第2話「ライル」
その青年は、さきほどまで命のやりとりをしていたとは思えないほどさわやかな笑みで、右手をあげながら話しかけてきた。
「よお、助かったよ! 普段はこんなところに魔獣なんてでないのに、今日に限って急に出てきてさー……あ、俺はライル! あんたは?」
栗色の髪に若草色の瞳を持った人物は、人懐っこそうな目をしながら2人の前まで来た。キラの頭の上からその顔を見つめる。
精悍な顔つきながら、どこか少年っぽさを残したその相貌は“綺麗”というよりは“格好いい”という表現のほうが似合うだろう。
(名前については“あれ”があるからあまり口に出したくはないのだが……偽名で呼ばれるのも、な)
この時代で唯一自分という“個”を認識できる記号なのだ。なにより両親がつけてくれた、自分にただ一つ残されたものを偽る気にはなれなかった。
「……アリアだ。こっちはキラ」
少し逡巡しながらも結局、自分を守るように立ちふさがっているキラと一緒に名乗る。
それにしても、なにやらキラの雰囲気がいつもよりとげとげしい……人間不信が発動したのかだろうか?
そんなキラの態度を全く気にせず……いや、気付いてないのかもしれないが、変わらない態度で青年は応じる。
「へえ、聖女と同じ名前なのか……あんたも大変だなぁ」
(も?)
そう言って苦笑する青年に少し疑問を感じるも、とりあえずこれ以上名前のことで突っ込まれたくはないので、結局何も言わなかった。
「おっと、そうだ」
そうして黙っていると、不意に青年はなにかを思い出したようにそう言って、口笛を吹いた。
すると……森の中から足に傷を負った栗毛色の馬が、ひょこひょこしながらこちらに歩いてくる。
(よく訓練されている)
感心すると同時に、最後の戦いで自分を乗せてくれた同じ栗毛を持つ馬のことを思い出す。
途中ではぐれてしまったが、あの馬は無事だったろうか……短い付き合いながら賢い子だったのはよくわかったし、あまり心配はしていないが。
そんな、ついつい300年も前の、今更考えてもどうしようもないことを考えてしまう己が少し嫌になる。
(まあ、いまはまだ仕方ないか)
ちなみに青年はといえば……馬の方にかけよって心配そうにその傷を確認しているところだった。
「怪我させてごめんなリース。すぐに治してやるからな」
そう言って栗毛の馬にむかい、両手をあわせて目を閉じる。
【神の慈悲をここに請わん 祈りに応えて 彼の者に癒しを与えたまえ】
すると、どこからともなく白色の光が現れ、馬の怪我を癒していくではないか。
(これは……魔法、か?)
なにやら自分の知ってるものとはずいぶん違うようだ。
だがそれより気になったのが――
「お前、魔法が使えるのにどうして剣で応戦してたんだ?」
「そりゃ詠唱なんてしてる暇がなかったからなー。あんたみたいに詠唱破棄なんて高度な技、俺みたいな普通の魔法使いじゃ無理だよ」
「そ、そうか……」
(今は詠唱を行うのが普通なのか?)
詠唱などよっぽど大規模な魔法を行使する時しか使わない。300年前とて、自分がさきほど出した火球程度なら誰でも詠唱なしで行使できたはずだ。
(……もしかして、300年前より魔法は退化している?)
