01 口先ばっかりで
領主の息子は、あまり体力勝負に縁がなかったが、それでも懸命に走った。
タイオスはやきもきしながらリダールの速度に合わせたものの――案内されるためにはそうするしかなかった――「あれです」と少年がひとつの看板を指した瞬間、「ここにいろ」と命じてリダールを引き離した。
(女子供だからって見逃してくれるような奴らじゃないだろう)
(騒ぎ立てるなよ、嬢ちゃん)
ばたん、と大きな音を立てて扉を開けた大柄な戦士は、一斉に店内からの注目を浴びた。
いや、全員が彼に注意を払ったとは言えなかった。
タイオスははっとする。
(いやがった)
(あれが灰色ローブ)
(ソディエ、か)
大して広くない店内の片隅でじっと固まっている三体のローブ姿は、乱暴な酔っ払い戦士――とでも見えただろう――の登場をほんの少しも気にする様子がなかった。こちらを見ないどころか、顔も上げない。
(成程、気味が悪いな)
ヴォース・タイオスもまた、イリエードやモウル、リダールやシィナ、ティエらが感じたのと同じようなことを思った。
「誰かお探しかね、お客さん」
ひとりの老人が、少し戦士を警戒する様子で尋ねてきた。
「ああ、いや、その」
彼はきょろきょろした。シィナの姿はない。
「女の子が、駆け込んでこなかったか。何か、妙なことを言って」
「何だって?」
「シィナって子なんだが」
「あの子の知り合いか」
安心したように、老人は息を吐いた。
「いや、わしは見とらんが」
首を振って老人が答えたときだった。
「――から! あいつらは追い出さなきゃ、ダメなんだ!」
興奮したような声が奥から聞こえた。
「おや」
老人は片眉を上げた。
「シィナだな。裏口か」
「裏だって」
ち、とタイオスは舌打ちした。裏へはどう回るのか老人に尋ねようか、それよりはこのまま厨房に入り込んでしまう方が早いか、とタイオスが考えた一瞬の間に、シィナが飛び出してきた。店の女将と思しき中年女が少女の腕を捕まえているが、暴れる子供の勢いに負ける様子で、結局一緒に小走りになっている。
「あいつらだよ! あいつら、魔法使いじゃなかったけど、人間じゃな」
「そこまで」
女将を説得しようとしていたシィナは、不意に目の前に現れたタイオスに反応するより早く、その口を手でふさがれてしまった。
「ふぉひっ、ほっはんっ」
「あー、失敬、セリ」
タイオスは女性に対する敬称を使用し、害のなさそうな笑顔を浮かべて――彼にできる範囲で、ということになる――女将に話しかけた。
「ちょっとこのまま、通らせてもらうよ」
彼はシィナの口をふさいだまま、少女の身体をひっつかんで持ち上げ、厨房を横切ることを選んだ。なかにいた料理人はひとり、何ごとかと目をぱちくりとさせていたが、少なくともタイオスを誘拐魔だとは思わなかったようだった。こんな目立つ形で子供をさらう誘拐魔もいないだろうが。
「なに、すんだよ、放せ下ろせこのクソオヤジ!」
シィナが入ってきたと思しき裏口を見つけ、店内に声が届かなさそうだと判断するとタイオスはとりあえずシィナの口から手を離した。そこで彼女は待っていたように叫び出した。
「品がない」
タイオスは息を吐いた。
「俺ぁ人のこたぁ、言えんがな。やっぱり女の子にはもう少し、何と言うか、上品にしてもらいたいもんだ」
「古臭えっつってんだよ! オレの勝手だろっ」
「何もおしとやかにしなさいとは言わんが、そんな態度のままじゃ、いまにリダールにも愛想尽かされるぞ」
「な、何言ってんだよ、馬鹿野郎!」
シィナはばたばたと暴れ出した。
「何でオレが、あいつに気に入られるために、お上品になんかしなくちゃ、なんないんだよっ」
「いや何も、そのためにそうしなきゃならんということはないが」
言ってからタイオスはにやりとした。
「ははあ。さてはお前、本当はリダールに気に入られたいのか」
「なっ、ばっ、馬鹿言ってんじゃねえぞ、獄界に落ちろこのエロオヤジ!」
「……そこまで言われると、さすがの俺も傷つくな」
タイオスはまた嘆息した。
「ま、女の子の方が早くませるって言うが、リダールはあの年であれだからな。なかなか思うようにはいかんだろうが、頑張れ」
