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farewell  作者: 七瀬


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3/7

ゲーセンのネオンと、夢みたいな時間

 放課後。

 昇降口に向かういつもの帰り道。

 3人で歩くのが当たり前になりつつあることが、

 どこかくすぐったくて、でも居心地のいい日々だった。

 智香が前を歩き、みやびがその後ろでちょこちょこ話しかけ、

 わたしは少し離れてその後ろをついていく。

 そんな距離感も、なんだか自然に馴染んでいた。

 昇降口のドアが開いたとき、ちょうど向こうから姿が見えた。

「──お、智香と七海」

 その声に、わたしは反射的に顔を上げた。

 渋谷純。

 ひとつ年上の先輩で、わたしたちの幼馴染。

 制服のジャケットの袖をまくったラフな姿と、ぶっきらぼうな目つきは、

 昔から変わらない。

「あ、純くん!」

 智香がすぐに声を上げて、嬉しそうに手を振った。

 敬語なんて気配もなく、まるで昔のままだ。

「なにしてんの、今日は部活?」

「もう終わった。今帰るとこ」

「へー、珍しくタイミング合ったね。てか、先に言っとくけど、今日は一緒に帰らないよ? みやびちゃんいるから」

 そう言いながら、智香はくるっと振り返って、みやびのほうを指差した。

「こっちが、伊藤みやびちゃん。転校生で、最近あたしたちと仲良くしてる子」

 純は目を細めて、軽くあごを引いた。

「……ああ。よろしく」

 それだけの短い言葉だったけど、声のトーンはいつもより柔らかく聞こえた。

 でも──その瞬間、わたしは見逃さなかった。

 みやびが、靴を履く手を止めていた。

 わずかにうつむいたまま、肩が小さく揺れていた。

「……よ、よろしく……おねがいします」

 その声は、かすれていた。

 返した言葉も、俯いたまま、目を合わせないまま、震えていた。

 純はそのまま「じゃあな」と言って昇降口を出ていった。

 その背中を見送りながら、わたしは胸の奥に、小さな棘のようなものを感じていた。


 その後、3人で駅前のカフェに寄った。

 ずっと前から「行きたい」と駄々をこねていた智香の一言で、話はすんなり決まった。

「ねー、あたし、今日の朝から決めてたんだよ? 絶対チーズケーキ食べるって!」

「それはすごいね」

「生きる気力でしょ? 甘いものは!」

 店内は平日の夕方にしては静かで、

 奥の窓際の席には、春の終わりの光が差し込んでいた。

 わたしたちは、それぞれケーキとドリンクを注文して、

 並んでソファ席に座った。

「わたしのは、抹茶タルト……けっこう濃いですね」

 みやびがカップを両手で包みながら、そうつぶやく。

「七海は相変わらず紅茶とサラダって感じだね」

「甘いのはあんまり好きじゃないから」

 智香は笑って、フォークでチーズケーキをすくいながら、

 「今この瞬間だけは世界が平和」とか訳のわからないことを言っていた。

 みやびもそれを見て笑っていた。

 静かで控えめな笑い方だったけれど、以前のような緊張はもうなかった。

 話題は次から次へと移り変わる。

 期末テストの範囲が広すぎるとか、

 文化祭の準備がもう始まるとか、

 先生のクセが強すぎるとか。

 くだらない話ばかりだったけれど、

 それがちょうどよかった。

 そんなふうに、何も考えず笑っていられる時間がひとしきり過ぎたころ。

 ふと、みやびがカップを持った手を止めた。

 そのときの彼女の横顔が、ほんの少しだけ影をまとっていた。

「……あの」

 空気がすっと静まる。

「さっき……渋谷先輩と会ったとき、

 わたし、ちょっと……震えてたの、気づいてましたか?」

