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farewell  作者: 七瀬


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7/7

想いは、伝わるうちに伝えないと

 年越しの夜、わたしたちは約束通り三人で集まった。

 駅前の広場は、臨時のイルミネーションに彩られて、

 夜なのに昼みたいに明るかった。

 吐く息は白く、肩をすくめても冷気は容赦なく頬を刺す。

「うわー、人多い!」

 智香は目を輝かせながら、わたしの腕にしがみつく。

 まるで子どもみたいに、人混みを泳ぐように歩く。

「七海、迷子にならないでよ?」

「……ならないよ」

 そう答えたけど、腕にかかる体温がやけに意識されて、

 息が少しだけ苦しい。

 一方で、みやびはわたしたちの少し後ろを歩きながら、

 きょろきょろと辺りを見回していた。

 イルミネーションに照らされた横顔は、どこか硬い。

「……こういうの、初めてで……」

 みやびは小さくつぶやく。

 人混みのざわめきにかき消されそうな声だったけれど、

 ちゃんとわたしの耳に届いた。

 智香はそんなこと気にも留めず、

「ほらほら、あっちの方が見やすいよ!」とわたしを引っ張る。

 みやびの方を振り返ると、彼女は一瞬目が合って、

 ぎこちなく微笑んだ。

 広場の時計が、カウントダウンの時刻に近づくにつれて、

 ざわめきは次第に熱を帯びていく。

 智香はわたしの肩に頭を乗せるようにして、

 「こういうの、やっぱり楽しいね」と笑った。

 みやびは少し距離を空けて立ちながら、

 手袋を握りしめるようにして空気の冷たさに耐えていた。

 その姿に、言葉にできないざわめきが胸の奥に残った。

 広場のざわめきがさらに熱を帯びてきたころだった。

 時計の針は、もうすぐ年を越すことを告げている。

 人混みの向こうに、見慣れた背中があった。

「……純」

 わたしの小さな声に、智香の体がびくりと反応する。

 純もこちらに気づき、わずかに目を見開いた。

 でも、すぐにいつもの笑顔を作った。

「…よう」

 彼の声は、どこかよそよそしい。

 智香も慌てて笑顔を返した。

「や、やっほー……寒いね」

「うん……ほんと、寒い」

 それだけ。

 他人みたいな会話が、冬の空気の冷たさに溶けていった。

 目に見えない氷が二人の間に張りついているみたいで、

 見ているこちらの胸が痛くなる。

 ──この空気をどうにかしたい。

 そう思ったのは、きっとわたしだけじゃなかった。

「あの……こんばんは、渋谷先輩」

 みやびが一歩前に出て、控えめに声をかけた。

 白い息を吐きながら、それでもまっすぐな瞳だった。

 彼女なりの、精一杯の勇気。

 智香がこれ以上傷つかないように、

 彼女はこの沈黙をやさしく包もうとしていたのだと思う。

「……こんばんは。寒くない?」

「はい……でも、イルミネーションが、すごくきれいです」

 みやびの言葉に、純は少しだけ表情をやわらげた。

 それでも、智香と純の間に流れるよそよそしさは消えなかった。

 笑顔と沈黙の間にある痛みだけが、

 冷たい夜気の中で、白く息になって漂っていた。

 その沈黙を、遠くからの声が破った。

「──純くーん!」

 女の人の声だった。

 人混みの向こうで、手を振る影が見えた。

 純の肩が、ほんのわずかに跳ねる。

 振り向いた彼の顔には、困ったような、でもどこか諦めたような笑みが浮かんでいた。

「……じゃあ、また」

 短くそう言うと、純はわたしたちに軽く会釈をして、

 その声の方へ歩いて行った。

 人混みにまぎれて、その背中はすぐに見えなくなった。

 冷たい夜気の中に、取り残されたわたしたち三人。

 胸の奥で、雪が静かに積もるみたいな重さが広がっていく。

「……あの人が、純の彼女なんだ」

 智香が、小さい声でつぶやいた。

 その声は、雪みたいに淡くて、すぐに空気に消えてしまいそうだった。

 顔は笑っていたけれど、その笑みは冬の街灯みたいに弱々しかった。

