第7話「王宮」
*6話にひき続き、王子視点になります。
ドアを開けると同時にその場の全員の視線が突き刺さった。
その眼差しに含まれる好奇と疑惑の感情を完全に無視し、そのまま教室の中に足を踏み入れる。
同じく自分に気付いたらしい、教科書を片手に黒板に何かを書いていた深緑の髪の男は、こちらを振り返りながら軽い調子で訊いてくる。
「お、ようやく戻ってきたのか。うん? 転校生はどうした?」
そういえば一限目はちょうど担任フラストの攻撃魔法の授業だった。
その人を喰ったような表情は一見軽薄そうな印象をもたらすが、自分は王宮でのこの男の働きを知っている。
鬼神のごとき強さから諸外国では恐れられていた……我が国の守護神といってもいい存在だった。
だが、ある事件を契機に自らその地位を捨て、教職の道を選んだ変わり者でもある。
それでもさすがというべきか……陽気に自分を見つめる藍の目には、どこか鋭い刃物のような視線が隠されていた。
この男もまた自分が王子だという理由で、特別扱いはしない者だが……今はそれが苦々しい。
どうせ隠しておけるものでもないので、端的にあったことの事実だけを述べることにする。
「……倒れたから医務室に置いてきた」
その言葉を言った時の、クラスの反応は顕著だった。教室中が一気に喧騒に包まれる。
ここの奴らは妄想力というか…ともかくそういうのがすさまじい。
結婚相手を探すという目的もあるせいだろ。男女間の出来事にやたらと反応し、恋愛事に結びつけたがるのだ。
「まさか……」
「えー、でもあのレストシア様よ」
「いや、でも倒れるって……」
様々な憶測が飛び交う教室を、軽蔑するように眺める……と同時に少し反省する。
いくら王家に関わることだからといっても、いきなり教室から連れ出すのはやりすぎた。
明日からの彼女の学校生活に支障が出なければいいのだが…
女嫌いの自分がそんなことを考えることは滅多にないのだが、さすがに今日会ったばかりの人間が自分のせいであらぬ誤解を受けるのは良心が痛む。
(それに……)
だがその思考を途中で妨げたのは、自分の幼馴染だった。
「レスト、お前何をしたんだ!?」
その男……ライルは自分の胸元を乱暴に掴みながら、至近距離で怒鳴ってきた。
いつもは穏やかな若草色の瞳が今は、怒りに燃えている。
「何も、していない」
その姿に内心驚きながら、表面上は冷静に返す。首が締まって苦しいのはこの際気にしない。
幼馴染という関係で小さい頃からお互いを知っているが、ここまで真剣に怒っている顔を見るのは初めてだった。気付けばいつの間にか教室も静かになっている。
チラリと担任の方を見るが、どうやら止める気はないようだ。
相変わらずおもしろそうな顔をして、腕を組みながら傍観を決め込んでいる。
保健医といい……本当にこの学園の教諭は、実力はあっても性格はろくな奴がいない。
教師にあるまじきその姿に仕事をしろと文句も言いたくなったが、今はその余裕もないようだ。
目の前には怒り狂う幼馴染の顔がある。
「何もって……じゃあ、何があったんだよ!?」
(そんなことは私が知りたい)
言葉にはならない心の声を吐きながら、未だ激昂するライルの手を振りほどく。
どう考えてもこの状態のライルにまともな話が通じるとは思えないし、なによりまともな話を言える気もしなかった。
そうして説明することをあっけなく放棄し、自分の机の前まで歩いてカバンを拾う。
「何もなかった。王宮に行ってくる」
はたして“何も”してないと言えるかは自分自身よくわからなかったが…自分の言葉を聞いて倒れたのは確かだ。
その中のなにが原因かはわからないが、少なくとも今の自分にはできることがある。
王家の者としての責任と、少女に対するかすかな贖罪の両方が動く理由になった。
未だ何か言いたそうなライルと、「おーい明日はちゃんと来いよ」と少しずれたことを言う担任の声を背後に、ざわめく教室を去った。
「誰もいない、な」
人気のない、豪華なシャンデリアに国宝級の調度品が並ぶ廊下を見ていると、それだけで帰りたい気分になってくる。
王宮は相も変わらず胡散臭い場所だった。悪鬼巣窟、魑魅魍魎の巣。まさにそう呼ぶにふさわしい。
城の外見は真っ白でもその中身は真っ黒だ。
己の欲しか考えない愚か者どもが跋扈する場所。
そんな場所で生まれ育った自分の性格がひねくれるのも仕方ない。
足早に廊下を進むが……急に嫌な予感がした。
これでも貴族の古狸たちに見つからないよう、抜け道を伝ってここまで来たのだが…違う道を通ろうと踵を返す背後から不意に聞こえた声に、その目論見が失敗したことを悟る。
「よぉ、レスト。お前がこっちに戻ってくるなんて珍しいな」
「…………兄上」
ギルネシア・オルス・ハインレンス。今年で20歳になる自分の兄であり、この国の王太子だった。
