第8話「不可思議な朝食」
部屋のドアを開けた瞬間、その人物と目が合った。
どうやら向かいの部屋の住人も、ちょうどドアを開けたところだったらしく、自分と同じように取っ手に手をかけたまま固まっている。
薄紫の瞳は驚きで見開かれ、その金色の髪は朝の陽光を受けて、まるで光の精霊のような輝きを放っていた。
「………」
「………」
…なんとも気まずい沈黙が流れる。
双方一言も話さないまま見つめ合う姿は、傍から見たらどう映るのだろうか。
妹と同じ瞳と数秒向かいあった後、そっと溜息をつく。
(朝から運がいいのか悪いのか)
教室で会ったら昨日のことを詫びようと思っていたが……まさかこんなに早く遭遇するとは思っていなかった。
なにはともあれ、この重苦しい沈黙をどうにかせねばならない。あまり心の準備はできてなかったが、とりあえず何かを話しかけようとする。
しかし、口を開こうとした瞬間、新たな第三者に邪魔をされることになった。
「あ、お前昨日の!?」
自分の後ろからひょっこり出てきたキラが、その人物を指さす。……これは後で人を指さしてはいけないと教えなければならない。相手が王子ならなおさらだ。
指さされたレストシア王子は、キラの登場に益々驚愕したようだが、それをきっかけにようやく呪縛が解けたようだった。
彼は気まずげに視線を逸らしながら告げてきた。
「……その、昨日は悪かった、な」
……まさか、あちらから謝罪の言葉が出るとは思っていなかった。昨日とは一変して、王族らしくないその殊勝な対応につい動揺してしまう。
「い、いや、こちらこそ。いきなり倒れて申し訳なかった」
「ご主人様が謝る必要なんてないですよ!全部こいつの、あぶ」
昨日と同じく、慌ててその口を塞ぐ。
キラは何かを言いたげに私を見上げてくるが、せっかく円滑に事が進んでいるのだ。ここでわざわざ再燃させるのは得策ではない。
一方王子は、わずかにその形のいい眉根を寄せたが……それ以外にキラの言動には気にするそぶりを見せずに話を続けた。
「指輪のことも悪かった。城で調べたところ、マリア王妃の指輪はちゃんと宝物庫に保管されていた。おそらくきさ…君のはレプリカかなにかだろう。随分と精巧なレプリカだとは思うが………その、身体はもう大丈夫か?」
呼び方が“貴様”から“君”にレベルアップしたことも含めて、どうやらいつのまにか懸けられていた“王妃の指輪盗難容疑”は晴れたようだった。
気付かない間にとんでもなく危ない橋を渡っていたことに驚愕する。
その一方で“レプリカ”の指輪についてうまく説明するため、朝から頭を働かせることになった。
「ああ、昨日は少し体調が悪くてな。心配をかけてすまない。……この指輪はある人の形見なんだ。詳しくは知らないが、王宮の関係者だったようだ。おそらくその伝手で作られたものだろう。その、やはり王宮に提出したほうがいいのか?」
「いや……本来ならあまり褒められたことではないが、昨日の詫びもかねてその指輪については不問に処そう。もとより王家に深い関わりがある者以外は、あの指輪の存在は知らないしな」
「そうか……ならよかった」
「………」
「………」
そこで会話が途切れる。話題がなくなったせいでもあるが……それ以上に、この場に流れる殺伐とした雰囲気のせいでもあった。
そして、その原因は今私が口を押さえている相棒にある。
キラが先ほどから殺気の籠った視線で王子を睨みつけているのだ。王子はその視線を受け止め……いや、むしろ対抗するように毅然とした態度で相手を見下ろしている。
二人の間には見えない火花が散っているようで……正直非常にいたたまれない。
(一体昨日何があったんだ?)
