06 何が判る
何だと、と「少年王」は怒鳴った。
「逃げた、だと!」
「申し訳――」
「ふざけるな!」
彼は騎士団長の謝罪を一蹴した。
「逃がしたのは誰だ」
「意図的ではございません」
「そんなことは判っている。僕の意志に逆らうなら、反逆だ」
ハルディールの声と身体で、フェルナーは苛々と言った。
「だが、あんな狂人を取り逃がすという重大な失態を犯したのはどこの馬鹿だと尋ねている」
「誰であろうと、事情は変わりますまい」
「僕に知らせられないとでも?」
「そのようなことは、断じてございません。ただ、あの男が狂人であろうと〈嘘つき妖怪〉や困らし悪魔の類であろうと、騙し討ちに長けていることは間違いない。気の毒にも騙された側を罰するお気持ちが陛下におありでしたら、どうかお改めいただきたく」
「そうだな」
フェルナーは勢いを落とした。
「悪いのはタイオスだ」
アンエスカはほっとしてそれを聞いた。逃がした者を代わりに牢に入れておけ、などと言い出されては説得が面倒臭い。
(いや)
(処刑、くらいのことを平気で言い出すやもしれん)
(タイオスの話によれば、フェルナーはカル・ディアルの伯爵の息子で、十一だか十二だかということだったな)
彼は彼の大事な王を乗っ取った憎らしい子供のことを考えた。
フェルナーの父ロスム伯爵の権力とシリンドル国王ハルディールのそれをもし数値に表すことができたとしたら、両者のそれはあまり変わらないか、もしかしたらロスムの方が上かもしれない。だが確率で表した場合は、ハルディールの方がずっと高い。フェルナーはその確率に――。
(酔っている)
そう感じた。
(もともとわがままを叶えられる位置にはいたのだろうが、誰それを捕らえよだの牢に入れよだのという命令を下したことはなかったはずだ)
(それを最初に叶え、何でもできると思わせてしまったのは失敗だったかもしれない)
騎士団長はそうも思ったが、あの場では恭順を示すことが肝要だった。普段からハルディールにしているように、否と言うべきときは否と答えていたなら、フェルナーはこうしてアンエスカを近づけていないだろう。
気に入らないがタイオスが言ったように、たとえ馬鹿だと思われても彼の王――の身体――に近くあること、それが重要だ。
(もっとも、エククシアが吹き込んだやもしれんがな)
こうしろああ言えとフェルナーを操るために、エククシアは王家の館に出入りしている。そうしたことも考えられた。
そう、いまも。
「逃げたと」
ゆっくりと金髪の騎士は言い、口の端を上げた。
「面白い」
(こいつ)
「――面白いでは済みますまい」
アンエスカは内心の警戒を隠し、しかめ面を作った。
「シリンドルから出て行くところを見た者が大勢おります故、安堵はしておりますが」
「ほう?」
「何だと。シリンドルから逃げたのか」
フェルナーは目をしばたたいた。
「あいつ、てっきり……」
「てっきり?」
「いや、何でもない」
もぞもぞとフェルナーは言葉を濁した。
(てっきり)
(「自分の正体を暴こうとすると思ったのに」?)
