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farewell  作者: 七瀬


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5/7

遅すぎた言葉と、繋いだ手の温もり

 文化祭が終わると、学校の空気は少しずつ落ち着きを取り戻した。

 賑やかだった日々の余韻が教室の隅にまだ残っているような気がするけれど、

 それでも時間は容赦なく前に進んでいく。

 気がつけば、吐く息が白くなるほどの冬の冷たい空気が街を包み込んでいた。

 制服のブレザーの上からコートを羽織っても、朝の通学路はやっぱり寒い。

 今年ももうすぐ終わるのだと、指先の冷たさが教えてくれる。

 だけど、その前に──。

 「クリスマスパーティ!」

 智香が昼休みに教室でそう叫んだ。

「うちの学校、毎年恒例なんだって。今年は二十四日の放課後から体育館でやるんだってさ。軽音とかダンス部が出し物するんだよ?」

「……パーティ?」

「そう! ケーキとかプレゼント交換とかもあるんだって!」

 智香の声はいつもより一段高くて、教室の空気が少しだけ浮き立った。

 クリスマスの日は学校全体でパーティが行われるらしい。

 ただのイベントのひとつと言ってしまえばそれまでだけど、

 この行事をきっかけに、何かが動き出す予感があった。

 クリスマスパーティは、生徒会が主催する毎年恒例の大きなイベントだった。

 当日は体育館を貸し切って立食パーティが開かれ、軽音楽部やダンス部、演劇部など文化部の発表もある。

 まるで大人の社交場みたいな雰囲気で、わたしのように人前に立つのが苦手なタイプには少しだけ敷居が高い。

「行かないって言ったら、どうせ来るまで迎えに行くからね!」

 智香にそう宣言されたのは一週間前のことだった。

 その隣でみやびも「わたしも……行きたいです。みんなで」と静かに背中を押してくる。

 そこまで言われたら、断れるわけがなかった。

 仕方なく行くことを了承したものの、正直、楽しみにしているとは言いがたい。

 でも、智香とみやびの目の輝きを見ていると、そんな本音は口に出せなかった。


 智香がこんなに張り切っているのには、理由があった。

 それを知ったのは、パーティ当日の朝のことだった。

「……実はさ、今日、純くんに告白しようと思ってるんだ」

 通学路の途中で、智香は足を止めてそう言った。

 声はいつもの調子を装っていたけれど、わずかに震えているのがわかった。

「クリスマスパーティ、純くんも来るはずなんだよね。

 そこで、ちゃんと気持ちを伝えたいの」

「……智香」

 わたしは何も言えなかった。

 純の隣に知らない女の子がいた、あの日の光景が頭をよぎったから。

 でもそれを告げることはできなかった。

「ダメかな? でも、もう言わないと、きっと後悔する気がして」

 智香は小さく笑った。

 その横顔が、どこか眩しくて、胸が少しだけ痛くなる。

「七海は……応援してくれる?」

「……うん」

 それが本心だったのか、自分でもわからなかった。

 でも、智香の目はまっすぐで、そこに迷いはなかった。

 体育館の中は、イルミネーションの光と人の声で満ちていた。

 立食パーティ用のテーブルにはケーキや軽食が並び、

 軽音部のバンドがステージでクリスマスソングを演奏している。

 あちこちで笑い声が上がり、誰もがこの夜を楽しんでいるように見えた。

 けれど、わたしはその輪の中に入りきれなかった。

 ──智香は、今日、純に告白するつもりだ。

 そのことばかりが頭を占めていた。

 目の前の景色も、耳に届く音も、どこか遠く感じる。

 純には、たぶん恋人がいる。

 文化祭の日に見たあの光景が、頭の隅にこびりついて離れない。

 彼が知らない女の子と手をつないでいた、その意味を疑うなというほうが無理だった。

 それを知っていながら、わたしは智香に「応援する」と言ってしまった。

 それは卑怯ではないだろうか。

 智香が黙って傷つくのを、ただ見ていることになるかもしれない。

 それを思うと、胸がひどく締めつけられた。

「七海ちゃん、大丈夫ですか?」

 隣でみやびが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 わたしは無理に笑顔を作って「大丈夫」と言った。