自分が気を失っている間に、この二人に何があったのか……訊きたいような訊きたくないような。
まあ、キラはもともと人嫌いであるし、特に王族・貴族には厳しい方でもあるのだが。
いや、そんなことを考える前に、まずはこの状況をなんとかしなければいけない。一触即発の両者を仲裁できるのは今のところ自分だけなのだ。
そうして死の静寂が場を支配する中、意を決して言葉を紡ごうとした瞬間……本日二度目となる妨害(この場合はむしろ救援?)が入った。
「……あー、そこでガン飛ばしあっている御両人。そろそろ行かないと朝飯食いっぱぐれるぜ?」
いつから見ていたのか。2つ隣の部屋の壁にもたれながら、ライルが呆れたようにこちらを眺めていた。
(……なぜこんなことに)
正面に座るご機嫌顔と、その隣の不機嫌顔をチラリと一瞥する。そして自分の隣は先ほどから一心不乱に菓子パンを食べる相棒の姿がある。
目の前にはおいしそうな朝食があるが……いまいち食欲が湧かないのはやはり先ほどから流れるこのなんともいえない微妙な空気のせいだろう。
そう、あの後なぜかライルも交えて4人で朝食をとることになったのだ。
寮の一階にある食堂は数百人を収容できるつくりとなっているが、やはり朝のこの時間は人で溢れかえっていた。
もっとも、なぜか自分達の周りだけ人が寄ってこないが……それでも視線だけはやけに感じるのが嫌なところだ。
人からの視線には慣れているつもりだったが、これほど多くの同年代の視線に晒されたのは初めてだ。きっと王子や公爵家の長男がいるせいだとは思うが、さっきとは違う意味で落ち着かない。
この刺すような無数の視線の針で全身に穴を開けられては、食欲がなくなるのも、口数が少なくなるのも自然な流れだろう。
「………」
「………」
「おいおい。お前ら付き合いたてのカップルでももう少し……いや、俺は認めないけどな」
よくわからない例えを出しながらライルが言葉を発する。内容はともかく、その発言のおかげで張りつめていた空気が少し弛緩した気がする。
おそらく普段からこういった視線には、慣れているのだろう。
特に気にする様子も見せず、普段通り話す姿はある意味尊敬に値する。
その幼馴染の言葉に触発されたのか……おそらく誰よりもこういった視線と長く付き合ってきた人物が会話をつなぐ。
「何の話だ……そういえば、自己紹介が遅れたな。私はレストシア・クライス・ハインレンスだ。レストと呼んでくれて構わない」
(王子を呼び捨てにしていいのか?)
そんな疑問を持ったが……どうせ今の自分にはなんのしがらみもないのだ。既に王家に媚びへつらう理由もなくなったし、なにより本人がいいというのならいいのだろう。
その言葉を素直に受け取ることにした。
「ああ、よろしくレスト。アリア・セレスティだ。私もアリアでいい」
だがそう言った途端、レストはなぜか微妙な顔をして黙ってしまった。
「……どうしたんだ?」
その理由がわからず率直に質問すると、正面に座るライルが顔を近づけそっと耳打ちをしてきた。
「ほら、いつか言ったろ。聖女に過度の妄想抱いてる奴がいるって。それがこいつ。きっと『聖女様と同じ名前を呼び捨てになんて…』とか思ってんだろ」
「……ライル聞こえてるぞ」
レストが睨みつけてはくるものの、その頬はかすかに赤く染まっている。
どうやら図星のようだ。
(なんて難儀な)
まさか王家の人間から、聖女として崇められる日がくるとは思わなかった。
第二王子のこの様子では、いまや王家の人間といえども300年前の真実は知らないと考えていいのだろうか……だとすれば正直複雑な気分だ。
もし私がそうだと言ったら……聖女なんて本当は虚像に過ぎないと知ったら、一体どんな感想が飛び出るのだろうか。
現時点ではありえない未来だが、多少興味が湧いた。
「まあ、名前が嫌なら苗字で呼べばいいさ。あとこっちはキラ。アリアの使い魔だ」
思考に没頭する自分に代り、ライルが相棒のことを紹介してくれる。その先にはプリンなるデザートに夢中になっているキラがいた。
「こいつ、昨日となにか雰囲気が…………二重人格か?」
レストが呟いた言葉は、幸か不幸か他の二人には聞こえなかった。
しかし、言われた本人の優れた聴覚にはしっかりと届いたようで、ピクっと反応したキラは、プリンを咀嚼しながらすさまじい殺気を放つ。
その瞬間、食堂にいる全ての人間の動作が、ピタリと止まる。今まで感じたことのない殺気に、本能で危機を察したのだった。
「こら、キラ! いきなり殺気をだすな! 他の人が驚くだろう」
「はーい」
軽い返事とともにキレイに殺気を仕舞うキラと、殺気に竦むどころか逆に叱る女主の態度に、男2人は冷や汗をかきながら密かに憧憬の念を抱いた。
ちなみに4人(正確には3人と1匹)が仲良く?食事をとっている風景を見た学生たちは、昨日出回った『王家と公爵家の幼馴染対決、泥沼の三角関係』という噂は嘘のようだと推測した。
しかし、最後に放たれたものすごい殺気に、今度は『黒髪の美少年が参戦!?まさかの四角関係!?』という噂が流れることになる。
そのことを、この時の4人はまだ知らない。