物忌み
「――昨夜も素敵な時間だったね、姫君。ここで去ってしまうのは誠に名残惜しいが、今宵こそは必ずやまた逢いに来るよ」
「ええ、心よりお待ちしております、中納言さま」
朱と青が美しく織り成す空が美しい、ある東雲の頃。
そう、柔らかく微笑み告げる端正な男性。彼は中納言さま――私より一回りほど歳上の20代後半の男性で、幾度か文を交わした後こうして私に逢いに来てくださっている、いわゆる恋仲に当たる御方です。
そして、昨夜は二日目。彼の仰るように、今宵もお越しになったら私達は夫婦となります。と言うのも――男性が三夜続けて女性の下に通うことが、平安時代の高貴な階級における婚姻成立の条件だからです。
ところで、今しがたの彼のお言葉――その最後の部分は、ここだけ聞くと些か違和感を覚えるような言い回しかもしれません。ですが、そのお言葉にはれっきとした理由がありまして――
「……大変申し訳ありません、姫さま。……その、本日は物忌みのため、中納言さまはこちらに参上することが叶わず……」
「……そう、それは仕方のないことね」
その日の宵のこと。
そう、お言葉の通り甚く申し訳なさそうに告げる秀麗な男性。彼は朝霧さん――私の恋仲に当たる彼の中納言さまに仕える20代半ばの男性で、ご主人さまがお越しになれない旨をこうして遠路遥々こちらへお伝えしにいらしていて……全く、お気の毒なことです。
さて、今しがた彼が口にした『物忌み』についてですが――これは占いにて凶が示された際、災厄を避けるべく一日ないし数日間、外出を控えるというもの。この期間にうっかり外に出てしまおうものなら災厄を身に纏ってしまう可能性があるため、原則として破ってはならない規則とされています。
そして、如何なる巡り合わせか――毎回、結婚成立となる三日目に限りそのような事態に。なので、最初の逢瀬からかれこれ三ヵ月が経過した今なお、私達は夫婦の契りを結んではおらず……はてさて、不思議なこともあるものです。
……ところで、先ほどから何処か呆れたような視線を感じないでもないですが……まあ、気のせいでしょう。
「それで、朝霧さん。貴方は、またしばらく中納言さまの下へは戻れないの?」
「……はい、姫さま。本来なら、今こうして姫さまの御前にいるのも憚られて……」
「……そう、それはお気の毒ね。ですが、私のことはお気になさらず。ご主人さまのためにこうして遠路遥々お越しになった貴方に、お顔すら見せず用件だけを済ませ帰るように、などと冷酷なことを申したくなどないですし……そもそも、私はまるで信じていないので。あのような眉唾物の言い伝えなど」
「……本当に、お心の強い御方です」
ともあれ、そのように尋ねると淡く微笑みお答えになる朝霧さん。まあ、毎度のことなので当然のこと分かっていた返答ではありますが。
さて、前述のように、物忌みの日に外出しようものならその身に災厄を纏ってしまうため、一定の期間は外出を控える必要があります。
ですが、そうなると今宵のように中納言さまがお越しになれないことを、こちらは存ぜぬまま――なので、その旨だけでもお伝えすべくこうして彼の従者たる朝霧さんがお越しに……全く、お気の毒なことです。そうなると、朝霧さんは災厄を纏ってしまうこととなるのに。
そして、更にお気の毒なことに――纏った厄を持ち帰らぬよう、しばらく戻って来ないよう中納言さまから告げられているようで……全く、ご勝手なものですね。従者はどうなってもよいのでしょうか。
そもそも、どうして皆さん揃いも揃って妄信なさっているのでしょうね。根拠など何一つとしてない、このような愚かしい言い伝えの類など。




