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第1話 和洋折衷

 田舎に帰って過疎地の医療に貢献したい、と棟梁に明かした。

「よっしゃ、もんて(戻って)来い。ワシがええ家、建てちゃる」

 棟梁は言下に応じた。

 幼なじみが人生の一大転機を迎えようとしているのに、もう棟梁の頭の中は家のことでいっぱいのようだった。


 Uターンを思いついたのは、二〇一一年五月。東日本大震災の災害ボランティアに参加したことが、きっかけだった。

 被災者の多くは満足な治療が受けられない「医療難民」だった。四国の辺境の地に育った私には、故郷の人々が重なって見えた。

         ☆

 棟梁こと、西山周司とは幼稚園・小学校・中学校と一緒だった。

 西山は山あいの街道沿い、私は奥地の村で育った。とっくに我々の母校は廃校、生家も廃屋になっている。


 西山は運動神経が発達し、中学時代はソフトボール部で活躍していた。勉強の方は、三分の一足す五分の二を八分の三と計算していたらしい。

 中学を出て、私は徳島市内の高校に進学し、西山は大阪の左官屋に就職した。


 左官屋で鍛えられた。塗った壁に凹凸が出ることなど、もってのほかとされた。伝統的な日本の技法だ。

 左官の技術は、西山が後に大工の弟子入りした際も重宝された。やがて、独立するが、資格がないと仕事は限られてくる。そこで一念発起。ミカン箱を机代わりに、建築士をめざして勉強を始めたのだった。

 二八歳で二級に合格するも、これがゴールではなかった。実務経験を積みながら勉強を重ね、三四歳で難関の一級建築士の合格証を手にする。工業高校や大学・専門学校などに通うことなく、独学で合格したのだから、敬服するしかない。


 建築士仲間で行ったヨーロッパ研修旅行。ガウディ(Antonio Gaudi y Cornet 一八五二―一九二六)のサグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)を前に、西山は雷に打たれたくらいの衝撃を受けた。

「なんでもあり! なんや」

 西山が覚醒、脱皮した瞬間だった。

          ☆

 棟梁は私に先んじること二〇年ほど前に、故郷に帰っていた。谷底で育った棟梁は、山の上に広がる土地を見て感動し、自宅と工房を建てた。

 Uターンの相談をした後、二、三度、宅地を探しに帰った。毎回、棟梁は付き合ってくれた。幸い、旧市街地に格好な土地が見つかり、自宅兼治療院を建てることとなった。

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