ゲーセンのネオンと、夢みたいな時間
放課後。
昇降口に向かういつもの帰り道。
3人で歩くのが当たり前になりつつあることが、
どこかくすぐったくて、でも居心地のいい日々だった。
智香が前を歩き、みやびがその後ろでちょこちょこ話しかけ、
わたしは少し離れてその後ろをついていく。
そんな距離感も、なんだか自然に馴染んでいた。
昇降口のドアが開いたとき、ちょうど向こうから姿が見えた。
「──お、智香と七海」
その声に、わたしは反射的に顔を上げた。
渋谷純。
ひとつ年上の先輩で、わたしたちの幼馴染。
制服のジャケットの袖をまくったラフな姿と、ぶっきらぼうな目つきは、
昔から変わらない。
「あ、純くん!」
智香がすぐに声を上げて、嬉しそうに手を振った。
敬語なんて気配もなく、まるで昔のままだ。
「なにしてんの、今日は部活?」
「もう終わった。今帰るとこ」
「へー、珍しくタイミング合ったね。てか、先に言っとくけど、今日は一緒に帰らないよ? みやびちゃんいるから」
そう言いながら、智香はくるっと振り返って、みやびのほうを指差した。
「こっちが、伊藤みやびちゃん。転校生で、最近あたしたちと仲良くしてる子」
純は目を細めて、軽くあごを引いた。
「……ああ。よろしく」
それだけの短い言葉だったけど、声のトーンはいつもより柔らかく聞こえた。
でも──その瞬間、わたしは見逃さなかった。
みやびが、靴を履く手を止めていた。
わずかにうつむいたまま、肩が小さく揺れていた。
「……よ、よろしく……おねがいします」
その声は、かすれていた。
返した言葉も、俯いたまま、目を合わせないまま、震えていた。
純はそのまま「じゃあな」と言って昇降口を出ていった。
その背中を見送りながら、わたしは胸の奥に、小さな棘のようなものを感じていた。
その後、3人で駅前のカフェに寄った。
ずっと前から「行きたい」と駄々をこねていた智香の一言で、話はすんなり決まった。
「ねー、あたし、今日の朝から決めてたんだよ? 絶対チーズケーキ食べるって!」
「それはすごいね」
「生きる気力でしょ? 甘いものは!」
店内は平日の夕方にしては静かで、
奥の窓際の席には、春の終わりの光が差し込んでいた。
わたしたちは、それぞれケーキとドリンクを注文して、
並んでソファ席に座った。
「わたしのは、抹茶タルト……けっこう濃いですね」
みやびがカップを両手で包みながら、そうつぶやく。
「七海は相変わらず紅茶とサラダって感じだね」
「甘いのはあんまり好きじゃないから」
智香は笑って、フォークでチーズケーキをすくいながら、
「今この瞬間だけは世界が平和」とか訳のわからないことを言っていた。
みやびもそれを見て笑っていた。
静かで控えめな笑い方だったけれど、以前のような緊張はもうなかった。
話題は次から次へと移り変わる。
期末テストの範囲が広すぎるとか、
文化祭の準備がもう始まるとか、
先生のクセが強すぎるとか。
くだらない話ばかりだったけれど、
それがちょうどよかった。
そんなふうに、何も考えず笑っていられる時間がひとしきり過ぎたころ。
ふと、みやびがカップを持った手を止めた。
そのときの彼女の横顔が、ほんの少しだけ影をまとっていた。
「……あの」
空気がすっと静まる。
「さっき……渋谷先輩と会ったとき、
わたし、ちょっと……震えてたの、気づいてましたか?」
智香もわたしも、自然と姿勢を正した。
みやびは、視線を伏せたまま続けた。
「ちゃんと理由、話してなかったなと思って……」
「……うん、話してくれて、いいよ」
わたしがそう言うと、
みやびは少しだけ頷いて、言葉を選びながら、ゆっくり話し出した。
「小さい頃……小学校のとき、目の前で男の子ふたりがケンカしてるのを見たんです。
すごく大きな声で叫びながら、殴り合いみたいになってて……
誰も止められなくて、怖くて、泣くこともできなくて……」
彼女の声は小さくて、それでもはっきりしていた。
「それ以来、男の人が怒鳴ったり、ただ近くにいるだけでも……
体が勝手にこわばって、苦しくなっちゃって」
その言葉に、わたしは胸の奥がきゅっとなった。
みやびは、カップをそっと置いて、
少しだけうつむいたまま、かすかに笑った。
「だから、渋谷先輩が悪いとかじゃないんです。
優しそうな人なのはわかるし、声も普通だったのに……
勝手に、体が反応しちゃって……ごめんなさい」
──謝る必要なんて、ひとつもないのに。
智香が、フォークをテーブルに置いて、
まっすぐみやびのほうを見た。
「そっか。……教えてくれて、ありがと。
これからは、無理しなくていいよ」
いつも通りの軽やかな口調だったけれど、
その言葉には、ちゃんとぬくもりがあった。
「……うん。ありがと」
みやびが小さく返事をして、また微笑んだとき、
さっきまでの曇りは、少しだけ晴れていた。
何気ない雑談のあとにふいに訪れた、
静かな告白と、静かな受け止め。
カフェの中の空気は、
さっきよりほんの少し、あたたかくなっていた。
カフェを出ると、外はすっかり夕方の色になっていた。
店先のガラス越しに見えた街のネオンが、いつもより少しだけ鮮やかに見える。
「ねぇさ、もうちょっと時間あるよね?」
智香が急に足を止めて、振り向いた。
「……なに?」
「ゲーセン寄っていかない?」
「えっ……」
みやびが小さく声を漏らした。