 何も言えなかった。

 雪の冷たさよりも、智香の沈黙のほうが、ずっと胸にしみた。

 広場のざわめきが一段と大きくなった。

 巨大スクリーンの数字が残り十秒を告げると、

 周囲の人々が一斉に声をそろえる。

「──じゅう!」

 智香はわたしの腕にぎゅっと抱きついた。

 さっきまでの笑顔の裏に、ほんの少しだけ影が見える気がしたけれど、

 今は無邪気さが勝っている。

「七海ー! 年越しだよ、年越しっ!」

「……わかってるって」

 白い息が重なり、智香の頬が肩に触れる。

 寒さの中でも、彼女の体温だけはやけに鮮明だった。

「──さん、に、いち!」

 歓声と同時に、新しい年がやってきた。

 周囲からは拍手や笑い声があふれ、

 見上げた夜空には花火の光が一瞬だけにじんだ。

 その明るさの中で、ふと視線を横に向ける。

 みやびが立ち尽くしていた。

 口元に小さな笑みは浮かんでいるけれど、

 目はどこか遠くを見ている。

 ──元気、ないな。

 智香の無邪気さと、みやびの沈黙。

 そのコントラストが、冬の夜の冷たい空気みたいに胸にしみた。

 新しい年を告げる歓声が広場を満たした。

 夜空に上がった花火の光が、雪を一瞬だけ金色に染める。

 胸の奥に、ほんの小さなカタルシスみたいなものが波紋を描いた。

 過ぎた一年のざわめきも、言えなかった言葉たちも、

 この瞬間だけは、静かに雪に埋もれていくような気がした。

 智香はわたしの腕にしがみついたまま、はしゃいだ声を上げる。

「七海! あけましておめでとうー!」

「……うん、おめでとう」

 声に出した瞬間、白い息が夜空に溶けていった。

 人混みの波に押されるように、わたしたちは広場を後にした。

 年越しの余韻を胸に抱えたまま、雪を踏む足音が並ぶ。

 途中で道が分かれ、わたしとみやびは、智香の家の前で立ち止まった。

「じゃあ、またね」

「うん。またね」

 別れ際、智香がふと空を見上げながらつぶやく。

「来年もさ……3人で、こうして年を迎えたいね」

 その声は、冬の夜気に吸い込まれるみたいに小さかったけれど、

 しっかり胸に残った。

 白い雪が、街灯の下で静かに降り続いていた。

 智香と別れて、みやびと二人だけの帰り道になった。

 街灯に照らされた雪が、足音に合わせて静かにきしむ。

 さっきまでの広場の熱気が嘘みたいに、夜は冷たくて静かだった。

 会話は少なかった。

 みやびは依然として、元気がない……いや、元気がないというより、

 なにかを胸にしまい込んでいるように見えた。

「……みやび、元気ないね」

 思わず口にすると、みやびは一瞬だけわたしの顔を見て、

 小さく笑った。けれど、その笑顔は作りものみたいに弱かった。

「……大丈夫です。わたし、ちょっと考えごとしてただけ」

 その声も、どこか遠くから聞こえてくるような気がした。

 やがて、みやびは歩きながら、

 誰に聞かせるでもなく、雪に吐く息みたいにぽつりと言った。

「……想いは、伝わるうちに伝えないと……きっと、後悔しますね」

 あまりに意味深な言葉に、わたしは思わず彼女を見た。

 でもみやびは、夜の街灯を見上げているだけで、

 それ以上は何も言わなかった。

 白い雪が、静かにわたしたちの肩に積もっていく。

 足跡だけが、帰り道に淡く残っていた。


 冬休みが終わり、教室にまたざわめきが戻ってきた。

 窓の外には、まだうっすら雪が残っている。

 新しい年を迎えたはずなのに、

 わたしの胸の奥はなぜか落ち着かないままだった。

 チャイムが鳴り、担任が入ってくる。

 黒板の前に立った彼は、出席簿を片手に、淡々と言った。

「えー……連絡があります。伊藤さんは、本日より別の学校に転校になります」

 一瞬、時間が止まったようだった。

 教室のざわめきが、空っぽになったみたいに消える。

 ──別れは、こんなにあっけないんだ。

 こないだまで隣にいた人が、

 今はもうこの教室にはいない。

 あの年越しの夜に隣で白い息を吐いていた彼女は、

 まるで最初からここにいなかったみたいに。

