第八話
ドロドロに溶かしたような不快感が俺の体全体に粘っこくまとわりつく。それまであまり頭が良いほうではなかった俺が自分なりに冷静に物事を考え行動してきたが、すべて帳消しにしてしまうような行動に出てしまった。
自分の鼓動が激しく鳴るのが感じられる。臓器や血液は無いはずなのになぜか俺の胸からドクンドクンと心臓の鼓動が鳴り続ける。
この腕で心臓を貫いて本当に臓器があるか確認したかったが、そんなことをやる勇気も考えもこの時は忘れ去っていた。
ミラーフェイスの時は前もって気づけたし準備もできた、何より姿をちゃんと捉えることができていた。だからこそこの目に見ることもマナで捉えることもできない、だが気配では確かにそこにいるという不気味さが恐怖を膨れ上がらせる。
異世界に落ちてから気づいたことだが、俺は相当ビビりということだ。
まあこんな分けわからん場所に放り出されたらこのくらいビビりな方がいいような気もするが、結局困ったら癇癪を起していてはどうしようもないんだが……
恐怖を無理やり怒りに変え放った咆哮は凄まじい破壊力で自分の周りと向いていた通路の壁や床、天井が崩れ隠されていた岩肌が剝き出しになっている。
俺の前方に立っていたら通路の彼方まで吹き飛ばされ壁に激突し体がひしゃげていただろう。だが未だに気配は消えず俺の周りや体を這い回っている。
不気味さに背中から頭にかけてぞわぞわと逆立つ、俺はまとわりつく気配を振り払うために前方を向きマナを足に瞬時に溜め一気に進む、ある程度通路を進んでから自分を追ってきているモノを確認できないか振り返る。
映る闇に一切の歪みはなくただ静かな闇が広がる、聞こえるのは俺の無いはずの鼓動と俺の唸り声。耳を澄ますため(手で確認したが耳は無かった)声を潜めじっと待つ。
ヒタ ヒタ
何かが聞こえてくる、自分の感じた気配がただの気のせいであってくれという期待は外れ、何かがこちらに向かってくる。
闇をかき分けるように顔のようなものが現れる。顔といっても仮面のような物を貼り付けただけにも見える。目と口だけのシンプルな顔で表情は一様笑っているように見える。
輪郭はまん丸平面的で顔の周りと闇から伸びる首を長い髪の毛のような物で覆っている。だんだんこちらに近づくにつれ体も見え始めるはずなのだが未だ首しか見えず顔も真っすぐではなく右や左、上下に動かしたり顔自体を回転させながら近づいてくる。
目といっても物を見るためというより取って付けただけのパーツみたいだ、瞬きしていることから瞼はあるのだろうが瞼の下に瞳は無くただ肉の塊が詰まっているだけだ。
口には歯や舌は無く代わりに夥しい数の手が生えていて口の中を埋め尽くしていて、こちらに向かって口の中から無数の手が手招きしている。
するとヒタヒタと音のする物も現れる。案の定こいつの体部分だが二足歩行ではなく四足歩行だ、馬のような胴体だが足は蹄ではなく人間の手が生えていた。
体全体が見えるとその歪さが際立つ、貼り付けたような顔に、長すぎてかつ関節が無いかのようにうねる首、胴体は馬のようだが生えているのは人間の手。
キショすぎんだろ
虫や微生物、深海の生物なら今まで見る機会が無く知らないだけということもあるが、陸上でこんなバケモンが生きてていいわけがない。
足が手…… 言ってて混乱するがありのままを説明するとこうなるから仕方ない。とにかく足が手のため速く動くことはできなさそうなため、俺はマナを纏い始める。
正直、理解不能な見た目の化け物と目を合わせてしまって今すぐ逃げ出したいが、これは千載一遇のチャンスでもあった。
こいつはどういうわけか姿を見えなくすることができるし、おまけにこちらの攻撃が透過してしまう。俺の咆哮は確実に食らっているはずなのに気配は吹き飛ばされるどころか俺の周りに居続けた。
おそらく透明になっている間はこちらからは何もできないし向こうからも何もできないのだ。それが向こうから姿を現した、この瞬間を逃せば奴にまた透明になって付きまとってくるだろう。
余計に気配が感じ取れてしまうため別に必要ないが寝ることもできなくなってしまう。何をするにしてもこいつの不気味な気配を感じながらの生活は耐えられない。
俺はマナを込めながら奴を殺る機会を慎重に窺う。
だが、相手もこちらの様子を伺っているようだ。俺はこの行動にどうしても違和感を感じてしまう。魔物は基本的に魔物以外の生物を無作為に問答無用に襲う存在だからだ。
そんな魔物が襲うのを躊躇うなんて聞いたことが無い。もしかしたら目の前の化け物が生物ということも考えられるが、それは無いと思いたい。明らかに神から見放されたデザインだしこいつが食って寝て交尾するところが想像できない。
じゃあこいつが魔物だと仮定するとして、こいつが攻撃を躊躇うのは……
わからない問題の答えを最悪な形で貰ってしまった。正直ずっと曖昧にしておいてほしかったことだ。
俺は魔物だ
どういうわけか精神だけは俺を保っているがそれ以外は化け物ということだ。その事実に気付いたとき俺は不思議なほど落ち着いていた。きっと心のどこかでそう確信してる部分があったのだろう。あーやっぱりそうなんだぐらいの感覚だ。
思えば今までの行動や自分の思考があまりにもちぐはぐな事に合点がいく。やることは一々派手なのに逃げようとか戦いたくないとか過剰に逃げ腰だったりするし。
これほどの遺跡を探索してもすごいくらいの感情の薄い感想しか出ないし、いやこれは俺の感性が終わってるだけかもしれないが。
俺が最初、地の底で化け物に精神が寄っていくかもって考えがいよいよ現実味を帯びてきた。
今まで俺が感じていた恐怖や不快感が少し薄れていく。自分が目の前のと同じ魔物だと自覚したからかはわからないが。
一瞬で決める!
俺は足に素早くマナを籠め駆け出す。俺のロケットスタートに奴の気持ち悪い顔面の笑みが少し崩れる。そのまま相手に何もさせることなく顔面に右ストレートをぶち込む。
顔面がひしゃげ首と一緒に体にめり込ませ爆発音と同時に反対側の壁に激突する。それと同時に奴の体が塵になってどこかえ消えていく。
くどいようだが、俺は自分の強さを再確認し半ば観光気分だった遺跡からの脱出を早めなくてはと確信する。
それと同時に一つの疑問が浮かぶ。
でも、なんで俺の精神は人間のままなんだ?…… いや止めよう、こういうことを考えるのはよそう。
俺はすぐに思考を切り替え考えていたことを頭の隅に追いやり、また進み始める。化け物に精神を支配される前に。