 智香もわたしも、自然と姿勢を正した。

 みやびは、視線を伏せたまま続けた。

「ちゃんと理由、話してなかったなと思って……」

「……うん、話してくれて、いいよ」

 わたしがそう言うと、

 みやびは少しだけ頷いて、言葉を選びながら、ゆっくり話し出した。

「小さい頃……小学校のとき、目の前で男の子ふたりがケンカしてるのを見たんです。

 すごく大きな声で叫びながら、殴り合いみたいになってて……

 誰も止められなくて、怖くて、泣くこともできなくて……」

 彼女の声は小さくて、それでもはっきりしていた。

「それ以来、男の人が怒鳴ったり、ただ近くにいるだけでも……

 体が勝手にこわばって、苦しくなっちゃって」

 その言葉に、わたしは胸の奥がきゅっとなった。

 みやびは、カップをそっと置いて、

 少しだけうつむいたまま、かすかに笑った。

「だから、渋谷先輩が悪いとかじゃないんです。

 優しそうな人なのはわかるし、声も普通だったのに……

 勝手に、体が反応しちゃって……ごめんなさい」

 ──謝る必要なんて、ひとつもないのに。

 智香が、フォークをテーブルに置いて、

 まっすぐみやびのほうを見た。

「そっか。……教えてくれて、ありがと。

 これからは、無理しなくていいよ」

 いつも通りの軽やかな口調だったけれど、

 その言葉には、ちゃんとぬくもりがあった。

「……うん。ありがと」

 みやびが小さく返事をして、また微笑んだとき、

 さっきまでの曇りは、少しだけ晴れていた。

 何気ない雑談のあとにふいに訪れた、

 静かな告白と、静かな受け止め。

 カフェの中の空気は、

 さっきよりほんの少し、あたたかくなっていた。


 カフェを出ると、外はすっかり夕方の色になっていた。

 店先のガラス越しに見えた街のネオンが、いつもより少しだけ鮮やかに見える。

「ねぇさ、もうちょっと時間あるよね?」

 智香が急に足を止めて、振り向いた。

「……なに?」

「ゲーセン寄っていかない?」

「えっ……」

 みやびが小さく声を漏らした。

 その目が、わたしと智香を交互に見ている。

「ゲーセンって……あの、ゲームセンターの……ですか?」

「そうそう。クレーンゲームとか音ゲーとかあるとこ! 行ったことないの?」

 智香が驚いた顔をすると、みやびは少し恥ずかしそうにうなずいた。

「わたし……行ったこと、なくて。なんか、ちょっと怖そうで……」

「いやいやいや! 全然怖くないって!」

 智香はまるで自分の庭に招くみたいな勢いで笑った。

「クレーンゲームとか楽しいし、ぬいぐるみとかめっちゃかわいいやつあるんだよ。

 しかもあそこさ、カフェのすぐ近くだし。行こ?」

 みやびはまだ少し戸惑っているようだったけれど、

 智香の勢いに押されて、小さく「……はい」と答えた。

「よし決まり!」

 智香は得意げに手を叩き、まるで遠足の引率者みたいに前を歩き出した。

 みやびはその背中を見て、わたしのほうをちらりと見上げた。

「七海ちゃんは……よく行くんですか?」

「まぁ、智香につきあって何回かは。得意じゃないけど」

「……なんか、ドキドキしますね」

 みやびは小さく笑った。

 その笑顔は、期待と不安が半分ずつ混ざっていて、

 わたしはなんとなく、その表情をしっかり覚えておこうと思った。

 そんなふうにして、わたしたちはゲーセンのネオンの下へ足を向けた。

 ゲーセンの自動ドアが開いた瞬間、音の洪水が押し寄せてきた。

 クレーンゲームのアームが動くモーター音、リズムゲームの電子音、

 そしてゲーム筐体の合間を縫って響く人の声。

 まるで別世界に迷い込んだみたいな光景に、みやびは一歩足を止めた。

「……すごい……」

 目を丸くして、口元に手を添える。

 その横顔は、さっきまでの不安を忘れたみたいに、ただ純粋に輝いていた。

