第四話 旅立ち
「――――」
誰かが笑っている。
俺を指さして、何かを言っているのに、声はノイズになっていて、分からない。口元しか見えない。目が見えないのが妙に気持ち悪い。
「お前は――」
その瞬間、視界が光を帯びた。
「っ……!」
息が詰まり、飛び起きる。胸元がじっとりと濡れていた。右手を当てると鼓動が早い。夢だと理解するまでに、少し時間がかかった。
窓の外を見ると日は高く、庭ではテオが素振りをしている。
一定のリズムで剣を振る音が、現実を取り戻させてくれた。
扉がきしむ。
「エリオ……」
リリが半分だけ顔を出していた。
「だいじょーぶ?」
「ああ。変な夢見ただけだ」
「ほんと?」
疑うような目で見られて、少しだけ笑う。
「ほんとだよ」
納得したのか、こくりと頷く。
「おともだち、きてるよ」
その直後、後ろから声が重なった。
「エリオ。起きたのね」
「よっ」
ヴェルとリヒトだった。
「ちょっと外、いいか?」
____
俺達は街の中央にある広場に来た。
中央の噴水を遠くに見ながら日陰に立っていた。
「エリオ、昨日はみっともねぇ姿見しちまったな」
「大丈夫さ。リヒトが無事で本当に良かったよ」
リヒトはいつも通りだ。
屈託のない笑顔で、優しく皆を照らす光の存在。
「エリオ、さ」
「俺、パーティ抜けるわ」
「え?」
「特訓しようとしてもさ、杖が持てねぇんだ」
震える手を見せる。
「……もう、あの森に入りたくもねぇ」
リヒトは俺の肩を両手でガッチリ掴んだ。
「でもさエリオ、俺の事はもう気にすんな。前を向いて生きる!それが俺のモットーだ。何とか乗り越えてみせるさ」
リヒトは少し悲しい顔を見せた。
肩を掴むその手も震えていた。
「ごめんな」
そう言ってリヒトは去っていった。
遠くなる背中を眺めることしか出来なかった。
「エリオ」
ヴェルの静かな声。
「少し話そ」
⸻
ギルドの一階の隅の席に腰掛ける。
周囲はざわついているのに、そこだけ音が遠い。
「吸心」
ヴェルが言った。
「あの魔族の能力。心を削る力よ」
俺は黙っている。
「体は無事。でも、中身が壊されてる」
リヒトの震える手が頭から離れない。
「治るのか」
「分からないわ。倒せば戻るかもしれない。でも保証はない」
「…あのままじゃ終われないでしょ」
「これから何をすべきか、自分でわかってるんじゃないの?」
ヴェルが俺の頬に軽く触れる。
「エリオ、目を逸らさないで。強くならなきゃ、守れない」
分かっている。だが、どうやって。
「禁忌の果実」
静かな声。
「世界にはまだ強くなれる果実があるわ」
俺はゆっくり息を吐いた。
逃げたい気持ちが一瞬よぎる。でも、リヒトの目が焼き付いている。
「……行こう」
ヴェルが小さく頷いた。
⸻
外はすでに暗く、鐘も鳴らない。静かな夜だった。
家へ戻ると、テオが門の前で待っていた。
「兄上、おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
ちゃんと笑えただろうか、自分でも分からない。
食卓はいつも通りだった。リリが騒ぎ、テオが注意し、ミレーヌが苦笑する。マドレーヌが静かに皿を並べる。
温かい匂い。温かい声。
守りたい。
食後、テオとマドレーヌを部屋に呼んだ。
「俺は旅に出る」
テオの目がわずかに細くなる。
「昨日の件ですか」
「ああ。俺は負けた。このままだと、また守れない」
マドレーヌが静かに目を伏せる。
「決意は固いのですね」
「ああ」
テオが真っ直ぐ俺を見る。
「兄上が戻るまで、家は俺が守ります」
その言葉に、胸が熱くなった。
「頼んだ」
⸻
その夜はあまり眠れなかった。
目を閉じると紫の瞳と、黒く塗りつぶされた文字が浮かぶ。
朝日が見え始める頃。
バックに荷をまとめる。
ローブを着て準備完了だ。
リリが袖を掴む。
「すぐかえる?」
「ああ」
「ぜったい?」
「絶対だ」
嘘ではない。そう思いたい。
門の前でヴェルが待っていた。
「行くわよ」
「ああ」
家を振り返る。
目を閉じる。
紫の瞳がよぎる。
それでも歩く。




