話を聞く体制にうつる。
ただいつもと少し違うのは、窓際の後ろから4番目の席に関心が向いてしまうことだ。
……だが、それもいずれクラスの一員としてあたりまえの存在となる。
開けた窓からユスラの花びらがそっと舞いこんでくる。
ひらりと机に着地した薄紅色の花は、まるで彼女の門出を祝福しているようだった。