「でしょー!」

 智香が得意げに笑う。

「さっ、まずはクレーンゲームね。あたしこれめっちゃ得意なんだよ!」

 そう言って智香が挑戦したけれど、ぬいぐるみの山はびくともしなかった。

 横でみやびが「惜しいです……」と小さく声をあげる。

「七海もやってみなよ!」

「え、あたし得意じゃないんだけど……」

 と言いながらも、わたしは小銭を入れてスタートボタンを押した。

 アームがゆっくり動いて、ターゲットに狙いを定める。

 慎重に位置を見極めて──ボタンを押す。

 カチン、と音がして、アームがぬいぐるみを抱え込んだ。

「……っ!」

 一瞬の沈黙のあと、ぬいぐるみがガシャンと落下口に収まった。

「やった!」

「七海ちゃんすごいです!」

 みやびの目が、さっきよりさらに大きく開かれていた。

「はい、これ」

 わたしはそのぬいぐるみを、彼女の胸元に差し出した。

「……え?」

「みやびに。初ゲーセンの記念」

 みやびはぬいぐるみを受け取って、

 それを抱きしめるようにぎゅっと握った。

「……ありがとう、ございます。

 大事にします……」

 その声がほんの少し震えていたのは、騒がしい店内でもわかった。

 最後は、智香の強い提案でプリクラを撮ることになった。

「これ撮らないとゲーセン来た意味ないでしょ!」

 そう言ってわたしたちは、狭いブースの中に身を寄せ合った。

「もっと近づいて!」

「近いよ……!」

「はい、次変顔ね!」

「ええっ、変顔……?」

 シャッターのたびに笑って、ふざけて、

 あっという間に写真は撮り終わった。

 画面に映った三人の顔は、

 少し照れていて、でも確かに楽しそうだった。

 外に出ると、もう空は暗くなっていた。

 みやびはずっとぬいぐるみを抱きしめていて、

 プリクラのシールを見ながら小さく笑っていた。

「今日は……すごく楽しかったです。

 わたし、こういう場所、全然知らなかったから……」

「じゃあまた来ようね!」

 智香が軽やかに言って、みやびがうなずいた。

 わたしはふたりの横顔を見ながら、

 この時間がずっと続けばいいのに、とふと思った。

 駅前のネオンが背中に遠ざかって、街灯だけが頼りの帰り道になった。

 ゲーセンの喧騒が嘘みたいに、夜の住宅街は静かだった。

 コンクリートの道を踏む自分たちの足音が、やけに大きく響く。

 隣を歩くみやびが、ぬいぐるみを胸のあたりに抱えたまま、小さく息を吐いた。

「……なんか、夢みたいです」

「え?」

 わたしと智香が足を止めると、みやびは少し恥ずかしそうに笑った。

「こうして……3人で一緒に出かけて、

 初めてのことをたくさん経験できて。

 こんなの、ほんとに夢みたいで……」

 彼女は視線を下げて、抱えていたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。

「……わたし、引っ越す前は……あまり親しい友達がいなくて。

 いつもひとりで帰って、休みの日も、なんとなく過ごしてて。

 だから今日みたいな日が来るなんて……想像もしてなかったんです」

 その言葉に、胸の奥が少しだけ痛くなった。

 みやびの声は淡々としていたけれど、

 その中に混じっていた“過去の孤独”は、すぐにわかった。

 智香が小さく笑った。

「そっか。でも、もうあたしたちいるじゃん」

「……はい」

 みやびは顔を上げた。

 街灯の光の下で、その瞳が少しだけ潤んで見えた。

「これからも……こうして一緒にいられたら、嬉しいです」

 その言葉に、わたしはうまく返せなかった。

 でも、何も言わなくてもいいような気がした。

 静かな夜道に、3人の足音だけが並んで響いていた。

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