06 仲がよろしくない
神殿の場所は、教われば簡単に判った。
タイオスはそのままサングを伴ってそちらへ向かうことにした。リダールを待つより効率的だと考えたのだ。
「おい」
「何でしょう」
「それ、脱げ」
タイオスが言えば、サングは片眉を上げた。
「何故です」
「『何故です』じゃないだろうが。お前さんたちがいがみ合ってることくらい、俺ぁよく知ってるぞ」
魔術師と、神官。彼らはどうにも、仲がよろしくない。
もちろんと言おうか、たとえば町なかですれ違ったくらいで喧嘩をはじめたりはしないが、決して目は合わせない。たとえば食事処で隣り合わせたとしても、まるで互いが存在しないかのように振る舞う。
何らかの事情でつき合う必要が出てくれば、厄介だ。どちらも自説を譲らず、彼ら以外には判らない、或いは意味のない事柄について喧々囂々とやり合う。周りはうんざりだ。気の弱い者なら胃を痛くするだろう。
全員が全員、絶対にそうだと言うのでもなく、なかには稀に、とても仲のいい魔術師と神官もいる。そこまで行かずとも、持ち前の理性でもって嫌悪や侮蔑を表に出さない場合もある。
だがたいていは、対する職に就いている人間を蔑んでいる。個人的に親しかったとしても、「あいつの唯一の欠点は、魔術師または神官であることだ」と思っている。
タイオスはそう感じていた。
「いえ、とんでもない」
と、魔術師は少なくとも口に出しては言った。
「確かにいささか、神職にある方々は、われわれの技を嫌う傾向があります。『神に祈って得られる聖なる力に似たものを生まれながらに持っているとは何ごとだ』というところですね」
サングは肩をすくめた。
「ですが、ごく普通の町びとが思うような『魔術師は忌まわしい』という観点とは異なります。言うなれば」
淡々と魔術師は続ける。
「妬ましい、という辺りですが」
「ほら」
タイオスは顔をしかめた。
「とげがあるじゃねえか」
「事実なんですから仕方ありません」
「『自分の方が偉い』と思ってる訳だろ? お互いに。思うのはいいさ、勝手だ。だがそれを隠さないどころか、相手に対して優位を取ろうとしてる訳だろ?」
「お言葉ですが、そうした態度を取るのはあくまでも神殿側です。魔術師協会は、さまざまな価値基準を認めます。いくらかの禁は存在しますが、それらは当の魔術師たちを守るためであり、たとえば魔術師が『忌まわしい』と思われる最大の要素、『黒魔術』などと言われる類であっても否定することはありません」
「そこは否定しろよ」
「われらは神力の存在も否定しない」
途中の指摘を無視して、サング。
「『神に祈って得られる力』の存在を否定することはありません。ですが神殿は、われらの魔力を『在ってはならないもの』のように考える」
「判った、判ったよ」
タイオスはひらひらと手を振った。
「要するに、向こうが突っかかってくるから仕方なく応戦するんだと言いたいんだな?」
「大筋ではそういうことになります」
「お前さんの言いようは判った。だが、それは結局、いがみ合ってるってことになるだろうが」
彼は最初の結論に戻した。
「そんな黒ローブ姿で神殿を訪れれば、向こうさんは気を悪くする。それを避けようって言うのはそんなに的外れか?」
「的外れです」
きっぱりと、サング。
「魔術師には魔術師が判ると言います。それに近いところで、神官もまた、相手が魔術師であるかどうかは判ります」
「そうなのか。だがな」
タイオスは引かなかった。
「お前らは少し、外聞というものを勉強しろ。世の中は、理屈に合ってりゃ正しいってもんじゃねえんだ。『自分が魔術師であることを隠せないのは承知だが、相手の陣地に入るに当たって礼儀を重んじ、ローブを脱ぎました』って態度を取れば向こうの心証も少しはいいだろう」
「私が神官の心証をよくする必要はありません」
「お前な。そういうことを」
「ですがここは、タイオス殿の顔を立てましょう」
そこでようやく、サングは黒ローブを脱ぐことに同意した。戦士は肩を落とす。
「……お前な。その気があるなら最初から」
「物事には順番というものがありますので」
澄ました顔で言いながら、魔術師は脱いだローブを「どこか」にしまってしまった。手品のように消え去ったそれに戦士は目をしばたたいたが、サングにはこれくらい朝飯前なのだと思い出して、特に何も言わなかった。
(何しろ、協会では「導師」と言われるだけの地位にあって、イズランの留守には宮廷魔術師の代理も勤めるってんだから)
(俺がこれまで知り合った、どんな魔術師よりも上なんだろうな)
