10 そのまさかです
「ご安心を。『悪い魔法使い』ではありません。少なくとも、そう思っております」
「無表情で言っても説得力がない。せめて笑顔を浮かべてみせろ」
ついタイオスは指摘した。サングは肩をすくめた。
(いままでシィナが、この目立つ黒ローブに気づかなかったとは思えん)
(こいつ、とっさに隠れやがったな)
姿を「消した」訳ではないが、「侵入者」を警戒して気配と言われるようなものを絶った。「侵入者」に気づかれぬようにした。そう解釈できた。
(必ずしも自己保身じゃないだろうが)
もしリダールの友人ではなく賊だったなら、タイオスが応戦するまでもなく、「魔術師がいる」と警戒する間も与えずに、サングの術で即退治。そういう狙いだった可能性もある。
(だがやっぱり、保身かもしれん)
自分の身が可愛いと言うことに限らず、イズランが散々言っていたことと同じ。サングはアル・フェイルの宮廷魔術師ではないが、それに近いところにいる魔術師だ。カル・ディアルの貴族の邸宅で何をしていた、ということになれば厄介だと、そう考えた可能性もある。
(まあ、はなっから無条件で信頼なんざしてないんだ。保身でも何でもかまわんが)
(ちぃとばかし、腹は立つ、かね)
などと戦士が考えている間、シィナはじろじろとサングを見ていた。
「おい!」
それからリダールの友人は、両手を腰に当てた。
「代表者は、オレだって言っただろ! 何でリダールのとこになんかきてんだよ!」
「は?」
「ガキだと思って馬鹿にするのか。それとも、協会もやっぱり、権力者に弱いのかよ!」
「ちょ、ちょっとシィナ、誤解だよ」
リダールが両手をぶんぶんと振った。
「この人はサング殿と言って、以前からの知り合いなんだ。この前、協会に行った件とは関係ないよ」
「何だ、そうか」
シィナはあっさりと怒りを収めた。
「悪ぃ。馬鹿にされたかと思って」
「誰もシィナを馬鹿にしたりしないよ」
リダールは優しく言った。へえ、とタイオスは思った。
(なかなか「お兄さん」してるじゃないか)
(ちょっとばかし、負けてはいるみたいだけどな)
「『協会に行った件』とは? 戦士殿の手を借りたい、ということと繋がるのですか」
「そりゃ繋がるさ。いま、この町には」
「シィナ」
「何だよ。話すくらい、いいだろ」
むっつりと言ってシィナは、リダールの制止を無視し、話しはじめた。即ち、灰色のローブを着た、謎の一団のこと。
「それで」
シィナはきゅっと、胸の辺りを握った。タイオスは知らないが、そこにもリダール同様、魔除けの玉がある。
「その落ちてた顔の部分が、行方不明になった若旦那にそっくりだったもんで、オレ、気味が悪くてさ」
何かの「呪い」ではないかと思った彼らは、あのあと、神殿と魔術師協会を訪れた。神殿の方はラシャが話を聞き、調べると言った。
協会でも受付の魔術師は彼らの話を聞き、調査をすると答えた。何でも、そのような「呪術的」な出来事を調べるのは協会の務めでもあるから料金は要らないが、報告が必要ならば金が要るというような話で、渋々彼らは支払った。
もっとも手持ちがあったのはリダールだけだったので、その場ではリダールが金を出したが、彼らは「小屋」の決まりに従って、かかった金額は均等に出すことを約束した。シィナやランザックのように働いているのではないリダールは肩身の狭い思いだったが、彼らは断固として、領主の息子にたからなかった。
「調査依頼をしたならば、それだけで充分じゃありませんか」
サングは指摘した。
「どうして報告をもらう必要が?」
「どうしてって」
「気になるからに決まってるだろ」
「〈好奇心は死神 の鎌を呼び寄せる〉と言います。よろしくありません」
「な、何だよ、脅すのかよ」
「忠告です」
やはり淡々と、魔術師は言った。
「ま、こいつの言うことももっともだ」
中年戦士は口を出した。
「そいつらが何者にせよ、もう近寄らん方がいい。専門家に任せておけ」
「他人事のように言いますが、タイオス殿」
「何?」
「あなたにも関わりのあることです」
「……何?」
戦士は目をしばたたいた。
「その灰色のローブをかぶった者たちは、ソディエであることが確認されています」
「何だと?」
三度聞き返して、タイオスはサングの発した音を心のなかで繰り返した。
「ソディ……一族? 奴らなのか?」
魔族ライサイを宗主とし、〈青竜の騎士〉や〈しるしある者〉の指導のもと、カヌハの村に暮らす一族。確か彼らのことをそう呼んだはずだ、と戦士は思い出した。
「いえ。『ソディエ』です」
サングは首を振った。
「『ソディ一族』は人間だ。ですが『ソディエ』というのは魔物の種族の名称です。ライサイは、ソディエ」
「何、だって?」
タイオスはまたしても目をぱちぱちとさせて――それから険しい顔をした。
