第5話「入寮」
そこは、想像の斜め上……から垂直降下して地面にめり込んだような場所だった。
もちろん悪い意味で。
「まさか…ここが?」
「そのまさかだ」
「う、嘘でしょう?! こ、こんなところに住めっていうの?!」
慈悲のかけらもないライルの言葉にキラが抗議の悲鳴をあげる。
心なしかその顔は青ざめている。私の着る黒いローブの端っこを掴んでぶるぶる震える黒髪の少年の姿は……なんだかマニアックな需要がありそうだった。
「てか俺、実際住んでるんだけど……まあ、最初は皆そういう反応するもんさ」
そう言うライルは自分たちの反応を予想していたのか、至極平静に言葉を返してくる。
「しかし、本当に住めるのか?なんというか……今にも崩れそうな儚さなのだが」
そう、寮と教えられた建物は、ボロかった。それも半端ないほどに。たしかに数百人単位で人が住めるほどには大きいが、はたして上の階は住む人間の体重に耐えられるのか、という疑問が湧くほどだ。
「その点は大丈夫。魔法で補強してあるらしい。それに案外中の方は綺麗なんだぜ?」
この外観でそう言われても、全く説得力はない。良くいえば風情ある、悪くいえばボロイ建物の外側は、何かの植物のツタで覆われており、その裏手には山林が広がっている。それらが一層の不気味さの演出に一役買っているのだ。
(……というか魔法で補強するくらいなら、いっそ立て直せばいいのでは?)
なにかこだわりがあるのだろうか?
おそらく築数百年と推測されるその建物は、確かにボロイ中にもどこか荘厳な雰囲気が感じられるが。
「そ、そ、そんなこと言ったって……ご主人様ぁ、ここ絶対なにか出ますよ!?」
「……キラ、お前闇属性のくせして幽霊を怖がってどうするんだ?」
つい呆れてしまう。
「そ、そんなの関係ないですよ!」
「………まあ、出るのは本当らしいけどな」
ぼそっと呟いたライルの言葉に2人仲良く動きを止める。
その中でもキラは壊れた首ふり人形のように、ぎこちない動作でライルを振り向いた。
「え? なにか言った? 気のせいだよね。ですよね、ご主人様?」
「ライル、何が出るんだ?」
キラのささやかな抵抗も空しく、魔族を相手に戦ってきた私は“それ”に対して必要以上の恐怖もない。
『襲ってきたら退治すればいい』という程度の認識のもと、一気に核心に迫る。
「そりゃ決まっているだろ? ゆう「あああぁぁぁー何も聞こえないいぃぃー!!!」」
耳を押さえて絶叫したキラは、自分のローブの中に頭を突っ込んできた。“頭隠して尻隠さず”とは言うが……まさにそう形容するにふさわしい状態だ。
だが、その姿を笑うことはできない。
(ここまで怖がりだったとは……)
新たな発見といえばいいのか。
そう言えば300年前も夜は必ず私の傍で寝ていたし、今でもそうだ。もしかしたら、もともとそういう状況は苦手なのかもしれない。
だとすれば、あの洞窟での日々はキラにとって苦痛でしかなかったはずなのに。
それでも気の遠くなるような年月を傍で過ごしてくれていたのだ。
ホントに感謝してもしきれない。ローブの中にあるその頭を慈しむように撫でる。
一方のライルは、「なんだ、キラは怖がりなのか? そりゃ大変だなあ」と言っているが……ニヤニヤ笑うその顔は絶対に大変だとは思っていない。
「そんなに寮に入るのが嫌なら、外に犬小屋でも作ってもらうか?」
その言葉は少年の逆鱗に触れたようだった。ブチっと何かが切れた音がしたのは…気のせいではないようだった。
ガバリと私のローブから顔を出したキラはさきほどとは一転して激怒していた。
怒りのせいか顔を紅潮させ、そのまま天に向かって吠える。
「い、犬?! ぼ、ぼ、僕は狼だああぁぁぁ!」
「うわ! な、なんだこれ!?」
ライルの影がゆらりとその形状を変える。
生き物のようにうごめくそれは、そのまま素早く伸びて本体であるライル自身の身体を拘束した。
黒い影にぐるぐる巻きにされた彼は大きな音をたてて派手に地面に転がる。
犬呼ばわりによっぽど腹が立ったのか、どうやらライルの影に魔法をかけたようだ。
(人の影に干渉……だからあんなにタイミングがよかったのか)
影の拘束から逃れようと、ジタバタもがいているライルを観察して、ようやく先ほどのことに納得がいった。
「キラ、お前私の影にも細工したろう?」
そう言った途端、それまで激情に駆られていたキラの気配が一気に静かなもの……というよりは、どこか脅えたものへと変化した。
そうして一瞬びくりとした後、これも毎度お馴染のもじもじを披露したその姿を見て、ますます確信を強める。
ある意味賭けのような推測だったのだが、この反応を見る限り、自分の勘は外れてなかったようだ。
「あの時も私の影に干渉して会話を聞いていたんだな?」
ずっと不思議だった。
自分が倒れた時、近くにキラの気配は感じられなかった。
それにも関わらず、あの登場の仕方だ。あのタイミングの良さは、魔法を使って会話を聞いていたからに違いない。
『ご主人様を泣かせるな』と言っていたことから、おそらく視界もつなげてたのだろう。
いや、むしろ“その”光景を見て駆け付けたというところか。
「あ、あの……ごめんなさい」
下を向いてシュンと謝る、その殊勝な態度に苦笑する。
獣型だったら、きっとその耳と尻尾も同じように下向きに項垂れていたことだろう。
「別に怒ってはいないよ。心配してくれたんだろ?」
いっそ感心したものだ。
他人の影に干渉する……それだけでも闇属性の魔法としては、十分玄人の域にはいる。
その上、私にかけたのは、対象の影に自分の五感…この場合は目や耳の感覚器官をつなげる魔法である。
隠密活動などで使用されるそれは、闇の属性の中でもかなりの難易度を誇る上級者向けのものだ。
―それにしても
(……いつのまにかけられたのだろうか?)