そして今、最も会いたくない人物でもあった。
おそらくいつも通り待ち伏せしていたのだろう。
そしていつものようにニヤニヤ顔をしている兄につい舌打ちしたくなる。
いつでもそうだ。自分はこの兄の手の上で転がされている。
そして次に兄から発せられた言葉は、そんな自分の惨めな現状を表すにふさわしいものだった。
「なんだ、ついに俺の嫁になる女が見つかったのか?」
「……」
その唇から放たれた絶妙な低音は、これまでどれだけの女性たちを虜にしてきたのだろうか。
端正な顔立ちにきらめく金色の髪、左目の下には泣き黒子がそれを助長している。
甘いマスクは王宮で『黄薔薇の君』の呼称を持つ。
貴族の女性から絶大な支持を集めているこの男は、自分が王宮に帰るたびに、どこからかそれを聞きつけこうして待ち伏せしているのだ。
そんな兄と自分は、髪と全体的な顔のパーツはよく似ている…と言われる。
だが、唯一自分と似ても似つかない点は、その瞳だった。
兄のそれは、エメラルドのような翠色をしている。
……あるいは普通の貴族であれば、なんと言われるでもなくただの綺麗な色として受け入れられただろう。
だが、その色は王族としては致命的でもあった。
そう兄は王族としては魔力が少ない。
一般の魔法使いには十分なれる程度だが、連綿と続く王族の系譜の中ではそれはあまりにも微力だった。
代々王族ではマリア王妃と同じ“紫の瞳”を持つか否かで、その存在価値が決まるといっても過言ではない。
いつのまにそんな暗黙の了解ができてしまったのかは知らないが、今は同順位の貴族でさえ魔力の強い者とそうでない者に位の格差が出るのだから、ある意味必然なのだろう。
“聖女の系譜”の証でもある紫の瞳は、その神聖な価値を持って、この300年王家の権威に多大な影響を与えてきた。
だが数百年の時が過ぎたことによりその血も薄まり、遺伝を受ける者も少なくなってきていた。
その事実に王家も少しずつ焦り始めていている。
だから……自分は学校に入れられた。
花嫁を探すために。それも自分のではない。兄の花嫁を、だ。
それは魔力の高い者が伴侶となれば、その子どもに聖女の瞳が発言する可能性が高くなるという理由からだった。
それだけでも馬鹿馬鹿しいが、それ以上に馬鹿馬鹿しいのは、本来第二王子である自分がそんなことをする必要はない、ということだ。
王太子の花嫁ならわざわざ自分が探しに行かなくても、あちらから立候補してくる。
現に今も兄のもとへは各国の王族・貴族から次々と縁談が舞い込んでいるはずだ。
もっとも噂ではその全てを断っているようだが。
ともかく花嫁探しなんてものはほとんど口実のようなもので、この人をおちょくるのが好きな兄の命令で、自分は4年間も学校に通うはめになった。
13歳の春に「よお、レストお前ちょっと学校行って来い。俺の嫁探しに」と言われた時の衝撃は忘れられない。まるで近くまでおつかいに行かせるような軽さで言われた時は、何の冗談かと思った。
だが……不思議なもので、今ではむしろあの学校の寮こそが自分の帰る場所のように思っている。
クラスの人間のやかましさには辟易しているが、それ以外は王宮に比べれば随分過ごしやすい場所でもあった。
それだけは、目の前にいる兄に感謝している。
「……違います。少し調べたいことができたので」
「なんだ違うのか? 報告では強い魔力の転校生が現れたとか」
(すでにそんなことまで伝わっているのか)
さすが、王太子直属の密偵といったところか。
だが、この様子ではまだ容姿についての報告はあがっていないのだろう。
おそらくあの使い魔のせいだろうが。
「……平民出身のがさつな女です。兄上に見合うような女ではありません。それでは失礼します」
嘘だった。
平民出身なのは本当だったが、少なくとも容姿は王宮で見たどんな貴族の女性よりも勝っていた。
自分自身クラスメイトの噂話を聞いても、最初は全く興味が湧かなかった。
もちろん事前情報から古代魔法を使えることは知っていた。
だが、いくらなんでもどこの誰ともわからない平民の女を王太子妃にできるわけがないし、なにより兄への反抗から卒業するまで絶対に花嫁など見つけるものか、という意地があった。
でもあの瞬間……急にクラスが静まり返った違和感にふと顔をあげた時。紫の瞳に囚われた時から、どうしても視線が外せなくなった。
男のような口調は、逆に孤高な存在としての気位を感じさせた。つやめく黒髪は高価な黒曜石ののようだった。
――そして何より
幼いころから寝物語で聞かされた聖女様の話。
その聖女様と同じ瞳と名前をもつ美しい少女。
そんな存在が目の前にいて、驚かないはずがなかった。
あの時の自分はきっとひどい顔をしていただろう。クラスの人間全員が少女に注目していたことから、誰にも見られていないだろうことが唯一の救いだ。