 けれど、自分の声が少し震えているのがわかった。

 ──どうすればよかったんだろう。

 答えが見つからないまま、会場のイルミネーションが滲んで見えた。

 人の笑い声や音楽の音が耳の奥で遠くなっていく。

 気づけば、わたしは体育館の人混みから抜け出していた。

 冷たい夜の空気が頬を刺して、肩の力が少しだけ抜ける。

「……はぁ」

 息を吐くと、白い煙のようなものが空に散っていった。

 自分が逃げ出したことはわかっていた。

 でも、あのきらびやかな空間には、どうしてもいられなかった。

「七海ちゃん……!」

 背後から小さく駆け寄ってくる足音と声。

 振り返ると、みやびが立っていた。

 コートの裾を揺らしながら、肩で息をしている。

「いなくなったから……心配で」

「……ごめん」

 その一言しか出てこなかった。

 みやびはわたしの隣に並ぶと、静かに夜空を見上げた。

 体育館のイルミネーションの光が遠くで瞬いている。

 そのときだった。

 視界の端に、見覚えのあるシルエットが映った。

 智香と──純。

 ふたりは体育館の裏手の、薄暗い場所に立っていた。

 距離があって声は聞こえない。

 でも、智香が必死に何かを言っているのがわかる。

 純はその言葉を受け止めるように静かに立っていた。

 やがて、純が一言だけ何かを言ったように見えた。

 そして、智香の肩に軽く手を置いてから、そのまま背を向けた。

 その背中が闇に消えていくのを、智香は動かずに見送っていた。

 次の瞬間、その場に崩れ落ちる。

「……智香ちゃん……」

 みやびが小さく息を呑んだ。

 わたしはただ立ち尽くすことしかできなかった。

 声をかけたらいけないような気がして、足が動かなかった。

 クリスマスのイルミネーションの光が、

 智香の肩の震えを淡く照らしていた。

 わたしたちは、言葉も交わさずに体育館へ戻っていた。

 冷たい夜の空気が頬に残っていて、足音がやけに大きく響いた。

 体育館の扉を開けると、暖かい空気と音楽の音が一気に流れ込んでくる。

 でも、それがあまりに眩しすぎて、胸の奥が痛くなった。

「……あっち、行きましょう」

 みやびが小さく言った。

 わたしはうなずき、パーティの片隅に置かれた椅子に腰を下ろした。

 みやびも隣に座る。

 けれど、目の前の景色も、響く音も、まるで遠い世界の出来事のようだった。

 どれくらい時間が経っただろう。

 体育館の入口から、智香が戻ってきた。

「おまたせー! 二人とも、どこ行ってたの?」

 そう言って笑った智香の声は、ほんの少し高かった。

 空元気なのが、痛いほどわかった。

 けれど、わたしはなんて声をかけていいかわからなかった。

 みやびも同じだったのだろう。

 ただ、そばにいることしかできなかった。

「……あれ、なんでみんな黙ってるの?」

 智香が笑いながら首を傾げた。

 でも、次の瞬間、彼女の目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。

「あれ……? やだ、なんで……」

 智香が慌てて手で目元を拭う。

 けれど、涙はあとからあとから零れてくる。

 笑おうとする顔が、泣き顔に変わっていくのが辛くて、

 わたしは隣でただ拳を握りしめていた

「……あたし、告白したんだ」

 智香が絞り出すように言った。

 声は震えていて、目元から涙が止まらない。

「でも……振られちゃった」

 その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。

 智香は笑おうとしたのか、でも声がうわずってしまった。

「“いい友達だから”って……

 わかってたんだよ、こうなることくらい……。

 でも、でも……!」

 言葉が詰まって、そのまま智香は泣き崩れそうになった。

 その瞬間、みやびがそっと前に出て、智香を抱きしめた。

「智香ちゃん……」

 みやびの声は小さかったけれど、その優しさが溢れていた。

 智香はみやびの肩に顔を押しつけて、

 子どもみたいに嗚咽を漏らした。

「もっと早く……気持ちを伝えてればよかった……。

 遅すぎたんだよ、あたし……」

 その言葉は、わたしの心にも深く刺さった。

 遅すぎた、という響きが、

 胸の奥の痛いところを正確に突いてくる。

 ──わたしも、そうなのだろうか。

 何も言えないまま時間だけが過ぎていくことが、

 こんなにも取り返しのつかないことに繋がるのだろうか。

 目の前で泣きじゃくる智香を見て、