言われなかった台詞はそのような内容と推測できた。成程、とアンエスカは思った。タイオスの言う通り、確かに子供だと。
(だが、口にすれば拙いということには気づいたのだから、愚か者ではないな)
自分自身の現状は把握しており、自らの利益が損なわれることには敏感。アンエスカはフェルナーを判定した。
「どのような状況だったと?」
「は、それが」
アンエスカは、彼が考え、タイオスが実行に移した出来事について語った。
いや、それは、彼らが話していたこととは少し違った。
「ヴォース・タイオスは不調を訴え、医師を要求しました。そこで医師が呼ばれ」
「そんな出鱈目を信じるとは!」
憤然とフェルナーは言う。
「アンエスカ、お前はその男を罰するなと言うが、そのような大失態を犯した人物に咎めなしというのもおかしいだろう」
(その通り)
内心でアンエスカは同意した。
(本当に罪人を逃したのであれば、私こそ、処罰を躊躇う陛下に厳罰をお願いするところだ)
あまり否と言い続けても不自然だ。フェルナーだけなら適当に言いくるめるにしても、エククシアがいる。
(ひとつ)
(――試してみるか)
彼は、相手の様子を探るべく、言ってみることにした。
「実は」
わずかに声を低くする。
「それは、シリンドレン縁の者なのです。シリンドレンの血筋に近くある者は、いささか白眼視され、肩身の狭い思いで暮らしております」
陛下もご存知のように、と言ってやった。フェルナーは知ったようにうなずいた。実際には、ヨアフォードやヨアティアの親戚だからと言って迫害などはされていない。肩身の狭い思いでは、いるかもしれないが。
「そこに厳しい処罰を下せば、その風潮に拍車をかけることになる。近親でなくとも、シリンドレンの縁戚は国内に数多く存在します」
これは事実だ。
「民たちに影響力を持つ者もいる。王家がシリンドレン家を迫害しているなどという流れを生まぬよう、あのあと我らは、気遣ったはずです」
ご存知のように、とまた言った。フェルナーは助けを求めるかのごとく、ちらりとエククシアを見た。
「それで、シリンドレンの血筋をかばうのか?」
エククシアが尋ねた。
「それもまた、一種の差別ではないのか」
「必要以上に厚遇している訳ではありません」
そこでアンエスカは片眉を上げた。
「エククシア殿は、このような小国で起きた反乱の話をご存知か」
「ああ」
簡単に、エククシアは認めた。
「知っている」
(慌てもしない、か)
何を考えているのか読めない男だ、と騎士団長は思った。
(半……人外ということだが)
(それならば普通の人間がするような反応をせずとも道理なのか)
判らなかった。アンエスカはタイオス以上に、魔物だ魔族だというものを知らない。もっとも、たとえばイズランであってさえ「知っている」とは言えなかったが。
「シリンドレンは、民たちから煙たがられているか」
「事情をご存知であるなら、お判りでは」
「伝統ある神殿長家が、たったひとりの外れ者のために、地に堕ちたか」
「致し方のないことです」
アンエスカは目を伏せて言った。
(――お前に)
(何が判る)
ヨアフォード・シリンドレン。平和なシリンドルを混乱に陥れた、憎むべき反逆者。
だが知っていた。アンエスカは知っていた。
若く、理想に燃えて、国のために何ができるかと熱く語っていた若者のこと。
彼とヨアフォードは、理想を叶えるために選んだ道が違っただけだ。
ヨアフォードは間違っていたと、アンエスカははっきり言える。前王への私怨があったことも事実だ。だがそれでも、彼は知っている。ヨアフォードは私利私欲のために大事を起こしたのではないということ。
と言ってもそのようなことを声高に言う訳にはいかない。彼は騎士団長で、ヨアフォードは反逆者だ。神の前で〈白鷲〉に征伐された、憎むべき――。
彼には複雑な思いもあった。そうした点では、彼はルー=フィンを理解できた。ヨアフォードは罪人だが、悪党ではなかったと知る者。
だが、そのようなことは言うべきではない。もちろん、断罪も否定しない。ヨアフォード・シリンドレンは、文字通り、神をも畏れぬ反逆者であった。それはシリンドル国民の総意であり、彼自身もそう考えている。
だが、それでも。
ヨアフォード・シリンドレンを知りもせぬ男に言われれば、腹立たしい気持ちが湧いた。
しかしそれを見せる訳にはいかない。エククシアの正体がどうのという問題ではなく、〈シリンディンの騎士団〉の長として。
この考えは、同じような感覚を抱いて迷っているであろうルー=フィンにも、洩らすことはできなかった。




