第3話「保健室」
「あい……僕………して。ただ……して…る!」
「まあ……おさ……なん…らぁ」
朦朧とする意識の中、よく知った声と……もう一人知らない女性の話声が聞こえた。重い瞼を開け、瞬きをして霞んだ視界を調整する。
そこは、知らない部屋だった。
自分の身体は、白を基調とした部屋の窓際の清潔なベッドに寝かされている。
「ここ、は?」
無意識のうちにつぶやいた。自問自答の形にはなるが、なんとなく医務室のような所だということはわかっていた。目覚めた瞬間から、薬品のようなものの匂いが鼻を突いていたからだ。
(そうか、私は……)
魔力の気配で自分が起きたことを悟ったのだろう。誰かと話していたらしいキラがこちらに駆けよってくる。
「よかったぁ、目が覚めたんですね!」
「キラ」
倒れたのだ。
……情けない。それが、最初に出た感想だった。もしここが戦場なら、とっくに自分の命はなきものとなっていただろう。
意識を失う直前の記憶を呼び起こす。なんとも苦い記憶だった。本当に、穴があったら冬眠したい気分だ。
--あの後どうなったのだろうか。
「キラ……彼は?」
「ご主人様をいじめた男なら、ここまで案内させた後追い出しましたよ。僕のご主人様を泣かせるなんて1億年早いです! 今度ヤキを入れてやります!!」
意味はよくわからないが、なんとなく熱意と思いやりは伝わった。
彼……そういえばまだ名前すら知らないが、とりあえずあの青年には悪いことをしたと思う。無理やりあそこまで連行されたとはいえ、いきなり話し相手が倒れ、いたく驚愕したことだろう。謝罪を含めて、今度こそちゃんと自己紹介したいと思った。
だが、今はそれ以上に目の前にいる相棒に謝りたい気分だった。こちらは感謝の念を込めて、だ。
「キラ、心配をかけたな。すまない」
「ぼ、僕……突然倒れたから、また一人になるんじゃないかって」
涙目になっているキラの言葉を聞き、反省する。かなり心配をかけてしまったようだ。
「本当に悪かった。これからは気をつける」
「ううん、それより大丈夫ですか?」
“何が”とは訊かないキラの優しさにも感謝した。
「……ああ、もう大丈夫だ」
半分は嘘だが、もう半分は本当だった。心を穏やかにして瞑想する。
今は、まだ多少混乱しているが……所詮300年前のことなのだ。騒いだところで何がどうなるというわけでもない。もはや、変えようのない過去の歴史だ。
ただ、この現実を受け入れるのに少し時間がかかるだけ。それだけのことだった。
(それでも、さすがに聖女の話のようにはいかない、な……)
あれには意図された策略があったし、奴らの素行を思い返せば納得もできた。
だが、今回の“それ”は全くの想定外のできごとだ。てっきり魔王を封印した後、妹は城から解放されるとばかり思っていたのだが。
(……いや、『妹を任せる』と言ったのは他でもない私だろう)
アスト王子は結婚という形でその約束を守ってくれたのかもしれない。
何よりあの2人の性格から考えるに“無理やり”というわけではなかったはずだ。きっとお互いが納得した上で、そうするに至ったのだろう。
そう思うことにした。
……結局は全てが想像にしか過ぎないのだ。2人が何を思っていたのか、今となっては知るすべがない。
だから……私は、ただ祝福しよう。
(よく考えてみればめでたいことではないか)
大切な人同士が結ばれたのだ。これ以上の祝儀があろうか。
……そうして、理性とは裏腹に未だ反抗を続ける自分の淡い感情を封じ込めた。
思考を断ち切り、俯けていた顔をあげてキラを見る。まだ心配げに自分を見守るキラに、何かを話そうとするが……うまい言葉が見つからない。
「あらあら、起きたのねぇ。気分はどぉ?」
そんな自分を助けるように、キラの後ろからひょっこり顔を出したのは、まだ若い女性だった。
短く切りそろえられた水色の髪に、深い知性を匂わせる紺色の瞳。25歳前後といったところか。見た目は白衣がよく似合っている知的な女性だ……が、その言動がどうも容姿とすれ違いを演じている。
現に今もキラの肩に両手をのせて、こちらを興味津津に眺める様子は子どものようだ。
ちなみにものすごくどうでもいいことだが、その大きな胸がキラの頭にくいこんでいる。
男(オス?)にとっては、いわゆる役得というもののはずだが……キラの顔が微妙にひくついているのは、はたしてうれしいからなのか、それとも嫌がっているのか。いまいち判断がつかない。
――それにしても
(……何を食べたらあんなに大きくなるのだ?)