その目が、わたしと智香を交互に見ている。
「ゲーセンって……あの、ゲームセンターの……ですか?」
「そうそう。クレーンゲームとか音ゲーとかあるとこ! 行ったことないの?」
智香が驚いた顔をすると、みやびは少し恥ずかしそうにうなずいた。
「わたし……行ったこと、なくて。なんか、ちょっと怖そうで……」
「いやいやいや! 全然怖くないって!」
智香はまるで自分の庭に招くみたいな勢いで笑った。
「クレーンゲームとか楽しいし、ぬいぐるみとかめっちゃかわいいやつあるんだよ。
しかもあそこさ、カフェのすぐ近くだし。行こ?」
みやびはまだ少し戸惑っているようだったけれど、
智香の勢いに押されて、小さく「……はい」と答えた。
「よし決まり!」
智香は得意げに手を叩き、まるで遠足の引率者みたいに前を歩き出した。
みやびはその背中を見て、わたしのほうをちらりと見上げた。
「七海ちゃんは……よく行くんですか?」
「まぁ、智香につきあって何回かは。得意じゃないけど」
「……なんか、ドキドキしますね」
みやびは小さく笑った。
その笑顔は、期待と不安が半分ずつ混ざっていて、
わたしはなんとなく、その表情をしっかり覚えておこうと思った。
そんなふうにして、わたしたちはゲーセンのネオンの下へ足を向けた。
ゲーセンの自動ドアが開いた瞬間、音の洪水が押し寄せてきた。
クレーンゲームのアームが動くモーター音、リズムゲームの電子音、
そしてゲーム筐体の合間を縫って響く人の声。
まるで別世界に迷い込んだみたいな光景に、みやびは一歩足を止めた。
「……すごい……」
目を丸くして、口元に手を添える。
その横顔は、さっきまでの不安を忘れたみたいに、ただ純粋に輝いていた。
「でしょー!」
智香が得意げに笑う。
「さっ、まずはクレーンゲームね。あたしこれめっちゃ得意なんだよ!」
そう言って智香が挑戦したけれど、ぬいぐるみの山はびくともしなかった。
横でみやびが「惜しいです……」と小さく声をあげる。
「七海もやってみなよ!」
「え、あたし得意じゃないんだけど……」
と言いながらも、わたしは小銭を入れてスタートボタンを押した。
アームがゆっくり動いて、ターゲットに狙いを定める。
慎重に位置を見極めて──ボタンを押す。
カチン、と音がして、アームがぬいぐるみを抱え込んだ。
「……っ!」
一瞬の沈黙のあと、ぬいぐるみがガシャンと落下口に収まった。
「やった!」
「七海ちゃんすごいです!」
みやびの目が、さっきよりさらに大きく開かれていた。
「はい、これ」
わたしはそのぬいぐるみを、彼女の胸元に差し出した。
「……え?」
「みやびに。初ゲーセンの記念」
みやびはぬいぐるみを受け取って、
それを抱きしめるようにぎゅっと握った。
「……ありがとう、ございます。
大事にします……」
その声がほんの少し震えていたのは、騒がしい店内でもわかった。
最後は、智香の強い提案でプリクラを撮ることになった。
「これ撮らないとゲーセン来た意味ないでしょ!」
そう言ってわたしたちは、狭いブースの中に身を寄せ合った。
「もっと近づいて!」
「近いよ……!」
「はい、次変顔ね!」
「ええっ、変顔……?」
シャッターのたびに笑って、ふざけて、
あっという間に写真は撮り終わった。
画面に映った三人の顔は、
少し照れていて、でも確かに楽しそうだった。
外に出ると、もう空は暗くなっていた。
みやびはずっとぬいぐるみを抱きしめていて、
プリクラのシールを見ながら小さく笑っていた。
「今日は……すごく楽しかったです。
わたし、こういう場所、全然知らなかったから……」
「じゃあまた来ようね!」
智香が軽やかに言って、みやびがうなずいた。
わたしはふたりの横顔を見ながら、
この時間がずっと続けばいいのに、とふと思った。
駅前のネオンが背中に遠ざかって、街灯だけが頼りの帰り道になった。
ゲーセンの喧騒が嘘みたいに、夜の住宅街は静かだった。
コンクリートの道を踏む自分たちの足音が、やけに大きく響く。
隣を歩くみやびが、ぬいぐるみを胸のあたりに抱えたまま、小さく息を吐いた。
「……なんか、夢みたいです」
「え?」
わたしと智香が足を止めると、みやびは少し恥ずかしそうに笑った。
「こうして……3人で一緒に出かけて、
初めてのことをたくさん経験できて。
こんなの、ほんとに夢みたいで……」
彼女は視線を下げて、抱えていたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「……わたし、引っ越す前は……あまり親しい友達がいなくて。
いつもひとりで帰って、休みの日も、なんとなく過ごしてて。
だから今日みたいな日が来るなんて……想像もしてなかったんです」
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛くなった。
みやびの声は淡々としていたけれど、
その中に混じっていた“過去の孤独”は、すぐにわかった。
智香が小さく笑った。
「そっか。でも、もうあたしたちいるじゃん」
「……はい」
みやびは顔を上げた。
街灯の光の下で、その瞳が少しだけ潤んで見えた。
「これからも……こうして一緒にいられたら、嬉しいです」
その言葉に、わたしはうまく返せなかった。
でも、何も言わなくてもいいような気がした。
静かな夜道に、3人の足音だけが並んで響いていた。