だがこの青年の言葉だけではまだ確信が持てない。
ここで結論を出すのは早計だろう。
さまざまな憶測が宙に浮かんではすぐに消えていく。なんとももどかしい感じだった。
おそらく自分がそんなことを考えているだろうとは全く思っていない青年は、なおも話を続ける。
「しかも最後に敵を燃やしたあれ、精霊の力だろう? 俺も火の属性を持ってるからなんとなくわかったよ。詠唱破棄のうえに精霊の力まで借りれるなんて、あんたすげえ魔法使いなんだな!」
これにもなんだかひっかかるものを感じたが、下手に突っ込もうものなら今度はこちらの藪を突かれかねない。ここは話をあわせたほうが無難だろう。
苦くなりそうな顔をなんとか無表情の仮面で取り繕って、冷静に答える。
「……いや、それほどでもない」
「まあ、そんなに謙遜するなよ。これでもほんとに感謝してるんだぜ。ところであんたらどこに向かおうとしてたんだ? この方向だと……もしかして王都か?」
「そうだが」
特に嘘をつく理由もないので素直に答える。
すると、それを聞いた青年は、どこかうれしそうにこう提案を持ちかけてきた。
「ならちょうどいい!! 俺も王都に行くところだったんだ! 助けてくれたお礼もしたいし、よければ王都まで一緒に行かないか?」
(……ふむ、どうするか)
少し迷う。
おそらく普段なら断っているところだが……今は状況が状況だ。
「あー。ちょっと待ってくれ、今連れと相談するから」
そう言い、いまだ青年を睨みつけているキラの首根っこを掴んで、相談という名の緊急会議をする。
そして青年と少し距離を置いたところでキラと向き合った。
……本題に入る前にひとつ確認しなければならないことがある。
「おいキラ、あの男が言っていたのはどういうことだ? 今の魔法はみな詠唱が必要なのか?」
「え? う、う~ん? 僕、人間のことはよくわかりません~」
なぜかわざとらしく答えるキラに疑念が生じる。……目が泳いでいる。
「……お前、私が眠っている間『情報収集をしていた』、とか言ってなかったか?」
するとキラは……お得意のモジモジを発動した。
今までは後回しにしてきたが、もはやこれまでの経験で後回しにするとろくなことにならないのはわかっている。
「キラ……お前、いったいな・ん・の情報収集をしていたんだ?」
少しドスをきかせて尋ねてみる。
「……えっと………新作のお、おかし…と、か?」
目をせわしなく動かし、しまいにはつくり笑いを浮かべて、かわいらしく首をかしげるキラ。
その頭を……鷲掴みにする。
「お・ま・え・は」
とんだ失敗だ。
自分はその点においては結構キラをあてにしていたのに。
どうやらこいつの知識はお菓子関連とその延長線上のものに限られているらしい。
そういえばこいつ、“聖女”のことについては知っていたのに“聖女の詩”については知らなかった。
……おそらく本当に基礎的な知識しか知らないということだ。いや、それすらも危うい。
(しかし……これでは迷子が2人どころではない。世間知らずの馬鹿2人だ)
昨日一日でひとまず心の整理ができ、新しい人生を受け入れることができた。
だからこそ王都に着くまで、ここで生活していくための基本的な知識をキラから教えてもらおうと思っていたのに……
その計画は丸潰れである。
ついキラの頭を掴む手に力が入ってしまうのも、仕方のないことだろう。
背後から、なにやらその様子を見ていたらしい青年の「お、おい、虐待はよくないぞ!」という声が聞こえる。
それに、「違う。これは教育的指導だ」と答えながら、ようやく本題を思い出した。
「まあいい……さて、どうする? あの男とともに王都に行くか? どっちにしろ魔力切れで飛行魔法は使えないし、道すがら私たちの足りない情報(という名の常識)を得るためにも、私はその方がいいと思うんだが?」
「ぼ、僕は反対です!」
やけに焦ったようにキラが主張する。
「ほう、その理由は?」
「え…えと……か、勘です!! 僕の勘がそう告げています!! あ、あいつきっと悪い男ですよ!」
どもりながら答えるキラの“それ”を聞いて安心した。
これならばまず間違いない。
「よし、じゃあ彼と王都まで行くか」
「なんでぇ!?」
キラが裏切られたような顔をして、大きな目を精いっぱい開きながらこちらを見てくる。
「だってお前の勘はまずあたらないだろう?」
キラの勘はあたらない。それはもう確実にあたらない。
つまりキラの勘が彼を“悪い男”と告げているのなら、現実はその逆だということだ。
自分の失言が主の意見を後押ししたことに気付いたキラが、頭を抱えて唸っている。
それを後目に青年の方を向いて了承の意を告げる。
「わかった、王都まで同行しよう」
それを聞いた青年。いや、ライルだったか……は、それはそれは嬉しそうに目を輝かせながら答える。
「そうこなくっちゃ! 王都までよろしくな。アリア、キラ!」
そうして3人と1匹(あるいは2人と2匹)は王都までの道のりを共にすることを決めたのだった。