サングは三十代の前半という辺りで、職種にもよるが、普通なら中堅と言われる年代だ。だが魔術師には、年齢はあまり関係ない。何も学ぶ前よりは、時間をかけて学んだあとの方が強力な術師となるが、それは魔力が増大するのではなく、魔力の使い方を覚えるためだ。「魔力」というのはサングが言ったように生得のものであり、努力によって得られる成果には限界がある。
アルラドール・サングは生まれながらにして大きな魔力を持ち、かつ、研鑽している。その辺りの魔術師では到底敵わない。
(ま、そりゃあ戦士だって同じだがな)
タイオスが若い頃から血のにじむよう修行をしたとしても、おそらくルー=フィンには敵わない。「才能」というものは時に残酷だ。
(いやいや、あいつは別格)
もうちょっと真剣にやっていれば自分もエククシアくらいには勝てたのではないか、とタイオスは思い、何とも役に立たない想像だな、と自嘲した。
「それにしても」
ローブを脱いだサングを見て、タイオスは言った。
「やっぱりあの黒服ってやつは陰気臭いな。そうやって普通の格好をしてりゃ、お前さんだって普通に見えるのに」
「『普通』に見えたからってどうだと言うんです」
「女のひとりやふたり、捕まえられるだろうって……まあ、下世話な話さ」
馬鹿にされそうな気がして、タイオスはつけ加えた。
「必要ありません」
案の定と言うのか、魔術師の返答はそれだった。
世の中には、異性との交流など不純だ、と考える堅物もいる。結婚して家庭を持つこと以外で「遊ぶ」など有り得ない、という輩だ。
それもひとつの価値基準だとは思うが、もし若いのがそんなことを言っていたら、タイオスは「もうちょっと気軽にやれよ」と言うだろう。遊び回る必要はないが、女とのつき合い方――個人的な交際という意味のみならず、一般的な交流という意味でも――くらい知っていた方が楽なこともあるからだ。
だが「魔術師」は、そういう思考とも違うらしい。「異性との肉体的な交わりは魔力を弱める」という考えがあるとも聞いたことがある。それは神官の禁欲にも似ていたが、力を弱めたくないからという動機はあまり崇高ではない印象だ。
もっとも、本当に、心から「女の身体なんかより魔術書の方がいい」と感じる魔術師もいるのだとか。
その段に至るとタイオスには全くもって理解の範疇外、想像すら不可能なのだが、サングはそれに近そうだとも思った。
これ以上余計なことは言わぬが吉である。
などと、くだらないと言えばくだらない話をしながら、彼らはフィディアル神殿にたどり着いた。
タイオスはあまり、神殿などに足を踏み入れたことはない。婚礼や葬儀を除けば、戦士仲間のつき合いでラ・ザイン神殿に行ったことがあるくらいだ。時には神の名を口にし、加護を願うが、祈りの間で真剣に祈ったり神殿に寄進したりはしない。
自分勝手と言えば自分勝手だが、その代わり過度の期待はしないし、加護をもらえなかったからと恨んだりはしない。神に対する罵詈雑言は言葉のあやみたいなもので、本気で恨んでいる訳ではない。
〈峠〉の神は別だ。タイオスは信者ではないが、悪口雑言や恨み言を言う権利はあると思っている。
ともあれ、いわゆる七大神や冥界の神、八大神殿に対するタイオスの感覚は、ごく一般的と言えた。信じるの信じないのという大仰な話ではなく、日常に根付いているから名前も祈りも気軽に口にするし、願いごとがあるときだけは心から祈ることもあるが、間違っても「敬虔な信者」とは言わない層。これが世間の大多数である。
その大多数に属する彼にとって、神殿を訪れるという行為は、ちょっとした緊張感を伴うものだ。
聖なる空間。
そこに「神を感じる」ことはできなくとも、町の雑踏から離れ、天井の高い広間で真剣に祈る人々や、祭壇にある燭台の灯が揺らめいているのなどを見ると、無骨な戦士ですら神妙な気持ちになる。
彼はきょろきょろと広間を見回し、人々に祝福を与えている神官を見つけると、彼の仕事に区切りがつきそうなのを待ってから話しかけた。
「すまん。リダール・キルヴンってガキ、もとい、少年が相談にきているはずなんだが、一緒に話を聞きたいんで、案内してくれないか」
彼としては丁重に言うと、神官は目をしばたたいた。
「タイオス殿」
こほん、とサングが咳払いをした。
「リダール殿は、キルヴン伯爵閣下のご子息ですよ」
「……ああ、そう言やそうだった」
この町の領主の息子に対して、「ガキ」はもとより、その辺の少年のような扱いもなかった。
だが神官は、それに何か言うより、サングを見て少し驚いた顔をした。先ほど魔術師が言ったように「魔術師が判った」のであろう。だが顔を険しくしたり、「出て行け」というようなことはなく、ただ会釈をして彼らの名を尋ね、「少々お待ちを」などと答えた。