もともとその特性から相手に悟られにくいものではあるが、それでも魔法の気配に敏感な自分に気付かれずにかけるとは……称賛に値する。
今回の魔法も無詠唱で魔法を発動させたことから、その熟練度が知れた。おそらく闇属性の神族の中でもトップクラスだと考えていいはずだ。
(本当に成長したのだな)
己の主人がそんなことを考えているとはみじんも想像していない少年は、未だ心配そうに上目づかいでこちらを見ている。
あまりおおっぴらに褒めると調子にのりそうだから、とりあえずは優しい口調で注意事項を言うことにした。
「まあ、別にお前に聞かれて困る話なんてないしな。ただ、今度からはかける前に一言いうこと。いいか?」
「はーい」
今度こそ安心したように答えたキラの声とともに、その場には和やかな雰囲気が流れる。
しかし、次に聞こえた声にある存在を思い出すことになった。
「………和やかに話しているところ悪いんだけどさ、そろそろ解放してくんね? この放置プレーはきついわ」
自分の影に捕まり地面に転がる、という間抜けな状態のまま放置されたライルの声は切実さに満ちていた。
(“ほうちぷれー”……ふむ、また新しい言葉を覚えた)
――そこには、ようやく解放されてぐったりしているライルと、どこか満足そうな顔をしたアリアがいた。
寮の中はライルが言っていたとおり、外観を裏切るきれいなものだった。それを自分の目で確認した相棒は、少し安心したようだ。
掃除は隅々まで行き届いていて、300年前の王宮にどこか似ている気がする。
もしかしたら、この寮が建てられたのは私のいた時代に近かったのかもしれない。
ライルの案内で共有スペースを見学した後、初めて自分たちに割り当てられた部屋を訪れてみる。
「やけに広くないか?」
案内された部屋の広さに驚く。王宮にあった自分の部屋よりも数倍広く、その内装も豪華だ。
大きなベッドが一つと、その隣に簡易ベッドが置かれている。床には高級そうなじゅうたんが敷かれ、机や椅子、たんすに鏡といった家具は既に配置されていた。しまいには大きな窓とその先にあるバルコニーだ。
室内でありながら走ることができそうなそこは、とても一寮生に与えられる部屋とは思えない。
「アリアはキラと2人分だしな。それに特待生でもあるから、貴族用の広い部屋が用意されたんだろ。ちなみに、この古めかしい内装で好みが分かれるところなんだけど……どう?」
「いや、むしろこの方が落ち着くよ」
古風、とおそらく現代では言われるのだろうか。
それでも自分にとっては身近な内装があり、懐かしくも落ち着く空気がそこにはあった。
「ところで、なんでベッドが2つなの?」
キラが不思議そうに首をかしげるが、心なしかその気配はひんやりしている。
「そりゃ俺が頼んだんだよ。キラ……お前いくら使い魔だからって、アリアと同じベッドは駄目だろう。というか俺は許さんぞ!」
「なんでライルの許可が必要なのさ!?」
先ほどのことに警戒したのだろう、かみつくキラにライルはファイティングポーズをとって身構えた。なんとも大げさな。
「ライル、私は別に一緒でもかまわないのだが」
どうせキラだ。さすがに寝首を掻かれる心配はしなくていい、と思う。
「いや、ダメだ! 本来なら性別の違う奴同士が、同じ部屋で寝るのも問題なんだぞ! それに今までがどうか知らないけど……ここではこれが“常識”なの!」
“常識”と言われてしまえば、納得せざるを得ない。やはり常識知らずな自覚はあったので、ここは彼の言葉におとなしく従うことにした。
「むぅ。キラ、ここでは別々に寝るのが“常識”のようだ。そうするか」
「ご主人様、切り替えが早すぎです!」
「ふ、主人の意向に従うのが、従者の役目さ。諦めろ、キラ。あっ、ちなみに俺は2つ隣の部屋だから、何かあったらすぐに来いよ」
「何か? まあ、わかった」
ちらりと隣の様子を眺めながら頷く。
おそらくライルの言葉のせいだろうが……なぜかさっきからキラが殺気を放っている。
「ついでに向かいはレストの部屋だな。こっちは別に行かなくていいからなー」
「いや、特に用事もないだろうが……王子も寮に住んでいるのか?」
「ああ、あいつ王宮が嫌いらしくてね。……なのにいきなり『王宮に行ってくる』って言ったもんだから、驚いたよ。ホント何しに行ったんだか」
「……さあな」
なんとなく予想はできたが、やはり口に出すことはなかった。
いや、その勇気がなかった……というべきか。
ベッドで不貞寝を始めたキラを見ながら、自問にくれるのだった。