1章 第1話「始まりの日」
「ひっ!! いやだ、来ないで!! 助けてお父さん、お母さん!」
……妹の声がする。
「この化け物!! あんたのせいで村の人間は……私の兄さんは死んだんだ!!」
ああ、これは隣村のおばさんの声だ。
「ほう……これが噂の『テルニアの悪魔』か。悪魔の割には見目麗しいのぉ。喜べ、我が今日からお前の主人だ」
新しいおもちゃを手に入れた、子どものような国王の声。
「逆らえば……妹がどうなるかわかってるな?」
極悪宰相の声………虫唾が走る。
「アリア……すまない」
………………アスト王子。
「………!!………ま!!……んさま!!!」
うるさいな、今度は誰だ?
でもこの声、どこかで聞き覚えがあるような……
(まだ眠い……)
まるで眠りの魔法をかけられた後のように身体がだるく、意識がはっきりしない。しかし、耳元でギャーギャー騒ぐ声を無視することもできず、ゆっくりと重い瞼を開ける。
目を開けて一番に入ってきたのは蒼だった。
それは冬の晴れた日の、蒼天の色。
「ご主人様!! よかった、本当に目が覚めたんですね!! 僕もう、夢かと……」
涙交じりの声を耳にいれながら、何度か瞬きを繰り返す。
するとようやくぼやけていた視界がはっきりしてきた。それと同時に頭も回転を始める。
仰向けに寝ている自分、周りが少し暗い。
(……ここはどこだ?)
長年の習慣から瞬時に魔物の気配を探り、とりあえずは安全な場所であることを確認する。
しかし、それ以外にも何か重大なことを忘れているような気がする……が、それがなにか思い出せない。
……いや、まずは目の前にいる不審人物が先か。
そう思い、寝ている自分に覆いかぶさるようにして、至近距離で顔を覗き込んでいる少年に意識を向ける。
数秒見つめあった後、そのままの姿勢で口を開く。
「………………………誰だ?」
年頃の娘としてこの反応はどうなんだろうと自分でも思うが、まあ今更だろう。
そんな私のそっけない言葉を聞くと、目の前にいる人物は少し怒ったように頬を膨らませ言い返してきた。
「僕を忘れたんですか!? ずっと待ってたのに!! ご主人様の魔力の気配が大きくなったのを感じて、急いで戻ってきたのに~!!」
そう言ってポコポコたたいてくる。
だがそんなことを言われても、自分の記憶が正しければ、この少年とは今日が初対面のはずだ。
蒼色の瞳に漆黒の髪を持つ……おそらく10歳前後の少年。
アーモンド形の大きな目は涙でキラキラと輝き、その筋の人間にはたまらないほどいじらしい表情をしていた。……あいにく、自分にそんな趣味はないが。
漆黒の髪は濡れたように輝いている。少し癖っ毛ぎみなのが逆に愛嬌を誘う。
ともかく、将来は確実に女泣かせの美しい青年になることが約束されたような美少年だった。
ひとつ気になることがあるとすれば、身なりのいいその服にあまり見慣れない装飾が施されていることくらいか。
しかし――
(やっぱり見覚えがない)
そう考えチラっと少年の方を見て答えを促すが、少年はムスッとして顔を横にむけた。
……どうやら私が思いだすまで自分の正体を言うつもりはないようだ。
なんて面倒な。
(いや、だが、この面倒な感じ……どこか既視感があるような……?)
そう言えばこの少年は私のことを“ご主人様”と呼ばなかっただろうか?
そもそも自分のような人間を“ご主人様”と呼ぶ奇特な者は、この世に一人しかいない。
「まさか……………キラ、か?」
かなり疑い深い目つきでそう聞くと、少年は喜んだようにがばっと抱きついてきた。
「そうです!! キラです!! この姿でもわかってくれるなんて、やっぱり愛の力ですね!!」
そう言って涙を流しながら私の胸に顔を押し付けてくる。
……ああ、この面倒くささは間違いなくキラだ。
一気に脱力する。と、同時に新たな疑問がわいてきた。
「なぜ人化できるんだ? しかもその髪の色はどうした?」
聖獣は生まれてからある程度の年月がたたなければ、人化することはできない。
種族差や個体差によってその時期は様々だが、少なくとも幼獣であるはずのキラは人化できるわけがないのだ。
それに髪の色についても……キラは光の属性の聖獣だから、毛は金色のはず。
よっぽどのことがない限り黒に変わることはない。
(まったくわけがわからない……いったいどうなってるんだ?)
そうしてふと自分の着てる服、血まみれの軍服を見た。瞬間、一気にその情景がよみがえってくる。
戦場、赤い血、死体、封印、魔王――
(魔王の封印! どうして忘れていたんだ!?)
「封印は、魔王はどうなった!? どうして私は生きているんだ!?」
早口で最重要疑問を尋ねると、少年……もといキラはどこか困ったような、なにから話せばいいかわからないような顔をしながら答えた。
「封印は成功しましたよ。地上に魔王の気配はありませんから、まだ封印されているか、もしくは既に消滅したんだと思います」
そう言われたものの、一応自分でも確認してみる。
目を閉じて集中する……たしかにあの強大で異質な魔王の気配はどこにも感じられない。
(そう、なのか……ならよかった)
万が一にも失敗して、あの子に危害が加わるのだけは避けたかった。
あの子は、妹は私が生きる理由なのだから。
そうして息をはいて安心していると、かつて狼だった少年は何かを言いたげに、でもどこか言いにくそうな表情で、モジモジしながら上目づかいで私を窺っていた。
……人間バージョンでも一瞬で理解できてしまうほど、それはわかりやすかった。
(これは、あれだ……菓子の盗み食いがばれそうになったのを、必死で隠そうとしていた時と同じ反応だ)
………だが、魔王の脅威は去ったのだ。
どうせそれ以上に重要なことなんてないし、それに今ならどんな失敗も広い心で許してやれる自信がある。
「キラ、怒らないから言ってごらん。なにか伝えたいことがあるんだろう?」
私がそう言うと、キラは心底ホッとしたように笑い…………そして、こうぶちまけてきた。
「ご主人様、落ち着いて聞いてくださいね。あのですね……実は今年は王国歴448年で、ご主人様が眠りについた日から……封印をおこなった日から、ちょうど300年が過ぎてるんですよ」
「………………………は?」