「魔物が徒党組んで、町んなかをうろうろしてるってのか!?」
「そういうことになります」
さらりと魔術師は認め、少年たちは目を見交わした。
「ま、魔物」
「人間じゃない、ってこと」
「いや、待てよ」
戦士は片手を上げた。
「何でお前が、そんなこと知ってるんだ」
「ここにやってきたときから、奇妙な感じは覚えていました。おそらく、いるだろうとは思っておりましたが」
「答えになってねえぞ」
「ではお答えいたしましょう。彼らは現在、カル・ディアルとアル・フェイルのあちこちで、同じようにうろついているのを確認されているのです」
「何、だって?」
またしてもタイオスは、馬鹿のように繰り返した。
「アル・フェイルの方は首都付近で見受けられる程度で規則性がないのですが、カル・ディアル上のそれらを繋ぐと、彼らはカヌハから魔力線に近いところを探し、とびとびに町を選んでいるようです。その点を線にしてみると、先にあるのは」
サングは実在しない空中の地図をなぞるように指を動かした。
南へ。
「――シリンドル」
その名にタイオスの表情が険しくなった。
「どういうことだ」
「それはまだ判りません」
魔術師は首を振った。
「これでお判りでしょう、私がシリンドルを訪れた理由」
「俺の様子を見るなんざ、出鱈目だったってことか」
「とんでもない。タイオス殿の様子を見ることはこの上なく重大でした。〈峠〉、〈白鷲〉、〈幻夜〉、この三つは重要な符号と思っております」
「符号だと?」
「ええ。タイオス殿は『シリンドルを守る』ことをお考えのようですが、ことはシリンドル一国では済まない。マールギアヌ地方の大半から、大陸の全土へ派生していくかもしれない大問題が進行しようとしているのです」
「ま、待て待て」
タイオスは額に手を当てた。
「何でそんなことになる」
「判りませんか?」
サングは片眉を上げた。
「このようなことはこれまでになかった。いえ、少なくとも、表面化するほどには事態が進行しなかった。こちらへ出てくる魔族はあくまでも少数派。『人間』を好物とする種族の一部か、言うなれば魔族のなかの異端児、変わり者といった類でした。ソディエもおそらく人間の発する波動を餌としますが、われわれはライサイ以外にソディエを確認していなかった。それが何故、急増したか?」
「ちょっと待て」
タイオスは呆然とした。
「お前が言うのは、まるで……」
彼は必死で考えをまとめた。
「まるで、魔族ってのはどっか違う国で暮らしてて、その一部が、たまにカル・ディアルやアル・フェイルにくると言うような……」
「ああ、失敬」
サングは肩をすくめた。
「そこから説明が必要でした。その通りです。彼らは、私たちが異界と呼ぶ場所に暮らしている。それがどんな場所なのか、人間が行くことができるのはせいぜい狭間までですから判りようがないのですが、存在することは間違いない」
さらりと魔術師は言う。
「じゃ、つまり……」
タイオスはごくりと生唾を飲み込んだ。
「いや、まさか……」
「そのまさかです」
やはり簡単に、サングは肯定した。
「侵略です」
「おいっ」
「叫ばれても、取り消せません。もっとも、協会内でも意見の割れているところではあります。イズランは以前からの情報網を使って各地の調査をしていますが、ただ数が増えているというだけでは決定打にならない。それだけのことならば、数十年前にも記録がありますので」
「イズランだと? 奴も何か」
「どうしてタイオス殿の前に、彼ではなく私がやってきたと思うのです。イズランにはまた、これで貸しです」
サングはかすかに口の端を上げた。滅多に表情を変えない男の笑みは、空怖ろしく見えた。タイオスは思わず、厄除けの仕草をしてしまう。
「あいつは自国を守るので忙しいって訳か。それならそれでけっこうだが」
「誤解のないように申し上げておきますが、彼は国境を越えて立ち働いています。もっともそこに崇高な精神のあるものではなく、カル・ディアル側を残しておけばアル・フェイル側を潰しても復活しやすいからという理由に過ぎませんが」
などというやり取りをリダールとシィナは口をぽかんと開けて聞いていた。何が何だか判らない、という様子はタイオス以上だ。
「いったいどういうことなんです?」
ようやく、リダールが言った。
「あの人たちは、キルヴンだけにいるんじゃないんですね?」
「確認されているだけで、計八つの街町に。おそらくもっといるでしょう」
「そんなに……」
「ですが、人間の頭数を考えたら、多くてどうしようもないというほどではない。それが協会の煮え切らぬ理由でもありますが、実際、現状であれば各町で戦闘能力のある魔術師を十人ほど集めれば、対抗は可能です」
「現状では、ね」
タイオスは唇を歪めた。




