第8話「二人の迷子」
どうやら例の“聖女様”シリーズには肖像や彫像もあるらしい。
もっともそちらは(も?)本来の私とはずいぶん違うらしいが……
というより、いろんな顔の聖女様像があるといえば正しいのか。
(ああいうのをつくるには、長期間モデルになる必要があると聞いたことがあるしな)
たとえあのパーティーにその筋の職人がいたとしても、さすがに一度見かけただけで本人そっくりに作品をつくることはできなかったのだろう。
なにはともあれ、それだけが救いだった。
指名手配犯のように容姿まで知れ渡っていたら、おそらく自分は日の目を拝めないことになっていただろう。
そしてなにより……これ以上“聖女”関係でなにかあったら、自分は間違いなく憤死する。
白光を帯びて輝く月が、ポーラの街並みを照らす。
(なんだかどっと疲れた……もう休みたい)
さすがに、今日はもうこれ以上の心労に耐えられそうにない。
そんな理由から食堂を出て、今はキラと一緒に宿屋を探している。
時刻は夜も更けたところで、遅くまで露店を営んでいた人も既に家路についていることだろう。
「あっ! あそこなんてどうですか!?」
見た感じ、そこそこ上等そうな宿だ。
自分のお金じゃないのが唯一心苦しいが……ともかく今は一刻もはやく外界との接触を絶ちたかったので、そこに泊ることを即決した。
そして、宿に入ろうとした、その時。
「……!?」
急に後ろを振り返る私に、キラが怪訝な表情をする。
「ご主人様? いきなりどうしたんですか?」
(……………気のせいか?)
だが、一応確認の意味も込めて、キラに今の違和感を伝えてみる。
「いや、何かに見られていたような気がして。一瞬だったから、確証はないが……」
自慢ではないが、戦場を渡り歩いていたせいか魔族などの悪意ある気配には人一倍敏感なほうだ。
街に入ってからやけに多くの人々の視線を感じてきたが……やはり今のは違う気がする。
―しかし
「む~、僕は特になにも感じませんでしたけど~?」
自分には劣るものの、普通の神族並みに感覚は鋭いキラが答える。
「……なら、気のせいか」
もう何も感じない。
やはりただの勘違いだったのだろう。
少し疲れているのかもしれない。
これまでずっと極限状態の中で生活してきたのだ。少し神経が過敏になっていたに違いない。
そもそも、ここに……この時代に自分を知る者なんているわけがないのだ。
そう考え俯いていると、なにを勘違いしたのかキラが意気込んでこう言ってきた。
「大丈夫です!! なにかあっても僕が守ります!! ご主人様にちょっかい出すやつは、僕がけちょんけちょんにしてやります!!」
そんな……300年前よりちょっと頼もしくなった相棒の声を聞いて、なんだかひどく安心する自分がいた。
宿に入り、とりあえず一泊することを決めて受付を(ほとんどキラが)する。
そして鍵をもらって2階の一番奥の部屋に入ると、ようやく安堵の息をはいた。
夜も遅かったせいか、あいにく一人部屋しか空いてなかったが……キラなら同じベッドで寝た所でたいして問題もあるまい。
上質なベッドに腰掛け今日一日を振り返る。
解かれた封印、姿の変わったキラ、ユスラの木、ポーラの街並み、そして……聖女の話。
「……なあキラ、今日街を歩いて確信したよ。あの日から、ほんとに300年が経っているんだな」
さっきまでの街の光景を思い出す。
手を掴まれた時に気付いたのだが……あの露天商の青年の服は、自分の知っている貴族の服のように、生地がきめ細やかで上質なものだった。
(300年。それだけあれば庶民の生活水準も向上するか……)
今着ている服も、そしておそらく通りを歩く人々の服も同程度の品質だろう。
見慣れない装飾も………今はこれが主流なのだとわかった。
食事に関しても、いくつか知らない調味料が使われているようだった。
さすがに今日は見ることができなかったので、自分の専門である魔法については比較ができなかったが……
それでも、大通りを歩くうちに目にしたいくつかの武器や防具は、やはり自分の知っているものとは変わっていた。
それら全てが……あの時から長い時間が経っていることを証明をするには、充分な証拠だった。
(300年……300年…………なら、生きてるはずがない)
ベッドに仰向けに倒れこみ、白い天井を見上げる。
心は疲れて早くこの思考を断ち切りたいのに、300年も寝ていたせいか……身体は眠くなってはくれない。
そして、一度回りだした思考も止まってはくれなかった。
魔王を命がけで封印した理由。自分の生きる理由であった少女のことを思い出す。
………………たった一人の、私の妹。私の罪の証。
(それが……もういない?)
自嘲する。そして……絶望した。
「……なあキラ。私は、これからどうすればいいんだ?」
自分でもわかるくらい、ずいぶんと情けない声が口からでる。
そう自覚しながらも……止められそうになかった。
――だって
(あの子がいない、それはつまり――)
「生きる理由がなくなっちゃったよ……」
ずっとあの子のためだけに生きてきた。
周りに押しつぶされないように男のような口調で話し、どんなに切迫した状況でも冷静に判断をしてきた。
血反吐を吐きながらも死ねずにいた。
だからこそ……最後のあの時、魔王と対峙しながらようやく訪れる己の死の予感に歓喜した。
そしてその望みどおり、最高の死に場所で最高の死に方ができたと思った。
それなのに――
「………迷子になっちゃった」
時においていかれた。
本当に迷子のよう……今の自分は、寄るすべを失って途方にくれた子供と同じだ。
静寂が部屋を包む。
しばらくすると、キラが珍しく真面目な口調で語りはじめた。
「ご主人様……ご主人様が迷子になった時は、僕が必ず迎えにいきます」
そうして、ベッドに寝転がる自分に近づいてくる。
「僕がついてます。ご主人様が死ぬ時までずっと、ずっとおそばにいます」
自分の横にすり寄り、幼子をあやすように己を抱きしめてきた。
あったかい……まるで真綿に包まれているようだった。
「だから、だから生きてください。もう僕を、置いていかないでください」
その声色からは、切実さが滲み出ていた。
そして、その声に導かれるようにひとつの事実が脳内へとやってきた。
(…………ああ、そういえばこいつも迷子だったな)
偶然助けた迷子の聖獣。
300年間自分を待っていてくれた存在。
(そうか、私たちは似たもの同士か…)
迷子が2人。
そう……時に置いて行かれても、自分には待っていてくれる人がいた。
(私は、1人ではなかったのだな)
もしあの偶然の出会いが、神の采配によるものだったとしたら……
今だけは感謝してやってもいい。
そしてなにより、今、目の前にいる存在に心からの感謝を。
「キラ……お前に出会えてよかったよ。ありがとう」
迷子同士、これからは手をつないで共に歩もう。
もう二度とはぐれることのないように。
キラが身じろぎして……その後何かを呟くが、薄れる意識の中ではなんといったのか聞き取ることはできなかった。
―でも
(ああ、このぬくもりの中でなら安心して……)
そうして“明日”が“今日”へとかわった頃、300年ぶりの眠りについた。
朝日とともに目覚めるであろう、確かな眠りに。