「何が思うようにだっ。オレはな、あいつがぼーっとしてんの見たり、うだうだ言ってんの聞くとイライラすんだっ。だからちょっと、鍛え直してやろうと思ってるだけっ。そうでもなけりゃ、いちいちあんな」
シィナはキッとタイオスを睨んだ。
「うすのろなんかに声かけるもんかっ」
「あ」
「えっ」
憤然としながらシィナが言い放ったときだった。裏だと案内を受けたらしいリダールが姿を見せ、彼らに気づいた。シィナはしまったという表情を浮かべた。
「おい、くるなと言ったろ」
まず戦士は顔をしかめて非難した。
「タイオスの『そこにいろ』は『危ないかもしれないところについてくるな』であって、本当にその場にじっと立っていろっていう意味じゃないと思ったんですけど」
違いましたかと少年は尋ねた。違わなかったのでタイオスはうなった。
「リダール」
シィナが呟いた。
「い、いまのは……オレ」
「よかった、シィナが無事で」
ほっとしたように少年は言った。
「有難う、タイオスのおかげです」
「いや、俺が、と言うかサングが話を聞かせちまったんだしな」
行きがかり上、当然だ、などと答えながら彼は考えた。
(聞いてなかったのか、聞こえなかったふりか)
(……それともちっとも、気にしてないのかね)
最後がいちばん有り得そうだったものの、年下の女の子に「うすのろ」と言われてにこにこしている十八歳はどうなのか、とも思った。よほどの大人である、ということならばよいが――。
(とにかく、嬢ちゃんも暴れる気はなくしたみたいだな)
(下ろしても、また店内に駆け込みゃしないだろう)
〈怪我が招く善事〉と言うのかどうか、シィナも言い過ぎたと思うところが強いようで、ついさっきまでのような勢いはなくなっていた。タイオスが下ろしても踵を返すようなことはせず、口のなかで何かもごもごと言っていた。
「シィナ。リダールも」
それから改めて、彼は真剣な口調を作った。
「自分の能力をよく考えろ。お前らは戦士でも魔術師でもない。荒事は専門家に任せるんだ」
「じゃあ専門家のあんたがとっとと退治してくれよ!」
口の方は勢いが戻ったと見え、シィナはそんなことを言った。
「〈白鷲〉とかって、すごい戦士なんだろ? あんな奴ら、片っ端からやっつけてくれよ!」
「ううむ」
そうこられると、困る。
「シィナ」
そっとリダールが呼んだ。
「タイオスは、この町に義務は負っていないんだ。君を助けてくれたのは、好意で……」
「何が義務だよ! 好意だよ! オレに力がないって言うなら、あんたが力を見せてくれよ! 口先ばっかりで偉そうなこと言って。この町を守る気がないなら、余計なこと言うなよ!」
「シィナ……」
「まあ、正論のようだがなあ」
タイオスは頭をかいた。
「確かに俺には、キルヴンの町に義務はない。逆に言えば、この町の治安についてどうこう言う権利もない。だがな」
ぱちん、と彼はシィナの額を指で弾いた。
「大人には、あるんだよ。ガキんちょどもを守る義務、叱り飛ばす権利ってのがな」
「オレはガキじゃない!」
「それなら『未来ある若者』と言えばいいか?」
「うっせえ! 偉そうに! この、未来のないジジイっ」
「……傷つくなあ」
タイオスは胸に手を当てた。
「シィナ、シィナ。タイオスは」
「お前もうっせえよ! お前も、口ばっかりだ! さっきはちょっと、見直したのに」
「さっき?」
「いますぐどうにかしなきゃ、って言ったときだよ。あんときは、ちょっとだけ格好よかったのに」
「え」
「結局、何もする気なんか、ないんじゃないか! いまだって」
少女は唇を噛んだ。
「――聞こえてたなら、何か言えよ! どうして」
そこで言葉をとめ、シィナはぱっと踵を返した。タイオスは慌ててとめる必要がなかった。彼女は店内にではなく、路地の向こうに駆け出したからだ。
「シィナ!?」
「面倒臭えなあ、ああなっちまうと」
彼は苦笑して、右に折れたシィナを見送った。
「おい、追っかけてやれ」
「はい?」
「追っかけて、言ってやれっての。気にしてないってな」
「気にするって、何がですか?」
「……お前な」
本当に聞こえていなかったのか、心の底から気にしないあまり、何か酷いことを言われたと思っていないのか。