 胸の奥に、ゆっくりと冷たいものが広がる。

 みやびの最後の言葉が、雪みたいに静かに降り積もる。

 ──想いは、伝わるうちに伝えないと、きっと後悔する。

 その声だけが、いつまでも耳の奥に残っていた。

 「うそ……なんで、なんで……?」

 智香は、教室の自分の席に座ったまま、

 手を握りしめて震えていた。

 普段の明るさが、跡形もなく消えている。

 まるでパニックみたいに、周囲を見回しては、

 何かを探すように息を荒くしていた。

 わたしはそんな智香を横目に、

 スマホを取り出して、みやびの番号を押した。

 呼び出し音が、やけに長く感じる。

 ──お願い、出て。

 数回目のコールで、ようやく小さな声が聞こえた。

『……七海ちゃん』

 息をのむ。

 声は申し訳なさそうで、少し震えていた。

「みやび……どういうことなの? 転校って……」

『……ごめんなさい。ほんとは、言わなきゃいけなかったのに』

 彼女の声は、雪みたいに静かに胸に積もっていく。

『お父さんの転勤が急に決まったの。

 ギリギリまでわたしも、どうなるかわからなくて……

 悲しませたくなくて、言えなかった……』

 背後で、駅のアナウンスが聞こえた。

 人混みのざわめきと電車の発車ベル。

「……今、駅にいるの?」

『うん……まだ、東京にいる』

 その言葉に、胸の奥で何かが熱く弾けた。

 まだ、間に合う。

 電話越しに、次のアナウンスが流れた。

『──まもなく、空港行き快速電車が発車します』

 胸の奥で、何かがはっきりと形を持った。

 空港行き。

 だとすれば──みやびは空港に向かっている。

 まだ間に合うかもしれない。

 でも、間に合わないかもしれない。

 それでも、行くしかない。

 わたしは何も言わずに通話を切った。

 教室のざわめきと、智香の呼ぶ声が遠くに霞む。

 立ち上がった足は、考えるより先に動いていた。

 これは一種の賭けだ。

 みやびに会える保証はない。

 それでも、行かないで後悔するより、行って後悔したい。

 廊下に飛び出すと、冬の冷たい空気が一気に頬に触れた。

 誰かが呼んでいる気がしたけれど、

 振り返らなかった。

 ──走るしかない。

 靴音だけが、がらんとした廊下に響いていた。

 校門を飛び出して、道端で手を上げた。

 すぐに停まったタクシーに乗り込む。

「……空港まで。なるべく、早くお願いします」

 運転手は短く頷き、アクセルを踏み込んだ。

 車が動き出した瞬間、胸の奥で心臓が強く打った。

 動悸が止まらない。

 みやびが本当に空港に向かっている保証なんて、どこにもない。

 さっきのアナウンスだって、偶然かもしれない。

 それでも、行くしかなかった。

 窓の外の街が流れていく。

 冬の光は冷たく、道路脇の雪は灰色に溶けかけていた。

 赤信号に引っかかるたび、

 時間だけが削られていくような焦りに胸が締め付けられる。

 スマホを握る手に、じんわりと汗がにじむ。

 みやびの最後の言葉が頭の中で何度も反響する。

 ──想いは、伝わるうちに伝えないと、きっと後悔する。

 自分の心臓の音と、タイヤの音だけが世界に響いていた。

 空港に着いたとき、胸の鼓動はもう、痛いくらいだった。

 自動ドアが開くと、暖かい空気とざわめきが押し寄せてくる。

 人、人、人。

 スーツケースを引く人、案内板を見上げる人、足早に通り過ぎる人。

 その中で、必死に目を走らせた。

 ──いた。

 エスカレーターの近く、スーツケースを持った家族の列。

 みやびがいた。

 コートのフードを下ろし、マフラーに顔を半分うずめている。

 その姿が、あまりにも現実感を持って迫ってきて、

 胸の奥で何かがはじけた。

「──みやび!」

 気づけば、名前を叫んでいた。

 周囲の視線なんて、どうでもよかった。

 声が震えているのは、走ってきたせいだけじゃない。

 みやびがびっくりしたように振り向く。

 目を見開いて、信じられないといった顔でわたしを見つめた。

 家族の誰かが小さく息をのんだのが聞こえた気がする。

