08 腹を割って話したい
突然の訪問は、しばらく、居留守を決め込まれた。
と言っても、屋内にいることは間違いなく、訪問者はしつこく扉を叩き、名を呼んだ。
根気よく五分もそうしていただろうか。実に仕方なさそうな調子の声が「何だ」と答えた。
「ご挨拶に」
彼は言った。
「どうかお話を聞いていただきたい、フェルナー殿」
ユーソア・ジュゼは扉の外で言った。相手はまたしてもしばし沈黙を保ったが、いることを知らせてしまったからにはもう無視を決め込めないと思ったのか、はたまたほかの事情でか、たっぷり二十秒は経ってからゆっくりと扉を開けた。
――その仮面は、間近で見ると、ますますもって奇妙な感じを与える。
「お前は……確か」
くぐもった声がした。
「ユーソア・ジュゼと申します」
丁重な挨拶の仕草をして、ユーソアは名乗った。
「騎士になっ……いや、〈シリンディンの騎士〉か」
「その栄誉に預かっております」
謙虚に青年騎士は答えた。
「お邪魔しても?」
「――いいだろう」
仮面の男は身を引き、騎士を室内へ招き入れた。
「フェルナー殿」
こほん、とユーソアは咳払いをした。
「このたびは……その、お聞き及びとは思いますが、妹君に、大変、失礼な真似を」
「何だと?……ああ」
男は忘れていたかのようだった。
「そのことか。大したことでもなかろう。〈シリンディンの騎士〉らしからぬことは確かだが」
どうでもいいとばかりに男は手を振った。
「詫びにでも、きたのか」
「ええ」
ユーソアはうなずいた。
「フィレリア殿にきちんと謝罪ができておりませんことと、兄上殿にもお詫びをと」
「俺に詫びなど、必要ない」
面倒臭そうに男は言う。
「だがフィレリアにも、不要だ。お前が謝罪にきたとは伝えておくが」
「ですが……フェルナー殿」
少し困った顔で、ユーソアは続けた。
「私はあまりに軽率でありました。フィレリア殿のような可憐な女性を前にしたからと言えども、騎士として、いえ、男として軽挙妄動であったと」
「判った判った。判ったから、もういい」
「いえ、どうか、このことだけは」
ユーソアは真剣な顔をした。
「断じて、あれ以上の行為に出るつもりなどはありませんでした。以前、シリンドルが騒動の内にあった際」
彼は顔をしかめた。
「こともあろうに、王女殿下に狼藉を働こうとした男がいたと聞いておりますが、そのような真似は決して」
「うるさい」
「は?」
「……いや」
何でもないとフェルナー・ロスム――ではない、ヨアティア・シリンドレンは、仮面の下で仏頂面を作った。
「謝罪は聞いた。詫びは受け入れた。とっとと帰れ」
「何かご予定でもおありですか」
「予定だと? そんなものはない」
「ならば少しばかり、話でもいたしませんか」
「何だと?」
「話です。フェルナー殿。フィレリア嬢の兄上」
ユーソアはじっと仮面を見た。
「回りくどい言い方は、やめておきましょう。――手を組みませんか」
ゆっくりと、騎士は言った。
「……何だと?」
ヨアティアは繰り返したが、不信そのものであった一度目に対し、二度目の声にはわずかに好奇心が混じった。
「腹を割って話したい。……どうですか」
「ふん」
鼻を鳴らしてヨアティアは、考えるように両腕を組んだ。
「いいだろう。だが、まずはお前からだ」
「承知しました」
ユーソアは応じた。
「あなた方ご兄妹は、端的に言って、ハルディール陛下に取り入るためにシリンドルへきたのでしょう」
直接的な切り込みに、ヨアティアは黙っていた。
「シリンドルは小国であり、ろくな資源も産物もないが、それでも他国が認める『一国』だ。田舎の小国でも『国王の縁戚』という地位は、なかなかのものであるはず」
やはり、ヨアティアは黙っていた。