 わたしは何もできない自分を、ただ噛み締めるしかなかった。

 パーティの賑やかな音が遠ざかるにつれて、夜の冷たさがじわりと染みてきた。

 わたしたちは、泣き疲れた智香を挟むようにして歩き、彼女の家まで送った。

「今日は……ありがと」

 智香は赤くなった目元を袖で拭いながら、小さな声で言った。

 無理に笑おうとしているのが痛いほどわかる。

「……また、明日ね」

「うん」

 玄関の灯りが智香の背中を照らして、そのまま彼女は家の中に消えていった。

 静かな住宅街を、みやびと二人で歩いた。

 吐く息が白く広がるたびに、心の奥のざわめきが大きくなる。

「……みやび」

 わたしは、歩みを少しだけ緩めて口を開いた。

「あたし……純に、恋人がいるかもしれないって、知ってたんだ」

 みやびが驚いたようにわたしを見る。

 その視線を正面から受け止められなくて、俯いたまま言葉を続けた。

「文化祭のとき、見ちゃったんだよ。純が、知らない女の人と手を繋いでるところ……。

 智香の気持ちを知ってたのに、あたし、何も言えなかった。

 あのとき止めてれば……智香は、こんなに傷つかずに済んだかもしれないのに」

 吐き出した言葉が、夜の冷たい空気に溶けていく。

 みやびはしばらく黙っていたけれど、やがて小さく首を振った。

「……七海ちゃんのせいじゃないですよ」

 その声は、夜の静けさの中でやけに近く感じた。

「智香ちゃんは、自分で気持ちを伝えるって決めてたんです。

 誰かが止めても、きっと同じだったと思います」

「でも……」

 わたしは小さく首を振った。

 それでも自分の中の後悔は消えなかった。

「七海ちゃんが智香ちゃんを大切に思ってるのは、わたしもわかってます」

 みやびはそう言って、少しだけ歩幅を緩めた。

 そして、そっとわたしの手を取った。

「……!」

 思わず息をのんだ。

 冷えきった指先に、みやびの体温が伝わってくる。

 それは小さくても確かな温もりだった。

「七海ちゃんが自分を責めすぎてるの、見てられないです」

 みやびの声は穏やかで、でもまっすぐだった。

「わたし、七海ちゃんがそばにいてくれるだけで、すごく安心するのに……」

 その言葉に、胸の奥がじわりと熱くなる。

 見上げた夜空は雲に隠れて星が見えなかったけれど、

 みやびの横顔が淡い街灯の光に照らされて、やけに近く見えた。

「……ありがとう、みやび」

 その一言を言うのが精一杯だった。

 でも、手を繋いだまま歩くその時間が、少しだけ心を軽くしてくれた。


 翌日の教室は、いつもと変わらないざわめきに包まれていた。

 窓の外の冬の空気は冷たく澄んでいるのに、教室の中は妙にあたたかくて、

 それが逆に落ち着かない。

「おはよー!」

 教室の扉を勢いよく開けて、智香が入ってきた。

 その声は明るくて、昨日の夜の出来事なんてなかったかのようだった。

「お、おはよう……」

 わたしは少し戸惑いながらも答える。

 みやびも小さく「おはようございます」と言った。

「二人とも暗い! ほら、明日から冬休みだよ?」

 智香は机にカバンを置くと、わざとらしく腕をぐるぐる回してみせた。

 「寒い寒い!」と騒いでいるその様子は、普段の智香そのものに見えた。

 けれど、その笑顔の奥にある小さな影を、わたしは見逃せなかった。

 無理をしていることくらい、幼馴染だからわかってしまう。

 昼休みも智香はクラスメイトと賑やかに笑っていた。

 笑い声が少し高く響くのは、空元気の証拠だ。

 みやびもそのことに気づいていたのだろう。

 わたしと目が合うと、小さくうなずいた。

「……智香ちゃん、無理してますよね」

 昼休みの隅で、みやびが小さな声で言った。

 わたしは頷くしかなかった。

「昨日のこと、言ってくれればいいのに」

「言わないだろうね、智香は。……あの子、そういうの隠すの得意だから」

 そう言いながらも、わたしはどう声をかければいいのか答えを出せなかった。

 励ますのも違う気がして、ただ見守ることしかできない。

 放課後、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 智香は「今日は寄り道しよっか!」と明るく言ったけれど、

 その笑顔が少しだけ痛々しく見えた。

 ──このままでいいんだろうか。

 わたしはまた、自分の心の奥で小さな問いを抱えていた。


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