第三話
暗い、光も届かない空間に蠢く黒い影、静かで不気味なうなり声を反響させながら自分が落ちてきた先を見つめていた。
あれ?おかしい、名前が思い出せない。自分の家族や今朝話した女子の名前、学校の先生たち、自分にとって大切な唯一の友達であるはずの、最後まで俺に手を伸ばし続けた奴の名前がわからない。それどころか自分の名前すら思い出せない。
自分の動悸が少しずつおかしくなるのを感じる。落ち着いてくれ、頼む… それから数分か数時間かわからないがその場じっとして落ち着くのを待つ。それから今自分に起きていることを整理し始める。
大丈夫落ち着け俺一つずつ確認しよう。まず一つ俺は下向きに開いた門に落ちた。二つ、落ちてる最中になにかにぶつかった直後、目の前に岩の出っ張りが来て咄嗟にマナで体を強化した直後、意識を失って気づいたらこの体になっていた。三つ、俺が落ちた門はすでに閉じてるということ。
門は開いてから閉まるまでの間隔はその大きさで決まる。開いた門は時間が経つにつれ徐々に小さくなっていき最終的に消えてしまう。上を見上げても何も見えないというか何もない。家のドアと同じサイズの門でも一週間は少なくとも開いているはずだ。
約40年にも及ぶ異世界の調査で様々な事例が報告されている。その中の一つに入った途端、門が急速に縮まり数秒から数分の間で閉じてしまう危険な現象が確認されている。この現象で消息を絶った調査員は少なくない。おそらく俺が落ちた門もそのタイプだろう。
いや、もしかしたら見えないだけかも? ふと頭の中にちょっとした希望がよぎる。
そうだ、落ちたら登ればいい、幸いこの体はこの絶壁も難なく登れそうだしな。少しの希望がまるで車のエンジンをつけたように俺の体を動かした。相変わらずデカく不気味になったこの体を動かすのはどこかぎこちなかったが足早にこの空間の壁際まで移動する。そして右手を軽く広げ指を突き出す鋭くとがった爪を思いっきり壁に突き刺す。
轟音と砂煙が舞う、突き出した右手に痛みはなく指が深々と岩肌にめり込んでる。左手を少し高い位置に同じように突き刺す。そのまま右手と左手を交互に出し足の指先も岩肌に食い込ませ登り始める。
行ける… 行けるッ!
だいぶ上のほうまで登ってきた、体感1kmは登ってる感じだ、わからんが。最初のほうは力加減を間違え岩肌を粉々に砕いて下まで落ちそうになっていたが、徐々に体の使い方に慣れてきて今では垂直の壁を四足で走るように登れる。明らかに人間のスペックを超えた動きだ、もし俺が望んで化け物になっていたら楽しかっただろうが、今そこに楽しいという感情はない。
さらに登ったところで到着してしまった。天井だ。正直分かっていたことだ見えてたから。俺の目はこの暗闇でもなぜか物が見えている。上を見上げていた時に、すでに門は見えていなかった。だから上に近づけば近づくほど頭の中の希望は薄れていっていた。
どこか悲痛な巨大なうめき声が空間全体に響き渡る。
俺は思いっ切り天井を殴りつけた。自分の思い通りに事が運ばないときにやってしまう、いわゆる癇癪だ、みっともないが、こんな目に遭っているんだ大目に見てほしい。
爆発音とともに天井が崩れる、自分が引っ付いていた場所も同時に崩壊し地面まで真っ逆さまだ。
壁を登って帰れるかもと興奮して忘れてたけど、俺、今化け物じゃん。冷静に考えて門が開いてたとして門から化け物が這い出てきたら、世界初の事例として教科書に載るな。ていうか戻ってどうすんだよ、なにすんだよ。
はぁ… と心の中でため息をつく
そんなことを考えているうちに地面に激突し地面に体がめり込む。数キロは落ちたはずだが痛みも無く体も普通に動く、正直この体の頑丈さに呆れている。あのまま落下死してもいいと思っていたがこの体はそう簡単には死ぬことができないらしい。
振出しに戻った。少し、寝よう……
・・・
俺は見慣れた教室の自分の席に座っていた。後ろの席から声をかけられそのままそいつと話し始める。何を話してるかはわからないが自分が笑っているのがわかる。きっと楽しい話でもしてるんだろう。この時間が続いてほしいがほどなくして先生が入ってくる。
いったん話すのをやめて前に向き直る、このホームルームが終わったらまた続きを話そう。高校を卒業したら一緒にチームでも組んで異世界を冒険しよう。
突然、景色が流れ始め焦点の先が引き延ばされていく、この異常事態に誰も気にしていない俺は咄嗟に後ろを振り向くと真っ暗な空間にいた、心臓が鳴る、怖い。
恐怖が波のように俺に覆いかぶさる。何処へ行けばいいのか、何処に逃げればいいのか、どうすればいいのか。混乱したまま俺は走り出していた、何かに吸い寄せられているのか前にうまく走れない。だが振り返るのも怖くてできない。
すると上から声が聞こえてくる、聞きなれた声のほうを向くとそこには手をこちらに伸ばしてる友人がいた、掴まれと言わんばかりに引き伸ばされている手につかまろうとした突如、足元の地面が消えた。
何かを叫ぶ友人の姿が遠くなっていく、その顔に涙を浮かべながら叫んでいる。悲痛な友の姿を見てそれを安心させるように俺は笑いながら友人に向かって言った。
「大丈夫、俺は大丈夫だから、心配すんな…… 必ず戻ってくるから」
するとそれを聞くとそいつは、涙を浮かべ笑いながら答える。
「―――!」
・・・
夢は久々に見た、かなり自分に都合がいい夢のような気がするがそれでもいい、なんだか心が晴れやかな気分だった。
あいつには助けられっぱなしだな、夢の中でも俺を助けてくれてほんとあいつはすげえな。俺だけが都合よくあいつを解釈してるだけかもしれないが、それでもいい。この真っ暗闇の孤独な場所で少しでも前向きな気持ちにしてくれたのだから。
とりあえずここを出よう、それから何とかして元の世界に戻ろう。夢の中で戻ると言ってしまったからな。こんな姿だから会うと驚くかもしれない、てか驚くだろうから手紙とかで「心配しなくてもいい」とこっそり伝えよう。
それからはどうなるかはわからないが、この姿だ元の世界で普通の生活なんてのはできないだろうし、それこそわけわからん研究所に入れられて実験されるとか真っ平ごめんだ。こんな事になってしまったんだせっかくだから異世界を見て回ろう。
まだ誰の足を踏み入れてない場所が異世界には山のようにあるんだ、それらをほかの奴らが行くまでに俺が制覇しちゃうってのは。
うん、かなりいい考えな気がしてきた。
まだ誰も見たことない景色が見れるんだと、俺はこれまでにないくらい興奮して低い唸り声が無意識に鳴っていた。
そうと決まった俺はさっそくこの空間を出るための出入り口を探すために動き出した、それから数時間が過ぎてから俺は心の中で一言
やべぇ、出入り口がない