「可憐なフィレリア嬢にそのような野望があるとは思えませんが、貴殿や〈青竜の騎士〉。あなた方の狙いはそこではありませんか」
「……は」
そこで仮面の男は笑った。
「的外れもいいところだ」
「そうですかね?」
ユーソアは肩をすくめた。
「腹を割って、と言ってるじゃありませんか。ああ、まだ私の話が済んでないからですね」
得心したようにユーソアはうなずく。
「とにかく、話を簡潔にすれば、こういうことです」
彼は口の片端を上げた。
「私は〈シリンディンの騎士〉として持っている権限を使って、あなたの都合のいいようにする。その代わりそちらも、王の縁戚たる優遇点を使って、私に都合よく」
こういうのはどうです、と騎士は言った。
「エククシア殿にも持ちかけることも、考えては、いますが」
ゆっくりと言いながら、ユーソアはちらりと仮面を見た。
「フェルナー殿が全面的に乗ってくださるなら、あなたにだけ都合したっていい」
その提言にヨアティアは、まだ口をつぐんでいた。
「……には」
しばしの沈黙ののち、仮面の向こうから声が洩れた。
「具体的、には」
「そうですね」
ユーソアはかすかに笑みを浮かべた。それはシリンドルの娘たちを虜にする笑顔だったが、もちろんのことながら、ヨアティアを魅了はしなかった。
ただ少なくともそれは、他人の心を動かす力のある笑顔だった。既に彼を信頼している者には「やはりユーソア様はよい方だ」、そうでなく、胡乱な話を持ちかけられた者でも「一蹴せずに聞くくらいはいいだろう」と、思わせるような。
「陛下とフィレリア嬢の婚約は、早くとも〈穢れ〉が明けてからということのなります。これはいかな陛下でも命じて変えさせることはできない」
「そうだな」
前神殿長の息子はうなずいた。ユーソアは片眉を上げた。
「ご存知で?」
「ああ、いや、少し聞いた」
もごもごと彼は答えた。
「ではご理解いただけていますね。約半年に一度の、『神の眠り』」
「……眠り、だと?」
何だそれはと彼は不審そうな声を出した。
「俺が何も知らないと思って、適当なことを言っているのか」
「とんでもない」
騎士は手を振った。
「〈穢れ〉の間、〈峠〉の神は休むのです。それ故、我ら騎士が神殿を警護します」
「……聞いたことがない」
「フェルナー殿が誰からどのようにお聞きであるにしろ、これは確かに、ご存知ないやもしれませんな」
青年騎士は首を振った。
「王陛下と騎士たちと、それから神殿長にしか伝えられない話ですから」
「――神殿長」
「ええ。前神殿長ヨアフォード・シリンドレンは後継を指名することなく逝き――もっとも、彼が指名したはずの後継は騎士とご婦人を背後から刺して逃げた卑怯者ですから、指名していたところで無駄だったでしょうが」
ユーソアは当人を前にさらりと言って肩をすくめた。当人はやはり仮面の下でこれ以上ないほどの渋面を作っていた。
「急遽、神殿長の座に押し上げられたボウリス殿は、それでも立派に勤め上げておいでだが逆に言えば」
ユーソアは例の笑みを浮かべて、ゆっくりとヨアティアに、その仮面の奥の瞳に、視線を合わせた。
「神殿長など、誰にでも務められるとも」
「ほう?」
「つまり、血筋に関わりなくということです」
「は」
ヨアティアは笑った。
「は、はは。ユーソア、お前、思ったより面白い奴だな」
「光栄です」
騎士はまた笑んだ。
「俺に、よりによってこの俺に、その座を寄越そうとはな! はは」
何もなければ五年から十年の間に神殿長となっていたはずの男は笑った。
「だがユーソア。俺がそんな話に乗ると思うのか?」
笑いを納めて彼は言った。
「生憎だが、お前のそれはエククシアが見せたものと同じだ」
仮面は鼻で笑う。
「〈青竜〉め。以前は俺を王にと言っていたくせに」
「何ですって?」
「いや」
何でもない、と彼は手を振った。