 わたしは、なりふり構わず、喉が裂けるような思いで叫んだ。

「行かないで──!」

 言葉は、冬の光に溶けて、空港の天井まで響くような気がした。

 みやびが、スーツケースを離して駆け寄ってきた。

 足音が混雑したロビーに紛れても、わたしにははっきり聞こえた。

「……どうして……」

 息を弾ませたみやびが、目を丸くしてわたしを見上げる。

 その声は震えていて、でも泣き出しそうなほどに優しかった。

 どうして、か。

 理由なんて、考える余裕はなかった。

 ただ、会わなきゃいけない気がした。

 それだけだった。

「……会わなきゃって、思ったんだ」

 みやびの瞳が揺れる。

 人混みのざわめきが遠のいて、二人だけの空間が切り取られたみたいだった。

 ──想いは、伝わるうちに伝えないと、きっと後悔する。

 彼女の言葉が頭の奥でこだまする。

 きっと、みやびはこの瞬間を予見していたんだ。

 あの夜、あの言葉は、わたしに向けたものじゃなくて、

 自分自身に言い聞かせていたんだ。

 胸の奥が熱くなる。

 目の前にいるみやびは、

 どこかで泣き笑いみたいな顔をして、

 わたしを見つめていた。

 「……みやびに、会えてよかった」

 衝動だった。

 胸の奥で暴れる鼓動に押されて、言葉が勝手に口からこぼれた。

「みやびと過ごした時間……楽しかったよ」

 目の前のみやびの瞳が、揺れる。

 泣きそうな、でも笑っているような声で、彼女は応えた。

「……わたしも……七海ちゃんといられて、すごく楽しかったです」

 空港のアナウンスが、出発時刻の近いことを告げる。

 人々の足音と、スーツケースの車輪の音。

 現実がすぐそこまで迫っているのに、ここだけ時間が止まっているみたいだった。

 みやびが、深く息を吸った。

 震える声が、わたしだけに届く。

「……最後に、一つだけ……いいですか」

 わたしはうなずくことしかできなかった。

「七海ちゃんのこと……ずっと好きでした」

 その言葉は、雪みたいに静かに胸に落ちて、熱く溶けた。

 次の瞬間、みやびは一歩踏み出し、わたしに口づけをした。

 短くて、震えていて、でも確かな温もりだった。

 わたしは何も言えなかった。

 息を呑むことしか、できなかった。

 離れたみやびは、吹っ切れたように笑った。

 涙の跡を残した顔で、軽く手を振ると、

 くるりと背を向けて家族の元へ駆けていった。

 人混みにまぎれていく小さな背中を、

 わたしはただ、立ち尽くしたまま見送るしかなかった。

 わたしは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 人々の流れに取り残されたみたいに、ただそこにいた。

 どれくらい時間が経ったのか、わからない。

 足元ではスーツケースの車輪が通り過ぎ、

 頭上ではアナウンスが次々と流れていたけれど、

 全部遠くの出来事みたいだった。

 ──あの温もりと、言葉だけが、まだ胸の奥に残っていた。

 スマホが震えたのは、何度目かのアナウンスの後だった。

 反射的に取り出すと、画面には「智香」の文字。

 喉がきゅっと詰まる。

 震える指で通話ボタンを押した。

『……七海? どこにいるの……?』

 耳に飛び込んできた智香の声は、泣き出しそうに揺れていた。

 その声を聞いた瞬間、

 胸の奥にしまっていたもう一つの痛みが、静かに顔を出した。

 わたしは、努めて穏やかな声で彼女に応えた。

「……もうすぐ戻るから」

 通話の向こうで、智香が小さく息をのむ。

 その震えに、わたしはそっと目を閉じた。

「それと……戻ったら、伝えたいことがある」

 それだけ言って、わたしは通話を切った。

 空港の天井に反射した冬の光が、

 静かに、胸の奥に落ちていく。

 雪のように、音もなく、でも確かに積もっていく感情。

 みやびの最後の言葉、

 そして、今も待っている智香の声。

 胸の奥に残ったざわめきは、

 新しい年の白い空気の中に、ゆっくりと溶けていった。


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