ともかくあの少女は平民であることを除けば、これ以上ないほど王太子妃にふさわしい人材であった。
むしろその平民という位が最後の砦だ。
あの滅多にない紫の瞳と魔力量は、王族のみならず貴族にとっても格好の餌である。
彼女に対する罪悪感と、聖女への畏敬からあの場はごまかしたが……いつまで隠せるかはわからない。
そして、その存在を知った時の兄の対応も現時点では予想がつかなかった。
一方で王宮の古狸たちの行動は簡単に予想できる。
きっと自分達のところに囲おうとするだろう。
だが、学校は中立地帯であるし、おそらくライルの庇護もあるから、こちらもしばらくは大丈夫だろう。
―それでも
「やっかいだな…」
あの稀有な少女の存在は、もしかしたら王位継承問題にまで関わってくるかもしれない。
古狸達の中に、自分を王にしようとしている派閥がいることも知っている。
王家としての権威を何よりも重要視する、権威至上主義の集まりだ。
たしかに紫の瞳を持つことからも、魔力については自分が勝っている。
その上この顔だ。
300年前の賢王にそっくりの容貌から自分も賢王になるのでは、というよくわからない推論をする輩は大勢いる。
だが、それ以外の……王としての資質は明らかに兄の方が上だった。
現にこれまでも紫以外の瞳を持った賢王は存在した。
自分を推す馬鹿どもはその点を全くわかっていない。
外面と内面、どちらを重要視するのか。
その意味で、あの少女はこの問題に一石を投じることになるかもしれない。
……できることならこの醜い争いには、関わってほしくなかった。
おそらく巻き込まれれば彼女も自分同様、人間性を顧みられることはなくなる。
それは何よりもつらいことだと知っている。
同じ苦しみを増やしたくはなかった。
(……自分はなぜここにいる)
それは物心ついたときからずっと考えてきた疑問だった。
本当に笑えてくる。このアストレイ国王に似た忌々しい顔も魔力も、そして地位さえも何一つ自分で望み手に入れたものではない。
むしろその全てが自分の人格を否定しているようにしか思えなかった。
この王宮に自分の居場所などあるのか。
――宝物庫への道を進みながら、終わりのない思考のスパイラルに陥っていった。
一方去っていく弟の姿を眺めたこの国の王太子は、誰もいない空間で一人満足そうな表情をしていた。
「あれは何か隠しているな。まったく、可愛くない奴め…いや、だからこそ可愛いのか。………なあ、そう思わないか?」
顎に手をかけて、近くの柱の影に声をかける。
すると誰もいないと思われた空間から、すぐに質問とは違う答えが返ってくる。
「ギルネシア様……そろそろ」
「わかっている。久々の弟いじりは終いだ。政務に戻るぞ」
そう言い、一転王太子としての仮面を張り付ける。
その雰囲気も先ほど弟の相手をしていた時とは全く違っていた。
鋭いまなざしと厳格な雰囲気は、この王宮で長年暮らしていくうちに身に着けざるを得なかったものだ。
そうして廊下を歩きながら、日課となっている報告を受ける。
「本日の報告ですが……第二王子につけていた護衛が眠らされておりました」
「ほう……誰の仕業だ?」
「それが、誰もその姿を見ていないとか……気付いた時には眠っていた、とのことです。かなりの実力の持ち主でしょう。ですが……御覧の通り、第二王子には何の怪我もなかったようですね」
「ふむ、やるな……調査してみるか」
「それ自体は反対しませんが……いい加減その過保護やめませんか? レストシア王子もいい歳なんですから」
それまで事務的に受け答えをしていた近衛は、ここにきてようやく人間らしい発言をした。
それもかなり切実に。
「……だが、王族として護衛は必要だろう?」
「学園は中立地帯ですし安全ですよ。教師には上級魔法士も多いですし、なによりフラスト様がいるでしょう。あなたが担任に推薦したんじゃなかったんですか?」
「………だが」
近衛歴7年目になる男は、主である王太子の性格を熟知していた。ここで一気に勝負を仕掛ける。
「あんまりしつこくすると嫌われますよ。今回も命を狙った犯行ではないですし、おそらく聞かれたくない会話があったのでしょう。どうか、これ以上ストーカーをするのはお止めください」
いまだ不満そうな顔をする主にはこの「嫌われる」という言葉がなにより効いた。
……最も既に嫌われていることに気付いてないのが残念なところだが。
「む……仕方ない。たしかにレストもお年頃だしな。兄には知られたくないこともでてくるだろう。しばらくは我慢しよう」
「……それでも“しばらくは”なんですね」
もはやため息しかでない。
この兄弟はいろんな意味で温度差がひどすぎる。
すれ違いもここまでいくと天晴れだ。
ただ、毎日「今日のレストシア王子は――」という報告をしなければならない自分達の身にもなってほしい……それは近衛部隊全員の切実な思いだった。