別に気にしているわけではないが、まるで爆弾でも入れているのかと疑いたくなるような大きさだ。
だが、そこまで考えたうえで、ようやく初対面の相手に随分と失礼な考えを持っていることに気付いた。
……どうやらいまだ自分の頭は混乱の最中にあるらしい。
キョトンと自分を見つめる女性の質問を思い出して、慌ててその返答をする。
「あ、ああ、もう平気だ……です。お世話になりました」
慌てすぎて敬語を忘れてしまったが、相手は気にもせずにニッコリと返してくる。
「ええ、お世話しましたぁ。キラちゃんが血相変えてあなたを運んできたのよぉ。でも、まさかこんなに早く噂の美少女に会えるとは思ってなかったわぁ。私ってラッキーねぇ」
やはり怜悧な見た目とは裏腹に、全体的にポワンとした雰囲気を醸し出している。おそらく語尾を伸ばすのが癖なのだろう。
「そう、ですか」
”噂の”というのが気になったが、なんだか嫌な予感がしたので、今は訊かないでおく。
「私はこの学校の保健医で、クラリス・リボンっていうのぉ。よろしくねぇ」
「アリア・セレスティです。こちらこそよろしくお願いします」
「そう、じゃあアリアちゃん。今日はもう自室で休みなさい。担任には私から言っておくわぁ」
「し、しかし--!」
さすがにそれは、と思い反論する。だが意外と素早い動きで自分の額に指を当てられ、そのままツンっと頭を押された。
「もう~初登校ではりきるのはわかるけど、無理は禁物よぉ。めっ!」
「は、はぁ」
……なんだか今まで出会ったことのないタイプだ。非常に対応に困る。
(さて、どう攻略したものか)
はじかれた額に手を当てて考えていると、不意に保健室のドアがバンっとすごい勢いで開かれた。
「アリア! 倒れた、って……聞い、たぞ? も、う、大丈夫、なの、か?」
血相を変えたライルが、勢いそのまま入室してきた。しかし既に起き上がっている私の姿を見て、途中から疑問形になる。
ここまで走ってきたのだろうか、かなり息がきれている。
「あらぁ、いいところに王子様のお迎えねぇ。ふふ、もっとも本物じゃないけどぉ。じゃあ、彼女をお部屋まで送ってちょーだいね。アリアちゃん、今日はもう絶対安静よぉ。キラちゃんもまたいらっしゃぁい」
「リボン先生……まあいっか。それでは参りましょうか姫。ついでに従者も」
ズーンと落ち込んだと思ったら、すぐにケロッとおどけるライルについ笑ってしまう。姫呼ばわりなど今の自分には皮肉でしかないが、その悪意のない様にいつのまにか救われている。
ちなみに従者呼ばわりされたキラは『僕が先にいたんだから、僕が王子様だ!』とよくわからない対抗心を燃やしていたが、『そっかー残念だな。王子様にはもう街中のお菓子なんて庶民的な物、恐れ多くてやれないなー』という言葉に『僕、従者がいい!』と即答していた。
……もはや毎回恒例の光景になっている気がする。